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アートへの招待13 仏教の教えと文化に触れる三企画展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

3年目と長期化の世界的なコロナ禍に加え、3か月目に入ったロシアによるウクライナ侵攻は、なお出口が見い出せない。この間、多くの人命が奪われ、難民が急増している。犠牲者への冥福と復興を祈らずにおられない日々、仏教の教えを学び、仏像や仏画、経典や典籍などの仏教美術品で心癒される展覧会が開催中だ。日本の仏教に大きな影響を与えた伝教大師最澄の1200年大遠忌を記念して、特別展「最澄と天台宗のすべて」が京都国立博物館で5月22日まで催されている。最澄と並び真言宗を開いた弘法大師空海も学んだ、わが国最初の天皇発願の寺の特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」が奈良国立博物館で、さらに仏教誕生に遡り、その教えを受け継いだ春季特別展「ブッダのお弟子さん-教えをつなぐ物語-」が京都の龍谷ミュージアムで、ともに6月19日まで開かれている。いずれも優れた仏教文化に触れ、混迷の現代、私たちの生き方に示唆を与える格好の企画展といえる。

京都国立博物館の伝教大師1200年大遠忌記念 特別展「最澄と天台宗のすべて」

日本天台宗の歴史を伝える仏教美術品130件

伝教大師最澄は、比叡山を拠点に『法華経』の教えを実践した。延暦寺における日本天台宗の開宗から、東叡山寛永寺を創建して太平の世を支えた江戸時代に至るまでの天台宗の歴史を顧みて、日本各地で守り伝えられてきた貴重な宝物や、『法華経』の説く万民救済の精神をあらわす文化財などを一堂に集めた企画展だ。

前期(~5月1日)と後期(5月3日~)、一部期間限定合わせ、国宝23件・重要文化財72件を含む、仏像、仏画、書、工芸など130件が出品される。

展覧会は東京国立博物館、九州国立博物館に続いての巡回で、各会場ごとに特色を持ち、とりわけ最終会場の京都は天台宗の中心となった地域。京都を中心に、京都と密接な交流があった北陸や西国の寺院等の名宝などを集め、73件が京都会場のみの展示となっている。

伝教大師最澄(767-822)は、弘法大師空海とともに、中国に渡って仏教を学び、新しい平安仏教の一翼を担った名僧だ。最澄の生涯は、あらゆる人々を救うという『法華経』の説く理想の世界を実現することに捧げられた。全国に『法華経』を収めた宝塔を建てる六所宝塔、比叡山における大乗戒壇の設立の構想などはいずれも、この理想を実現し、人々の幸せを祈るためのものだった。中でも出家者にしか許されなかったそれまでの受戒を、より開かれたものにした大乗戒壇の設立はきわめて革新的であり、日本の仏教に大きな影響を与えた。

見どころとしては、各寺院で「秘仏」とされる仏像も複数展示される。数十年に一度しか公開されない仏像や、これまで寺外には出なかった仏像を拝見できる。また比叡山延暦寺の総本堂「根本中堂」の内陣の一部を会場で再現。現在の建物は、元亀2年(1571年)の織田信長の焼き討ち後、徳川幕府の援助を得て寛永19年(1642年)に再建されたもの。内陣の中央には最澄自作と伝える秘仏薬師如来像と、最澄が灯して以来消えたことのない「不滅の法灯」が安置されている。

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比叡山延暦寺の総本堂「根本中堂」の内陣の一部再現

展示は6章構成で、各章の概要と京都会場の主な展示品を取り上げる。まず第1章は「最澄と天台宗の始まり―祖師ゆかりの名宝」。『法華経』を根本経典とする天台の教えは、中国・隋時代の天台大師智顗(ちぎ、538~597)によって大成された。鑑真が日本にもたらした経典から智顗の教えを学んだ最澄は、比叡山延暦寺を創建し、その後中国に渡り、研鑽を深める。

国宝の《聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 最澄》(平安時代・11世紀、兵庫・一乗寺蔵、~5月1日)は、現存最古の最澄の肖像画。頭巾をかぶり、腹前で両手を組み、椅子の上で静かに瞑想する姿が描かれている。

重要文化財の《薬師如来立像》(平安時代・11世紀、京都・法界寺[真言宗醍醐派]蔵、通期)は、厨子の奥深くに守られてきた平安の秘仏で、寺外初公開。像内に最澄自作の薬師像を納めていた最澄にゆかりの深い像でもある。

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国宝《聖徳太子及び天台高僧像 十幅のうち 最澄》(平安時代・11世紀、兵庫・一乗寺蔵、~5月1日)画像提供:東京文化財研究所

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重要文化財《薬師如来立像》(平安時代・11世紀、京都・法界寺[真言宗醍醐派]蔵、通期)

国宝の《七条刺納袈裟》(中国 唐時代・8世紀、滋賀・延暦寺蔵、~5月1日)は、最澄が教えを受けた中国天台山・仏隴寺(ぶつろうじ)の行満から相伝した、天台六祖・湛然(711~782)の袈裟と伝えられる。

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国宝《七条刺納袈裟》(中国 唐時代・8世紀、滋賀・延暦寺蔵、~5月1日)

第2章は「教えのつらなり―最澄の弟子たち」。慈覚大師円仁(794~864)、智証大師円珍(814~891)は、最澄が中国で学んだ密教を、より本格的なものにするために、中国の都、長安に渡った。最澄によって広められた日本天台宗は彼らによって基盤が築かれ、密教を取り入れて独自の展開を見せた。

重要文化財の《聖観音菩薩立像》(平安時代・12世紀、滋賀・延暦寺蔵、通期)は、慈愛に満ちた笑みを浮かべ、腰を捻り右足を踏み出す姿勢は衆生救済の歩みをあらわし、12世紀後半頃から全国各地で模刻像が造られた。

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重要文化財《聖観音菩薩立像》(平安時代・12世紀、滋賀・延暦寺蔵、通期)

第3章は「全国への広まり―各地に伝わる天台の至宝」。『法華経』の説く「悟りに至る道は誰にでも開かれている」という思想を重んじた天台の教えは、全国に広まるいしずえとなった。ここでは各地に伝わる様々な遺品が出品されている。

《菩薩遊戯(ゆげ)坐像(伝如意輪観音)》(鎌倉時代・13世紀、愛媛・等妙寺蔵、通期)は、60年に一度のみ公開の秘仏で、近年その存在が知られるようになった。京都岡崎公園にあった法勝寺は、南北朝時代以降、延暦寺とは別に特殊な受戒儀式をはじめ、法勝寺と遠国四戒壇に限定した。この地方の戒壇の一つが等妙寺だ。

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《菩薩遊戯坐像(伝如意輪観音)》(鎌倉時代・13世紀、愛媛・等妙寺蔵、通期)

重要文化財の《性空(しょうくう)上人坐像》(慶快作、鎌倉時代・正応元年 1288年、兵庫・圓教寺蔵、通期)の性空(?~1007)は36歳で出家し、九州各地を巡歴したのち、兵庫県の書写山に止住して圓教寺を開いた。本像はその開山堂に安置され、高く盛り上がった頭部と鋭いまなざしは性空の真容を写し出す。

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重要文化財重要文化財《性空上人坐像》(慶快作、鎌倉時代・正応元年 1288年、兵庫・圓教寺蔵、 通期 )画像提供:奈良国立博物館(撮影:森村欣司)

第4章は「信仰の高まり―天台美術の精華」。10世紀半ば、比叡山中興の祖といわれる慈恵大師良源(912~985)が、天皇や藤原氏から厚い信任を得て最盛期を迎える。一方、弟子の恵心僧都源信(942~1017)は、末法の世を背景に『往生要集』を執筆し、極楽往生を願う浄土教思想を説き多くの人々の支持を得た。

国宝の《釈迦金棺出現図》(平安時代・11世紀、京都国立博物館蔵、後期)は、織田信長による比叡山焼き討ちで難を逃れたと伝えられ、京都西郊の長法寺に伝来していた。釈迦の再生説法という主題の絵で、天台宗最盛期を飾る逸品である。

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国宝《釈迦金棺出現図》(平安時代・11世紀、京都国立博物館蔵、後期)

国宝の《宝相華蒔絵経箱》(平安時代・11世紀、滋賀・延暦寺蔵、通期)は、金、銀、青金、銀と錫の合金などを駆使した装飾で、蒔絵を繊細かつ華やかな画面に仕上げている。

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国宝《宝相華蒔絵経箱》(平安時代・11世紀、滋賀・延暦寺蔵、通期)

第5章は「教学の深まり―天台思想が生んだ多様な文化」。仏教が人々に浸透するにつれ、万人救済を目指した『法華経』の思想は、法然(1133~1212)や親鸞(1173~1263)、日蓮(1222~1282)ら鎌倉新仏教の祖師たちをはぐくんだ。一方、比叡山で20年余り学んだ真盛(1443~1495)は、源信が打ち立てた浄土教信仰とならんで戒律を重視し、天台真盛宗のいしずえを築いた。また比叡山の鎮守である日吉山王社への信仰が盛んになり、山王神道が形成された。

重要文化財の《日吉山王金銅装神輿(樹下宮)》(江戸時代・17~19世紀、滋賀・日吉大社蔵、通期)は、14基が現存している日吉大社所蔵の神輿のうち、重要文化財に指定された7基の一つ。各部に打たれた大振りの錺(かざり)金具には日吉大社の神獣である猿を大胆かつ繊細な鏨(たがね)運びであらわしている。

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重要文化財《日吉山王金銅装神輿(樹下宮)》(江戸時代・17~19世紀、滋賀・日吉大社蔵、通期)

最後の第6章は「現代へのつながり―江戸時代の天台宗」。徳川将軍家の庇護が生んだ江戸天台の遺品として、《東照大権現像[賛]天海筆》(江戸時代・17世紀、京都・毘沙門堂蔵、通期)や、《浅草寺縁起絵巻(応永縁起)》(室町時代・16世紀、東京・浅草寺蔵、通期)などが出品されている。

奈良国立博物館の特別展「大安寺のすべて―天平のみほとけと祈り―」

壮大な伽藍の出土品や、往時を伝える約120件

大安寺は、天皇が発願した日本最初の寺である百済大寺(くだらのおおでら)を起源とし、平城京に壮大な寺地と伽藍を構えていた。奈良時代、東大寺や興福寺などとともに南都七大寺の一つに数えられ、一時期を除き筆頭寺院としての格を誇った。1250年の時を経て、今も大安寺に伝わる9体の仏像は、奈良時代を代表する木彫群の一つだ。かつての伽藍の発掘調査で出土した品々からは往時の壮大な堂塔や華やかな営みの様子をうかがい知ることができる。

今回の展覧会では、時代をリードする大寺院であった大安寺の歴史を、寺宝、関連作品、発掘調査成果など様々な角度から迫っている。奈良国立博物館のみで、前期(~5月22日)と後期(5月24日~)に分け、国宝10件・重要文化財50件を含む、仏像、絵画、書、工芸、旧境内の出土品など124件が出品される。

大安寺は716年に平城京に移って、東西に2基の七重塔が建ち壮大な伽藍を有した。この時代、東大寺大仏開眼の導師を務めたインド僧・菩提僊那(ぼだいせんな)をはじめ、空海、最澄ら1000人にも及ぶ国内外の僧侶たちが集い、日本仏教史上重要な役割を果たしてきた。

平安時代以後は徐々に衰退し、寛仁元年(1017年)の火災で主要堂塔を焼失して以後は、かつての隆盛を回復することはなかった。現存する大安寺の堂宇はいずれも近世末から近代の再建であり、規模も縮小している。現在は高野山真言宗の寺院として、病気平癒、とりわけ癌封じのお寺として親しまれている。

展示は5章建てで、1章は「大安寺のはじまり」。寺伝によると、聖徳太子が建立した仏教道場である熊凝精舎(くまごりしょうじゃ)に由来し、その創始は舒明(じょめい)天皇発願の百済大寺に遡る。その後、高市大寺(たけちのおおでら) 、大官大寺(だいかんだいじ)へと移転を重ね、平城京遷都に伴い、平城京左京六条・七条四坊の地に、大安寺として広大な寺地を構える。その変転の歴史を、吉備池廃寺(百済大寺跡)、藤原京左京六条三坊(推定高市大寺跡)、大官大寺跡の出土品などから辿る。

《隅木先金具・鉄釘》(大官大寺跡出土、飛鳥時代・7~8世紀、奈良文化財研究所蔵、通期)は、屋根の隅木先に取り付けられた大型で華やかな装飾金具と、釘頭を花形につくる長大な釘で、大官大寺の格の高さを物語る。

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《隅木先金具・鉄釘》(大官大寺跡出土、飛鳥時代・7~8世紀、奈良文化財研究所蔵、通期)

奈良市指定文化財の《家形埴輪》(杉山古墳出土、古墳時代・5世紀、奈良市埋蔵文化財調査センター蔵、通期)は、大安寺の寺域にかかる前方後円墳から出土した大型の埴輪だ。

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奈良市指定文化財《家形埴輪》(杉山古墳出土、古墳時代・5世紀、奈良市埋蔵文化財調査センター蔵、通期)

2章は「華やかなる大寺」。奈良時代、東大寺建立後の一時期をのぞき、官寺筆頭の寺格を有した大安寺。旧境内地の発掘調査によって、壮麗な大寺の姿が明らかになった。唐三彩の《陶枕(とうちん)》(中国 唐時代・8世紀、奈良文化財研究所蔵)や、西塔の相輪に下げられていた《風鐸(ふうたく)》(平安時代・9世紀、奈良市埋蔵文化財調査センター蔵、いずれも通期)は、 大安寺旧境内出土だ。

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《陶枕》大安寺旧境内出土(中国 唐時代・8世紀、奈良文化財研究所蔵、通期)

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《風鐸》大安寺 大安寺旧境内出土 (平安時代・9世紀、奈良市埋蔵文化財調査センター蔵、通期)

いまも大安寺に伝わる、いずれも重要文化財(奈良時代・8世紀)の秘仏本尊の《十一面観音立像》(前期)や、《伝馬頭(でんばとう)観音立像》(後期)、《伝楊柳(でんようりゅう)観音立像》(通期)などが出品されている。

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左:重要文化財《十一面観音立像》(奈良時代・8世紀、奈良・大安寺蔵、前期)
中:重要文化財《伝馬頭観音立像》(奈良時代・8世紀、奈良・大安寺蔵、後期)
右:重要文化財《伝楊柳観音立像》(奈良時代・8世紀、奈良・大安寺蔵、通期)

3章は「大安寺釈迦如来像をめぐる世界」で、かつて本尊であった釈迦如来像は、飛鳥の地において、天智天皇の発願により造られたとされる。今は失われて姿を見ることができないが、平安時代には薬師寺金堂の薬師三尊像よりも優れていると評されたほどである。大安寺の釈迦如来像が造られた頃の仏像や記録、説話など様々な手がかりにより、その姿を浮かび上がらせている。

国宝の《釈迦如来像》(平安時代・12世紀、京都・神護寺、6月7日~6月19日展示)は、華麗な朱の衣を身にまとった釈迦如来を描く、平安仏画を代表する傑作。同じく国宝の《倶舎曼荼羅》(平安時代・12世紀、奈良・東大寺、後期)は、南都六宗の一つである倶舎宗(くしゃしゅう)の諸尊を描いた画像だ。

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国宝《釈迦如来像》(平安時代・12世紀、京都・神護寺、6月7日~6月19日展示)

続く4章は「大安寺をめぐる人々と信仰」。奈良時代の大安寺は、日本の僧のみならず、様々な外国僧が止住する、鑑真を日本に招いた普照(ふしょう) 、大安寺僧・勤操(ごんぞう)から虚空蔵求聞持法を授かり大安寺別当も務めた空海、石清水八幡宮の開祖となった行教(ぎょうきょう)ら、古代の大安寺を取り巻く数々の名僧の姿や事績を紹介している。

《道慈律師像》(室町時代・14~15世紀、奈良国立博物館蔵)や、重要文化財の《行教律師坐像》(平安時代・9世紀、京都・神応寺)、重要文化財の《宝誌和尚立像》(平安時代・11世紀、京都・西往寺、いずれも通期)などが並ぶ。

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重要文化財《宝誌和尚立像》(平安時代・11世紀、京都・西往寺、通期)

最後の5章は「中世以降の大安寺」で、火災で伽藍の大部分が焼失したことで、かつての威容が失われた。再建の後、興福寺の支配下におかれるとともに、叡尊の影響により、西大寺の末寺として新たに律宗の拠点ともなる。かつて大安寺にあった華麗な舎利容器や四天王像の模刻など注目される作品や、伽藍の復興や仏像の修理に関わる大安寺僧の活動などを通じて、知られざる大安寺像を探っている。

国宝の《金銅透彫舎利容器》(鎌倉~南北朝時代・13~14世紀、奈良・西大寺蔵、通期)や、重要文化財の《仏涅槃図》(南北朝時代・康永4年 1345年、東京・根津美術館蔵、前期)など貴重な作品が出品されている。

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国宝《金銅透彫舎利容器》(鎌倉~南北朝時代・13~14世紀、奈良・西大寺蔵、通期)

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重要文化財《仏涅槃図》(南北朝時代・康永4年 1345年、東京・根津美術館蔵、前期)

龍谷ミュージアムの春季特別展「ブッダのお弟子さん-教えをつなぐ物語-」

十大弟子や十六羅漢、仏弟子たちにスポット

前記から時代は遡り、仏教のルーツに関わる企画展だ。紀元前5世紀頃、ブッダとなって仏教を誕生させたガウタマ・シッダールタ(釈尊)は、約45年をかけて、当時のインド社会、とくにガンジス川中流域を中心にその思想を広く説いた。今回の展覧会は釈尊没後、 その教えを守り伝えた仏弟子たちの姿にスポットを当て、インド・東南アジア・チベット・中国・朝鮮半島、そして日本で表された絵画や彫刻、経典など約90件の資料で足跡をたどる。

釈尊の話を聞いて弟子となった人々は、バラモン、クシャトリア、名の知れた異教徒、資産家、理髪師、芸妓などその社会的立場や背景はさまざまだった。後に比丘・比丘尼、あるいは在家信者となり、仏教経典の中に物語となって伝えられた。そして仏弟子の姿は、ガンダーラの仏伝浮彫、インドの石窟寺院の壁画をはじめ東南アジア、そして日本を含む東アジア諸国で描かれた仏伝図や彫刻、やがて単独でも表されることとなった羅漢像など仏教美術作品としても表現された。

展示は「初めての仏弟子、そして釈尊に帰依した神々や人々」、「釈尊の涅槃を見まもった仏弟子たち―釈尊からのメッセージ」、「仏弟子から十大弟子へ」、「羅漢と呼ばれた弟子たち」、「羅漢図より読み解く出家者の生活」の5章で構成されている。会期中、前期(~5月22日)と後期(5月24日~)で展示替えがある。主な展示品を画像とともに掲載する。

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仏教世界が広がる「ブッダのお弟子さん」の展示風景

釈尊を支え最も活躍した10人の直弟子(十大弟子)は、釈尊の後継者とされながらも師より先に亡くなった舎利弗(しゃりほつ)や、釈尊の死を嘆き泣き崩れた阿難(あなん)、地獄めぐりが得意という目連(もくれん)など、エピソードにも触れ、個性豊かな多様な物語が伝えられている。

10人の弟子が十軀一具で揃う重要文化財の《木造 十大弟子立像》(鎌倉時代・13世紀[目連・羅睺羅は江戸時代・17世紀]、京都国立博物館蔵、通期)や、重要文化財の《十大弟子像》(鎌倉時代・13~14世紀、京都・永観堂禅林寺蔵、前期)などが出品される。

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重要文化財《木造 十大弟子立像 舎利弗》(鎌倉時代・13世紀、京都国立博物館蔵、通期)

釈尊の涅槃の時に「教えを護るためにおまえたちは滅してはいけない」と後を任された16人の高弟(十六羅漢)も登場する。十六羅漢像のうち、日本に現存する中国制作の最古の作例で国宝の《十六羅漢像のうち第一・二・九・十四尊者》(北宋時代・11~12世紀、清凉寺蔵、第一・十四尊者:後期、第二・九尊者:前期)や、国宝の《十六羅漢像のうち2幅》(平安時代後期・11世紀、東京国立博物館蔵、第十尊者幅:前期、第九尊者幅:後期)なども注目だ。

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国宝《十六羅漢像のうち第九尊者》(北宋時代・11~12世紀、清凉寺蔵、前期)

羅漢を群像で描いた(五百羅漢図)も取り上げていて、そこに表現された出家者たちの生活の一端に光をあてている。重要文化財の《五百羅漢図のうち4幅》(林庭珪・周季常筆、南宋時代・1178~88年、京都・大徳寺蔵、第48幅浴室:5月10日~5月22日展示)なども展示されている。

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重要文化財の《五百羅漢図のうち第48幅浴室》(林庭珪・周季常筆、南宋時代・1178~88年、京都・大徳寺蔵、5月10日~5月22日展示)

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重要文化財《仏涅槃図》(平安時代後期・12世紀、岐阜・汾陽寺、後期)画像提供:奈良国立博物館

このほか、重要文化財の《仏涅槃図》(平安時代後期・12世紀、岐阜・汾陽寺、通期)や、重要文化財の《大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記》(平安時代後期・12世紀、愛知・七寺、 巻頭頁替え)、《木造 釈迦如来坐像および阿難・迦葉立像》(康俊作、南北朝時代・貞和3年 1347年、和歌山・海雲寺、通期)なども出品されている。

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重要文化財《大阿羅漢難提蜜多羅所説法住記》(平安時代後期・12世紀、愛知・七寺、 巻頭頁替え)画像提供:国際仏教学大学院大学日本古写経研究所

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《木造 釈迦如来坐像および阿難・迦葉立像》(康俊作、南北朝時代・貞和3年 1347年、和歌山・海雲寺、通期)画像提供:和歌山県立博物館

さらに《仏伝浮彫「初転法輪」》(ガンダーラ 2世紀、半蔵門ミュージアム蔵)や、《ハーリーティー(鬼子母神)像》(ガンダーラ 2~3世紀、いずれも通期)なども展示されていて、多様な仏教世界が堪能できる。

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《仏伝浮彫「初転法輪」》(ガンダーラ 2世紀、半蔵門ミュージアム蔵、通期)

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《ハーリーティー(鬼子母神)像》(ガンダーラ 2~3世紀、通期)

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。