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アートへの招待29 多彩な作品、金山平三展と横尾忠則展 

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

前回に続き巨匠の回顧展を取り上げる。神戸出身の洋画家、金山平三(1883-1964)の生誕140年記念展で、金山は激動の20世紀前半、真摯に絵画と向き合い近代日本美術に大きな功績を遺した。同じく神戸生まれで生誕140 年の日本画家、橋本関雪(1883-1945)の記念展が京都で、同時代に生きた大阪出身の洋画家、佐伯祐三(1898-1928)の回顧展が大阪で展開中でもあり、この機会に巨匠たちの足跡をたどってみてはいかがだろう。特別展「出会いと、旅と、人生と。ある画家の肖像 日本近代洋画の巨匠 金山平三と同時代の画家たち」が、兵庫県立美術館で7月23日まで開かれている。回顧展ではないが、森羅万象を描く現代の巨匠で、兵庫県出身の横尾忠則(1936-)の展覧会「横尾忠則 原郷の森」が、神戸の横尾忠則現代美術館にて、8月27日まで開催されているので併せて紹介する。

兵庫県立美術館の特別展「出会いと、旅と、人生と。ある画家の肖像 日本近代洋画の巨匠 金山平三と同時代の画家たち」

多彩な作風や変化する様式、総数約150点

金山平三は神戸元町に生まれ、1909年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)西洋画科本科に入学し、黒田清輝らに師事する。首席で卒業し西洋画科研究科に進み助手となる。しかし1912年から約4年間欧州に滞在。パリを拠点にヨーロッパ各地へ写生旅行をする。

帰国後、1916年の第10回文展で特選第二席を受賞し注目を集める。その後は文展、帝展を中心に作品を発表、審査員を務めるなど第一線で活躍するが、1935年の帝展改組とその後の混乱を機に中央画壇から身を引く。以後、精力的に日本各地を旅行して四季折々の日本の自然風土を豊かな色彩で描き続けた。

金山の作品は、現美術館の前身、兵庫県立近代美術館当時から常設展示室があり、いつも鑑賞していた。現在も小磯良平とともに、記念室がある。没後に遺族から多数の作品が寄贈されたことによる。水辺と雪景色を描いた作品が多く、風景画家の印象が強い。

今回の回顧展では、静物画や人物画に加え、明治神宮聖徳記念絵画館に設置する壁画や芝居絵など多彩な作風や変化する様式が紹介されている。さらに今まで取り上げることがなかった交友関係や足跡、壁画や芝居絵制作の取り組みなどさまざまな視点から画家の「歩み」と画業をたどっている。

会場には、金山作品に加え、同時代に影響を受けた画家の作品も合わせ、総数約150点が出品されている。展示は5章で構成されていて、各章の概要と、主な作品を、プレスリリースを参考に画像とともに取り上げる。

第1章は「センパイ・トモダチ」。孤高のイメージが強い金山だが、先輩格の画家、満谷国四郎(1874-1936)とは親しく付き合い、制作の上でも少なからぬ影響を受けている。同世代の画家としては、姫路出身の新井完(たもつ1885-1964)や、満谷の弟子の柚木(ゆのき)久太(1885-1970)らとは、写生旅行に一緒に出かけ、画架を並べて制作した。特に柚木とは、東京にあるアトリエを行き来し、戦後に至るまで交友を続けた。金山の交友関係やその影響を確認し、どのような表現に関心をもち制作に反映させていったのかを検証している。

ここでは、まず金山の《自画像》(1909年、東京藝術大学蔵)に着目だ。東京藝術大学の卒業制作の作品で、同大学では現在も引き続き収蔵している。

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金山平三《自画像》(1909年、東京藝術大学蔵)

先輩の満谷国四郎の《臨江甘露寺(鎮江)》(1924年、岡山県立美術館蔵)や、柚木久太の《モレーの秋》(1913年、倉敷市立美術館蔵)なども出品されている。金山作品では、《秋の庭》(1909年)や、滞仏中の柚木と旅して描いた《エボレーンの女》(1914年、ともに兵庫県立美術館蔵)などが目に留まる。

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満谷国四郎《臨江甘露寺(鎮江)》(1924年、岡山県立美術館蔵)

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柚木久太《モレーの秋》(1913年、倉敷市立美術館蔵)

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金山平三《秋の庭》(1909年、兵庫県立美術館蔵)

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金山平三《エボレーンの女》(1914年、兵庫県立美術館蔵)

第2章は「壁画への道」で、金山は1924年、明治神宮聖徳記念絵画館を飾る壁画制作の委嘱を受け、明治天皇の事績を顕彰するために計画された壁画80面のひとつに取り組む。与えられた画題は「日清役平壌戦」。さまざまな制約や条件がつけられていた中、金山は最大限この画題を効果的に表現するべく研究を重ねた。日本画40点、洋画40点から成る一連の壁画のうちでも金山の1点はリアリティあふれる表現において傑出していた。

この章では、1933年に完成作を納めるまで足かけ約9年の歳月を費やして、テーマにふさわしい構成や動きの表現について金山が重ねた試行のあとを、習作や課題解決のために描いた別作品からたどる。金山の《画稿(日清役平壌戦)》(1924₋33年、兵庫県立美術館蔵)ほか、多くの資料などとともに展示されている。

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金山平三《画稿(日清役平壌戦)》(1924₋33年、兵庫県立美術館蔵)

とりわけ、今回初出品の《祭り》(1915-34年頃、個人蔵)は、高さ59.5、幅180.8センチの大画面で目を引く。《雪と人》(1931-33年、兵庫県立美術館蔵)とともに、横画面に多くの人を描き込んでいる。

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金山平三《祭り》(1915-34年頃、個人蔵)

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金山平三《雪と人》(1931-33年、兵庫県立美術館蔵)

第3章は「画家と身体―動きを追いかけて」。幼い頃から芝居に親しんでいた金山は、1929年頃から芝居絵という一連の作品を描き始める。病気治療のため安静が必要となり、屋外に出かけられない療養生活の手すさびとして始めたのがきっかけとされているが、記憶の中のさまざまな芝居の場面を観客が舞台を見る視点で半ば即興的に、正確な筆致をもって描き出した。役者の動きや舞台転換など瞬間の動きを的確にとらえたこれら芝居絵は、金山の画家としての観察力がいかんなく発揮されたものだ。金山のこうした眼力は、風景を描く場合も、季節や天候、点景人物の姿など全てを、動きと変化を内包するものとして捉えた。

この章では、こうした金山の「眼」のありさまを、須田国太郎(1891-1961)の能・狂言デッサンと比較しながら見ることができる。金山の《無題(大序・段切れ)》(1928-60年頃、兵庫県立美術館蔵)も注目だ。

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金山平三《無題(大序・段切れ)》(1928-60年頃、兵庫県立美術館蔵)

第4章は「生命への眼差し」。金山は、一年の大半を写生旅行先で過ごしたが、東京・下落合のアトリエでは静物画をよく描いていた。今を盛りに咲き誇る花から、萎れて花弁が垂れ枯れゆく花まで、柔らかく繊細な筆致で描かれた花々は優雅で気品にあふれている。また、写生地の宿で、天候に恵まれない時に、海からとれたばかりの魚介類を描いた作品は、金山の名人技を堪能できる。

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花や果物、魚などの静物画展示風景

会場には、移ろいやすく儚い生命をみずみずしい筆致で描いた花をはじめ、身の周りの静物を描いた作品がずらり、《菊》(1921年頃)や《栗》(1917₋34年、ともに兵庫県立美術館蔵)など、時代を超えて魅了する。

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金山平三《菊》(1921年頃、兵庫県立美術館蔵)

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 金山平三《栗》(1917₋34年、兵庫県立美術館蔵)

最後の第5章は「列車を乗り継いで―風景画家の旅」で、金山は毎年同じ時期に同じところへ写生旅行に出かけた。道中そして旅先から、妻の「らく」に絵葉書を送り、旅程を克明に伝えている。夫人あての絵葉書からは、金山のリアルな足跡をたどることができるだけでなく、どの時間、どの天候で風景をとらえたかったかが分かる。

この章では、絵葉書から読み解くことができるルートを紹介しながら、風景画の数々を紹介。画家が道中、何を目にし、何を描こうとしたのか、行く先々で出会う風景の中で何を見、何を描こうとしたのか、興味深い。《妙高山》(1917-34年、川崎重工業株式会社蔵)をはじめ、《洞爺湖》(1939年)《まゆみ》(1945-56年、ともに兵庫県立美術館蔵)などが並ぶ。

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金山平三《妙高山》(1917-34年、川崎重工業株式会社蔵)

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金山平三《洞爺湖》(1939年、兵庫県立美術館蔵)

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金山平三《まゆみ》(1945-56年、兵庫県立美術館蔵)

横尾忠則現代美術館の「横尾忠則 原郷の森」

前代未聞、奇想天外、小説の世界を展示で

手を変え、品を変え、毎回ユニークな企画展を繰り出す横尾忠則現代美術館の今回のモチーフは、2022年3月に出版された『原郷の森』(文藝春秋)だ。この小説に関連する横尾の絵画や版画をちりばめ、小説から抽出した文言とともに展示することで、言葉のみで表された世界に、視覚的なイメージを加え展覧会として構築しようという試み。横尾が綴る言葉と、横尾が描く絵が織りなす森のような展示室に分け入り、半世紀以上の歳月をかけて形作られた横尾の芸術観を、鑑賞者に体感してもらおうとの趣旨でもある。

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会場入り口

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横尾忠則 《(原郷の森)》(2019年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託]

『原郷の森』は、主人公Yが美術、小説、映画など様々な分野で名を残した著名人たちと時空を超えて語り合う内容だ。500ページにわたって繰り広げられる壮大な芸術論/人生論は、先達に学ぶ芸術家としての、または戦後日本文化の担い手かつ目撃者としての、あるいは兵庫県西脇市に生まれ育った純朴な少年の記憶を保つ横尾の姿を浮き彫りにする。

この壮大な小説は、ある日、森で目覚めた横尾の分身Yが三島由紀夫と出会うことから始まる。その一節から。≪頭髪を刈り上げた黒いポロシャツにベージュ色のスリムなスラックス姿≫でY君に近づいてきた三島由紀夫は言う。≪これからは、君のために、君のお好みの芸術家達や歴史上の人物をこの森の中で出会わせる。(中略)この森は君のために作った森だということをよく覚えておくといいよ≫。

横尾アトリエの隣には原郷の森がある。ピカソやキリコから、デュシャンやマン・レイといった横尾が私淑する芸術家をはじめ、北斎や若冲、コクトーやロダン、ダ・ビンチ、さらには織田信長や黒澤明……、はては宇宙人から猫のタマまで、およそ280名もの登場人物が現われて、時空を超えて饒舌に語り出す。『原郷の森』は、芸術論や映画論、死生観、文学論を縦横に、時に脱線もしながら戦わせる前代未聞、奇想天外の「芸術小説」なのだ。

文筆家としての横尾の言を借りれば、「原郷GENKYOとは――この世に生まれた人間の魂の古里みたいな場所であり、時間。この世であってこの世ではないその場所では、なんでも起こりうる」ということだ。

2階展示室は、「原郷の森への誘い」。『原郷の森』の舞台となる森を模した空間のなかに、関連する横尾作品と作中のセリフを配置することで、この小説の世界を象徴的に表現している。一見すると、主題もテーマも手法もばらばらだが、小説の世界を星座のように浮かびあがらせることを試みる。

この会場では、幻のような森が浮かびあがる《(原郷の森)》(2019年)や、小説でYを導く三島由紀夫を描いた《死の愛》(1994年)、デュシャンをテーマとした《デュシャンピアン》(2010—13年)、《美の盗賊》(2008年)、《わが青春に悔いなし》(1994年)など、多様な作品が散りばめられている。

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横尾忠則 《死の愛》(1994年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

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横尾忠則 《デュシャンピアン》(2010-13年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

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横尾忠則《美の盗賊》(2008年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

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横尾忠則《わが青春に悔いなし》(1994年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

一方、3階展示室は、「異界からのメッセージ」。横尾芸術における6つのキーワードに着目し、『原郷の森』の住人たちの会話を通してこれらを掘りさげてゆく。たとえば「首吊り縄」は、1965年のポスター《TADANORI YOKOO》に描かれて以来頻出するモチーフであり、芸術家としての横尾像を暗示している。

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3階展示室風景

また、2000年から「Y字路」シリーズを手がけてきたように、「反復」とは横尾芸術を特徴付ける手法のひとつである。会場では、兵庫県立ピッコロ劇団の協力のもと、小説中のセリフを録音し会場で流すことで、横尾の作品を見ながら『原郷の森』の会話に耳を傾けられる展示空間を展開する。

ここでは、《暗夜光路 N市-I》(2000年)はじめ、《寒山拾得2020》(2019年)、《ミケランジェロと北斎の因果関係》(1990年)、《月光の街 Ⅳ》(2003年)、《金環蝕》(2012年)などの横尾作品が展示されている。

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横尾忠則《暗夜光路 N市-I》(2000年、横尾忠則現代美術館蔵)

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横尾忠則《寒山拾得2020》(2019年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

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横尾忠則《ミケランジェロと北斎の因果関係》(1990年、横尾忠則現代美術館蔵)

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横尾忠則《月光の街 Ⅳ》(2003年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

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横尾忠則《金環蝕》(2012年、作家蔵[横尾忠則現代美術館寄託])

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。