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アートへの招待30 壮大な挑戦、8年ぶり蔡國強展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

宇宙と見えない世界との対話を主軸に、作家として歩み始めた中国時代、アーティストとしての重要な形成期である日本時代、そしてアメリカや世界を舞台に活躍する現在までの創作活動と思考を遡り、宇宙が膨張するかのように拡大してきた、これまでの活動を探る「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」は、国立新美術館(東京・六本木)で、8月21日まで開かれている。今や現代アートの世界的なトップスターになった蔡國強(ツァイ・グオチャン、さい・こっきょう)の、日本では8年ぶりの大規模な個展だ。筆者は朝日新聞社時代、広島と神戸で実施された蔡プロジェクトに関わり、その後も壮大な挑戦をし、進化し続ける蔡芸術について注目しており、そうした視点からリポートする。

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「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」のポスター

火薬を爆発させる先駆的な芸術表現

蔡は1957年、中国福建省泉州に生まれた。上海戯劇学院で舞台芸術を学んだ後、1986年末から95年にかけて日本に滞在し、筑波大学の河口龍夫研究室に在籍する。80年代後半から、火薬を使用した作品の制作を始める。この間、福島県いわき市などに滞在し火薬を用いたドローイングや、野外で火薬を爆発させる大規模なパフォーマンスに取り組む。「戦争と破壊」や「平和と再生」などをテーマに先駆的な作品を発表し続け、とりわけ花火を使う美術家として名を馳せる。

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プレスカンファレンスの写真撮影で、ポスターの横に立つ蔡國強さん(2023年6月28日)

現在はニューヨークを拠点に世界を駆けまわる。1999年の第48回ヴェネチア・ビエンナーレで「国際金獅子賞」を受賞し注目された。日本では、第7回「ヒロシマ賞」(2007年度)、第20回「福岡アジア文化賞受賞」(2009年)、第24回「高松宮殿下記念世界文化賞」(絵画部門)(2012年)を受賞している。

この間、2005年には、ヴェネチア・ビエンナーレ初の中国パヴィリオンのキュレーターを務めて展覧会企画にも才能を発揮した。2006年のメトロポリタン美術館や、2008年のグッゲンハイム美術館での回顧展などでも個展を開催し、国際的にもっとも影響力の大きい芸術家の一人として活躍中だ。

とりわけ、2001年に中国で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の記念イベントで大都市化の進む上海を舞台に、23の建物を仕掛け花火で結び、夜空に巨龍を描いた。2008年の北京オリンピックでは、華やかな開閉会式を演出した視覚特効芸術と花火監督を担当し、「巨人の足跡」を演出した。

2015年に横浜美術館の「蔡國強展:帰去来」以来、8年ぶりの「蔡國強 宇宙遊 ―〈原初火球〉から始まる」は、国立新美術館とサンローラン(SAINT LAURENT)が共催。1961年にフランス、パリで設立されたイヴ・サンローランは、世界で最も著名なファッションハウスの一つで、ファッションにとどまらず、さまざまなクリエイティブな形態と関わり、影響を与えている。

本展を企画した国立新美術館の逢坂恵理子館長は、「宇宙への憧憬と未知への好奇心によって、時空を超えた両義的な表現を模索し続け来た蔡が提示する作品群は、破壊と創造、静と動、不可視と可視、混沌と秩序、そして誕生と死を表象する。それらは、宇宙のかけらである私たちに、改めて宇宙からの視点と存在の原点について示唆を与えてくれる」と述べている。

また、蔡自身は「『原初火球』時代の私は、心を熱くして、物質主義、人心の劣化、生態環境の破壊、宇宙の未来など、20世紀の人類と地球の諸問題について考えていた。人類は疫病との共存を強いられ、経済の衰退、グローバル化の後退、異文化対立などの地球社会のジレンマに直面している。かつて人類の創造力の前衛的な精神を率いた現代美術もまた、衰退の一途を辿っている」と問題意識を提起。

言葉を継いで、「いま30年前の『原初火球』の精神を振り返ることは、かつての私自身と再会することであり、若き芸術家にとって永遠の故郷である宇宙へと戻ることである。宇宙的ビジョンの追求と実践について議論することは、文化と芸術が衰退している『今』に特別な意味を与えられるはずだ」と語っている。

未知との遭遇など、5つのテーマで構成

今回の企画展は、蔡國強が30年前に発表した展覧会「原初火球」を蔡の芸術における「ビッグバン」の原点と捉え、この爆発を引き起こしたものは何であり、その後、今日まで何が起こったかを検証。1991年に東京のP3 art and environment で開催した個展「原初火球 The Project for Projects」は、日本で活動した時代の最初の、そして蔡のアーティストとしての生涯のマイルストーンとなる重要な展覧会だった。蔡は展覧会に寄せて、「〈原初火球〉—それは私の思想とビジョンに基づく出発であり、今日まで私に付き添ってきた」とのコメントを寄せている。

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蔡國強「原初火球 The Project for Projects」P3 art and environmentでの展示風景(1991年)撮影:萩原義弘 提供:蔡スタジオ

会場は柱も壁もない2000平方メートルもの広大な空間に仕切りなどを一切置かずに全体で作家の作品世界を展開している。国内の国公立美術館の所蔵作品と、日本初公開のガラスや鏡に焼き付けた新作を含む作家所有の約50件の作品が展示され、知られざる多数の貴重なアーカイブ資料や記録映像、そしてアーティスト自身による一人称の説明が掲示されている。

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広い会場の展示風景

展示は、大きく5つのテーマで構成されている。まず「原初火球」以前―何が「ビックバン」を生んだのか?

父の影響で、幼少期より描くことを好んだ蔡は、爆発によって放射されるエネルギーの緊張感に魅了されて1984年に故郷の泉州で、火薬を使った作品制作を始めた。来日後も、風水や気功、老荘思想、『易経』などに基づく中国古来の宇宙観をベースにしつつ、伝統と文化が息づくと同時に高度なテクノロジーに満ちた日本の現代社会や、そこで知った国内外の現代美術、また、宇宙物理学の最新の成果などに魅了された。

幼少期から続く、宇宙そして見えない世界への憧憬に、日本での経験が加わり、やがて、〈外星人のためのプロジェクト〉と名付けられた一連のシリーズが生まれた。《地球はわたしたちの共同の家》(1985年)や、《影:庇護のための祈り》(1985–86年)などが展示されている。

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蔡國強《地球はわたしたちの共同の家》(1985年、油彩、キャンバス 112×280cm) 撮影:趙夢佳 提供:蔡スタジオ

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蔡國強《影:庇護のための祈り》(1985–86年、火薬、墨、蝋燭、油彩、キャンバス、木製パネル 155×300cm)提供:蔡スタジオ

第2のテーマは、ビッグバン:「原初火球 The Project for Projects」1991年2月26日~4月20日。

東京のP3 art and environment で開催した個展「原初火球 The Project for Projects」で蔡は、爆発プロジェクトの設計図ともいうべき屏風仕立ての火薬ドローイング七隻を放射状に並べて展示した。蔡は宇宙物理学の「原始火球」に、老子の「有物混成先天地生」(物ありて混成し、天地に先んじて生ず)という宇宙起源論に対する理解も重ね、「原初火球」と名付けた。《胎動II:外星人のためのプロジェクト No. 9》、《烽火台を再燃する:外星人のためのプロジェクト No. 8》(いずれも1991年、東京都現代美術館蔵)などが並ぶ。

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蔡國強《胎動II:外星人のためのプロジェクトNo.9》の制作風景(1991年)提供:蔡スタジオ

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蔡國強《胎動II:外星人のためのプロジェクト No. 9》(1991年、火薬、墨、紙、木製パネル 200×640cm、東京都現代美術館蔵)

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蔡國強《烽火台を再燃する:外星人のためのプロジェクト No. 8》(1991年、火薬、墨、紙、木製パネル 200×640cm 東京都現代美術館蔵)

3番目は、「原初火球」以後。 1990年代に蔡は、爆発シリーズ〈外星人のためのプロジェクト〉を世界各地で展開すると同時に、それを大型の火薬ドローイングでも表現した。福岡の「中国前衛美術家展〈非常口〉」(1991年)のために構想した爆発プロジェクトに由来するドローイング《天地悠々:外星人のためのプロジェクトNo. 11》(1991年、福岡アジア美術館蔵)は、生命の起源と宇宙の秩序との間に強い関係があるという蔡の信念を表明している。

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蔡國強《天地悠々:外星人のためのプロジェクト No. 11》(1991年 火薬、墨、紙、キャンバス、冷蔵庫 火薬ドローイング:182×455cm 冷蔵庫:108.8×52.2×53.3cm 福岡アジア美術館蔵)

蔡は、ヨーロッパで次々と大規模なプロジェクトを推進する一方、1993年に中国のゴビ砂漠において、世界各国のボランティアと現地の人々の協力を得ながら、壮大な爆発プロジェクト《外星人のためのプロジェクトNo. 10:万里の長城を1万メートル延長するプロジェクト》を実現した。そして1994年春にいわき市立美術館で、同年秋に世田谷美術館で個展を開いた後、1995年にアジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の日米芸術家交流プログラムの助成を受け、ニューヨークに渡った

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蔡國強《スカイラダー:外星人のためのプロジェクト No. 20》 1994年 火薬、紙 272×220cm)撮影:趙夢佳 提供:蔡スタジオ

2008年の北京オリンピック開会式で蔡は、1990年に構想して以来実現しなかった《大脚印ービッグフット》という着想に基づく壮大な花火プロジェクトを行い、世界中の人々を魅了した。人間が定めたさまざまな境界や障壁を越えていく巨人の足跡というコンセプトは、33メートルもの火薬ドローイング《歴史の足跡》でさらなる深化を見せた。

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蔡國強《歴史の足跡》のためのドローイング(2008年 火薬、紙 400×3300cm) 撮影:趙夢佳 提供:蔡スタジオ

第4が、未知との遭遇で、広い展示空間を駆使して展開している。

2019年に蔡は、《未知との遭遇-メキシコのための宇宙プロジェクト》と題した大規模な花火を行った。古代文明の中心地のひとつであり500年前にわたりスペインが支配したメキシコのさまざまな歴史や文化、宇宙観の収斂した姿を、蔡は現地の伝統的な手仕事の技術を用いて建てられた巨大な花火塔によって表現した。

本展覧会では、この花火塔がモーターで駆動し、コンピューター制御された光のスケッチのような大規模なLED インスタレーションへと変貌を遂げ、展示空間に合わせて縦横無尽に広がる「宇宙のジャングル」を表現した。蔡は、銀河、ワームホール、宇宙船、アインシュタインとホーキング、原始人と宇宙人、UFO、空中の天使など、宇宙にまつわる古今東西のさまざまなイメージをLEDで表現。点滅するインスタレーションは、向かい合う〈原初火球〉の屏風や、周囲を取り囲む作品を照らしだし展覧会のテーマと作品群を融合する。

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大規模なLED インスタレーション

最後は、〈原初火球〉の精神はいまだ健在か?

インターネットの発達はグローバリゼーションを促進し、AI(人工知能)やインテリジェント化などデジタル革命をもたらして、社会構造にも生活様式にも前例のないスピードで劇的な変化が続いている。蔡はAIなどの先端技術に再び興奮を覚えているという。2017年以降、蔡はAI、AR、VR、ブロックチェーンやNFTなど、最先端の技術を通して現代美術の可能性を探求し続けている。本展でも、《ノンブランド・非品牌 5》(2019年)や、《銀河で氷戯》(2020年)など、いくつかの新しいメディア作品を紹介している。

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蔡國強《ノンブランド・非品牌 5》(2019年、火薬、ガラス、鏡 183×152.5cm) 撮影:蔡文悠 提供:蔡スタジオ

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蔡國強《銀河で氷戯》(2020年 火薬、ガラス、鏡 205×915cm) 撮影:蔡文悠 提供:蔡スタジオ

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蔡國強《cAI™ の受胎告知》 2023年 火薬、ガラス、鏡、202.6×578.9cm)撮影:趙夢佳 提供:蔡スタジオ

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蔡國強《月にあるキャンバス:外星人のためのプロジェクトNo. 38》 2023年 火薬、ガラス、鏡、202.6×578.9cm)撮影:趙夢佳 提供:蔡スタジオ

展覧会の開幕に先立って、蔡は福島県いわき市で30年前に地元の友人達と協働で実現した爆発プロジェクト《地平線:外星人のためのプロジェクトNo. 14》と同じ海岸で、サンローランからのコミッションワークである白天花火《満天の桜が咲く日》を、満天の桜実行会の主催により実施した。

蔡にとって、一時期暮らした福島県のいわきは「第二の故郷」ともいえる特別な場所だ。地元の人たちとは今も交流が続いており、いわきとの絆を記録した写真なども多数、展示されている。

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いわきとの交流パネルの展示

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「いわき回廊美術館」の看板にサインする蔡國強

とりわけ東日本大震災で被災したいわきに、子供たちへ美しい桜の里山を残そうと、いわきの人々が提唱、蔡が支援し、桜9万9000本の植樹を目指す「いわき万本桜プロジェクト」が進められている。蔡さんを育てたいわきへの回帰で、すでに「いわき回廊美術館」も開館し、蔡といわきの関わりを記録した写真や、地域の小学生たちが描いた桜の絵が常設展示されている。

時代を問い、異文化を考え、「美」を追求

筆者が蔡を知った広島でのプロジェクト《地球にもブラックホールがある》の火薬ドローイング《地球にもブラックホールがある:外星人のためのプロジェクト No. 16》も展示されていた。広島市現代美術館と朝日新聞社では1994年に広島で開かれた第12回アジア競技大会の前日、広島市中央公園を会場に、ヘリウムガスで膨らませた風船に導火線をらせん状につるして点火した。ものすごい爆音と閃光と煙を発し、炎は瞬時に土中に吸い込まれていった。近代都市として再生したヒロシマへの祝賀と鎮魂を願った作家の意図は、見る者に衝撃的な印象を与えた。

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広島で開催のアジア大会前日の《地球にもブラックホールがある》の爆破風景(1994年、広島市中央公園)

当初はアジア競技大会開会式の聖火を、ヘリコプターから導火線を吊るし点火しようとの趣旨で、「原爆投下の同じ高さから、平和の灯を点したい」との発案だった。しかし安全性の問題以外に、被爆者団体から原爆投下の再現を連想してしまうと意見も。広島での鎮魂は空からよりも地中にあるとの言い分を汲み、最終的には導火線に点火し、地中に掘った穴の中へ消える芸術表現に変更したのだった。

その後2002年には、新装された兵庫県立美術館で開館記念展「美術の力 時代を拓く七作家」を朝日新聞社が共催することになり、筆者もスタッフの一人として、箱根の森美術館で開かれた展覧会で滞在中の蔡を訪ね、打ち合わせなど開催の2年半前から取り組んだ。蔡のプロジェクト《青い龍》は、震災で心に痛みを負った多くの人々に、美術の根源的な力に触れてもらい文化復興をアピールするものだった。ここでは美術館に隣接する水面に99の舟を浮かべた。アルコールの青い炎は天空を清め、横たわる龍は天地を過去から未来へつなぐ意図を示していた。室内展示でも小さな黄金舟99隻を空中に吊るし、未来への船出を表現した。

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兵庫県立美術館開館記念展「美術の力 時代を拓く七作家」で、小舟99隻を連ね龍のように蛇行させた「青い龍」のパフォマンス (2002年)

2008年の「ヒロシマ賞」の受賞記念展にも駆け付けた。この時も二つの美術館外プロジェクトを実施していた。その一つが《無人の自然》と題した作品のための火薬ドローイングで、見事な山水図を描き出した。展覧会開幕直前に広島市立大学の体育館で半日かけ制作。火薬で描いた絵画は、横幅45メートルもの作品で、大きな太陽や険しい山が半円状の壁面に描かれており、まるで水墨画を見るようだった。展覧会場には約60トンの水をたたえた巨大な水盤が作品の前面に設けられ、水面にも山水図が映りこむ幻想的な空間をかもした。「湖のほとり」を散策しているような気分を味わいながら鑑賞できた。

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ヒロシマ賞受賞記念展の「無人の自然」(2008年、作家蔵)

もう一つの《黒い花火》は開会日の午後1時から90秒間、太田川河川敷で黒色花火1200発を次々に打ち上げた。原爆ドーム後方上空に黒煙の固まりが上がり、原爆犠牲者への鎮魂と平和への願いを表現したのだった。

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「黒い花火:ヒロシマのためのプロジェクト」で原爆ドームを背景に打ち上げられた花火(「蔡國強展」図録より)

筆者が観賞した京都の展示や、2018年に開催された前回の大規模個展の作品展示も画像とともに紹介しておく。

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青竹約300本を使い7層に組み上げた塔《京都ダ・ヴィンチ」》(2015年、京都市美術館で)

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火薬絵画《夜桜》(2015年、作家蔵)の展示(2015年、横浜美術館グランドギャラリーラリー)

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火薬絵画《夜桜》(2015年、作家蔵)の制作風景

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火薬絵画《人生四季》(2015年、作家蔵)の爆破 Photo by KAMIYAMA Yosuke

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《朝顔》(2015年、作家蔵)の展示風景 Photo by KAMIYAMA Yosuke

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《壁撞き》(2006年、ドイツ銀行蔵)。99体のオオカミのレプリカとガラス壁   Photo by KAMIYAMA Yosuke

現代美術は時代を鋭く捉え、潜在しているものを表現するため、前衛的であり、抽象表現を伴い難解な面がある。しかし蔡國強の芸術世界は具象的で、私たちの既成概念や思考方法を覆すものだ。私たちが日常生活の中で気づかない人間や時代について価値観を問い直し、掘り起こしてくれる。それが美術の持つ「力」と「美」であることを確認できた。 ニューヨークを拠点に世界を駆けまわる蔡國強から「また面白い事をやりましょう」との便りを戴いていたこともあった。進化し続ける蔡國強は、これからも、想像を超える面白い世界をみせてくれることだろう。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。