VOICE
アートへの招待52 “モンスター”2人の大規模個展
文化ジャーナリスト 白鳥正夫モンスターと言っては失礼だが、並外れた活動を展開している前衛芸術家の草間彌生と、世界的建築家の安藤忠雄の展覧会が京都と大阪で開催されている。「松本市美術館所蔵 草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」は京都市京セラ美術館の新館・東山キューブで9月7日まで。「安藤忠雄展|青春」はグラングリーン大阪のVS.(ヴイエス)で7月21日まで。いずれも、「草間彌生、初の大規模版画展」「永遠の青春を生きる―安藤忠雄」を謳い文句にした大規模個展で、足を運んでみる価値は十分だ。
京都市京セラ美術館の新館・東山キューブの「松本市美術館所蔵 草間彌生 版画の世界―反復と増殖―」
かぼちゃ、富士山など約330点でその全貌
関西での草間彌生展は、2012年に大阪の国立国際美術館で開かれた「草間彌生 永遠の永遠の永遠」以来だ。この時は、現代美術の展覧会としては驚異的といえる22万人を動員した。京都では2005年の京都国立近代美術館の「草間彌生展―永遠の現在」から約20年ぶりとなる。

「草間彌生展」のメインビジュアル
今回は、世界最大級の草間コレクションを誇る草間彌生の故郷・長野県松本市にある松本市美術館が所蔵する版画作品から厳選した作品に、作家蔵の作品を加えた約330点で草間彌生の版画芸術の魅力と軌跡を展観している。
草間彌生は1929年、長野県松本市生まれ。生家は種苗業で、植物に囲まれて育つ。幼いころからスケッチに親しんでいたが、少女時代に病により幻覚や幻聴を体験する。このイメージを小さな紙片に描き留めることが、草間芸術の原点ともなった。長野県松本高等女学校(現在の長野県松本蟻ヶ崎高等学校)を卒業後、京都市立美術高等学校(現在の京都市立美術工芸高等学校)に進み日本画を学ぶ。
国内での制作・発表を経て、1957年に単身アメリカに渡る。ニューヨークを拠点に活動を開始し、モノクロームで構成された「無限の網」や、布製の突起物で家具やボートなどの表面を覆った「ソフト・スカルプチュア」の創始者として一躍注目され、60年代のインスタレーションやパフォーマンスの先駆的活動によって、ヤヨイ・クサマの名は世界の美術界に認知された。
1973年に帰国し、制作活動の場を東京に移す。1993年第45回ヴェネチア・ビエンナーレに日本を代表する作家として世界の舞台に立つが、その前段で積極的に版画に取り組んだことも、現在の評価に繋がる大きな原動力となった。
アメリカから帰国後のコラージュ作品や立体作品に込められた死への恐れや苦悩を全面に押し出した作品とは対照的に、1979年から発表をはじめた版画作品には、南瓜、ドレス、花などの華やかなモチーフが色彩豊かに表現されている。
常同反復による網目や水玉の増殖が創作活動の根幹にあった草間と複製芸術である版画の必然的な結びつきは、450種、3万部にも及び、草間芸術の一翼を担うようになる。それまでの抽象的な表現に加え、南瓜、ドレス、葡萄、花や蝶など日常的なモチーフが網目や水玉で構成され、明瞭な色彩をまとう。網目や水玉の増殖が創作活動の根幹にあった草間と、複製芸術である版画は必然的に出合ったと言っても過言ではない。

富士山の木版画連作。原画を原寸大で再現した作品も展示されている(前期)
近年は、富士山を主題に浮世絵の木版画の技法を用いた連作や、モノクロームの大型シルクスクリーン作品「愛はとこしえ」シリーズなど、特徴的な作品を発表している。草間が長年にわたり手がけてきた版画芸術の全貌が披露される。
展示は6章構成となっている。すべての作品は、前期(~6月29日)と後期(7月1日~)に分けて展示替えとなる。章の概要と、展示作品の一部画像を掲載する。
第1章は「わたしのお気に入り」で、草間が幼少期より抱き続けてきたイメージや、日常生活からインスピレーションを得たモチーフが取り上げられている。水玉や網目だけでなく、表現の源泉に迫る。

1章の展示風景
とりわけ2014年に制作された「富士山」の木版画に注目だ。草間が富士山のふもとを訪れ、現地で得たインスピレーションが消えないうちに、縦194センチ、横およそ6メートルの巨大キャンバスに一気に原画を描き上げた。草間が描いた原画を、江戸時代の浮世絵制作技術を継承する職人たちが版画を制作したが、驚くことに1万4000個以上の水玉が刻まれているそうだ。《靴をはいて野にゆこう》(1979年、後期)も面白い着想だ。

《靴をはいて野にゆこう》(1979年、後期)
第2章の「輝きの世界」では、草間ならではのラメ粒子を用いた版画作品が展示されている。草間が渡米の際、飛行機の窓から見た太平洋のきらめきが、幼少期から心に抱いてきたイメージと海の輝きが重なり合い、網目というモチーフに結実したというエピソードにより、光と反射の美しさが版画に表現されている。《帽子(Ⅰ)》(2000年、後期)など多彩だ。

2章の展示風景

2章の展示風景

《帽子(Ⅰ)》(2000年、後期)
第3章は「愛すべき南瓜たち」。草間作品を象徴するモチーフであるかぼちゃが登場する。《南瓜》(1982年、前期)などかぼちゃを主題とする版画を集中的に展示。ラメを使った作品や様々な技法を用いたバリエーション豊かなかぼちゃがずらり。展示空間にもかぼちゃのかたちを模したレイアウトが施されており、体感できる設定となっている。

3章の展示風景

《南瓜》(1982年、前期)

かぼちゃを模した展示空間
つづく第4章の「境界なきイメージ」では、草間の創作における「無限」への希求が強く表れた作品が並ぶ。画面の枠を超えて広がるような構図は、草間の「もっと描きたい」「終わりなき連続性」といった欲望を視覚化している。《波(Ⅰ)》(1998年、後期)も一作品だ。

《波(Ⅰ)》(1998年、後期)
第5章は「単色のメッセージ」。エッチング技法を用いたモノクロームの銅版画が紹介されている。《無限》(1953—1984年、前期)など、草間自身が銅板に直接傷をつけて制作したこれらの作品には、手の動きや筆圧がそのまま痕跡として残されていて、その身体性が色濃く刻印されている。

《無限》(1953—1984年、前期)
最後の第6章は「愛はとこしえ」で、2004年から約4年かけて草間が描いた原画をもとに制作された同名の版画シリーズ(全50点中前後期あわせて20点)を展示。このシリーズは、草間の抽象的構成から具体的なモチーフへの転換を示すものであり、後の「わが永遠の魂」や、「毎日愛について祈っている」へと展開されていく草間の創作の大きな転機と位置づけられている。無色から色彩へと展開する草間の制作手法とも共鳴しており、芸術的進化の過程が凝縮されたシリーズと言える。《朝のかがやき(TWHIOW)》(2007年、前期)の構図ユニークだ。

《朝のかがやき(TWHIOW)》(2007年、前期)

6章の展示風景
草間の版画作品のほとんどには、シルクスクリーン、リトグラフ、エッチングといった技法が用いられており、数名の熟練摺師が長年にわたって協働している。彼らの存在により、何十年にもおよぶ制作においても一貫したクオリティが保たれ、草間の多彩で複雑な芸術世界を支えている。
会場の作品については、撮影NGとなっているが、出口近くに唯一撮影可能なコーナーもある。また、会場の外に設置されているフォトブースの外観はプリクラの機械のようだが、自分のスマホを使って「草間の作品の世界に入り込んだような」写真を撮ることもできる。

「草間彌生展」の出口パネル
反復と増殖をテーマにした今回の展覧会は、前衛的で抽象的な草間の芸術活動の先入観をとは打って変わって、具象的で美しい草間の表現世界の一端を鑑賞するこができた。しかも膨大な版画作品を通じ、草間芸術の奥深さを読み解くための貴重な手がかりを提示するものといえよう。
グラングリーン大阪・VS.(ヴイエス)の「安藤忠雄展|青春」
過去から現在、未来へのビジョン一望
半世紀もの間、世界の第一線で走り続け、今なお「青春」を生きる、闘う建築家からの熱いメッセージを込めた展覧会だ。大阪から世界へ広がるその壮大な挑戦の軌跡から、進行中の現在、未来へのビジョンまで、全てを一望できる。会場であるVS.(ヴイエス)も、最新の安藤建築である。

「安藤忠雄展|青春」の会場・VS.(ヴイエス)
安藤忠雄は1941年、大阪生まれ。いわゆる建築系の大学を出ずに独学で建築を学び、1976年の住宅作品《住吉の長屋》で一躍注目を浴び、同作にて1979年に日本建築学会賞(作品)を受賞。その後も日本国内外で数多くの建築作品・プロジェクトを手がけ、その実績から世界的な建築家として知られている。
国内外での受賞・受勲も多数。1995年プリツカー賞をはじめ、2005年国際建築家連合(UIA)ゴールドメダル、2010年文化勲章、2015年イタリアの星勲章グランデ・ウフィチャーレ章、21年フランスレジオン・ドヌール勲章コマンドゥールなど。多忙な合間をぬって講演会への登壇や後進の指導にもあたり、東京大学の教授に就任したのは1997年のこと。2003年に名誉教授、2005年には特別栄誉教授を付与。海外でもイエール、コロンビア、ハーバードといった名だたる大学の客員教授を歴任している。

「安藤忠雄展|青春」の入口

安藤忠雄展建築研究所のスタッフ(大阪市大淀)
今回の企画展は、建築家としてはいわば”異端”である安藤氏が、1969年に設計活動を開始してより現在も拠点とする大阪から、世界へと広がる壮大な挑戦の軌跡を辿るものです。進行中のプロジェクトや、”世界のANDO”が思い描く未来のビジョンなどその全てを総覧できるという、圧巻のスケールだ。
なお、今回ほどの規模で「安藤忠雄展」が開催されるのは、国内では2017年の「安藤忠雄展―挑戦―」(東京・国立新美術館)以来であり、地元大阪での開催は16年ぶりとなる。
見どころとしては、第一にVS.が誇る天井高15メートルの展示空間を生かし、代表的な安藤建築を映像で巡る迫力の没入型のインスタレーション展示がある。ここでは国内外の3つの安藤建築(光の教会、真駒内滝野霊園頭大仏、ブルス・ドゥ・コメルス)を疑似体験できる。

《真駒内滝野霊園頭大仏》(2015年、北海道札幌市)などの大型映像
第二に初期の代表作《水の教会》(1988年、北海道勇払郡)を会場内に原寸大サイズで再現した。北海道の雄大な自然を背景に水上に十字架が浮かぶ情景を、パノラマ映像と、実際に水を張った水盤で再現する体験型展示となっている。

《水の教会》(1988年、北海道勇払郡)の原寸大再現
第三にベネッセアートサイト直島における37年の活動の軌跡を建築模型と映像音楽のインスタレーションで展開。直島のアートプロジェクトは、1980年代末に実業家の福武總一郎氏(現 ベネッセホールディンクス名誉顧問)の構想でスタートしたもので、安藤はその最初期から建築家として参画し、合わせて10の建築を設計している。

直島のアートプロジェクト模型
会場は、「挑戦の軌跡」と「安藤忠雄の現在」の大きく二つのゾーン(エリア)に分かれ、それぞれに特徴的なインスタレーションを展開している。
「挑戦の軌跡」では、1969年から半世紀に及ぶ安藤てがけた建築プロジェクトを一望できる。建築写真家リチャード・ペア氏が選んだ12枚の写真を掲示した壁が、来訪者をゾーンへと誘う。天井高3メートルの空間を取り囲む壁面には、安藤建築の特徴的なドローイング、安藤建築の原型ともいうべき住宅や教会など初期の代表作が並ぶ。中央の展示台には、プロジェクトの規模が拡大、多様化している過程で生み出された都市建築の名作が、国内外地域ごとに展示されている。
主な展示品は、《住吉の長屋》(1976年、大阪市)に代表される住宅作品や《光の教会》など、安藤建築の原点ともいうべき初期の名作の数々から、アメリカ・セントルイスの《ピューリッツァー美術館》(2001年)、東京六本木の《21_21 DESIGN SIGHT》(007年)、中国・上海の《上海保利大劇場》(2014年)といった世界各地のチャレンジングな都市プロジェクトが出品されている。

《住吉の長屋》(1976年、大阪市)

《六甲の集合住宅》(1983年/1993年/1999年、兵庫県神戸市)

《光の教会》(1989年、大阪府茨木市)

《中之島プロジェクトⅡ(アーバンエッグ+地層空間》(1988年)

《上海保利大劇》(2014年、中華人民共和国 上海市)
さらに《大阪府立近つ飛鳥博物館》(1994年、南河内郡河南町)や《淡路夢舞台》(1999年、兵庫県淡路市)、《フォートワース現代美術館》(2002)といった環境一体型プロジェクトまで、模型や図面、スケッチ、映像といった各プロジェクトの設計資料と共に、若かりし日の安藤の旅のスケッチや、鉛筆で丹念に描かれた1970〜80年代の貴重なドローイングも展示されている。

「安藤忠雄展|青春」の展示風景
二つ目の「安藤忠雄の現在」では、文字通り、安藤の現在の仕事を、今年5月に開館した《直島新美術館》の直島プロジェクトのような長期的スパンで設計・建設された作品から、イタリア・ヴェネチアの”海の税関”を美術館へと再生した《プンタ・デラ・ドガーナ》や、2021年にフランス・パリにオープンした現代美術館《Bourse de Commerce / Pinault Collection》のように、ヨーロッパの歴史的建造物の再生プロジェクトなどに取り組んでいる。

《Bourse de Commerce / Pinault Collection》(2021年、パリ)
このほか、大阪や神戸に建設された図書閲覧施設〈こども本の森〉のような、安藤が長年にわたり取り組んでいる社会貢献プロジェクトまで、余すところなく紹介。今年1月に大阪・野崎町にオープンしたばかりの現代アートギャラリー〈ICHION CONTEMPORARY〉のようなユニークな新作も出品されている。

《こども本の森 中之島》(2019年、大阪市)

《こども本神戸の森》(2021年、大阪市)
近年の安藤の社会貢献活動を象徴する《こども本の森》は、”自由”をコンセプトに、安藤自らが立ち上げた資金のもと、安藤が設計して建設され、地方自治体に寄付されている。その第1弾となった大阪・中之島の《こども本の森》〉から、遠野、神戸、熊本、松山や海外にも展開中。その新機軸となる、瀬戸内海のこども図書館船《ほんのもり号》まで、さらなる拡がりを見せるプロジェクトの全貌を知ることができる。