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アート鑑賞の玉手箱1 シルクロード世界遺産の意義

文化ジャーナリスト 白鳥正夫
「平和と国際交流の道」にこそ価値」
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高昌故城

「シルクロードの始点と天山回廊経路網」が ユネスコ世界遺産委員会で、正式に世界文化遺産に登録された。中華人民共和国に加え、カザフスタン、キルギス両共和国と3国共同で申請された初めての本格 的なシリアル・ノミネーション(複数の連続性有る遺産の推薦)だった。包括登録という新しい手法で、かってないスケールの構想が動き出した意義は大きい。
 そもそも「絹の道を世界遺産に」と着想し、 口火を切ったのは、日本画家でユネスコ親善大使であった故・平山郁夫画伯だった。国連文化遺産年の2002年12月に中国の西安で開催されたユネスコ・シ ルクロード国際学術シンポジウムで提唱され、「シルクロードを国際交流や平和の道に」との趣旨を盛った書簡を、当時のコフィー・アナン国連事務総長に送っている。

文化庁から今年4月26日未明、ユネスコ諮 問機関の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、「富岡製糸場と絹産業遺産群」について、世界文化遺産への登録を勧告した、との発表があった。鳴り物入りで報 じられた「富士山」のようには、多くの日本人に申請すら知られてなく、地元群馬県民ですら、予想より早く未明の吉報に「寝耳に水」だった。
 「絹の国」として育んだ日本の文化と歴史を 世界にアピールできそうだが、同時に「絹の道」であるシルクロードの「天山回廊」も、世界文化遺産へ勧告されていた。なぜか、こちらは文化庁の記者発表に なく、マスコミが報じたのは1週間後だった。日本での関心は腰が引けた感も否めないが、「絹」が紡いだ東西文化の架け橋として、シルクロードは再び歴史の 舞台で脚光を浴びることになろう。

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交河故城

シルクロードへの関心の高まりは、1980年、喜多郎のテーマ曲が流れるNHK特集の「シルクロード」の放映によって、日本からブームが起こった。その四半世紀後の2005年に「新・シルクロード」スペシャルが続映され、日本での人気と関心が世界を牽引してきた。
 シルクロードの終着点と位置づける奈良県では1988年に、「なら・シルクロード博覧会」を平城京跡と奈良公園周辺で開催し、682万人の入場者があった。閉幕後も「奈良公園シルクロード交流館」として開設し、シルクロードの歴史や奈良との関係を展示紹介している。
 今回は中国が主導しているが、将来的にはシ ルクロードの世界文化遺産をさらに西方の「交易の道」であった地中海地域へ繋がれていくのは確実だ。東に延長させて、日本でも沖ノ島、太宰府を経て奈良に 至る「仏教伝播の道」への可能性も秘めている。シリアル・ノミネーションという国境を超えた今回の画期的な決定は、国際的にも注目され、日本がもっと関心 を寄せるべき事象なのだ。
 シルクロードに住む幾多の民族は、豊かな文化を育て、交流し東西の文明が融合してきたのだ。中国から絹が運ばれ、西からは、宝石や器、織物や楽器などがラクダや馬の背に乗せられてアジアへと運ばれた。その証しとして、奈良の正倉院にペルシャの陶器や楽器が所蔵されている。

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天山山脈

シルクロードを通って物だけが交流したのではなく、宗教も伝えられた。アラブからはイスラム教が、インドから仏教が東漸した。とりわけ仏教が、今日の日本に定着したことは、あまりにも大きい。
 その最大の貢献者が三蔵法師玄奘だ。玄奘は 7世紀、中国からインドまで一路西へ、西へとたどった。往復約3万キロの道を17年の歳月をかけ艱難辛苦の末、求法の目的を成就した。そして持ち帰った経 典をさらに18年もかけて翻訳した。その般若心経は日本でもっとも布教し、親しまれている。
 今回の世界文化遺産にも、玄奘の遺骨を祀っている西安の興教寺や、天竺から持ち帰った経典を翻訳し納めた大慈恩寺、立ち寄った高昌故城、交河故城、キジル千仏洞、スバシ仏寺などが含まれ、そのルートが玄奘のたどった道とも重なる。
 玄奘は、長い旅を通じ、異文化や異民族交流を果たした「地球市民」の先駆者であった。奪い合うのでなく与え合う精神文化や、「物」と「心」の調和が求められている時代に、玄奘が実践した生き方から現代人が学ぶべき指針がある。
 一方、悠久のシルクロードは興亡の歴史を刻んできた。紀元前にはアレクサンドロス大王のカイバル峠を越えた東征によって、ヘレニズム文化が花開いた。紀元後も、チンギスハーンが征西するなど騎馬民族がその富と覇権を求めて勇躍した。
 古代にバクトリアと呼ばれた中央アジアはシルクロードの要衝に位置し、オアシスとして栄えてきた。さらに隊商の民、ソグド人の都市国家の時代を経てイスラム化が浸透した。ソ連時代には束縛されたが、独立後の近年はモスクの姿が顕著になっている。
 シルクロードは、まさに「戦の道」でもあり、今もアフガニスタンやシリアで内戦が続く。さらに今回、世界文化遺産となった遺跡の主舞台は、深刻な民族問題を抱える中国の新疆ウイグル自治区にある。
 21世紀の現在も、長大なシルクロードを自由に往来できない。かつて厳しい自然や言葉の違いの壁を超えて交流し、無事に目的を成し遂げた玄奘や、交易のためにオアシスを通過し、幾つもの国を旅した隊商の人々に、「平和への道」のあるべき姿を見いだすことができる。

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イシク・クル湖

明るいニュースもある。米国、ロシア、英国、フランス、中国の核保有5ヵ国は本年5月、中央アジア非核兵器地帯条約の議定書に署名し、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの中央アジア5ヵ国での核兵器の使用や核による威嚇をしないよう義務づけた。シルクロードの中枢部の非核化が大きく前進したわけだ。
 今後、シルクロードを単に観光開発の対象としてではなく、「平和と国際交流の道」にすべきであろう。「絹の道を世界遺産に、そして平和の道へ」を提唱した故・平山画伯をはじめ、シルクロードの道筋で調査や発掘などに携わり国際貢献を果たしている加藤九祚、前田耕作、小島康誉の各氏らの日本人がいることも特記に値する。

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天山山腹

日本イコモス国内委員会副委員長でもある前 田さんは、「今回の登録に向け国境を超えた努力は、アジアの平和に貢献するもので意義深い。日本はこの機にシルクロード文化研究の蓄積を世界に発信し、将来は終着点として日本の遺産の追加登録を目指すべきです。文化的な遺産としての正倉院も、シルクロードがなければ、ただの蔵に過ぎません」と強調している。
 世界文化遺産となったシルクロードは、日本文化の源流であることを銘記すべきだ。島国・日本とはいえ、ユーラシア大陸と密接に繋がってきた歴史を理解し、一層の国際貢献が望まれる。

アジアとヨーロッパを結ぶ大動脈のシルクロードが、人類共有の普遍的価値をもつ文化遺産であると同時に、人類悲願の国際平和の象徴としての役割を担ってこそ、真の価値がある。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。