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アート鑑賞の玉手箱5 壮大な挑戦、進化し続ける蔡國強芸術

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

爆破した火薬の痕跡で描いた幅24メートル、高さ8メートルもの「夜桜」や、鮮やかな色彩表現を加えた 4点組の火薬絵画「人生四季」。さらには40メートル以上の長さのある展示室いっぱいに99匹のオオカミが透明なガラスの壁に向かって繰り返し突き当たる 様を作品化した「壁撞き」――。今や世界の現代美術界を代表する一人となった蔡國強(ツァイ・グオチャン)の「帰去来」が横浜美術館で10月18日まで展 開中だ。7年ぶりの大規模個展だ。朝日新聞社時代、広島と神戸で実施された蔡プロジェクトに関わった私は、その後の海外展示を含め着目してきた。ニューヨークを拠点に世界を駆けまわる蔡から「また面白い事をやりましょう」との便りを戴いていただけに、「帰去来」の展覧会で、進化した蔡の作品世界に驚き感 銘を受けた。

20年を経て原点・日本での「帰去来」展
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ヒロシマ賞の受賞を喜ぶ蔡國強(2008年、広島市現代美術館で)

蔡國強は1957年、中国福建省泉州市に生まれた。1986年末から95年にかけて日本に滞在し、筑波大学の河口龍夫研究室に在籍する。80年代後半から、火薬を使用した作品の制作を始める。この間、福島県いわき市などに滞在し火薬を用いたドローイングや、野外で火薬を爆発させる大規模なパフォーマンスに取り組む。「戦争と破壊」や「平和と再生」などをテーマに先駆的な作品を発表し続け、とりわけ花火を使う芸術家として名を馳せる。

現在はニューヨークを拠点に世界を駆けまわる。1999年の第48回ヴェネツィア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞し注目された。2001年に中国で開かれたAPEC(アジア太平洋経済協力会議)の記念イベントで大都市化の進む上海を舞台に、23の建物を仕掛け花火で結び、夜空に巨龍を描いた。2008年の北京オリンピックでは、華やかな開閉会式を演出した視覚特効芸術監督を担当し、「歴史の足跡」を演出した。

今回の展覧会タイトルの「帰去来(ききょらい)」は、中国の詩人、陶淵明の代表作「帰去来辞」から引用された。官職を辞して、故郷に帰る決意を表した詩だ。日本で東洋的な美学に触れ、アーティストとして、その後の発展につながった蔡が、日本を離れて約20年、もう一度、原点である日本に戻り、日本文化や人間の本質を見つめ直したいとの意図が込められている。

会場に入ると、グランドギャラリーと称する広大な空間がある。その前面の壁いっぱいに描かれた蔡の最大級の火薬絵画「夜桜」が飛び込んでくる。蔡のプロジェクトは事前に展覧会場となる土地の歴史や特性、テーマ性を探る。「夜桜」は日本美術院を創設した横浜が生んだ思想家である岡倉天心ゆかりの地を訪ね、天心門下の横山大観の「夜桜」などに着想を得た。

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火薬絵画「夜桜」(2015年、作家蔵)の展示  (2015年、横浜美術館グランドギャラリー)

「桜の花は儚く、薄くてつややかだ。この繊細な美を、激しい火薬で描けるだろうか。桜の花のいのちは短いからこそ尊い。火薬が爆発する一瞬と、永遠を追い求めること、これらはその運命において通じるものがないだろうか」と蔡は考えた。火薬で桜を描くという、とんでもない構想に、蔡は挑戦した。

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火薬絵画「夜桜」(2015年、作家蔵)の下絵を描く蔡國強 Photo by KAMIYAMA Yosuke

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火薬絵画「夜桜」(2015年、作家蔵)の爆破 Photo by KAMIISAKA Hajime

グランドギャラリーでの火薬爆発は、消防などへの手続きを経て制作の運びに。蔡が型紙に下絵を描き、ボランティアがカットし、和紙やキャンバスなどの支持体の上にカットした型紙を乗せ、カットされた部分に火薬をまく。支持体のまわりに仕込んだ導火線に火を付けて爆破させ、火薬絵画の「夜桜」を完成させた。蔡には長年の経験からの完成図が予測されていたと思われるが、この壮大な作品を見上げていると、「アーティストというより魔術師の成せる技だ」との印象だ。

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完成した「夜桜」 Photo by KAMIYAMA Yosuke

もう一つの火薬絵画作品「人生四季」にも驚いた。日本の春画をモチーフに女の一生が描かれていた。こちらは月岡雪鼎の作品「四季画巻」から着想を得ている。

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火薬絵画「人生四季」(2015年、作家蔵)の爆破 Photo by KAMIYAMA Yosuke

娘から成年へ、そして妊娠して年老いていく女性の姿と、自然の中の四季を絡めての色彩豊かな作品だ。もちろん火薬を使っている。本人の弁によると「これまでの私は、火薬を使って絵を描くことから始め、屋外での爆発プロジェクトにまで発展させることが多かった。だが今回は、昼用花火の効果と材料を、平面上の絵画に凝縮させた」とのことだ。長年、蔡の作品を見てきたが、こんな新手に初めて接した。

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「人生四季:春」(2015年、作家蔵)

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「人生四季:夏」(2015年、作家蔵)

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「人生四季:秋」(2015年、作家蔵)

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「人生四季:冬」(2015年、作家蔵)

大作2点のほか、表面に繊細なレリーフが施された磁器作品「春夏秋冬」もある。故郷の中国・泉州市にある窯の白磁で花鳥画を制作した。白磁の4枚のパネルに牡丹・蓮・菊・梅を中心とした四季の情景を造形した。焼成された白磁板に火薬を撒いて爆発させ、陰影を表現している。また横浜美術大学の学生との協働によってテラコッタによるインスタレーションの新作「朝顔」を制作、展示室に吊り下げられている。

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「朝顔」(2015年、作家蔵)の展示風景 Photo by KAMIYAMA Yosuke

99匹の狼が群れをなす「壁撞き」の迫力

さらに圧倒される作品が99匹の狼が群れをなして疾走する「壁撞き」だ。2006年にベルリンで発表され、ニューヨークのグッゲンハイム美術館や上 海当代芸術博物館などで話題になった作品だが、日本で初公開とった。狼たちはガラスの壁に当たって落下するものの、立ち上がり群れの後ろについて何度でも壁に向かって挑みかかる。ベルリンの壁を意識した作品で、本来のガラスの壁も同じ高さで作られている。ドイツ再統一の過程で東と西の見えない壁を、広く世界に存在する文化や思想などの目に見えない壁を暗示している。99は中国の道教において、永遠に循環することを象徴する数字で、蔡の作品のキーワードに なっている。

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「壁撞き」(2006年、ドイツ銀行蔵)。99体のオオカミのレプリカとガラス壁
Photo by KAMIYAMA Yosuke

この作品はポスターやチラシで見る限り絵画的であるが、展示空間にインスタレーションされた迫力満点の立体作品なのだ。発表時から話題になり、早く作品を見てみたいと切望していた。2008年に開催されたヒロシマ賞受賞記念の広島市現代美術館「蔡國強展」イベントで、浅田彰・京都造形芸術大学大学院学術研究センター長との対談があり、「壁撞き」について言及していた。

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「壁撞き」(2006年、ドイツ銀行蔵)の部分 Photo by KAMIYAMA Yosuke

蔡は「私が日本から一番影響を受けたのは、素材と形への徹底的なこだわりです。たとえば、オオカミが飛んできて、壁にぶつかって落ちてくる、というような作品を作る時、中国人アーティストはもっと血が出て、激しく恐ろしく表現するでしょうけれど、私はそのオオカミの美しさとかラインの詩的な感じとか、落ちたらまたそっと起きて、また飛んでいくという様子を作る。恐ろしさと美しさの臨界点をみせるのです。作品の裏にある美学なり哲学をもっとみせたい。美学的な距離が大切だという考えは、日本にきてから身につけました」と、自分の芸術の本質を語っていた。

99といえば、東日本大震災で被災したいわきに、子供たちへ美しい桜の里山を残そうと、いわき市の人たちが提唱し、蔡が支援する桜9万9000本の植樹を目指す「いわき万本桜プロジェクト」が進められている。蔡を支えたいわきへの回帰で、すでに「いわき回廊美術館」も開館し、蔡といわきの関わりを記録した写真や、地域の小学生たちが描いた桜の絵が常設展示されている。

時代を問い、異文化を考え、「美」を追求

横浜の前の国内での個展が7年前のヒロシマ賞受賞記念展だった。二つの大規模なプロジェクトを実施した。その一つが「無人の自然」と題した火薬ドローイングで、見事な山水図を描き出した。広島市立大学の体育館の床に横3×縦4メートルの和紙を15枚つないで導火線と火薬を置き点火して仕上げた。

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ヒロシマ賞受賞記念展の「無人の自然」(2008年、作家蔵)

「夜桜」の高さの半分とはいえ、横幅45メートルもの巨大な作品だ。大きな太陽や険しい山が半円状の壁面に描かれており、広島市現代美術館の展示会場には約60トンの水をたたえた巨大な水盤が設けられ、水面にも山水図が映りこむ。幻想的な空間をかもし、遠くから眺めると雄大な景観で、水盤に沿って歩くと「湖のほとり」を散策しているような気分を味わいながら鑑賞することができた。

もう一つの「黒い花火」は開会日の午後1時から90秒間、太田川河川敷で黒色花火1200発を次々に打ち上げた。原爆ドーム後方上空に黒煙の固まりが上がり、原爆犠牲者への鎮魂と平和への願いを表現したのだった。美術館の回廊には「キノコ雲のある世紀」のプロジェクトが紹介された。核技術によって人類破壊の危機を生んだ現代文明の矛盾を表現するものだった。

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「黒い花火:ヒロシマのためのプロジェクト」で原爆ドームを背景に打ち上げられた花火(「蔡國強展」図録より)

私が蔡を知った広島でのプロジェクト「地球にもブラックホールがある」に触れておこう。広島市現代美術館と朝日新聞社では1994年に広島で開かれた第12回アジア競技大会の前日、広島市中央公園を会場に、ヘリウムガスで膨らませた風船に導火線をらせん状につるして点火した。ものすごい爆音と閃光と煙を発し、炎は瞬時に土中に吸い込まれていった。近代都市として再生した広島への祝賀と鎮魂を願った作家の意図は、見る者に衝撃的な印象を与えた。

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広島で開催のアジア大会前日の「地球にもブラックホールがある」の爆破風景(2004年、広島市中央公園)

その後2002年には、新装された兵庫県立美術館で開館記念展「美術の力 時代を拓く七作家」を朝日新聞社が共催することになり、私もスタッフの一人として、開催の2年半前から取り組んだ。蔡のプロジェクト「青い龍」は、震災で心に痛みを負った多くの人々に、美術の根源的な力に触れてもらい文化復興をアピールするものだった。ここでは美術館に隣接する水面に99の舟を浮かべた。アルコールの青い炎は天空を清め、横たわる龍は天地を過去から未来へつな ぐ意図を示していた。室内展示でも小さな黄金舟99隻を空中につるし、未来への船出を表現した。

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小舟99隻を連ね龍のように蛇行させた「青い龍」のパフォマンス  (2002年、兵庫県立美術館隣接の海上で)

そして2015年、京都で開催された二つの展覧会に、蔡の作品が展示された。その一つが「PARASOPHIA:京都現代芸術祭2015」だ。21の国・地域から40組45人の作家が出品したが、蔡はひときわ大きな展示空間を与えられた最重要作家の一人だった。

京都市美術館1階の大展示室を専有して、中央に高さ15メートルの巨大な塔を建てた。青竹約300本を使い7層に組み上げた塔で、西安にある大雁塔を模している。周囲には、京都の子どもたちが不用品で組み立てた作品や各種ロボットが動き、近年、蔡が世界各地で行っている「農民ダ・ヴィンチ」と称する世界を創出した。これからの美術は、過去の権威にとらわれず、作る側も見る側も、大衆社会の中で共生して以降との意図が読み取れる。

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青竹約300本を使い7層に組み上げた塔「京都ダ・ヴィンチ」

(2015年、京都市美術館で)

京都市美向かいの京都国立近代美術館で開催された「現代美術のハードコアはじつは世界の宝である展 ヤゲオ財団コレクションより」にも蔡の作品「葉公好龍」(2003年)と題された、火薬の爆発の痕跡が龍の姿に見える作品が出ていた。そうした京都で世界連邦運動協会京都支部が主催して蔡國強講演会「異文化に交わる世界の中から」があった。私にとって広島以来の再会となった蔡は、これまでのプロジェクトの動画を見せながら、文化論や芸術論を語った。

横浜の会場を訪れた時には、蔡は世界各地の次なるプロジェクトへ旅立っていた。今回展示の「夜桜」や「壁撞き」には、蔡の考える奥の深い「美」が追求されていた。現代美術は時代を鋭く捉え、潜在しているものを表現するため、前衛的であり、抽象表現を伴い難解な面がある。しかし蔡の芸術世界は具象的で、私たちの既成概念や思考方法を覆すものだ。私たちが日常生活の中で気づかない人間や時代について価値観を問い直し、掘り起こしてくれる。それが美術の持つ「力」と「美」であることを確認できた。進化する蔡は、次にどんな面白い世界を見せてくれるのだろうか。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。