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キルギスあれこれ 〜中央アジアの今〜 #2 「キーワードは“40”国名の由来とは!」

独立行政法人日本学術振興会特別研究員RPD(言語学/博士) アクマタリエワ・ジャクシルク

先日、新聞を読んでいたらトルコが国連に国名を「テュルキエ」に変更する手続きをした、というニュースを目にしました。トルコは、私にとってなじみ深い国だったのでとても驚きました。最近、国名や地名の呼び方を変更するニュースが目につきます。グルジアが「ジョージア」に、最近のウクライナの戦争では、首都「キエフ」は「キーウ」に。そもそも、どれも当事国が付けた呼び方ではありません。こういうニュースを見ると、私の母国である「キルギス」も!と思わずにはいられません。というのも、ロシア語の発音に近い表記をもとにしているからです。こういう風に思うのは私だけではなく、日本に住んでいるキルギス人なら誰でも思います。

そこで、「キリギスあれこれ」シリーズの第2回目は、国名について書いていきます。キルギス語での正式な名称は、 “Кыргыз Республикасы”。日本語の発音に近づけて書くと「クルグズ・レスプブリカス(クルグズ共和国)」となります。1991年の独立時に国名を “Кыргызстан Республикасы”「クルグズスタン・レスプブリカス」としましたが、1993年に憲法を再び改正して正式国名を現行の “Кыргыз Республикасы”に変更しました。ただし、国名変更後も“Кыргызстан”「クルグズスタン」が別称として認められています。

もう分かったと思いますが、日本で使われる「キルギス」は、「クルグズ」という発音になります。「キルギス」は、ロシア語表記の“Киргиз”に由来するものなのです。なぜロシア語表記が基になっているのかは、それはキルギスが旧ソビエト連邦の一員だったからです(※詳細は第1回を参照)。私をはじめキルギス人は、キルギス語で母国を「キルギス」とは発音しません。みんな、「Кыргыз(クルグズ)」と言います。

では、「クルグズ」とはどういう意味なのでしょうか。まず、「クルグズ」は、「クルク」と「グズ」の2つの語からなっています。「кырк(クルク)」は、数字の“40”を表します。そして、「кыз(クズ)」は「女の子」とか「娘」という意味です。つまり、「40人の女の子」とか「40人の娘」といった意味になります。だから、私たち民族としてのキルギス人は、「40の娘の民族」、国名は「40の娘の国」ということになる。そこから転じて、現在は「40の部族」という意味になっています。キルギス社会は、部族社会です。日本では、「あなたの出身地はどこですか?」と相手に聞きますが、キルギスでは「あなたはどの部族出身ですか?」となります。それくらい自分が所属している部族が重要なのです。 

キルギスには沢山の部族が、今でも存在します。例えば、私はキルギスのサヤク部族出身です。そのような部族が「40」あり、それらが民族としてのキルギス人を構成してきたといわれています。その根拠となるのが、世界で一番長い叙事詩として「ギネス世界記録」に登録されている「マナス叙事詩」です(また別の機会にコラムを書きます)。マナス叙事詩は、キルギス民族の歴史物語です。その叙事詩で語られる主人公である英雄のマナスが、赤色の旗の下に40の部族を統一してキルギス民族を成立したとなっています。

それでは、「クルグズ」という呼び方がいつから使われるようになったのか。古くは、キルギス人は現在のロシアにあるアルタイ山脈のふもとのエニセイ川流域で遊牧をしていたと考えられています。その後、移動を続け中世以降に現在の中国新疆ウイグル自治区からキルギスやカザフの周辺にやってきたといわれています。このころには、「クルグズ」と呼ばれていたのではないかという説がありますが、定かではありません。キルギス人は、長い間文字を持っていなかったため自分たちで記録した文書がないのです。科学的な解明は、今後、中国などの古い文献を調査していくしかないと思います。

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ここまで書いてきました「クルグズ」→「40の部族」。実は、国旗と大きな関係があります。下にあるのがキルギスの国旗です。中央にある円に格子のような文様。これは遊牧の時に使うテントの内側天井部の骨組みをイメージしています。そしてその周りに炎のように見えるヒダ。これ、何本あるか数えてみてください・・・。そう、40本あります!つまり、「クルグズ」→「40の部族」を表現しているのです。国旗には、遊牧民だったキルギス人にとって欠くことのできないテントと40の部族がデザインされているのです。

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さらに、この“40”という数字は、キルギスでは他にも重要な意味を持っています。例えば、子供が生まれたら“40日”を過ぎるまで誰かに見せたり、どこかに移動したりしない風習があります。新しい命の誕生を災厄から守るためと考えられています。また、人が亡くなった時には、3日、7日、40日の時にイスラム教のコーランを唱えます。つまり、キルギス人にとって人生の大切な節目で使われるほど、「40」という数字は重要なのです。

「キルギス」→「クルグズ」→「40の部族」という話し、いかがでしたでしょうか。国名や国旗には、そこで暮らす人々が育んできた文化、歴史などを通じた様々な意味が込められています。だからこそ、当事者が決めるべきことなのだと思います。一方で、広く認知されている名前を変えることには、難しさもあります。2021年に開催された東京オリンピック。日本選手団のユニフォームには、「JAPAN」の文字がありました。しかし、1964年の東京オリンピックのユニフォームでは、「NIPPON」の文字。どうしてこうなったのか私はよくわかりませんが、去年のオリンピックでは国際的に広く認知されている「JAPAN」を採用したのかもしれません。それでも、ロシア語ではЯпония「ヤポニヤ」と呼ぶし、キルギス語では、Жапон「ジャポン」と呼ぶのです。結局は、それぞれの当事国が決めた呼び方を尊重するしかないのでしょう。

私は、日本で呼ばれる「キルギス」を「クルグズ」に変更してほしいとは思いません。留学で来日した15年前、日本で暮らすキルギス人は、100人にも満たない少数でした。当時、ほとんどの日本人は、キルギスの国情どころか国名さえ知りませんでした。そこから今では日本にいるキルギス人は数百人まで増え、留学以外にも就職して仕事をしたり会社を経営したり、家庭を築き子供は日本の学校に通うなど、この国に根を張って暮らしています。その甲斐あってか、日本でキルギスという国名が少しずつ認知されてきました。少なくとも、私の仕事仲間や友人など数十人が、キルギスについてある程度知っています。それが、もしここで「クルグズ」に変えてしまったら、元の木阿弥に・・・。

ではまた次回にお会いしましょう!

独立行政法人日本学術振興会特別研究員RPD(言語学/博士)。研究テーマ:キルギス語とアルタイ語の対照研究(論文多数)。2006年、文部科学省の国費留学生として来日。2013年、東京外国語大学大学院 博士課程。書籍:「世界の公用語事典」(キルギス語担当)、「キルギス語・日本語小辞典」、「キルギス語基礎語彙集」、「初級教科書の語彙分析―動詞編」(1)と(2)。2児の母。