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シルクロード国献男子30年 第16回 日本と中国、相互理解の難しさ

国際協力実践家 小島康誉

1988年から97年までニヤ遺跡現地調査は9回、私は8回参加。その後も3回遺跡入り、2004年はNHK「新シルクロード」撮影、14年は北京大学カローシュティーシンポの一環で、15年は変化状況観察のため。研究・報告書発行・シンポジウムなどは継続中です。それらはすべて日中共同によるもの。「よくまぁ~こんなに長く」と友人たちから言われます。

相互理解は難しいものです。家族でさえ難しく、同国人同士でも中々。まして外国となるとひと汗もふた汗も。なかでも日中間の相互理解は困難の代表格でしょうか。報道されない日がないほどですね。

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夕食後の日中双方ミーティグ、当日の調査報告と翌日の活動予定など(撮影:筆者)

日中双方の民族・歴史・体制・制度・文化・言語などの違いの乗り越えは難しいものです。大小さまざまな困難がありました。問題にぶつかったときに立ち戻る共通理念が大切です。日中政府間では「戦略的互恵関係」が掲げられています。私たち日中共同隊は「友好・共同・安全・高質・節約」の五大精神を掲げ頑張りました。

自分ながらによくぞと振り返っています。先日も中国中央テレビ大型特番「シルクロード経済帯」の取材を寓居で受けましたが、「なぜ文化財保護や人材育成などで30年も尽力したのか」と繰り返し質問されました。

21世紀は国際協力の世紀とも言われています。文明が急速に発展し、各国の相互依存が日に日に濃密になった結果です。インターネットの普及や航空便急増での人的往来激増などにより、「国境」が低くなった結果です。私が子供のころ外国へ行くなどということは夢のまた夢でした。現在ではごく普通のことです。いまや世界73億人は運命共同体となりました。一国では生き残れない世紀となりました。しかし、現実は戦争や紛争(テロや欧州各国へ押し寄せる難民問題ふくめて)が頻発しています。

世界には約200の国家があり、それ以上の民族がいます。それぞれの歴史・体制・法規・文化・宗教・言語などは異なります。国益は異なり主張はぶつかりあいます。いたるところで衝突が続発しています。

その代表的一事例が日本と中国と思います。日本と中国の関係はたえずギクシャクしています。双方で外国・異国であるとの認識が不十分であり、体制・政権・参政権が異なり、さらに国益意識は大きく異なり、そして経済規模で逆転したとまどいもあります。

尖閣国有化での緊張状態をようやく抜け出し改善の道を歩みだしていますが、一層の相互理解が必要です。しかし相互理解は困難、だからこそ双方で相互理解促進の努力をする必要があると思います。政府や外交官だけでなく、双方の国民一人ひとりが努力することが重要では。批判や言葉だけでなく具体的実践こそ大切と思います。私が世界的文化遺産保護研究や人材育成などを実践しつづけてきたのはそんな使命感からでもあります。

相互理解に挺身される諸氏

日本人が内向きになりつつあると言われていますが、世界各地で国際貢献・相互理解促進中の方も多数おられます。周りでも喜多野高行氏は大連で(現在は帰国)、近藤秀二・大木光章両氏はミヤンマーで、奥田透氏はパリで。

奥田透さんは高い評価を受けている気鋭料理人。パリ同時多発テロ犠牲者追悼とギメ東洋美術館シルクロード収集品参観で先月訪れたパリでの出来事。奥田さんから魚屋見学と「活け締め」講習会に招かれました。「ナゼ!坊主が」と言わないでくださいね。

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左)テロ犠牲者肖像(シャルリー・エブド社にて撮影:筆者)
右)クチャからの舎利容器(ギメ東洋美術館にて撮影:筆者)

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「活け締め」講習会(奥田にて撮影:筆者)        パリの夕暮れ(撮影:筆者)

現地風「SUSHI」が各国で一人歩きするなか、奥田さんは本物の日本料理を世界へと奮闘中です。銀座店につづきパリ店を3年前に、その隣にすし屋を2年前にオープン。鮮魚の入手が困難なため、1年前にはナントナント魚屋を開業。魚を生食する習慣の少ないフランスで、漁師の説得から運搬車や生簀の調達など並大抵の苦労ではなかったようです。

自店の繁盛だけでなくヘルシーな本物の「和食」(2013年世界無形遺産)を広めようと、毎月パリへ出かける度に、フランス人シェフに「活け締め」講習会。私が見学した日はフランス人8名と日本人若手料理人4名らが参加。NHKが取材中でした。

「活け締め」の必要性を懇切に説明し、ピチピチはねる魚で実演。フランス人シェフ数名もチャレンジ。質問続出。その後の試食では「活け締め」直後の刺身、1日前・2日前・3日前に締め熟成させた刺身、そしてパリで普通に売られている物を、味がより分かりやすいように醤油でなく塩とスダチで提供。舌のこえたシェフらは納得していました。

奥田さんの日本料理を通じて日本文化、日本への理解を深めようとするプロ魂を感じました。魚くさい魚を濃いソースで料理して食べる文化の中、着々浸透しているようです。

ちなみにテロの影響で観光客は大幅減、中でも日本人は激減していました。おかげで今まで1時間2時間待ちであきらめていたエッフェル塔も並ばずに登れました。

パリ訪問直前には駐中国新旧大使歓送迎会に出席しました。木寺昌人旧中国大使はフランス大使に、流暢なフランス語で日仏間の相互理解は一層進むことでしょう。横井裕新中国大使は中国通、日中間相互理解のさらなる改善が期待されます。

ご注意

この「シルクロード国献男子30年」では日中共同ニヤ遺跡学術調査について詳細は述べていません。詳しくお知りになりたい方は『新疆での世界的文化遺産保護研究事業と国際協力の意義』(佛教大学宗教文化ミュージアム2013)で後述するダンダンウイリク調査などとともに発表していますので、ご覧ください。佛教大学Webにも掲載されています。

ニヤ遺跡92A9遺構(撮影:筆者)

佛教大学で開催した国際シンポジウムの打ち上げパーティーでは赤ワイン「NIYA」で乾杯しました。ニヤ遺跡はその名のついたワインが発売されるほど有名に。有名になると見てみたいのが人の常ですが、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡は現時点では自由に参観することはできません。新疆文物局へ連絡され許可取得後に参観ください。

ニヤ遺跡や楼蘭に限らず一般非開放地へ無許可で立ち入り取調べられた方もいます。数年前に無許可で測量や撮影をおこない拘束された邦人教授の「お詫び」を日中双方から依頼され仲介したこともありました。報道された事例はほかにも。彼らの言い分は「相手方の中国人(研究者や旅行社)が許可を取っていると思っていた」というものです。体制の異なる外国ですので、許可証を確認するなどの注意が肝要かと思います。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。