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シルクロード国献男子30年 第24回 相互理解促進-代表団派遣

国際協力実践家 小島康誉

南米初のRIOオリンピックとパラリンピックが終わりました。選手たちのメディアへの受け答えも以前の悲壮感ただようものから変わってきましたね。「嬉しい。楽しい。良かった。次は金メダル。感謝したい」などと前向きな発言が殆どでした。

外国人の日本人イメージは「礼儀正しいが黙っていて何を考えているか分からない。内向き」とされていますが、着実に変わっているようです。ハグやハイタッチも増えています。世界を舞台とする人たちも多数おられます。

黙っていても判ってもらえるだろう文化からドンドン発言する文化へ。複雑化する世界では声を大にして発信しないと、埋没してしまいます。選手たちの力強い発言に勇気をもらった人も多いのでは。選手たちは各国の人たちと理解を深め合ったことでしょう。

オリンピックは平和の祭典といわれます。紛争やテロが頻発していることからすれば、平和を目指す祭典でしょうか。相互理解は難しいものです。インターネットなどの発展は相互理解を推進している一方で、相互理解をより複雑化しているともいえます。

相互理解には直に会うのが一番と考え、1988年から各種代表団を結成し新疆を訪問していただきました。合わせれば20団体を超えるでしょう。

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ウルムチ空港で歓迎うける経済代表団(撮影:団員)  モアール仏塔での文化代表団(撮影:新疆政府)

RIOオリンピック閉会式の東京ショーは椎名林檎氏がクールジャパンを演出。ドラえもん土管からマリオ姿の安倍晋三首相が登場。日本人も発信型へ変わりつつあることを世界へ見事にアピールしました。世界の皆さん、2020年東京で会いましょう。

法隆寺「鉄線描」壁画とダンダンウイリク遺跡「屈鉄線」壁画

またまた文化財保存にもどります。2019年は法隆寺金堂壁画が焼損して70周年にあたります。1949年(昭24)1月26日、修理中の金堂で火災発生。壁画は激しく焼損しました。幸いにも焼損前の1935年(昭10)に国の委嘱で便利堂(京都)が6人がかりで75日間にわたり363枚もの分割写真と23枚の赤外線写真を撮影。カラーフイルムがなかった当時、モノクロ乾板をフィルター操作で色分けする4色分解撮影も敢行。法隆寺と便利堂に保存されていたこれらは昨年重要文化財に指定されました。一企業が長年にわたって保管することは至難の業、敬服するばかりです。それらから製版、高精細オフセット印刷された『法隆寺金堂壁画』(岩波書店2011)が出版されました。

佛教大学四条センターでの講座「美術史家・井上正の眼」第4回として「法隆寺壁画と『屈鉄線』壁画発掘」の講演を安藤佳香教授より依頼され、付け焼刃で勉強すべく、上記写真集を購入。ナント3万円、講演料(交通費込み)と同額、新幹線代は足が出てトホホ(笑)。白鳳の美が眼前にせまり、さらには壁画成立背景や歴史的意義などの論文も含んだ素晴らしい本で値段に納得しました。便利堂から発行されている絵葉書セットも購入すべく東京店へ。ナント創業130周年記念日でした。ご縁ですね。切手ショップも回り、金堂壁画の10円切手と80円切手シートも多数購入。講演で、参加者に進呈しました。

脱線気味を戻します。法隆寺金堂壁画はしなやかで力強い「鉄線描」手法で描かれています。その源流の実物資料ともいえる「屈鉄線」手法で描かれた壁画を私たち日中共同隊がタクラマカン沙漠ダンダンウイリク遺跡で発掘しました。本シリーズNo.1718で紹介済みです。

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『法隆寺金堂壁画』外箱            ダンダンウイリク遺跡壁画(撮影:筆者)

両者にどんな関係があるのでしょう。有名画家を紹介した『歴代名画記』(張彦遠・唐晩期)に「尉遅乙僧。于闐国の人なり。・・・用筆緊勁にして、鉄を屈し絲を盤まらせるが如し」と記されています。

7世紀頃に于闐国(現在のホータン一帯)で活躍した尉遅派の画家たちはその一角であったダンダンウイリク(唐代には「傑謝」と称された)でも描きました。尉遅乙僧らは当時都であった長安(現在の西安)に至り、諸寺院にも描きました。『歴代名画記』は上記のように「屈鉄盤絲」と高く評価しています。「屈鉄線」の謂れです。遣唐使や留学僧らが実物か模写を奈良へ伝えたのでしょうか。

尉遅乙僧らが長安で描いた壁画は度々の戦いと廃仏毀釈令などで消失してしまいました。沙漠奥深くのダンダンウイリク遺跡で長い眠りについていた壁画群を2002年、私たちが発掘しました。シルクロードは「仏教東漸の道」とも言われるように仏教美術も上記のように伝わってきたと考えられます。遠く離れたタクラマカン沙漠と奈良は結ばれていたのです。

井上正先生(佛教大学教授・元国立京都博物館学芸課長・故人)は「法隆寺金堂壁画は、みな西域風の線描の影響を受けているといえる・・・弾力性に富んでいて穏やかな線。どのように伝わったかは断言できませんが、尉遅派の絵が中国で流行っていた時期と、法隆寺金堂壁画が描かれた時期がかなり近いと考えられることから、尉遅派の絵師を直接招いたこともありえたのではないか・・・」(『新シルクロード2・草原の道風の民・タクラマカン西域のモナリザ』(日本放送出版協会2005)と推測されています。

昨年11月、法隆寺は「焼損した金堂壁画の本格調査を行い焼損70周年の2019年に中間報告の予定」と発表、12月には保存活用委員会が開催さ れ、法隆寺収蔵庫に保管されている焼損壁画が報道陣に公開されました。中間報告が待たれますね。そして壁画の一般公開も期待したいですね。再建された金堂には模写が展示されています。

法隆寺「鉄線描」壁画が注目されればされるほど、その源流の実物資料ともいえるダンダンウイリク遺跡「屈鉄線」壁画の重要性は高まることでしょう。

 

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。