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国献男子ほんわか日記1 駱駝は楽だ?

国際協力実践家 小島康誉

おめでとうございます。新しい年を迎えることが出来ました。寿ぎたいと思います。

また人生が始まります。泣きたいこともあるでしょう。悔しいこともあるでしょう。怒りたいこともあるでしょう。いやいや嬉しいこと楽しいこともあるでしょう。

ものごとは捉え方しだい。見かたしだいです。笑ってわらって受け入れたら、楽しくたのしく過ごしたら、良いふうに良いふうに考えたら、如何でしょう。ほんわかほんわか。

1年余にわたった「シルクロード国献男子30年」を検索いただきありがとうございました。昨年末でいったん終了し、今回から国際貢献よもやま話や悩み多き娑婆世界を「楽しくゆったり有意義に」過ごすヒントの端くれなどを「国献男子ほんわか日記」と題して駄弁りたいと思います。笑覧いただければ幸いです。ほんわかほんわか。

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装備を載せその上に跨ってダンダンウイリク遺跡調査(2005年撮影:筆者)

タクラマカン沙漠での調査の相棒は駱駝さんです。駱駝は「沙漠の舟」と喩えられ、沙漠地帯の運送手段として古来より重宝されてきましたが、トラックの普及により急速に駱駝キャラバンは減り、駱駝親父(キャラバンリーダー)たちは廃業続出です。

敦煌やトルファンなどの観光地の駱駝には座席があります。調査ではそんな座席もなく写真でもお分かりのように調査機材や食料などを満載しその上に股を広げての騎乗、しかも砂丘を越える時は大きく前後に揺れます。たえずどこかを握っていなくてはなりません。一日の前進が終って降りても股は元には戻らないほどです。肩腰はバンバンです。内腿はすれて真っ赤になります。難行です。とても楽だとは!

ちなみに写真先頭の張玉忠新疆文物考古研究所副所長(日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査中国側隊長)が見ているのはスマホでなくGPS(汎地球測位システム)です。

新疆の駱駝はふたこぶです。こぶの中はよく言われている水ではなく脂肪です。体重は600kgを超えます。その巨大動物に荷物を担がせるのも大仕事です。まず座らせる必要があります。おとなしいのは「チュクチュクチュ」と駱駝親父が命じると座りますが、中々座らないのもいます。座れば重い荷物を括りつけられることを知っているからです。

そんな時はカーボーイのようにロープを投げ、駱駝の脚を縛りつけ転ばせるように座らせます。そして二人がかりで左右が同じ重さになるように荷物をガンガンに縛りつけます。揺れて緩みが生じないようにするためです。

20頭30頭の駱駝に荷物を積み込み、出発できるまでには毎回ほぼ3時間。駱駝はおとなしい動物ですが、音に敏感。素人の我々はその間、駱駝から離れてキャンプ地に散らばったゴミを拾いながら、調査日記を書きながら、待つのみです。

笑ってわらって

新しい年が始まりました。ありがたいことです。世界には飢餓に苦しみ栄養失調で新年を迎えられなかった人も沢山おられます。それに比べたら、文句タラタラ言える私は超幸せです。今年もグチを言いながら、一方で感謝して生きていきます。ほんわかほんわか。

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小僧落書き、背景はキャンベル・ラ・プン※の作品(撮影:筆者)

小僧も74年間、それなりの苦労をしながら生きてきました。戦争中の生まれ。母はすぐ亡くなりました。名古屋大空襲で燃える真っ赤な空が脳裏に焼きついています。国策子沢山時代、子育てのため父は再婚。その継母も亡くなりました。終戦後は食糧難、エビガニやイナゴ・雷魚などで飢えをしのぎました。「ママハハ」といじめられ泣いてすごした幼年期。父も旅立ち90を超えた三番目の母は介護施設、弟や甥が介護していてくれます。ありがたいことです。見舞 いに行くと笑って相槌をうってくれます。嬉しいことです。

焦土と化した日本は先輩たちの奮闘で「奇跡の復興」を成し遂げました。24歳で宝石の外商を始め、困難とされていたジュエリー専門店をチェーン化。高度成長にも支えられ、上場企業に。お客様や取引先様、社員・役員諸氏のおかげです。感謝しきれません。54歳で退任。途中僧侶となり、シルクロードで文化財保護研究を始め・・・。

と書けば順調にみえますが、それはそれは苦労の連続・・・。機会があれば紹介します。そんな連続苦労でも笑って生きようと自分に言い聞かせてきました。老残も笑ってわらってほんわかほんわか過ごします。

※Campbell La Pun:1983年生まれ。オーストラリアのステンシル・ポップ・アーティスト。4年前に夫人と来日。現在は鎌倉在住。ニューヨーク・香港・ロンドン・パリで個展が開かれるなど、注目されている。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。