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国献男子ほんわか日記148 日中これからの50年 友好・理解・共同を!

国際協力実践家 小島康誉

間もなく日中国交正常化50周年の9月29日。この50年を振り返ると、憧憬・波乱・緊張・改善期と区切ることが出来よう。そして現在は停滞期と言える。今年は50周年の記念すべき年であるが、祝賀ムードは両国ともに殆どない。その要因は、歴史・領土・米中対立(世界情勢ふくむ)・コロナ往来難・情報の影響と思われる。歴史=両国関係は、長い友好交流・先の戦争・その後の協力と概観できるが、戦争部分にスポットが集まり、他の部分は過小評価されている。領土=沖縄県尖閣諸島(中国名:釣魚島)をめぐっての対立。

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飛沫防止パネル越しにPPTで講演の一場面(撮影:小島聡子)

そして米中対立(世界情勢ふくむ)=世界2大国といえる米中は多分野で対立、さらにウクライナ戦争などが絡み、米と同盟を結ぶ日本も巻き込まれている。コロナ往来難=コロナ禍で往来困難となり意思疎通が難しくなっている。情報=世界中のメディアから私的SNSまでが、それぞれの立場・主張・国益…から発信。売らんがため目立つための商業ジャーナリズム・ネガティブ情報が多く、善隣ジャーナリズム・ポジティブ情報は埋もれがち。排他的情報に引っ張られ立体的・総合的判断を難しくしている。

日中両国は隣国。体制・民族・歴史・国益・思想などが異なる外国。相互理解は容易でない。難しいからこそ相互理解の努力が求められる。さらに進めて共同活動の実践が重要。以上および新疆多民族諸氏と行ってきた国際協力、7月の習近平国家主席の新疆視察、新疆の大発展ぶり、10年30年50年後を見据えての行動などを7月23日、愛知工業大学で開かれた愛知県日中友好協会の会員限定「日中国交正常化50周年記念講演会」で「日中これからの50年 友好・理解・共同 ~新疆ウイグル自治区で国際協力40年~」と題して講演した。

度々の笑いと拍手の1時間余。第7波で前日には20万余人感染の中、日中友好協会の岡崎温理事長・愛知工業大学の後藤泰之学長・愛知県日中友好協会の原田泰浩副会長・東海日中関係学会の川村範行会長ら50余名が参加された。筆者社長時代の社員さんで現在名古屋市議会議員の中村満氏も出席いただきビックリ!中国駐名古屋総領事館からも李巧副領事と黄旭峰氏が参加された。衆議院議員の近藤昭一氏は講演開始直前に東京へ向かわれた。オンライン参加者も多数とか。ありがとうございます。国際間フライトも再開されつつある。50周年を機に友好・理解・共同の実践で関係改善を期待したい。筆者も老残微力を捧げる。

しかし8月、米ペロシ下院議長が中国の強い反対を押し切って台湾訪問。中国は猛反発し台湾島周辺で実弾軍事演習や対米制裁。台湾問題は大きく動き出し、米中対立は新たな段階に入った。東アジアは緊張期に入った。日本のEEZにもミサイルが落下。岸田首相は韓国経由来日したペロシ議長と朝食。米国と同盟を結ぶ日本は難しい外交となる。日中関係改善は更に難しくなるのか? そんな今こそこれからの50年を見据えて友好・理解・共同を!

上述の新疆で実践してきた国際協力の一部「日中共同ニヤ遺跡学術調査」で発掘した「五星」錦に関して取材を受け「日中の仲間がワンチームで達成した偉業・・・」と報じられた。下線部分クリックしてみて下さい。日中関係停滞中の今、ポジティブ報道と喜びたい。

おかげおかげで生きてゆく

上述の講演時に司会の林氏「小島先生は80歳です」と、拍手がおきた。「嗚呼80はそういう齢か」と実感した。ありがたい。妻の親友から布草履を沢山いただいた。ありがたい。25年ほど昔、念仏行脚日本縦断したことを思い出した。法衣・袈裟・錫杖・網代笠・手甲・脚絆・草鞋で「南無阿弥陀仏」唱え続け、鹿児島佐多岬から稚内宗谷岬まで数回に分けてテクテク行脚した。草鞋はすぐ破れ、道々のコンビニでは売っておらず運動靴に変えたが。お布施での食事や宿。ありがたい。犬に追いかけられ烏に襲われ不審者扱いされ。ありがたい。

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小僧楽書:写真はいただいた手作り布草履(撮影:筆者)

大雨・強風・猛暑・排気ガス・野宿もありがたい。困ったのは「何宗ですか」に始まり「法論」を挑んでこられる方、でもありがたい。「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」「南無釈迦牟尼仏」「南無大師遍照金剛」などの「南無」こそが仏の御教え。「南が無い」はサンスクリット語で敬意や崇敬を意味する「ナモ」漢訳時の当て字にすぎない。意味するところは「帰依します」「お導きください」「お救い下さい」「ありがとうございます」・・・おかげおかげで80まで生きてきた。おかげおかげで今を生きてゆく。ほんわかほんわか。(08/30記)

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。