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国献男子ほんわか日記153 ウクライナ避難民 食事で応援

国際協力実践家 小島康誉

ウクライナ戦争、既に約9ヵ月。出入国管理庁HPによると日本で暮らす避難民は11月1日時点で2076人(男性525・女性1551人)。政府・自治体・ボランティアの各種支援があっても異国での生活は大変だろう。大使館へ僅かな寄付とウクライナ産ハチミツ大量購入、そしてネット発信応援しかやってこなかったが先日、避難民雇用のため東京・西新橋に開店したウクライナ料理店「スマチノーゴ」へ行ってきた。「召し上がれ」を店名とするだけに和食風アレンジのボルシチなどに満足した。同行した畏友N氏もピロシキが美味いと。同国産の赤ワインは安い割に飲めた。スタッフ紹介や仕事探しメモも置かれていた。

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宝島社広告に喜ぶキーウ出身のアリーナさん、左はワイン担当のセルヒ君(撮影:筆者)

事前にネットでウクライナ語を検索、初期認知症のため掌に書いて訪れた。「ドーブルィイ・ヴエーチル」(こんばんは)、「スマーチノ」(美味しい)、「ジャクジュー」(ありがとう)は通じたようで、あれこれ会話した。日本人のほか20~60代の男女避難民9人が在籍と。ウクライナの青空と小麦畑に「世界を敵にまわして、生き残ったヤツはいない」と書かれた宝島社の見開き広告が載った読売新聞をプレゼントした。食事するのも応援、妻とも行った。来日した中国人夫妻と行こうとしたら臨時休業だった。また行こう。スマチノーゴ電話は03-6811-1501。

ウクライナと日本の中間ぐらいに位置する新疆ウイグル自治区ニヤ遺跡で、筆者が日本側隊長を務めた日中共同調査隊が「国宝中の国宝」を発見して27年、最近になって再び盛んに報道されている。ありがたい。それにあわせて写真20点をレコードチャイナ〈写真特集〉五星出東方利中国で発表した。下線部分クリックしてご覧ください。(11/08記)

ホメて生きるか? ケナして暮らすか?

寓居から美しい富士山と夕焼けを楽しんだ。忙中閑ならぬ忙中歓の数10分。ありがとうのひと時だった。次々と起こる出来事に、ついつい愚痴がでる。マスコミの一部は人々の不平不満を煽るような後ろ向き報道。一部の週刊誌にいたっては人の汚点をほじくるような暴露記事。ケナす報道があふれている。ホメる報道は少ない。噂話もそうだ、悪口のほうが人気を得やすい。批判派が中心になりやすい。政治あら探し、外国あら探し、近所あら探し、会社あら探し、友人あら探し、家族あら探し・・・他人の不幸は蜜の味。

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小僧楽書:素敵な夕焼け ありがとう(撮影:筆者)

 あら探しをしないよう生きてきた。と言っても、時には探したが。ありがとう探しで生きてきた。「ありがとう一日100回運動」を提唱しているほどだ。日々出会うアレコレに感謝を見つけるようにしている。ケナして暮らすのでなく、ホメて生きるようにしている。一昔前は万歩計が流行った。今ではスマホが計るとか。どなたかありがとうと言う回数を計る「ありがとう計アプリ」を開発していただけませんか? 嗚呼ホンワカほんわか。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。