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国献男子ほんわか日記23 宴会は超重要

国際協力実践家 小島康誉

NHK「シルクロード・壁画の道をゆく」を見た友人らから「キジル千仏洞の保護協力、西域のモナリザ壁画発掘など、30数年も!」などと沢山の便り をいただきました。ありがたいことです。中島木祖也エグゼクティブ・プロデューサーの話では「BSとしては高い視聴率だった」そうです。嬉しいことです。映像を見た新疆文物局訪日団の李軍副局長らも「文物保護の苦労がよく表現されている。綺麗だ。クローン復元も分かりやい」と満足気でした。

一行は東京芸大の特別展「素心伝心-クローン文化財失われた刻の再生」も井上隆史特任教授の案内で参観し、キジル千仏洞第212窟の復原画展示にも喜んでいました。東京芸大の要請を受けドイツ隊が壁画を剥ぎ取った壁面を新疆文物局許可の下、私たちが撮影し提供した甲斐がありました。

35年間もよくぞ新疆へ通ったものです。世界的文化遺産保護研究・人材育成・関連の三分野でアレコレやってきました。日中双方多くの方々のご指導ご支援の賜物です。感謝しきれません。

宝石の買付目的で訪れたことが縁となり、今に到るまで続いています。不思議なことです。当初は困っている人がいるから出来ることをしよう、といった軽い気持ちでしたが、次第に平和を守る一環としての国際協力を意識するようになりました。

昨今は、「あの中国で」とよく言われます。確かに一党独裁体制で考え方も言葉も民族も法律も異なる外国での活動は中々です。活動は山あり谷あり、容易ではありません。ビジネスでも皆さん苦労されているようです。外交は更に大変でしょう。

心がけてきたのは心と心の交流です。その一つが宴会です。先方から招かれた際も当方の宴会でも「笑い」を提供するよう努めました。事前に相手のことを考え、会場やメニュー、そして会話にも気を配りました。お互い交渉時は硬い話に終始しているので、せめて宴席ぐらいは「楽しく」盛り上げることが難しい交渉を進める一助となります。

私のような庶民がそうですから一国を代表する方の宴席は並大抵ではないでしょうね。首相級の宴会は迎賓館や有名ホテルが一般的ですが、2008年福田康夫首相が胡錦涛中国首相を私的に招いたのは日比谷公園にある庶民が気軽に食事できる松本楼でした。

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福田康夫首相が胡錦涛首相をもてなした松本楼(撮影:筆者)

当時はギョウザ中毒事件や人権問題のため欧米で北京五輪ボイコットが呼びかけられるなど中国側にとって微妙な時期。そんな状況下で福田首相は中国革命の父と称される孫文を物心両面で支えた梅屋庄吉の曾孫が経営する松本楼を選定。ここは孫文はじめ夏目漱石や高村光太郎など多くの文人が憩った場所としても知られています。両首脳は孫文ゆかりの羽織や宋慶齢夫人(のちに中国国家副主席)の手紙などを参観し、宴席で福田首相は「今日は硬い話は無しにしましょ う」と切り出したそうです。孫文夫妻を支援した日本人がいたことを具体的に示すとともに、胡首相の気分を和らげる数時間になったとか。

翌日、両首相が署名した「戦略的互恵関係の包括的推進に関する日中共同声明」に「中国側は、日本が戦後60年余り、平和国家としての歩みを堅持し、平和的手段により世界の平和と安定に貢献していることを積極的に評価した」(外務省HP)と記されています。事前の外交交渉の結果ですが、和やかな宴席の成果でも。署名後に天皇陛下による宮中晩餐会が開かれました。乾杯は定番ドン・ペリニョン95年であったと聞きました。

私も北京の人民大会堂や釣魚台国賓館、あるいは新疆人民会堂や新疆迎賓館へ度々招かれましたが、その都度、先方の細かい気配りを感じました。ある時などホテルへ迎えに来た車が故鄧小平氏の愛用車と聞かされ驚いたことも。

さて、写真左は「首賭けイチョウ」です。移植が困難とされるイチョウ。道路拡張で伐採されそうになったのを本田静六博士が「首に賭けて移植を成功させる」と進言し、1901年現在地に移植させたそうです。推定樹齢400年とか。近田文弘国立科学博物館名誉研究員から頂いた労作『東京名木探訪』(技術評論社)で知りました。ほかにも東京の標本木である靖国の桜や東博のユリノキ・浜離宮の「300年の松」などが近田先生の解説と川嶋隆義氏の写真で紹介されています。御著を贈って頂いてから名木を巡っています。老夫婦の運動に絶好です。ありがとうございます。

私も首を賭けて、国際貢献に命燃やしつづけます。活動は中国との相互理解を促進すると信じているからです。「灰はタクラマカン沙漠へ撒いて」と妻や中国の友人に依頼済みです。

食べ飲み出し寝る

日々ウロチョロ動いています。イライラつのることも多々。現役で働いておられる方ならもっと大変でしょう。ツイテいない日もあるでしょう、まぁ~笑って過ごしましょうよ。

以前に「笑って」と「働く」は書いたと思います。それに続けて心がけているのが「食べ飲み出し寝る」です。誰もがやっているごく普通のことですね。ほんわかほんわか。

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小僧落書き、背景はニヤ遺跡(撮影:筆者)

アホ小僧は人生を簡単にとらえるようにしています。食べることは生きる源泉、私の一日の最重要活動。朝食おえたばかりですが、夜ご飯は何にしようかと考えています。食事に飲物は必須、お茶かビールかシャンパンかはたまた日本酒。メシが一段と美味くなります。出すも重要ですね。知恵・金・汗…出すにもいろいろありますが、快便も大切。そして寝る。深呼吸してお念仏しながら。

笑って働き食べ飲み出し寝る、これが小僧の「生き方」。難しいこと考えたって、私にはできません。今日もグチを言いながら、ほんわかほんかやっています。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。