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国献男子ほんわか日記25 主張しつつ協調

国際協力実践家 小島康誉

今年は日中国交正常化45周年。2012年9月の沖縄尖閣諸島の国有化以来、ギクシャク関係を続けてきた日中関係。改善交渉が積み重ねられてきましたが、先月、本格改善へ大きく動き出しました。ご承知と存じますが、外交がどれほど困難かを再確認するために少し振り返ってみます。

2014年11月、北京の釣魚台国賓館で安倍晋三首相の側近の谷内正太郎国家安全保障局長と楊潔篪中国国務委員が「日中関係の改善に向けた話合い」を持ち、2年余りにわたり緊張状態が続いていた日中関係を打開すべく「双方認識4項目」で一致。ちなみにこの日、私は同じ国賓館で開催されていた「北京フォーラム」開会式に中国副首相や韓国・フランスの元首相らと参加していました。

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「北京フォーラム」で中国の発展ぶりを講演する劉延東副首相(撮影:筆者)

この「双方認識4項目」をうけ、3日後に、安倍首相と習近平主席が短時間ながら会談。15年5月、北京で「中日友好交流大会」が開催され、習主席が「中日友好の基盤は民間にある」と挨拶。11月、安倍首相は李克強首相と会談し「ハイレベル交流の重要性確認。防衛当局間の連絡メカニズム早期運用努力。東シナ海資源開発問題の協議再開」などで合意。

16年9月、安倍首相と習主席は3回目の会談。11月にも両首脳は会談し歩み寄りの機運。今年6月には安倍首相が日本経済にもプラスと「一帯一路」への一定の協力を表明。7月、安倍首相と習主席は5回目の会談。9月、北京で中国側主催「中日国交正常化45周年記念」式典が開催され、日本からは日中友好7団体の代表らが出席。9月27日には45周年を記念して、安倍首相と李首相が祝電を交換。

10月、衆議院総選挙で自民党が圧勝し、安倍首相続投。同月、中国共産党第19回大会が開催され、習総書記の続投が決定。そして先月11日、ベトナムで安倍首相と習主席が会談。2014年は「笑顔なし25分会談」でしたが、今回は「笑顔あり45分会談」。13日には李首相ともフィリピンで「笑顔会談」。といった経過です。

日中双方の努力の積み重ねですが、安倍首相と習主席の続投が決まったことも大きな要因ですね。相手側が実績のない新任では安定的な交渉が難しいからです。両首脳の決断で本格改善へカジが切られました。

一部メディアは「思惑にズレ」「領土問題に進展なし」などと両国主張が完全一致しなかったことが、さも問題かように取り上げています。完全一致しないのは当然のことです。それぞれの国家にはそれぞれの国益があり、立場が異なりますから完全一致することは外交ではありません。いやいや友人同士だって夫婦だって、意見が異なるのは普通のこと。

双方が「主張しつつ協調する」、それが外交。私のごとき一市民が実践してきた国際協力でも同じこと。言うべきことは言い、受け入れるべきは同意してきました。アチコチで講演させて頂く際も「主張しつつ協調」と話しています。日中関係が改善へ大きく動き出したことは、日本人・中国人が相手国で活動する困難も減少、喜んでいます。本号がアップされる頃は新疆ウルムチです。

命どう使う

区の無料健診で肺にカゲがあると言われ、CT撮影。結果は「問題ないでしょう。安心してください」と医師。「余命〇年と宣告されたほうが、ハッキリして良かった」と言ってしまいました。医師一瞬ビックリ!

受け継いだたったひとつの「命をどう使うか」をたえず求め実践してきました。しっかりと「使命感」を持ち、命を運び「運命」を自分で決めてきました。ほんわかほんわか。

人様から与えられた「生き方」ではありませんので、100%満足しています。時にはグチも言いますが・・・。ほんわかほんわか。

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小僧落書き、背景はキジル千仏洞の花たち(撮影:筆者)

ありがたいことに、このWebも検索いただく方が少しずつ増えているようです。掲載に尽力いただいているADC文化通信の皆様にも感謝します。友人らと痛飲した際、撮り鉄女子「写真がキレイ。機種は何ですか。バラエティー化したニュースも面白いが、時には外向きになれる“国献男子”も良い。難しいことは分からないけど、応援します」と。

カメラはSONYのCyber-shot DSC-TX66。お手軽価格で操作が簡単、ポケットに入る超薄型で気に入っています。素人にはこれで十分。今回のオマケの一枚は出会うと幸せになれるというドクターイエロー。雨の中36階からの撮影です。

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大井車両基地から“出勤”するドクターイエロー(撮影:筆者)

あと何年?はお任せですが、「あれを観よ深山の桜咲きにけり真心つくせ人知らずとも」と命燃やします。ドクターイエローならぬかかりつけドクターに通いつつ。ほんわかほんわか。皆々様、よろしくお願いしま~す。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。