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国献男子ほんわか日記28 恨み憎しみ乗り越えて

国際協力実践家 小島康誉

検索いただきありがとうございます。今年は日中平和友好条約締結40周年です。昨年が45周年で、今年が40周年?と思われる方もおられるかもしれませんが、昨年は1972年に日本と中国が国交を正常化してから45周年、今年は1978年に日中平和友好条約を締結して40周年というわけです。

その第一条に「主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し及び武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する」と記されています。

しかし現実は改善に向かいつつあるとはいえ、厳しさ続く日中関係。その主な原因が先の大戦にあることは言うまでもありません。恨み憎しみは中々消えません。

そんな一例として今年150周年を迎える戊辰戦争を見てみます。会津藩第9代藩主松平容保公(1836~93)は1862年幕府の命に家老らの猛反 対をおしきり、藩祖遺訓「将軍のことを一心忠節に励むべし」を守り、京都守護職となり、兵一千を率いて上洛、金戒光明寺に本陣。これで巷が静かになると都人は安堵し「会津肥後さま京都守護職つとめます内裏繁昌で公家安堵トコ世の中ようがんしょ」という俗謡が流行ったといいます。

孝明天皇の信任あつく宸翰を賜るほど尽力。しかし1867年大政奉還。翌年1月、鳥羽伏見の戦いで戊辰戦争に突入。朝廷は開戦二日目薩長軍優勢と見るや錦旗を授け、この瞬間に幕府側は朝敵・賊軍となり、将軍徳川慶喜は江戸へ敗走。戦いは関東、上越へ拡大。

奥羽越列藩同盟軍は新政府軍10万の前に各地とも利あらずと殆ど戦わず開城。戊辰戦争は会津に。会津側東軍は正規兵3,500のほか郷士・農民・町人隊や桑名・郡上・二本松など旧幕軍諸隊、会津中将お抱え新撰組など計約5,300、新政府側と兵力差は歴然。奮戦およばず会津若松城開城。時に1868年9月22日、降伏調印式が同日正午から城外の路上で行われました。

式場には約4.5m四方の赤絨毯が敷かれ、松平容保公が降伏文書に調印。会津藩士たちは逆賊の汚名をきせられた無念さを忘れないため、赤絨毯を小さく切り刻んで持ち帰り、後に「泣血氈(きゅうけつせん)」と呼ばれるようになりました。

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松平容保公墓碑・白虎隊士墓・中野竹子殉節像・新選組殉難地碑(撮影:筆者)

会津側東軍(戦死約3,000人)と新政府側西軍(会津では官軍といわない。戦死約200人)の墓地は別々に。写真は会津側戦死者の一部1,300 人が眠る阿弥陀寺の説明です。「会津藩戦死者の遺骸は、西軍の命で放置されたまま、さわることも許されませんでした。幾度もの嘆願で埋葬が許可されたのは、翌(明治)2年2月のことでした」と。

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阿弥陀寺の説明板(撮影:筆者)

幕府の命に従い、京都守護職となり、治安維持に尽力するも、賊軍となり、敗れ、遺体を暫くは埋葬することも許されず、不毛の地と言われた斗南に移封され…と会津側からすると無念につきるでしょう。会津と長州藩(現山口県)の確執は今も聞きます。ネット情報では会津では山口県民とは結婚しない、市長間の交流も避けられる、会津若松市と山口県萩市の友好都市計画も実現していない、山口県出身の安倍首相が会津若松での選挙応援演説で「先輩がご迷惑をかけたことをお詫びしなければならない」と話したとか…が流れています。

最近になり和解の動きも出ているようです。萩市が市民から募った東日本大震災義援金約2400万円を会津若松市に贈り、その後、会津若松市長が萩を訪れたそうです。昨年3月には「平成30年の明治戊辰・維新150年を目前にし、幕末時、日本の未来のためにそれぞれの道を邁進した山口・鹿児島・会津において、歴史に学び新しい時代への地域交流を深めるために萩山口信金・鹿児島相互信金・会津信金が広域交流覚書を締結」と発表されています。長州・薩摩・会津の動きは喜ばしいですね。

他にも井伊直弼暗殺で水戸と彦根、松の廊下事件で吉良と赤穂は仲がイマイチとか。恨み憎しみを乗り越えるには時間が必要ですね。戊辰戦争は箱館で最終戦となりますが、またの機会に書きたいと思います。

読売新聞(17.12.15)は「尖閣国有化前に回復」と、日本言論NPOと中国国際出版集団による「日中共同世論調査」を報道。それによると「日本で日中関係を悪いと思う人が昨年の71%から44%に減少し、中国人の日本好印象は昨年の21%から31%へ上昇」だそうです。安倍晋三首相と習近平主席の決断などで改善の動きが出ている日中関係、「平和友好」条約締結40周年の今年、私も相互理解促進へ微力を捧げます。

至誠に悖(もと)るなかりしか

数回前に先達の名言「あれを観よ深山の桜咲きにけり真心つくせ人知らずとも」を引用し、命を燃やすと書きました。同じ意味合いの言葉に「至誠に悖るなかりしか」があります。「徹底的誠実に恥じない生き方か」と問うています。旧海軍の五省の一項目です。

私は愚かな凡夫、時には外れることもあります。そんな時にこの「海軍五省」を唱え自戒しています。「至誠に悖るなかりしか。言行に恥づるなかりしか。気力に欠くるなかりしか。努力に憾(うら)みなかりしか。不精に亘(わた)るなかりしか」はこのPC前にも大学の研究室にも飾っています。朝晩お念仏とともに唱えています。ほんわかほんわか。

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小僧落書き、背景はパリ朝市(撮影:筆者)

唱えても実行は中々ですが、少しは近づくことが出来るような気になる小僧です。それで良いと思っています。ほんわかほんわか。

前号でNHK・BSプレミアム「シルクロード・壁画の道をゆく」好評、1月13日再放送、また30分版も1月31日(水)19:30から「シルクロード・壁画の道をゆく〈前編・敦煌莫高窟へ〉」、2月7日(水)19:30から「シルクロード・壁画の道をゆく〈後編・伝説の仏教王国へ〉」の予定。キジル千仏洞や西域のモナリザは後編。観ていただければありがたいです。そして文化財保護の重要性を感じ取っていただければ幸いです。

と、紹介しましたが、もうひとつ正月らしい嬉しい話を。私がアーティストデビュー。国際貢献で火の車の私を見かねて、人気急上昇中の親友オーストラリア人アーティストCampbell La Pun氏が「コラボしましょう」と温かい言葉。一昨年クリスティーズNYオークションにて5700万ドルで落札されたバスキアの作品を社長時代に3万ドルで買い付けたアートセンスを評価してくれての配慮。ほんわかほんわか。

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ちょっぴりビックリ!オマケの1枚:キャンベル・ラ・プン氏とのコラボ作品

そのコラボ作品を先月末サンフランシスコ在住アメリカ人女性がお買い上げ。ヤッタァ。ありがたいことです。値上がり必至(笑)、お金を増やしたい方で小僧の国際貢献を応援いただける方はネットでお求めくださいませ(笑)。ちなみに私のアーティストネームはMonk Campbell Camel Cosimaです。ほんわかほんわか。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。