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国献男子ほんわか日記35 国際貢献は「境」を越える

国際協力実践家 小島康誉

シルクロードの中心・新疆ウルムチへ来ています。新疆の「疆」は境という意味があります。私はここ新疆で国境という境を越え、民族の境を越え、宗教の境を越え、体制の境を越え、文化の境を越え活動してきました。

例えば体制や報道の違い、当地のテレビが「森友学園への土地売却資料が書き換えられた問題で、野党が安倍内閣総辞職を要求、支持率も下がっている」などと盛んに報道。一方「習近平国家主席を中心とする党方針を深く学ぼう」などと習氏を称える報道があふれています。ここへ来るまでの北京や天津にもそんな看板が至る所にありました。日本は支持より批判が注目され、中国は批判より団結が注目されと体制・報道・考え方がまったく異なります。

そんな「境」を乗り越えて活動してきました。「売名行為だ」と言われたこともあります。「大したことはやっていない、中国人はもっとやっている」と言われたこともあります。少しも気にしていません。言わば言え、少しでも役立てば本望です。一市民ですが、一人の人間として、細々とやってきました。大きな愛に境界はありません。中国語では「大愛無疆」。

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雪の残るウルムチと天山山脈(撮影:筆者)

到着以来、任華新疆ウイグル自治区副主席と会見、副主席による歓迎宴、王衛東新疆文物局局長・李軍副局長・于志勇新疆博物館館長・李文瑛新疆文物考古研究所所長・徐永明亀茲研究院院長らと「日中共同ニヤ遺跡学術調査30周年記念活動」やキジル千仏洞壁画共同研究再開・新テレビ番組制作など打合せ、アクスへ飛び也克力村の“訪恵聚”工作組・沙吉木汗記念館・幼稚園・民家を視察、衛利巴拉提新疆大学学長・孟凡麗副学長を表敬訪問、『邁向新時代・一帯一路譜新編』出版打合せ、朱俊新疆政府外事弁公室処長らとの交流・・・といった活動を続けています。TV番組打合せには永野浩史アジアドキュメンターセンター社長も合流。

当地に私の事務所が在るわけでなく新疆側の協力あればこそ出来ることです。双方が協力しあっての活動です。ありがたいことです。例えば、政府副主席 との会見は外交官でも大企業家でもなく一市民にすぎない者にとっては困難です。まして北京で全人代開催中の会見(03/19)はほぼ不可能、それが出来たのはこれまでの協力があればこそ。国際貢献させていただけた幸せに感謝するばかりです。

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園児たち「ニーハオ」と大声で出迎え(也克力村幼稚園にて撮影:筆者)

嬉しい出来事は也克力村でもありました。①王局長に伴われてアクスのこの村へ向かうウルムチ空港の書店で彼との共編『新疆世界文化遺産図鑑』が売られていました。店員さんに「我々の本だ」と言うと「エッ!」と。②村で出迎えてくれたウイグル男性「10数年前にベデル峠へ一緒した、異動になりここで仕事」と。③村の幼稚園で出迎えてくれたキルギス女性「25年ぐらい前に夫がニヤ遺跡調査を同行取材したことがある」と。④村を離れる際にウイグル男性2人「3年前に掘削してもらった農業用井戸はこの写真のように今も豊富な水を汲み上げていて、バイラ村農民は助かっている、伝えたく遠くからやって来た」と。嬉しいご縁です。こんなご縁はアチコチで。

これらは細々ながら「境」を越えて国際貢献をしてきたからです。2011年新疆政府主催「小島氏新疆来訪30周年記念活動」の一環で『大愛無疆』 (韓子勇新疆文化庁書記編・新疆美術撮影出版社)が出版されたほど。各方面の中国人がそれぞれの立場から私のことを記述。写真も多数。畏友・段躍中氏により日本語版『大きな愛に境界はない』(趙新利早稲田大学博士訳・日本僑報社2013)も出版されました。残された命、あと何日か何年かはお任せですが、ヤルだけです。明日は祖国・日本へ帰ります。(03/23記)

積極思考は幸せ思考

たった一度の人生。笑って生きるかグチを言って生きるか、その人次第ですね。小僧の私は毎日のようにグチを言いますが、すぐに「笑って笑って」と切り替えています。社長時代も今も、そして中国での各種活動でも同様です。「ほんわか日記」書かせていただき、更に前向きになっています。検索いただいた方が一瞬でも「このオッさんおかしな人だ、変だがこんな外向きの生き方があるのか」と思っていただければ嬉しい限りです。ほんわかほんわか。

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小僧落書き:背景はウルムチの街並み(撮影:筆者)

世の中、嬉しいことばかりです。今回も篤志家の御芳志をいただき航空運賃が助かりました。ありがたい限りです。嬉しいことがあふれる世の中「ありがとうありがとう」の積極思考が幸せを呼び込みますね。理不尽なこともあふれる世の中「イヤだイヤだ」の消極思考は不幸せを呼び込みますね。前向き×95% でGo!ほんわかほんわか。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。