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国献男子ほんわか日記61 歌舞伎で日米理解 祝ハワイ公演大成功!

国際協力実践家 小島康誉

世界無形文化遺産でもある歌舞伎が3月2日から8日までハワイで公演され大成功。「2019ホノルル歌舞伎~日系移民150周年事業~」(製作:松竹、会場:ハワイ大学ケネディシアター他、協賛:JTB他、後援:日本国総領事館他)は、八代目中村芝翫、四代目中村橋之助、三代目中村福之助、四代目中村歌之助の襲名記念特別公演として、人間国宝の鳥羽屋里長・鳥羽屋三右衛門両氏も出演して行われました。

このハワイ公演実行委員長で、立役者が長唄の名手である三代目鳥羽屋三右衛門さんです。鳥羽屋文五郎時代に銀座の名店「鮨からく」で知り合い、歌舞伎座「黒御簾」(くろみす)での熱演に感動し、実直な人柄に惚れています。

蛇足ながら「黒御簾」とは舞台の下手(向かって左側)にある黒い板で囲まれた小部屋をいい、役者の演技に合わせて、舞台効果を高める長唄が歌われたり、太鼓・鼓などが演奏されたりします。歌舞伎で役者ばかりを観るのでなく、「黒御簾」も注目するのが通。

三右衛門さんから数年前に「ハワイ公演を計画中」との熱情あふれた長文便りをいただくも国献金欠男子はお手伝いも出来ず、便りを仏様に供え成功を念 じていました。3月下旬、「大成功!」便りと共に現地の「NIKKAN SAN」「HAWAII Pacific Press」「Lighthouse Hawaii」が届きました。お疲れさまでした。おめでとうございます。

そこには「52年ぶり歌舞伎ハワイ公演大成功 4500人が鑑賞、日本文化理解に寄与」「日本人ハワイ移住150年祭のフィナーレ飾る」「開催、喝采で御座りまする!」「いざ到来!」「総領事がレセプション開催」などの見出しが躍っています。

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三右衛門さんから届いたハワイ公演を報じる現地紙(撮影:筆者)

中村芝翫親子による連獅子の上演に先立ち、三右衛門さんが「音で観る歌舞伎 黒御簾音楽演奏」と題して、音楽を中心に歌舞伎の楽しみ方を紹介。HAWAII Pacific Pressに「歌舞伎の歌は音楽、舞は俳優、伎は技能を表し、音楽と歌舞伎俳優の演技や景色が一つになる総合芸術。太鼓や三味線の音色、唄声を様々な場面 に合わせて変化させ、俳優の演技とともに完成させた。舞台下手にある黒御簾と呼ばれる場所から繰り出される音楽はオーケストラボックスの役割のようでもあ り、歌舞伎を鑑賞する大事な要素です」と。

お便りには「目的は150年前のハワイ日系移民追悼。歌舞伎公演を一演者が立ち上げるのは稀有であり、誰もが夢物語と笑っていたようです。今のハワ イで日本人が休暇を快適に過ごせるのは、日系移民のご苦労あればこそ、このことに気づき畏敬の念をもって向かわねばいけない。そんな私の強い執念に、皆さ ん根負けしたと笑いながら言って下さり実現できました。……300年前の芸名(鳥羽屋三右衛門)を継承したことで、遠い昔に想いを馳せることが日常になり ました。先人がいたからこそ今の世界があるのは有難い事、これが私の指針になりました。……日本文化を100年後の日本人が誇りをもてる世界にする」と喜 びと使命感が記されています。「鮨からくで祝杯を!」と連絡中です。

相互理解が難しい例として、日本と中国、日本と韓国があげられますが、先の大戦や基地問題など日米の相互理解も十分とはいえません。鳥羽屋三右衛門さんが実現された歌舞伎ハワイ公演は日米理解を促進したことでしょう。

77歳青春18念仏ほぼ日本縦断3091㎞

企業経営、僧侶、シルクロードでの世界的文化遺産保護研究、奨学金などの国際協力…と、ヘンテコ人生も77年。まさかこんなに「長生き」するとは思いもしませんでした。ありがたいことです。

オーストラリア人アーティスト夫妻と会食時、日本人妻から「バッグに入るので電車で読んでいる。その度に励まされ涙が出る」とありがたい言葉。念仏しながら80日間日本縦断した短文に、絵や写真を配した『念仏の道ヨチヨチと』(東方出版)です。10数年前の本を今も読んでいただいているなんて感謝感激雨霰!

そんな折、新橋の金券ショップ街をのぞいていたら期限切れ(4/10)迫る「青春18きっぷ」(JR全線普通・快速・自由席1日乗り放題・5回券) が350円安の11500円で売られていました。「これは良いぞ!今度は念仏唱えつつ電車で日本縦断しよう」とゲット。「日頃、足りない念仏に励め」と阿 弥陀様に呼びかけていただいたようです。

頭陀袋にお茶・パン・小型時刻表・カメラ・本などを詰め込み、3月25日05:10品川乗車。小田原・熱海・浜松・豊橋・大垣・米原・姫路・相生・ 糸崎で乗り継ぎ、岩国20:46安着。小声で念仏ほぼ続けて929㎞・15時間36分(乗り継ぎ時間ふくむ、以下も)。晴から曇。カレーで栄養補給し翌日 用パン&おにぎりを買い、駅近ビジホ投宿。小さな仏様を安置し十念。数十年ぶりに買った時刻表で翌日の時間チエック、風呂で腰を揉み、下着と足袋を洗濯し バタンキュー。ああ楽しからずや我が人生。

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仏様の右は時刻表を見るためのルーペ

翌日お勤め後07:17岩国乗車。下関・小倉・鳥栖・矢代・川内で乗り継ぎ、鹿児島中央19:22安着。念仏ほぼ続けた578㎞・12時間5分。終 日晴。なおJR最南端の西大山駅(無人駅)はこの先50㎞ほど、終電すでに無し。ということで南端まで行っていなのでタイトルを「ほぼ」日本縦断とした次第です。ビジホ投宿、仏様に十念。風呂で腰を揉み、洗濯。

運転手・車掌など鉄道会社の人たち、電車やレールを造った人たち、敷設した人たち、電車を動かす電力を発電した人たち、それらの原料を採掘し運搬し た人たち、それらの掘削機や貨物船などを造った人たち、それらを動かす石油……膨大な方々に世話になり、念仏電車ほぼ日本縦断の前半をつつがなく終えられ たことに感謝し、串焼き定食一人乾杯。翌27日貯まっていたマイルで羽田へ帰りました。帰宅後に時刻表を再確認、岩国05:00乗車していたら西大山まで 行けました。“鉄ちゃん”ならぬ不慣れ老人! 嗚呼ほんわかほんわか。

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矢代~川内間は第三セクターに追加割引料金必要

4月2日「新年度寒波・所により雪」の予報、列車立ち往生も想定し襦袢の下にシャツを着こみ、足袋草履を靴下長靴に替えて、04:33品川乗車。青 春18後半も仏様を奉持しての一人旅。上野・宇都宮・黒磯・新白河・郡山・福島・仙台・小牛田・一ノ関・盛岡・二戸・八戸で乗り継ぎ、青森20:11安 着。小声念仏ほぼ続けて746㎞・15時間38分。晴曇濃霧吹雪晴。ビジホ投宿、仏様に十念。牛丼を味わい翌日用パンを買い、時間チエック。風呂で腰を揉 み、洗濯し就寝。ああ面白からずや我が人生。

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松島あたりから雪

翌日、雷鳴で飛び起き。お勤め後08:24青森乗車。新青森・新函館北斗・森・長万部・東室蘭・白石・滝川で乗り継ぎ、旭川22:34安着。途中で 小声念仏が聞こえたかおばあさんからミカンをいただく、合掌。念仏ほぼ続けて579㎞・14時間15分。霧小雪晴。駅前に除雪の山。ラーメン定食。ビジホ 投宿、明日は最低マイナス6度と。仏様に十念。バスタブ無しシャワーのみ。今日もまた楽しからずや変人人生。

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森駅ホーム沖に明治天皇御上陸地記念碑、海鳥も表敬に

翌日お勤めはしょって06:03旭川乗車。稚内12:08安着ありがとう。念仏ほぼ続けた259㎞・6時間5分。晴雪チラチラ晴。駅前に除雪の山。 オマケ宗谷岬バス往復、岬で鹿児島までの自転車旅行準備中の若者に出会い、「頑張れ」とカンパ。バスタブ無しビジホで、仏様に四誓偈。四九日にあたり剃 髪。青春18きっぷ念仏ほぼ日本縦断ふりかえり、感謝コンビニ弁当一人乾杯。今日もまた嬉しからずや我が人生。長時間電車旅、疲れましたが、タクラマカン 沙漠駱駝旅に比べれば何ほどでも。翌5日マイルで羽田帰着。ほんわかほんわか。

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無事到着ありがとう×∞(以上5点撮影:筆者)

ぼんやりヨチヨチ感じたこと。①駅の合計598。一列車の最多は旭川~稚内51駅。日本は広い。②5日間3091㎞39本列車がトラブルなく運行さ れる日本水準に合掌。③一輌単独・二輌編成・ワンマン運転・無人駅も度々。1分乗り換えあり83分待ちあり、凄さに感動。④日本縦断が11500円+アル ファで出来ることに感謝。

⑤+アルファとは次の料金。新幹線開通でJR在来線から第三セクターへ代わった九州矢代~川内間は肥薩おれんじ鉄道、東北盛岡~目時の間はIGRい わて銀河鉄道、目時~八戸間は青い森鉄道へ別料金が必要。なおJR線が繋がっている秋田まわりの場合は不要。津軽海峡を鉄道で渡るには別料金でJR北海道 新幹線に乗らねばならない。合理化進む日本。

⑥所要時間は63時間39分(私の場合)、実際の乗車時間は52時間56分。差し引き10時間43分が待ち時間。地方の方々のご苦労を実感。

20年ほど昔、念仏しながら鹿児島佐多岬から北海道宗谷岬まで行脚して以来の日本縦断。“初期認知症”77歳にして青春18きっぷデビュー出来た幸 せ。日本と健康に感謝。「こんなことして何になる」と思われる方もおみえでしょう。何にもなりません。シルクロード新疆ウイグル自治区で国際貢献に全力投 球つづけるのも私、念仏つづけ時に読書し外を眺めての青春18列車旅も私。

青春18ドン行は、停まって停まって抜かされ抜かされ、これが良い。我が人生も気にしない気にしない。嗚呼ほんわかほんわか。 ※次回にあれこれ紹介します。検索ください。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。