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国献男子ほんわか日記62 良妻賢母か 賢妻良母か?

国際協力実践家 小島康誉

平成から令和へ。時代は動いています。私が国際貢献を続けている中国との関係でも大きな動きがありそう です。沖縄県尖閣諸島の国有化などで一触即発状態であった日中関係も両国政府や両国民の努力で改善が進んでいます。昨年の安倍晋三首相の訪中に続き、6月 には習近平国家主席の訪日が実現するようです。「第5の政治文書」の調印を期待します。

しかし、両国民間の相互理解は十分とはいえません。日本最大の中国情報サイト「Record China」に中国の新興メディア「日本通」の記事を紹介した「日本語はなぜ中国語と逆なのか?」が掲載されています。それによると「中国でも人気のある“名探偵コナン”の探偵は中国語では“偵探”となる。同じように日本語の運命・脅威・情熱・紹介・平和・言語・詐欺・敗戦・途中・救急・率直……は中国語では文字の前後が逆になる」と報じています。

さらに「中国では“賢妻良母”と言うが、日本では“良妻賢母”と言う。そこには“賢い妻”を求める中国人と、“良い妻”を求める日本人という考え方の違いが表れている」とあります。

これらは一例ですが、民族・歴史・体制・宗教などにより考え方は国によって様々。相互理解は難しいものです。世界一帯化激流の中にあって、お互いに相互理解促進の努力をしたいものですね。

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新元号「令和」報道を見入る方(4/2青春18旅の車中にて撮影:筆者)

新元号「令和」が中国で昨年10月に日本酒などの商品名として商標登録されていたとか。テレビ報道によると登録した人はいろんな字を組み合わせて 600ほど登録、販売する「商標ビジネス」をやっているとか。「令和」も8000人民元(約13万円)で販売されていると報じられています。日中間の“妙 な問題”になるのを避けるため、親友中国人に「買って」と依頼しました。買えるやら?

一方、「Record China」が「〈在日中国人のブログ〉私が知り合った、『2000年の神秘の国』を世に知らしめた日本の和尚」と題して、私の諸活動を写真入りで取り上げ。内面にも迫り、日中相互理解を促進する好記事と思います。検索くださいませ。</p

実行あるのみ77歳青春18ほぼ日本縦断

前回報告しました青春18きっぷで念仏しながらほぼ日本縦断を実行した際にヨチヨチ感じたことなどあれこれ記します。揺れるトイレ:乗りなれた新幹線に比べて、ドン行は横揺れ激しく、トイレも手すりをしっかり握って。直角座席:旭川発稚内行は二輌編成で出発、途中で「次の名寄駅で後車両は切り離します。稚内方面へ行かれる方は前方車両へお移りください」のアナウンス。慌てて移動、なんとリクライニング席、日本縦断5日目で初。それまではずーと直角座席、さらに通勤時間帯は席もなく、疲れます。

ダッシュ乗り換え:盛岡駅での乗り換えは7分。余 裕と思いきや車中で「離れている。乗り換え不便で有名」と聞き、階段駆け上がり、JR改札口を青春18きっぷで出て、エスカレーター駆け下り、駅ビル商店 街を駆け抜け、第三セクター鉄道改札へ、青春18示すも使用できず別料金で切符購入、ホームの列車に飛び乗り、発車。JRとレールは繋がっているのに。後 期高齢者にはシンドイ乗り換え。嗚呼ほんわかほんわか。

三社三様三セク:新幹線開通にともないJR在来線が第三セクターに。青春18の有効度に差あり。肥薩おれんじ鉄道は青春18示すと割引料金で乗車可、IGRいわて銀河鉄道は全くダメ、青い森鉄道は一部区間通過のみ有効。特殊携帯品テレカ:ガラケーもスマホも持たないじいさんは緊急連絡用にテレカを持参、と言っても公衆電話探すも大変な時代ですが。

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新青森駅のトイレの鏡で・終電のがした?旭川駅で翌朝まで過ごす人(撮影:筆者)

乗ろうJR北海道:日本縦断5日目旭川06:03出発、稚内12:08着。もう少しゆっくりと思われるかも。次の稚内行は12:31発。ドン行は一日2本のみです。私が乗った 列車もガラガラ。多くの駅が下の写真のような状態、無人駅、“秘境駅”。利用客一日1人あるかないかと。この宗谷本線は「自社単独では老朽土木構造物の更 新を含め『安全な鉄道サービス』を持続的に維持するための費用を確保できない線区」とJR北海道発表。風前の灯です。他の路線も殆どが大赤字のJR北海 道。北の大地を旅する方は多くても殆どは飛行機と観光バス。日本を守るためにも鉄道に乗ろう。企業努力は当然必要ですが、国家的対策が求められますね。

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JR安牛駅舎(撮影:筆者)

運賃分配は?:青春18で乗ったJRは北海道・東 日本・東海・西日本・九州の各社線。朝一の改札口で切符にスタンプを押してもらうだけで、乗り換え時に自動改札を通ることなく、出るときも見せるだけ。翌 朝の改札口で再びスタンプを押してもらいますが、最終的に切符を回収することもなく(回収する駅もあるとか)、手元に切符は残っています。各社線の利用距 離はJRでは分からないはず。各社間の運賃分配はどのように計算しているのでしょう?

初期認知症:マイルで羽田へ戻る鹿児島空港での一幕。土産を搭乗口のイスに置いて、あちこち見回っていたら、見知らぬ人が「先ほど置かれた土産、お忘れではありませんか」と親切な言葉。「認知症老人では?」と心配されたようです。青春18単独日本縦断ギネス最高齢:人生100年時代とか言われていますが、青春18で単独日本縦断した人の最高齢は何歳でしょう? ネットでもヒットしませんでした。90代?80代?

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小僧楽書:背景は鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群像」(撮影:筆者)

実行あるのみ:鹿児島中央駅前の「若き薩摩の群 像」に学びました。江戸幕府は海外渡航を禁止していました。幕末1865年、薩摩藩は使節3名・留学生15名・通訳1名の計19名を離島出張と称して全員 を変名で英国へ派遣。ロンドン大学などで知識や技術を習得。帰国し、初代東京帝室博物館(後の東京国立博物館)館長の町田久成・初代文部大臣の森有礼・ サッポロビール創立者の村橋久成・初代大阪商工会議所会頭の五代友厚・初代東京開成学校(現東京大学)校長の畠山義成などを輩出、明治日本発展に大きな業 績を残しました。失敗恐れずにとにかく実行あるのみですね。私は一庶民ですが国際協力に老残微力を尽くします。ほんわかほんわか。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。