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国献男子ほんわか日記72 彼岸はどこ? 悲願は日中相互理解

国際協力実践家 小島康誉

秋のお彼岸。秋分の日をはさんで一週間、今年は9月20~26日。秋分の日は「先祖を敬い、亡くなった 人々を偲ぶ日」として、制定された祝日ですね。ご先祖のお墓参りに出かけられた方も多いことでしょう。あるいはお部屋で、思い出の写真や品に語りかけられ た方もおられるでしょう。小僧も父・母・継母・継母・姉・姉・弟・ゆかりの方々に回向しました。

亡き弟の「hidesan(ひで)のタタタン鉄動画」 を久しぶりに開きました。「JR貨物西武鉄道30000系(スマイルトレイン)甲種輸送(8862レEF210-14)笠寺駅到着」「2014自衛隊機材 輸送復路(9863レ榴弾砲 FH70)JR貨物EF65-2083東海道本線天竜川駅」「第17回貨物フェスティバル広島車両所公開車体吊上げ実験EF210-108」…、素人では さっぱり分からない専門用語で、貨物列車動画が多数アップされていました。

最後の更新「ご報告 現在も入院治療中です」は「鉄活の師匠“石炭男”さんに見舞いにきて頂きましたが、無菌治療室のため入れず門前払いとなり、大変失礼しました。申し訳あり ません。本日は妻の月命日。天国への報告も兼ねて書いてみます。急性骨髄性白血病です」とあり、「…まだ先の長い治療が続くと思います。…皆さまのブログ を楽しく拝見させて頂き、明日に向かう希望を頂戴しました。ありがとうございます。ご覧いただき、ありがとうございます」で終わっています。

弟はその後、転院し骨髄移植をうけ、上記更新の9ヵ月後に旅立ちました。お世話になった“石炭男”さんはじめ皆様に兄として御礼申し上げます。小僧がお盆を前に青春18きっぷで念仏唱えつつ日本縦断したのも「撮り鉄」だった弟の導きかも。

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「2014.7.20列番不明JR東海さんの工臨列車(中央本線向け)名古屋駅7番線発車」、上記ブログより

「彼岸」は理想の地、悟りの地を指すようです。対する「此岸」はいろんな苦しみ悩みのある現実の地を指すようですね。誰もが「夢」「希望」「願い」「目標」に向かって日々格闘している娑婆世界の智慧として、描かれた苦しみ悩みのない安らぎ地が「彼岸」です。

小僧にも「彼岸」があります。「悲願」があります。長年ギクシャク山谷を繰り返してきた日中関係にあって、日本人と中国人の相互理解を少しでも促進 することです。キジル千仏洞修復保存・ニヤ遺跡調査・ダンダンウイリク遺跡調査・同壁画保護・新疆大学奨学金・新疆文化文物優秀賞・児童育英金・代表団派 遣・招聘・各種の寄付や仲介など国際協力を37年間実践してきました。細々ながら。

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日本最大の中国情報サイトRecord China(19.08.30)が中国・環球時報を引用し「国慶節の大型連休(10.01~07)海外旅行先1位日本・2位タイ・3位イタリア・4位ロシア・5位アメリカ…」と報じています。旅行をつうじて相互理解が進むことでしょう。

中国内の旅行人気都市は「1位蘭州・2位西寧・3位ウルムチ・4位エジン(内モンゴル自治区)・5位北京…」と記事はつづけています。新疆の区都ウルムチが3位、新疆ウイグル自治区政府の文化顧問として嬉しい話です。

小僧にとって、「悲願」を実践すること自体が「彼岸」です。今ここ「此岸」が「極楽」です。日中関係は改善が進みつつありますがマダマダ。日中相互 理解促進を「彼岸」「悲願」として、これからも庶民ながら微力を捧げます。ご指導ご協力お願いします。9月中旬の新疆国際協力訪問は次回ご報告、ひきつづ き検索いただければ幸いです。

もう一度

この拙いWebを検索いただきありがとうございます。テレビ番組制作など多忙の中、掲載いただいているADC文化通信の皆様にも感謝します。

これまでの中には、好評な回もあれば、不評回もありました。写真も同様です。不評だったのは第45回の品川新駅の写真です。足場で囲われ、暗くてよく分からないと。申し訳ないことです。当時、募集されていた駅名はその後、「高輪ゲートウェイ」と発表されました。カタカナ入りが不評とかで、変更を求める署名が5万人近く集まったとか。世の中イロイロですね。

写真不評を挽回すべく、二度三度と出かけ撮影してきました。当然ながら線路内には入れませんので、遠くからの撮影です。前回撮影時から1年余経過し、外観はほぼ出来上がっていました。暫定開業は来春とか、楽しみですね。

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国道15号線(旧東海道)からの「高輪ゲートウェイ駅」(撮影:筆者)

小僧の人生は「もう一度」精神でやってきました。順調は珍しいことで、不順が普通。そんな時には「もう一度」とチャレンジしてきました。これからもボチボチもう一度、もう一度。ほんわかほんわか。

 

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。