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アートへの招待42 仏教文化の豊かさを伝える2企画展
文化ジャーナリスト 白鳥正夫信仰の対象として造られた仏像は、美の対象として美術・博物館でしばしば鑑賞できる。とりわけ2009年に東京と九州両国立博物館で開催された「国宝 阿修羅展」には、166万人もの入場者があった。仏像以外にも、仏画をはじめ経典や典籍、曼荼羅や密教工芸、寺院建築なども美術的に優れていて、日本の仏教文化の豊かさを誇示するものだ。今回は仏教美術品を鑑賞する2つの企画展を取り上げる。京都名刹の寺宝を一挙公開の開創1150年記念「醍醐寺 国宝展」が大阪中之島美術館で8月25日まで開催中だ。一方、滋賀のMIHO ⅯUSEUMでは、奈良各地の寺院に祀られ、今なお信仰の対象とされる仏像を一堂に展観する夏季特別展「奈良大和路のみほとけ―令和古寺巡礼―」が9月1日まで開かれている。同じMIHO ⅯUSEUMで夏季・秋季特別陳列「ムレイハ MLEIHA 古代アラビア海洋キャラバン王国 シャ-ルジャの遺宝」も12月15日まで併催されているので紹介する。
大阪中之島美術館の開創1150年記念「醍醐寺 国宝展」
大阪で初、国宝14件、重文47件一挙公開
京都伏見区にある醍醐寺は、真言宗醍醐派の総本山で、京都市街の南東に広がる醍醐山(笠取山)に200万坪以上の広大な境内を持つ大寺院。国宝や重要文化財を含む約15万点の寺宝を所蔵しているが、大阪では初めての展覧会だ。国宝14件、重要文化財47件など計約90件の宝物が大規模に出品されている。
豊臣秀吉による「醍醐の花見」が行われた地として知られる醍醐寺は、平安時代前期の貞観16年(874年)に、空海(弘法大師)の孫弟子にあたる理源(りげん)師聖宝(しょうぼう)によって開創された。会場に入ってすぐ吉野右京種久作の《理源大師坐像》(江戸時代、通期)が鎮座している。
《理源大師坐像》吉野右京種久作(江戸時代 延宝2年‣1674年、通期)
醍醐寺は開創以降、真言密教の拠点寺院として、歴代の皇族や公家、武家の信仰を集め歴史の表舞台において重要な役割を果たす。醍醐山山上(上醍醐)と山裾(下醍醐)の二つの伽藍からなり、山の寺としての性格を持ち、国家安泰や祈雨など種々の祈願の場として、また江戸時代初期からは修験道の拠点寺院として発展してきた。
展覧会の見どころの第一は、7万点以上の国宝を所蔵する醍醐寺の中でも、京都府で現存最古の木造建造物である国宝「五重塔」は、平安時代の天暦5年(951年)に建立された。醍醐天皇の冥福を祈るため、朱雀天皇が起工し、村上天皇の代に完成した塔の内部には、両界曼荼羅図の壁画が残り、国宝《五重塔初重壁画両界曼荼羅図 旧連子窓羽目板断片》が半期ずつ展示される。
《豊臣秀吉像》(江戸時代 18世紀、通期)画像提供:奈良国立博物館
第二は豊臣秀吉が愛した醍醐寺に焦点を当てている。秀吉は応仁の乱で荒廃した醍醐寺の復興を強力にサポート。秀吉が主催した「醍醐の花見」はまさに絢爛豪華だった。秀吉の肖像画《豊臣秀吉像》(江戸時代、通期)や、重要文化財・俵屋宗達筆の重要文化財《舞楽図屏風(江戸時代、後期)》をはじめ、華やかな近世文化の展示も充実している。
重要文化財《舞楽図屏風》俵屋宗達筆、左隻(江戸時代17世紀、後期)画像提供:奈良国立博物館館
重要文化財《舞楽図屏風》俵屋宗達筆、右隻(江戸時代17世紀、後期)画像提供:奈良国立博物館
第三にミステリアスな密教世界を体感できるコーナーや、新テクノロジ一を駆使した未来型関連展示・イベントも。醍醐寺の法要により魂が吹き込まれた、落合陽一氏による作品「オブジェクト指向菩薩」の展示や、慶應SFCの先端技術を応用したデジタル曼荼羅ライブもある。
展示構成の概要と主な展示品について、プレスリリースを参考に掲載する。なお会期中、前期(~7月21日)と後期(7月24日~)で展示替えがある。
第1章は「山の寺 醍醐寺」。醍醐寺は醍醐山の頂上にある上醍醐と、山麓の下醍醐に広大な寺領を有しているものの、多くの参詣者は下醍醐までで、上醍醐まで登る人は少ない。しかし、本来醍醐寺の始まりは上醍醐にある。理源大師聖宝が笠取山の山頂に草庵を結び、准胝(じゅんてい)観音と如意輪観音をまつったのが始まりである。
やがて醍醐寺は醍醐天皇の御願寺となり、天皇の庇護のもと上醍醐に薬師堂や五大堂が建立された。薬師堂には今日に伝わる薬師三尊像をはじめ、重要文化財の《吉祥天立像》(平安時代、通期)や、帝釈天騎象像などがまつられた。また
重要文化財《吉祥天立像》(平安時代 12世紀、通期)
五大堂の五大明王像は四躯が江戸時代に再興されたものであるが、重要文化財の《大威徳明王像》(平安時代、通期)は創建期の像であり、創建期に遡る初期密教像として貴重。同じく重要文化財の《如意輪観音坐像》(平安時代、通期)も出品されている。
重要文化財《大威徳明王像》上醍醐五大堂五大明王像のうち(平安時代10世紀、通期)
重要文化財《如意輪観音坐像》(平安時代 10世紀、通期)画像提供:奈良国立博物館
延長4年(926年)には、下醍醐に釈迦堂が建立され、天暦5年(951年)に五重塔が建立された。こうして醍醐寺は上醍醐と下醍醐の二伽藍からなる大伽藍となった。上醍醐は開祖聖の聖地として信仰を集めてきた。ところが室町時代の文明2年(1470年)、下醍醐は兵火で五重塔を残して灰煽に帰す。しかし上醍醐には兵火が及ばなかった。
続く第2章は「密教修法(すほう)のセンター」。古来、人々は国の安泰や五穀豊穣、あるいは健康や家内安全など、さまざまな願いを仏に祈ってきた。とりわけ密教の修法(加持・祈祷の作法)は種々の願いに対応する多様性を有しているが、同じ修法でも寺院や流派によって作法が異なり、独自の秘法は門外不出とされることが多かった。
平安時代から鎌倉時代にかけて、醍醐寺には高名な学僧や験力の強い僧侶を輩出し、あたかも密教修法の研究センターとでも称すべき観があった。彼らは自流のみならず他流の情報も集め、詳細な記録に残した。また、修法の本尊を描くための設計図である「図像」も熱心に収集した。醍醐寺には、2013年に6万9378点に及ぶ文書聖教が国宝に指定されているが、これらは僧侶たちの数世紀にわたる研究の集積である。
重要文化財《不動明王坐像》快慶作(鎌倉時代 建仁3年、通期)画像提供:奈良国立博物館
この章では、快慶作の重要文化財《不動明王坐像》(鎌倉時代、通期)や、重要文化財の《金剛夜叉明王像》(平安時代、前期)、国宝の《文殊渡海図》(鎌倉時代、前期)、さらに仏像や仏画が並ぶ。皇族や貴族の信仰を集めた醍醐寺の美術品は、一流の仏師や絵師の手になるものが多い。
重要文化財《金剛夜叉明王像》(平安時代 12世紀、前期)画像提供:奈良国立博物館
国宝《文殊渡海図》(鎌倉時代 13世紀、前期) 画像提供:奈良国立博物館
第3章は「桃山文化の担い手」。兵火によって五重塔を残して灰燼に帰した醍醐寺復興に尽力したのが天正4年(1576年)に醍醐寺座主となった義演である。義演は関白二条晴良を父に持ち、天正13年(1585年)に本来皇族に与えられる称号の准三后となった人物である。復興は豊臣秀吉によるところが大きいが、義演は秀吉とも渡り合える出自と度量をあわせ持っていた。
《金天目及び金天目台》(安土桃山時代 16世紀、通期)画像提供:奈良国立博物館
秀吉は慶長3年(1598年)に贅を極めた「醍醐の花見」を行ったように、醍醐寺に対して特別な想いを持っていた。秀吉の死後も北政所をはじめとした豊臣氏による復興は続き、金堂、仁王門、上醍醐の諸堂が再興された。ここでは《豊臣秀吉像》のほか、《金天目及び金天目台》(安土桃山時代、通期)や、重要文化財の《金剛夜叉明王立像》上醍醐五大堂五大明王像のうち(頭部:鎌倉時代、体部:江戸時代、通期)が出品されている。
重要文化財《金剛夜叉明王立像》上醍醐五大堂五大明王像のうち(頭部:鎌倉時代13世紀、体部:江戸時代 慶長10年‣1605年、通期)
醍醐寺は徳川の世になっても醍醐寺に対する庇護は続き、堂宇や仏像の復興が行われた。この章には、三宝院の長谷川派の襖絵をはじめ、俵屋宗達の《舞楽図屏風や、生駒等寿筆による《松桜幔幕図屏風》(江戸時代、前期)、扇面散図屏風など近世の名画が数多く伝わっている。
《松桜幔幕図屏風》生駒等寿筆(江戸時代 17世紀、前期)
当時、修験道は当山派(真言宗系)と本山派(天台宗系)などのニ派に分かれ、互いに勢力を競っていた。慶長16年(1611年)、徳川家康は醍醐寺三宝院に属する修験を当山派と称することを許可し、真言宗の修験道の本寺と認めた。これにより、醍醐寺は全国霊山で行われていた真言系の修験道を統括する寺院となった。
重要文化財《金銅三角五輪塔》(鎌倉時代 12世紀、兵庫・浄土寺蔵、通期)=左と、《三角五輪塔》(江戸時代 17~19世紀、通期)の展示
今回の展覧会では、3つの章に加えて、醍醐寺の特徴を紹介するコーナー展示「秘法継承」「密教法具一神秘の造形」「修験の寺」「引き継がれる聖宝の教え一顕密兼学の精神」「醒醐寺の近代・現代美術」を設けて、分かりやすい展示となっている。「密教法具」のコーナーには、《三角五輪塔》なども出品されている。
第3章の展示風景
MIHOMUSEUMの夏季特別展「奈良大和路のみほとけ―令和古寺巡礼―」
歴史の重みと安らぎ、奈良の古寺巡礼の趣
こちらは京都の醍醐寺より古く、1400年もの昔から数多くの寺院が建立された奈良大和路に伝わる「みほとけ」がテーマの展覧会だ。奈良を愛した写真家・入江泰吉の作品と、斑鳩、西ノ京、春日、飛鳥、當麻などの地域ごとに奈良大和路を舞台 にした文学を交えて展示するユニークな企画展で、あたかも奈良を巡礼するかのようなイメージで楽しめる。
今回の展覧会には、法隆寺、東大寺、薬師寺、唐招提寺、大安寺、西大寺をはじめとする古寺から、会期中に国宝5点、重要文化財10点、重要美術品3点、奈良県・市指定文化財5点を含む仏像、絵画、工芸品、歴史・考古資料など約50点が出品される。
古事記に「大和は国のまほろば」とうたわれた奈良。はるか1500年以上も前の6世紀頃から古代の都が置かれ、国家の基礎づくりが始まった。文化の面では、飛鳥・白鳳・天平の大輪の文化の花が開く。その柱となったのが、大陸から渡来した仏教だ。本展では奈良各地の寺院に祀られ、今なお信仰の対象とされる仏像 一堂に展観、 歴史の重みや心の安らぎを感じながら鑑賞できる。
国宝《観音菩薩立像(夢違観音)》(飛鳥~奈良時代 7‐8世紀、法隆寺蔵、7月6日‐8月4日 展示)画像提供:奈良国立博物館
国宝《聖観世音菩薩立像》(飛鳥~奈良時代 7‐8世紀、薬師寺蔵、通期)画像提供:奈良国立博物館
主な展示品を画像とともに取り上げる。いずれも国宝の《観音菩薩立像(夢違観音)》(飛鳥~奈良時代、法隆寺蔵、7月6日‐8月4日 展示)は、悪い夢を良い夢にかえてくれるという、ありがたい「みほとけ」にふさわしく、柔和な表情だ。《聖観世音菩薩立像》(飛鳥~奈良時代、薬師寺蔵、通期)は、若々しい立ち姿を360度の角度から鑑賞できる。《弥勒仏坐像》(平安時代、東大寺蔵、7月6日‐7月21日展示)は、40センチにも満たない小像ながら、像容や纏った法衣など堂々とした大きさを感じさせる。
国宝《弥勒仏坐像》(平安時代 9世紀、東大寺蔵、7月6日‐7月21日展示)画像提供:奈良国立博物館
さらに重要文化財の《文殊菩薩立像》法隆寺六観音のうち(飛鳥時代、法隆寺蔵)、重要文化財の《馬頭観音菩薩立像》(奈良時代、大安寺蔵、8月6日‐9月1日展示)、重要文化財の《持国天立像》(平安時代、MIHO MUSEUM蔵、7月6日‐8月4日展示)、
重要文化財《文殊菩薩立像》法隆寺六観音のうち(飛鳥時代 7世紀、法隆寺蔵)画像提供:奈良国立博物館
重要文化財《馬頭観音菩薩立像》(奈良時代 7世紀、大安寺蔵、8月6日‐9月1日展示)撮影:山崎兼慈
重要文化財《持国天立像》(平安時代 11‐12世紀代、MIHO MUSEUM蔵、7月6日‐8月4日展示)
《天部形立像(伝帝釈天)》(平安時代、唐招提寺蔵、通期)、奈良県指定文化財の《密教法具》(鎌倉時代)なども注目される。
《天部形立像(伝帝釈天)》(平安時代、唐招提寺蔵、通期)画像提供:龍谷ミュージアム
奈良県指定文化財《密教法具》(鎌倉時代 13‐14世紀、西大寺蔵)画像提供:奈良国立博物館
このほか、国宝の《金銅天蓋付属飛天(横笛)》(飛鳥時代、法隆寺蔵)や、《聖徳太子立像(南無仏太子)》(鎌倉時代、法起寺蔵)、《中将姫坐像》(江戸時代、當麻寺)など、豊富な内容で見ごたえがある。
国宝《金銅天蓋付属飛天(横笛)》(飛鳥時代 7世紀、法隆寺蔵)
《聖徳太子立像(南無仏太子)》(鎌倉時代 14世紀、法起寺蔵)
《中将姫坐像》(江戸時代 17世紀、當麻寺蔵)
MIHO ⅯUSEUMの夏季・秋季特別陳列「ムレイハ MLEIHA 古代アラビア海洋キャラバン王国 シャ-ルジャの遺宝」
見知らぬ国の知られざる文化財100点
シャ-ルジャとは初めて聞く国だ。U.A.Eつまりアラブ首長国連邦を構成する7つの首長国の一つで、人口180万人、領土は2590平方キロあり、連邦で3番目に大きな国という。オマーン半島の中央部に位置する。西はアラビア湾、東はインド洋につながる。統治者は文化活動に積極的で、16の博物館を有する。
2015年、シャールジャ首長国のムレイハ遺跡から発見された出土品は、ここが恐らく首都であった紀元前3世紀に遡るヘレニズム時代オマーン王国の存在を確認させるものだった。
《動物文様鉢》(前3世紀、ムレイハ)
《銀壺と銀貨》2021年発掘(前3-前1世紀、ムレイハ)
《首飾》2024年発掘(1世紀、ハムダ)
ここからは王宮、城壁、住宅、墓地が発掘されており、出土品にはエジプト、ギリシア、ローマ、パルティア、中央アジア、インド文化などの影響が見られる。この古代王国は紀元4世紀に急に姿を消したが、後世に古代の海洋交流について物語る豊富な考古資料を遺した。
出土した日常の生活用用具の展示風景
今回の展示は、シャールジャ首長国の首長で、アラブ首長国連邦最高評議会議員でもある シェイク・ドクター・スルタン・ビン「・ムハンマド・アル・カシミ殿下の厚意で実現したという。近年新たに発見された作品を中心に100点余りで構成されている。見知らぬ国の知られざる文化財を鑑賞するのも、展覧会の醍醐味だ。