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アートへの招待44 美術の秋を満喫、「TRIO」展と「デ・キリコ」展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

残暑が続くが季節は移ろい、美術の秋を迎えている。この時期、大阪中之島美術館の開館3周年記念特別展「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」には、開催館と、パリ市立近代美術館、東京国立近代美術が誇る豊かなモダンアートのコレクションの名品が集結している。神戸市立博物館では、デ・キリコの約70年にわたる画業をかつてない規模で回顧した特別展「デ・キリコ展」が開かれている。いずれも12月8日までのロングラン開催なので、この機会に美術の秋を満喫してはいかがだろう。

大阪中之島美術館の開館3周年記念特別展の
「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」

ピカソ、ローランサン、藤田嗣治、佐伯祐三ら総勢110作家の約150点を一堂に比較展示

まずタイトルの「トリオ展」とは。パリ・東京・大阪の3館のコレクションの中から、共通点のある3作品を、“トリオ”として並べて展示。アート初心者もアートファンも、見て、比べて、話して楽しい、これまでにないユニークな展覧会構成となっている。

見どころは、 パリ、東京、大阪の個性的な3都市を代表する3つの美術館による共同企画である。3館の学芸員が1年以上かけて議論し、主題やモチーフ、色や形、素材、作品が生まれた背景など、自由な発想で34のトリオを組み、コレクションからぴったりの作品をセレクトしている。

ピカソ、ローランサン、バスキア、藤田嗣治、佐伯祐三、草間彌生…… モダンアートを代表する巨匠から現代に活躍するアーティストまで、総勢110作家、約150作品が一堂に並ぶ。このうち32点が初来日という。

横たわる女性を描いたマティス、萬鉄五郎、モディリアーニがトリオになり、バスキアと佐伯のストリートアート対決、藤田とローランサンの女神競演、さらにピカソと萬のキュビスム作などを比較展示するユニークな見せ方で、モダンアートの新しい魅力を引き出している。

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トリオ「モデルたちのパワー」の展示風景

展示の主なテーマと出品作品を画像とともに取り上げる。展覧会の冒頭を飾るのは、「コレクションのはじまり」で、パリからは、1961年の開館の契機を作ったジラルダン博士の遺贈品より、20世紀前半の抽象美術をけん引したフランス人画家、ロベール・ドローネーの裸婦《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(1915年、パリ市立近代美術館)が出品されている。

東京からは、最初の購入作品の一つ、日本近代を代表する洋画家、安井曽太郎の肖像画である《金蓉(1934年、東京国立近代美術館)、大阪からは、美術館構想のきっかけとなった実業家、山本發次郎の旧蔵品より、大阪市出身の佐伯祐三の代表作《郵便配達夫》(1928年、大阪中之島美術館)で、これらは、椅子に座る一人の人物像という点でも共通している。

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ロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(1915年、パリ市立近代美術館) photo: Paris Musées / Musée d ’Art Moderne de Paris

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安井曽太郎《金蓉》(1934年、東京国立近代美術館)

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佐伯祐三《郵便配達夫》(1928年、大阪中之島美術館)

次に「現実と非現実のあわい」。このトリオは、いずれも過去の絵画を参照し、画家が自らの分身のような存在を描き込むことで、現実と非現実のあわいを出現させているという点で共通している。

ヴィクトル・ブローネルは、かつてアンリ・ルソーが住んだペレル通り2番地2に引っ越したことから、ルソーの《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館)に、自らが生み出した、巨大な頭部と2つの身体、6本の腕を持つ《ペレル通り2番地2の出会い》(1946年、パリ市立近代美術館)を描いた。

ルネ・マグリットはしばしば描いた山高帽の男の背に、ボッティチェリの《春》(1482年頃、ウフィツィ美術館)の花の女神フローラを重ねた《レディ・メイドの花束》(1957年、大阪中之島美術館)を描く。

有元利夫はピエロ・デッラ・フランチェスカら初期ルネサンスのフレスコ画に魅せられ、他の多くの作品にもみられる古典的な女性が中央に鎮座し、非現実的でありながら懐かしさを漂わせる《室内楽》(1980年、東京国立近代美術館)を制作した。

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ヴィクトル・ブローネル《ペレル通り2番地2の出会い》(1946年、パリ市立近代美術館) photo : Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris

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ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》(1957年、大阪中之島美術館)

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有元利夫《室内楽》(1980年、東京国立近代美術館)

「モデルたちのパワー」では、大胆にくつろいだポーズで、思い思いに寝そべるモデルたちがテーマ。西洋絵画の歴史の中で脈々と続いてきた横たわる女性像は、理想美を体現し、男性に見られる対象として、しばしば無防備な姿で描かれてきた。

挑発するようにこちらを見つめるアメデオ・モディリアーニの裸婦《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917年、大阪中之島美術館)をはじめ、寝ころんでこちらを見おろす重要文化財である萬鉄五郎の《裸体美人》(1912年、東京国立近代美術館、11月22日まで展示)、そして見られることにまるで無頓着なアンリ・マティスの《椅子にもたれるオダリスク》(1928年、パリ市立近代美術館)の3作品には、私たちの視線を跳ね返し、彼女たちそれぞれの美を誇るようなパワーがみなぎっている。

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アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917年、大阪中之島美術館)

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萬鉄五郎《裸体美人》重要文化財(1912年、東京国立近代美術館)

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アンリ・マティス《椅子にもたれるオダリスク》(1928年、パリ市立近代美術館) photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris

このほか、さまざまな切り口で3館の代表作を比較展示しているが、ラウル・デュフィの《電気の精》(1953年、パリ市立近代美術館)の10点組大作をはじめ、ロベール・ドアノーの《ポン・デ・ザールのフォックス・テリア》(1953年、パリ市立近代美術館)、パウル・クレーの《黄色の中の思考》(1937年、東京国立近代美術館)、倉俣史朗の《Miss Blanche(ミス・ブランチ)》(デザイン1988年 製作1989年、大阪中之島美術館)、ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)の《植物のトルソ》(1959年、大阪中之島美術館)など、注目作品が出品されている。

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ラウル・デュフィの《電気の精》(1953年、パリ市立近代美術館)

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ロベール・ドアノー《ポン・デ・ザールのフォックス・テリア》(1953年、パリ市立近代美術館)photo: Paris Musées/Musée d’Art Moderne de Paris

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パウル・クレー《黄色の中の思考》(1937年、東京国立近代美術館)

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倉俣史朗《Miss Blanche(ミス・ブランチ)》(デザイン1988年 製作1989年、大阪中之島美術館)

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ジャン・アルプ(ハンス・アルプ)《植物のトルソ》(1959年、大阪中之島美術館)

神戸市立博物館の特別展「デ・キリコ展」

巨匠の70年以上にわたる画業を初期から晩年の100点以上の作品を通じ全体像に迫り表現力を追求

デ・キリコの名はよく耳にしていたが、その作品は大原美術館で所蔵品を見た記憶がある程度だった。それもそのはず関西では20年ぶりの大回顧展だ。20世紀を代表する巨匠の70年以上にわたる画業を100点以上の作品を通じて、デ・キリコ芸術の全体像に迫り、その唯一無二の表現力を堪能できるまたとない機会である。

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「デ・キリコ展」の展示風景

ジョルジョ・デ・キリコ(1888-1978)は、イタリア人の両親のもと、ギリシャのヴォロスで誕生。父の死後、母、弟とともにミュンヘンに移り、そこでフリードリヒ・ニーチェの哲学や、アルノルト・ベックリン、マックス・クリンガーらの作品に触れ、大きな影響を受ける。

1910年頃から、簡潔明瞭な構成で広場や室内を描きながらも、歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって、日常の奥に潜む非日常を表した絵画を描き始める。後に自ら「形而上絵画」と名付けた作品群は、詩人で美術評論家のギヨーム・アポリネールの目に留まり、彼を介してシュルレアリストをはじめとした前衛画家たちに、大きな影響を与えていく。

1919年以降は伝統的な絵画へ興味を抱くようになり、古典的な主題や技法を用いた作品を手がけるようになる。そうして、1920年代半ば以降はシュルレアリストたちと険悪な関係になり、他の前衛的な芸術家や批評家に対しても厳しい態度をとる。

一方で、過去に描いた「形而上(けいじじょう)絵画」の再制作や、「新形而上絵画」と呼ばれる新たな作品も生み出す。こうした過去作の再制作や引用は、ときに「贋作」として非難されたが、ポップアートの旗手アンディ・ウォーホルは、複製や反復という概念を創作に取り入れたデ・キリコをポップアートの先駆けと見なして高く評価した。90歳で亡くなるまで己の才能を信じて精力的に創作を続け、絵画や彫刻、挿絵、舞台美術など幅広く、数多くの作品を残している。

プレスリリースを参考に、展覧会の構成と主な出品作品を取り上げる。

第一章は「自画像・肖像画」で、デ・キリコが生涯にわたって描いた自画像は、自らの画家としての立場を表明する重要な主題だった。自画像の中で彼は、古風な出で立ちで自己を演出するばかりではなく、西洋絵画の伝統的なマチエールを意識した表現技法を披露している。《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》(1959年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)、《弟の肖像》(1910年、ベルリン国立美術館)などが並ぶ。

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デ・キリコ《17世紀の衣装をまとった公園での自画像》(1959年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C) Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《弟の肖像》(1910年、ベルリン国立美術館) (C) Photo Scala, Firenze / bpk, Bildagentur fuer Kunst, Kultur und Geschichte, Berlin (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第二章は「形而上絵画」。デ・キリコは1910年代に歪んだ遠近法や脈絡のないモティーフの配置、幻想的な雰囲気によって日常の奥に潜む非日常や神秘、謎を表した革新的な絵画を描き始める。ニーチェの哲学に影響を受けたその作品群に、後に自ら「形而上絵画」と名付けた。

この章では、《バラ色の塔のあるイタリア広場》(1934年頃、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館[L.F.コレクションより長期貸与])や、《イタリア広場(詩人の記念碑)》(1969年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)、《福音書的な静物Ⅰ》(1916年、大阪中之島美術館)、《予言者》(1914-15年、ニューヨーク近代美術館[James Thrall Soby Bequest])などが出品されている。

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デ・キリコ《バラ色の塔のあるイタリア広場》(1934年頃、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館[L.F.コレクションより長期貸与])(C) Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《イタリア広場(詩人の記念碑)》(1969年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C)Giorgio de Chiric

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デ・キリコ《福音書的な静物Ⅰ》(1916年、大阪中之島美術館) (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《予言者》(1914-15年、ニューヨーク近代美術館[James Thrall Soby Bequest]) (C)Digital image, The Museum of Modern Art, New York / Scala, Firenze (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第三章の「1920年代の展開」では、1920年代、デ・キリコが従来のマヌカンに加え、「室内風景と谷間の家具」や「剣闘士」などの新たな主題にも取り組む。海や 神殿、山々など、本来は外にあるはずのものが天井の低い部屋の中に表現される。逆に屋内にあるべき家具が外に置かれており、ちぐはぐで不穏なイメージを作り出している。ここでは《緑の雨戸のある家》(1925-26年、個人蔵)、《谷間の家具》(1927年、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館[L.F.コレクションより長期貸与])などが展示されている。

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デ・キリコ《緑の雨戸のある家》(1925-26年、個人蔵)(C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《谷間の家具》(1927年、トレント・エ・ロヴェレート近現代美術館[L.F.コレクションより長期貸与])(C)Archivio Fotografico e Mediateca Mart (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

第四章は「伝統的な絵画への回帰:『秩序への回帰』から『ネオ・バロック』へ」。デ・キリコは1920年ごろから、ティツィアーノやラファエロ、デューラーといったルネサンス期の作品に、次いで1940年代にルーベンスやヴァトーなどに加えて、19世紀フランスの新古典主義などの作品に傾倒し、伝統的絵画表現へと回帰していく。過去の巨匠たちの傑作を研究し、これらを強く意識した作品を描くようになる。

《岩場の風景の中の静物》(1942年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団や、《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)も注目される。

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デ・キリコ《岩場の風景の中の静物》(1942年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C) Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《風景の中で水浴する女たちと赤い布》(1945年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma c Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

最後の第五章「新形而上絵画」では、1978年に亡くなるまでの10年余りの時期に、あらためて形而上絵画に取り組む。それらは「新形而上絵画」と呼ばれ、若い頃に描いた広場やマヌカン、室内風景などに新しい要素を画面上で融合し、過去の作品を再解釈した新しい境地に到達する。

ここでは、《オデュッセウスの帰還》(1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)、《オイディプスとスフィンクス》(1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)、《燃えつきた太陽のある形而上的室内》(1971年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)、《瞑想する人》(1971年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)などが出品されている。

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デ・キリコ《オデュッセウスの帰還》(1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma c Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《オイディプスとスフィンクス》(1968年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《燃えつきた太陽のある形而上的室内》(1971年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

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デ・キリコ《瞑想する人》(1971年、ジョルジョ・エ・イーザ・デ・キリコ財団)(C)Fondazione Giorgio e Isa de Chirico, Roma (C)Giorgio de Chirico, by SIAE 2024

この展覧会の監修者でキェーティ・ペスカーラ大学教授のファビオ・ベンツィ氏は、内覧会で「過去の日本での展覧会と比べても、国際的に見ても非常に重要なデ・キリコ展だと考えています。彼は、ピカソ、マティス、カンディンスキーといった同世代の芸術家とともに現代美術の大きな支柱を築きました。当時はまだ探求されていなかった夢や記憶、この世の謎といった領域を研究の対象とし、あらゆる芸術表現の手本を示した存在です」と強調していた。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。