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アートへの招待61 野十郎と夢二、2巨匠の企画展
文化ジャーナリスト 白鳥正夫同じ時代に生きていた巨匠の没後回顧展が大阪と京都で催されている。「孤高の画家」と呼ばれる「没後50年 髙島野十郎展」が大阪中之島美術館で、詩人画家として知られる「モダン都市生活と竹久夢二―川西英コレクション」が京都国立近代美術館で、ともに6月21日まで開催中だ。画風は異なるものの、いずれも豊富な展示内容で、2巨匠の画業を知る絶好の機会だ。
大阪中之島美術館の「没後50年 髙島野十郎展」
初公開も含めた160点、「孤高の画家」の真髄
髙島野十郎(1890—1975)は、《蝋燭》や《月》などを独特の写実的筆致で描く洋画家だ。没後50年の節目の企画とあって、代表作はもちろんのこと、初公開も含めた160点超を展示する過去最大規模の回顧展で、大阪では初めての開催。野十郎の芸術が形成されたルーツを遡り、青年期や滞欧期の作品など、従来の展覧会ではそれほど大きく取り上げられることがなかった部分にも焦点を当て、その芸術の真髄に迫っている。
髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》(大正9年 1920年、福岡県立美術館)
髙島野十郎(たかしま・やじゅうろう)は1890(明治23)年、福岡県御井郡合川村(現・久留米市)の裕福な酒造家であった髙嶋家の五男に生まれる。本名は彌壽(やじゅ)。福岡県立中学明善校(現・明善高等学校)に学んだ頃から絵に目覚め、長兄の宇朗(詩人)の友人であった青木繁を知る。そのため、旧制第八高等学校(現・名古屋大学)を経て東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業するものの、画家の道を選んだ。
以後も独身を貫き、独学で絵を学んで美術団体にも属さないことで、流行や時代の趨勢(すうせい)に流されることがなかった彼の画業は、自らの理想とする絵画を生み出す行為そのものであった。
1980(昭和55)年、福岡県文化会館(現・福岡県立美術館)にて開催された展覧会「近代洋画と福岡県」に《すいれんの池》が出品され、無名の画家であった野十郎の評価が始まった。その後、1986(昭和61)年に初の回顧展となる「写実にかけた孤独の画境 髙島野十郎展」が福岡県立美術館で開催されて以降、連続的に展覧会が開催され、その作品や画業の全体像が明らかになってきた。
代表作《蝋燭》や《月》をはじめとする作品は、卓越した技量と、緊張感さえもみなぎる独特の写実的筆致を魅力とする。
今回の展覧会の見どころは、目を凝らすほどに浮かび上がる写実の極致を求めた多くの作品が出品されるとともに、東大首席卒業から独学の画家へ、信念の人物像に迫っている。
展示構成は、プロローグ「野十郎とは誰か」から始まる。野十郎の画業が世に初めて知られたのは、彼の死後約10年を経た昭和61(1986)年。以来、いくつかの展覧会や書籍で紹介されてきたものの、多くの人の目に触れてきたわけではない
髙島野十郎《蝋燭》(大正時代 1912-26年、福岡県立美術館)
髙島野十郎《月》(昭和37年 1962年、福岡県立美術館)
髙島野十郎《からすうり》(昭和10年 1935年年、福岡県立美術館)
《蝋燭》(大正時代 1912—2年)や、《月》(昭和37年 1962)年)のほか、《からすうり》(昭和年 1935)年 いずれも福岡県立美術館)など自画像や静物画、風景画など、代表作品とともに彼の画業の概要が鑑賞できる。
第1章は「時代とともに」。野十郎は画業の初期に小さな絵画グループ「黒牛会(こくぎゅうかい)」で3年間活動するも美術団体に属することなく、個展で作品を発表していた。
しかし同時代の美術の流れから断絶していたわけではない。明治末頃に多くの若い日本作家たちの心を惹きつけたフィンセント・ファン・ゴッホ(1853—90)に大きな影響を受けている。そして草土社を結成した岸田劉生(1891—1929)たちが大正期に展開した細密な写実描写は、その静謐で深い精神性をたたえた表現によって野十郎に強い感化をもたらし、彼の画業の方向性を決定づけた。
また青木繁(1882—1911)や坂本繁二郎(1882—1969)、古賀春江(1895—1933)など同郷の画家たちとの出会いや交流も彼の画業形成に少なからず寄与している。
野十郎が写実の画風を確立させていく道程を、同時代の美術の中で捉え、「孤高の画家」と呼ばれることのある野十郎も、日本の近代美術史を彩る画家の一人であった。
髙島野十郎《田園太陽》(昭和31年 1956年、個人蔵)
岸田劉生《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》(大正6年 1917年、大阪中之島美術館)
《田園太陽》(昭和31年 1956年、個人蔵)や、岸田劉生の《静物(湯呑と茶碗と林檎三つ)》(大正6年 1917年、大阪中之島美術館)などが展示されている。
第2章は「人とともに」で、野十郎の絵を愛し、素朴で気骨ある生き方に共感する人たちが数多くいた。この人たちが、画壇では無名の彼の絵を大切に守り、そして一人暮らしゆえに不明の多い生活ぶりや考え方などを伝えている。
野十郎と40年近く交流のあった日本芸術院会員の洋画家・大内田茂士(おおうちだしげし、1913—94)は、野十郎について「人間ぎらいは相変わらずで、結婚もせずこのアトリエに一人住み、晴れれば畑で働き、降れば絵を描くという毎日であった」と書いている。
髙島野十郎《岸上鎌吉先生像》(大正10年代頃、東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻)
髙島野十郎《筑後川遠望》(昭和24年 1949年頃、福岡県立美術館)
第2章の展示風景
この章では、《岸上鎌吉先生像》(大正10年代頃、東京大学大学院農学生命科学研究科水圏生物科学専攻)や、《筑後川遠望》(昭和24年 1949年頃、福岡県立美術館)が出品されている。
第3章は「風とともに」。ヨーロッパ留学中や日本全国を旅した際に描いた四季の風景画作品に注目。旅を愛した野十郎は、独り身の気楽さもあってか、ひとり気ままに旅に出ては、気に入った場所に長期間滞在していました。旅先で見つけた美しい景色をじっと見つめ、歩き回っては立ち止まり、目に見える風景だけでなく、匂いも光も空気までも味わい尽くし、その経験すべてを一枚の絵に凝縮していた。
野十郎の風景画は、眼前の風景を即興的に写し取ったものではない。選ぶ対象や構図、いかなる細部もおろそかにしない精緻な描写には、生涯揺らぐことがなかった一貫性を読み取ることもできる。
髙島野十郎《イタリヤの海 キオッジア漁村》 (昭和5-8年 1930-33年、個人蔵)
髙島野十郎《れんげ草》(昭和32年 1957年、個人蔵)
《イタリヤの海 キオッジア漁村》(昭和5―8年 1930-33年、個人蔵)、《れんげ草》(和32年 1957年、個人蔵)などが並ぶ。
第4章は「仏の心とともに」。野十郎の長兄で詩人の宇朗(1878生)は禅宗に帰依しており、兄の影響からか、野十郎は青年時代から仏教に深く傾倒していた。空海の真言密教に接近したり、四国や秩父の札所巡りにたびたび出かけたりするなど、仏教へのたゆまぬ関心を持ち続けていた。対象の写実的な描写を慈悲の実践と捉えていた野十郎にとっては、絵を描くことそのものが仏の教えに接近することでもあった。
髙島野十郎《法隆寺塔》(昭和33年 1958年、個人蔵)
髙島野十郎《割れた皿》(昭和23年 1948年以降、福岡県立美術館)
ここでは、《法隆寺塔》(昭和33年 1958年、個人蔵)や、《割れた皿》(昭和23年 1948年以降 、福岡県立美術館)などが展示されている。
最後のエピローグは「野十郎とともに」。野十郎が絵描きとして、生涯いかに自らを見失わずに真摯に、そして誠実に絵画制作と対峙したか。それは決して特別なものではなく、ひとりの人間としての生の営みそのものだ。自らの理想と信念にひたすら忠実であろうとしたストイックな彼の生き方は、出口の見えない混迷の時代を生きる私たちにとっても非常に魅力的に映る。
髙島野十郎《さくらんぼ》(昭和31年 1956年頃 福岡県立美術館)
髙島野十郎《睡蓮》(昭和50年 1975年、福岡立美術館)
この章では、《さくらんぼ》(昭和31年 1956年頃)や、《睡蓮》(昭和50年 1975年、ともに 福岡県立美術館)が出品されている。
京都国立近代美術館の「モダン都市生活と竹久夢二―川西英コレクション」
4章構成、夢二と関連作品約370点を展示
2024年に生誕 140 年と没後 90 年を迎えた竹久夢二(1884-1934)は、大正浪漫を代表する詩人画家であり、数多くの美人画を遺し一世を風靡した。この展覧会では、大正期のモダンな大衆文化時代のスターとして幅広い人々に親しまれた夢二の作品とともに、夢二に憧れた川西英や恩地孝四郎をはじめとする昭和期の画家・版画家たちが描き出した都市生活やモダンな景観、前衛と遊びの世界を鑑賞できる 。
展覧会ビジュアル
竹久夢二は、明治17年、岡山に生まれる。18歳で上京し、雑誌や新聞にコマ絵を寄稿するところから画家としての道を歩み始める。やがて「夢二式美人」といわれる独特の情感をたたえた美人画のスタイルを確立、叙情あふれる画集を次々と発表して人気作家となった。雑誌や楽譜の表紙、千代紙、便箋、封筒、うちわ、半襟、浴衣などの日用品まで幅広くデザインを手がけた。
今や近代日本美術史上の巨匠としての評価はゆるぎないものとなり、各地で回顧展が開催されている。
しかし大正・昭和期の少年少女や美術愛好家たち、青年芸術家たちにとっては、巨匠というよりももっと身近な、イラストレーターであり、デザイナーだったことであろう。
竹久夢二 《セノオ楽譜 No.44 蘭燈》(1917年、京都国立近代美術館)
竹久夢二 《セノオ楽譜 No.55 揺籃》(1917年、京都国立近代美術館)
竹久夢二 《セノオ楽譜 No.157 庭の千草》(1920年、京都国立近代美術館)
川西英コレクションは、版画家・川西英(1894~1965)が集め続けた作品・資料群1000余点。2006 年から2011年にかけて川西家から京都国立近代美術館にまとまって寄贈された。竹久夢二研究の上でも、また近代日本の版画芸術の発展を理解する上でも非常に貴重な資料群だ。
竹久夢二 《セノオ楽譜 No.164 喇叭を皆響せよ喜歌劇 小公子》(1920年、京都国立近代美術館)
竹久夢二 《セノオ楽譜 No.361 アイウォントアプレティガール》(1924年、京都国立近代美術館)
同館では2011年11~12月に「川西英コレクション収蔵記念展 夢二とともに」を開催している。その際に取り上げなかった作品を数多く展示。今回の展覧会には、コレクションの作品約200点(川西英 手製の貼交帖12冊など含む)、川西英や恩地孝四郎をはじめとする関連作家たちの作品約90点、千代紙 30 点、川西英収集サーカス関連資料 約50点の約340点を展示されている。
竹久夢二《九連環》(1928年頃、京都国立近代美術館)
竹久夢二《港屋絵草紙店》(1914年、京都国立近代美術館)
展示は4章で構成 。第Ⅰ章は「竹久夢二:日常の美術」。夢二が本領を発揮したのは、雑誌の挿絵や書籍の装幀などのほか、 絵葉書や封筒、便箋、風呂敷など身の回りの品のデザインにおいてのことだった。展覧会場で観衆を威圧する大きな芸術ではなく、手に取ってみたくなるような小さな芸術だ。そうした日常の美術としての夢二の作品が数多い。
竹久夢二著《夢二画手本 クレイヨン練習帖 Ⅰ》(1923年、京都国立近代美術館)
夢二の芸術がいかに多くの人々に愛されたかを物語るのは、夢二作品の大コレクションがいくつも現存するという事実。川西英コレクショ ンもそうした中の一つ。ここでは、川西が作成した夢二作品の貼交帖など、コレクターとしての特徴を伝える資料を展示している。
竹久夢二 《ポリドール・レコード ポリファー式電気吹込2月新譜 (ポスター) 》(1930年、京都国立近代美術館)
竹久夢二 《ポリドール・レコード 5月新譜 (ポスター) 》(1930年、京都国立近代美術館)
さらに《ポリドール・レコード ポリファー式電気吹込 2月新譜(ポスター)》 、《ポリドール・レコード ポリファー式電気吹込 3 月新譜(ポスター)》 、《ポリドール・レコード ポリファー式電気吹込 4月新譜(ポスター)》 、《ポリドール・レコード ポリファー式電気吹込 5月新譜(ポスター)》(いずれも1930年、京都国立近代美術館)なども並ぶ。
第二章は「前衛と遊び」。夢二の芸術を慕った人々の中には、創作版画家たちをはじめとする 大正・昭和の前衛芸術家たちもいた。夢二が美術で日常生活を彩ろうとしたように、彼らも演劇や詩文、装幀、漫画など多彩な領域で活動していた。そして夢二の絵と詩に遊び心があるように、彼らの表現にも 遊び心を感じることができる。
恩地孝四郎《失題》(1913年、京都国立近代美術館)
ここでは前田藤四郎《顔》(1930年頃)や、高見澤路直《作品》(1924年 いずれも京都国立近代美術館)なども出品されている。
第3章「都市生活:賑わいと寂しさ」。夢二の「抒情画」には、生活のモダン化・都市化の中で戸惑う人々への眼差しがある。彼が絵や詩に表した庶民生活の悲哀や滑稽は、モダン都市に居場所を見つけられない人々の心に響いたことであろう。郷愁を感じさせる夢二の芸術は都市生活者への救済だったといえる。
川西英《サーカス (曲馬) 》(1928年、京都国立近代美術館)
北村今三《大売出》(昭和初期、京都国立近代美術館)
夢二のあとに続いた美術家たちは都市生活をどのように描いたのか。都市の周縁で営まれるサーカスは、非現実性に富んだ華麗な娯楽性とその舞台裏の悲哀などによって近代の美術家たちを魅了した。サーカス愛好家としても有名だった川西英や同時代の美術家たちがサーカスを描いた作品を展示するとともに、川西が収集したサーカス研究資料集も紹介されている。
川西英の《西洋大曲馬》(1931年)や《曲馬団》(1929年)、 作者不詳《馬おどり・児子かるわざ・一本足芸・道化茶番・印度国象の芸・男女四人花取の曲》 (いずれも京都国立近代美術館)などがある
第4章は「新しい名所絵」。モダン都市を構成する要素として鉄道網と道路網の発展があった。都市と地方を結んで経済圏を拡大し、旅行を容易にして新たな観光名所を 出現させた。それは新たな名所絵の誕生につながった。ここでは 川西英を含む創作版画家たちが昭和戦前期に合作した《新日本百景》が出品されている。
前川千帆《閑中閑本 第九冊 風物千代紙帖》(1951年、京都国立近代美術館)
さらに前川千帆の《閑中閑本》シリーズにも注目だ。京都出身の漫画家で創作版画家の前川千帆による代表作《閑中閑本》シリーズは、それぞれが1冊につき概ね14点の木版画を収めた本になっていて、表紙だけでも、抽象画のような模様の装飾性に魅力がある が、中身も、野草や温泉、だるま、こけし、伏見人形など、画家自身の 関心事について論じたエッセイ付きイラスト集であり、漫画風の表現で楽しめる。
