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アートへの招待62 心いやす寺社関係の三つの展覧会

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

お寺や神社は日本の風景になじみ、日本人の心に安らぎを与えてくれる。奈良と京都の博物館や美術館で開催中の寺社関係の三つの展覧会を取り上げる。奈良国立博物館で特別展「神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―」が6月7日までで開催中だ。一方、京都国立博物館では特別展「北野天神」が、龍谷大学 龍谷ミュージアムでも春季特別展「京都・真如堂の名宝」が、ともに6月14日まで開かれている。さわやかな季節、心身ともにリフレッシュするのに格好の企画展だ。

奈良国立博物館の特別展「神仏の山 吉野・大峯 ―蔵王権現に捧げた祈りと美―」

国宝、道長直筆の経巻など修理後初公開

山が連なる大自然、そこに神と仏が宿り、やがては修験道の聖地、そして桜の名所ともなった吉野・大峯。吉野から和歌山の熊野へと至る大峯の険しい山々は、山岳修行はじまりの地とされ、古来人々は特別な力や悟りを得ようと大自然の中に身を投じてきた。本展は神々や仙人が住まう、神秘的で謎めいた吉野・大峯の歴史と魅力を伝える展覧会だ。

吉野から大峯の山上ヶ岳は、金を秘める霊山「金峯山(きんぷせん)」と呼ばれ、平安時代には藤原道長ら都の貴族や天皇がこぞって参詣した。さらに南北朝時代になると後醍醐天皇が山内に政治の拠点を置いたように、各時代を通じて特別な場所であり続けた。

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「神仏の山 吉野・大峯」展のメインビジュアル

近年、道長が自ら書写して金峯山に埋納した紺紙金字経が金峯山で大量に発見され、大きな注目を集めた。1000年以上も前に、道長が金峯山独自の尊格・蔵王権現に捧げたというこの経巻を本来の姿に復元すべく、目下保存修理が進められている。

今回の展覧会では、道長自筆の国宝・紺紙金字経を修理後初公開するとともに、山岳修行の祖・役行者像や蔵王権現像、曼荼羅や経像、人々が祈りを捧げた神像や仏像など、自然と神仏への信仰が一体となって生み出されたこの地域ならではの宝物を一堂に出展している。

展示は6章で構成されており、各章の概要と主な作品(後期5月12日~)を画像とともに取り上げる。

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開幕の前日に会場内で行われた僧侶らの法要

第1章は「伝説の地 吉野 役行者と蔵王権現に出会う」。吉野・大峯に集った人々は、雄大な自然のなかで神仏にまみえることを切に願った。修験道の聖地・大峯山寺の秘仏本尊を含む蔵王権現像を寺外初公開するとともに、山岳修行の祖・役行者像や蔵王権現像、曼荼羅や経像、人々が祈りを捧げた神像や仏像を出展。

さらに会場では、VR映蔵を駆使して金峯山寺蔵王堂の秘仏本尊蔵王権現像を型スクリーンに再現し、その圧倒的な迫力を体感できる。

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《蔵王権現立像》5軀(平安~鎌倉時代・12~13世紀、奈良・大峯山寺)

ここでは《蔵王権現立像》5軀(平安~鎌倉時代・12~13世紀、奈良・大峯山寺)、行者三尊とうりふたつの特別な像《役行者倚像および二鬼坐像》(室町時代・15世紀、奈良・𠮷水神社)などが出品されている。

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《役行者倚像および二鬼坐像》(室町時代・15世紀、奈良・𠮷水神社)

第2章は「金峯山をめざして ―藤原道長の埋経―」。平安時代になると大峯は、弥勒が出現するまで金を秘める山「金峯山」と呼ばれるようになる。時の権力者・藤原道長とそのひ孫・師通は、多くの臣下とともに金峯山に参詣し、自筆の紺紙金字経を埋納することで弥勒の世まで仏法を伝えたいと願った。

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国宝《紺紙金字阿弥陀経》藤原道長筆、金峯山経塚出土(平安時代・寛弘4年 1007年、奈良・金峯山寺[5月12日~5月24日展示])

とりわけ近年、金峯山寺で発見された道長自筆の国宝《紺紙金字阿弥陀経》金峯山経塚出土(平安時代・寛弘4年 1007年、奈良・金峯山寺、5月12日~5月24日展示)が全18巻を修理後初公開される。

さらに藤原道長も拝した?鏡像の傑作、国宝の《蔵王権現鏡像》(平安時代・長保3年 1001年、東京・西新井大師總持寺)や、道長が未来に託した祈りのタイムカプセルともいえる国宝の《藤原道長経筒》(平安時代・寛弘4年 1007年、奈良・金峯神社)が出展されている。

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国宝《蔵王権現鏡像》(平安時代・長保3年 1001年、東京・西新井大師總持寺)

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国宝《藤原道長経筒》(平安時代・寛弘4年 1007年、奈良・金峯神社)

第3章「ひろがる信仰世界 ―修験者・縁起・曼荼羅―」では、金峯山や熊野への参詣が盛んになるにつれて、吉野と熊野を結ぶ大峯の参詣道が整備され、聖地の由緒を伝える縁起物語が人々の間に広まっていった。山は仏の世界に見立てられ、桜の歌人・西行をはじめ多くの人々が神仏にまみえたいと大峯に分け入った。

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重要文化財《蔵王権現立像》(鎌倉時代・嘉禄2年 1226年、奈良・如意輪寺)

まるで生きているかのよう修行者を見つめる鋭い眼光の《蔵王権現立像》(鎌倉時代・嘉禄2年 1226年、奈良・如意輪寺)および《厨子[蔵王権現]》(鎌倉時代・13世紀、奈良・如意輪寺、いずれも重要文化財の)にも注目だ。

第4章は「後醍醐天皇 吉野へ 山上の新政権」。吉野に南朝を開いた後醍醐天皇は、蔵王権現に国家の安泰を願って祈りを捧げながら、この地で晩年を過ごした。本章では、後醍醐天皇陵を守る如意輪寺の秘仏本尊の《如意輪観音坐像》(鎌倉時代・延慶3年 1310年、奈良・如意輪寺)を寺外初公開。また、南北朝時代の吉野を象徴する金峯山寺仁王門および巨大な金剛力士像の造立について解説し、新政権を擁した吉野の信仰に光を当てている

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《如意輪観音坐像》(鎌倉時代・延慶3年 1310年、奈良・如意輪寺)

第5章は「豊臣秀吉 華の宴」。神木の桜花に詠うたう蔵王権現の神木と伝えられる桜は吉野にとって特別な存在。天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は文禄3年(1594)に徳川家康や伊達政宗を従えて吉野を舞台に盛大な花見を行った。

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重要文化財《吉野花見図屛風》左隻(安土桃山時代・16世紀、京都・細見美術館、後期)

天下人・秀吉の絢爛な花見を描く奈良の町の山上講の本尊である重要文化財《吉野花見図屛風》左隻(安土桃山時代・16世紀、京都・細見美術館、後期)が目を引く。

最後の第6章「近世・近代の吉野と奈良 ―神木の桜花に詠うー」。近世には、民衆も大峯に参詣して日々の暮らしの安寧を祈った。奈良の餅飯殿町に伝わる山上講の資料などを通じて、奈良の町と吉野との深い関わりを伝える。さらに吉野では、明治時代の廃仏毀釈を乗り越えた数多くの仏像が大正時代まで守られていました。それらの保護に心を砕くだいた人々の想いも交えながら、かつて吉野に伝わったゆかりの仏像を鑑賞できる。

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《蔵王権現立像》(鎌倉時代・13世紀、アメリカのロサンゼルス・カウンティ美術館 LACMA)

桜と蔵王権現信仰との深い縁を象徴する《蔵王権現立像》(鎌倉時代・13世紀、アメリカのロサンゼルス・カウンティ美術 LACMA館)が里帰り。奈良の町の山上講の本尊《理源大師倚像》(江戸時代・17世紀、奈良・餅飯殿町財団)も出品されている。

京都国立博物館の特別展「北野天神」

国宝の《北野天神縁起絵巻(承久本)》を全巻全場面公開

北野天神は政治家であった菅原道真(845~903)を祭神としてまつる御社だ。道真は、宇多天皇(在位887~897)に重用され、続く醍醐天皇(在位897~930)の世に右大臣まで上り詰めるが、讒言により大宰府に左遷され、京に戻ることなくその地で没した。道真の晩年の不遇と生前の業績は彼の死後、様々な伝説を生み、世の人々の同情と畏れ、崇敬の念を集めたことで、やがては霊験あらたかな「天神」として広く信仰されるようになった。

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「神北の天神」展のメインビジュアル

今回の展覧会は、道真薨去から1125年目の式年大祭「半萬燈祭」が令和9年に執り行われることを機に、北野天満宮に伝わる古神宝類を中心に、日本各地の天満宮・天神社、社寺に伝わる名品の数々を一堂に集めて展観している。史上初となる国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)》全巻全場面公開をはじめ、成立年代や筆者が異なる「弘安本」「光信本」「光起本」といった様々な「北野天神縁起絵巻」も展示し、説話上の北野天神誕生の場面に迫っている。

日本各地に広がった天神信仰を、その発祥の地・北野天満宮からたどり、これまであまり語られてこなかった多様な側面と、日本文化の中で果たしてきた重要な役割を学ぶ貴重な機会とっている。

3章立てで、こちらも章ごとの内容とおもな作品を掲載する。会期中、前期(~5月17日)と後期(5月19日~)で、展示替えがある。

第1章は「天神信仰」。菅原道真は承和12年(845)に生まれ、父である菅原是善と同じ文章博士を経て、宇多天皇の側近としてその政治手腕を発揮した。しかし、藤原時平の讒言により九州へ左遷、京に戻ることなく延喜3年(903)に薨去。道真の死後ほどなく時平が没し、さらに京で災害や落雷などの凶事が重なると、それらが無念の死を遂げた道真の仕業とされるようになる

怨霊としてその存在が意識されるなか、道真を祀るよう京の内外で託宣が下り、天暦元年(947)、京の北西・北野の地に設けられた祠が北野天満宮の始まりです。天徳3年(959)の藤原師輔による社殿の造営後は、「天満宮天神」や「天満天神廟」の神号が用いられるようになり、しだいに善神としての性格を帯び、生前の学識詩才をたたえて「天神は文道の祖、詩境の主」とする信仰が芽生えた。

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国宝《伝菅公遺品のうち玳瑁装牙櫛》(大阪・道明寺天満宮、5月12日~)

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《束帯天神像》根本御影(京都・北野天満宮、5月5日~)

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《十一面観音立像》(京都・曼殊院、通期)

国宝の《伝菅公遺品のうち玳瑁装牙櫛》(大阪・道明寺天満宮、5月12日~)をはじめ、《束帯天神像》根本御影(京都・北野天満宮、5月5日~)、《十一面観音立像》(京都・曼殊院、通期)、などが出展されている。

第2章は「北野天満宮の歴史」。北野の地に道真が祀られるまでの経緯には、宗教的説話と歴史的事実とが混在している。それゆえ実際の当地における道真への信仰が、どのように発生・展開したのかについては一層の検討が必要だが、10世紀半ばには天神に対する信仰が根付いたと考えられている。

怨霊を鎮める御霊信仰から始まった天神信仰は、火雷神や疫神、武神といった存在も内包しつつ、雷神信仰から農業神となり、また生前の学識と詩才になぞらえて漢詩や和歌、学問の神に、さらには晩年の不遇を反映して冤罪救済の神ともなった。

その神威たるや大きく、「王城鎮守の神」として天皇や仇敵であるはずの藤原氏の尊崇も受けることになる。道真が神となるまでの生涯に加え、こうした北野社草創の由来とその霊験譚を集めた絵巻物が「北野天神縁起絵巻」だ。ここでは、国宝の《北野天神縁起絵巻(承久本)》(京都・北野天満宮、通期)が注目だ。

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国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)巻第1》部分(京都・北野天満宮、通期、この場面は前期)

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国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)巻第5》部分(京都・北野天満宮、通期、この場面は5 月 26 日〜31 日展示)

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国宝《北野天神縁起絵巻(承久本)巻第6》部分(京都・北野天満宮、通期、この場面は後期)

第3章は「北野天満宮と芸能・文化」で、時代によって変容する天神信仰。北野天満宮は文化揺籃の地といえる。「文道の祖、詩境の主」とみなされた天神だが、近世に入ると和歌の神としても崇敬され、天皇や上皇、公家らが自ら詠んだ和歌を懐紙や短冊に記して奉納した。また、北野天満宮で最初期の活動をした阿国の舞台が、後に歌舞伎へと発展したことはよく知られている。

一方、祟りをもたらす恐ろしい怨霊という範疇を飛び越えて、武威をあらわす武神としての側面も天神信仰の重要な柱といえる。中世以降、武家の崇拝を最も強く受けた神は八幡神であり、この神号が刻まれた武具が多く残っているなか、一つの刀身に「八幡大菩薩」と並んで「天満大自在天神」を表裏に刻銘する重要文化財「薙刀直シ刀 銘 国重 切付銘八幡大菩薩/天満大自在天 神」(南北朝時代14世紀、大分・柞原八幡宮)の存在は、武神としての天神信 仰のあり方を示唆している。

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重要文化財《阿国歌舞伎図屏風》(京都国立博物館、前期)

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重要文化財《赤糸威鎧 大袖付》(奈良・長谷寺、前期)

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重要文化財《太刀 銘□忠(薄緑・膝丸)》(京都・大覚寺、通期)

重要文化財の《阿国歌舞伎図屏風》(京都国立博物館、前期)や、いずれも重文の《赤糸威鎧 大袖付》(奈良・長谷寺、前期)、《太刀 銘□忠(薄緑・膝丸)》(京都・大覚寺、通期)、《太刀 国綱ト銘ガアル(鬼切丸・髭切)》(京都・北野天満宮、通期)、《羅城門絵巻 巻上》(京都国立博物館、前期)などが並ぶ。

龍谷大学 龍谷ミュージアムの春季特別展「京都・真如堂の名宝」

都の念仏信仰を支えた、仏像や仏画など約100件

洛東の左京区に伽藍を構える真如堂こと真正極楽寺は、天台宗の僧侶・戒算上人によって994年に開創された。一条天皇の母で藤原道長の姉・詮子(東三条院)の求めにより、比叡山から移安の阿弥陀如来を本尊として、創建されたと伝えられ、千年を超す歴史を刻む。

本尊の阿弥陀如来は「うなずきの弥陀」とも呼ばれ、特に女性を救う仏として、時代を超えて多くの人々の崇敬を集めてきた。

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「京都・真如堂の名宝」展のメインビジュアル

今回の展覧会では、寺外初公開となる鎌倉時代の《阿弥陀如来立像》をはじめ、応仁の乱の記録としても貴重な史料である重要文化財《真如堂縁起》、仏師・運慶の発願により制作された国宝《法華経(運慶願経)》など、真如堂に伝わる仏像や仏画、経典、近世絵画のほか、真如堂創建当時に作られた京都の平安仏を加え、国宝1件、重要文化財9件を含む約100件を展示している。

展示品を通して、真如堂の歴史や信仰、創建当時の様子をひもとくとともに、真如堂を菩提寺とする三井家との関わりなど、多角的な視点から、真如堂が歴史において果たした役割にも迫っている。

4章で構成。ただし前期(~5月17日)と後期(5月19日~)で、展示替えがある。

まず第1章は、真如堂の創建と「うなずきの弥陀」。立像の阿弥陀如来として現存最古の作例に位置付けられている本尊は「うなずきの弥陀」の名でも知られている。この呼称は、円仁が苗鹿明神の霊木をもって阿弥陀如来像を彫刻し、常行堂の本尊とすることを祈願した際、阿弥陀如来がこれを拒んだものの、円仁が一切衆生、とりわけ女人の救済を願うと三度うなずいたとする伝承に由来する。

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重要文化財《真如堂縁起 巻上》絵:掃部助久国筆 詞:後柏原天皇(1464~1526)宸翰(室町時代・大永4年 1524年、)真正極楽寺 真如堂、前期、巻替えあり)画像提供:京都国立博物館

この章では真如堂の創建および本尊について取り上げている。重要文化財《真如堂縁起 巻上》絵:掃部助久国筆 詞:後柏原天皇(1464~1526)宸翰(室町・大永4年 1524年)真正極楽寺 真如堂、前期、巻替えあり)などが展示されている。

第2章は、真如堂に伝わった仏教美術の精華。真如堂伝来の仏像、仏画、経典、近世絵画といった「名宝」が多数出品されている。中でも、《木造 阿弥陀如来立像》院蓮作(鎌倉・建長5年 1253年、真如堂一山 法輪院)と、《木造 阿弥陀如来立像》(鎌倉時代・13世紀、真如堂一山 喜運院)は、ともに寺外初公開の仏像だ。

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《木造 阿弥陀如来立像》院蓮作(鎌倉・建長5年 1253年、真如堂一山 法輪院)画像提供:美術院

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《木造 阿弥陀如来立像》(鎌倉時代・13世紀、真如堂一山 喜運院)

国宝の《法華経(運慶願経)》巻第二. 第六:珎賀筆(平安時代後期・寿永2年 1183年、真正極楽寺 真如堂、巻第二:前期、巻第四:後期)に注目だ。《刺繡 釈迦三尊来迎図》(鎌倉~南北朝時代 14世紀 真正極楽寺 真如堂:前期)も興味深い。

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国宝《法華経(運慶願経)》巻第二:珎賀筆(平安時代後期・寿永2年 1183年、真正極楽寺 真如堂、巻第二:前期、巻第四:後期)

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《刺繡 釈迦三尊来迎図》(鎌倉~南北朝時代 14世紀 真正真堂、前期)

第3章は、真如堂の歴史と三井家。真如堂と三井家との関係史に光を当てている。真如堂の長い歴史のなかで、江戸時代以降の檀那である三井家との関わりや、近代以降の寺院と都市社会とのつながりが、肖像画などの資料を通じて示されている。

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重要文化財《寒山拾得図》狩野山雪(1589~1651)筆(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂、後期)画像提供:京都国立博物館

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《花車図》(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂)

重要文化財の《寒山拾得図》狩野山雪(1589~1651)筆(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂、後期)や《花車図》(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂)のほか、《豊臣秀吉像》(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂、後期)や《足利義輝像》(桃山時代・16世紀、真正極楽寺 真如堂、後期)、《安倍晴明蘇生図》(江戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂)なども展示されている。

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《豊臣秀吉像》(江戸戸時代・17世紀、真正極楽寺 真如堂、後期)

第4章は、真如堂創建当時の都の仏像。天台勢力は比叡山から洛中への進出を試みており、六波羅蜜寺や六角堂、革堂と同様、真如堂と因幡堂は、その目的を遂げた成果の一環といえよう。そこに安置される仏像は、当時の京の貴族たちの嗜好に沿って、次第に温和な作風となっていったと想定される。10世紀から11世紀にかけて、都と比叡山に祀られてきた仏像を展観し、日本の仏像の変貌の有り様を鑑賞できる。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。