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アートへの招待65 ボストン美術画館から里帰り、「南都仏画」の大規模展
文化ジャーナリスト 白鳥正夫かつて奈良時代に平城京が営まれた奈良の地は、平安京から見て南にある都という意味から遷都後も「南都(なんと)」と呼ばれた。南都には、珠玉の仏教絵画が古代から連綿と受け継がれてきた。その「南都仏画」をテーマにしたボストン美術館共同企画 特別展「南都仏画―よみがえる奈良天平の美―」が、奈良国立博物館で9月13日まで開催されている。本展は、米国・ボストン美術館と奈良国立博物館による約20年の構想を経て実現した国際共同企画である。ボストン美術館が所蔵する南都ゆかりの仏画の優品が一挙に里帰りするまたとない機会に、奈良国立博物館の所蔵品をはじめとする国内の選りすぐりの仏画・仏像とともに、「南都仏画」の歴史をたどる初の試みで、史上最大規模である。さらに、昭和24年(1949)の火災で焼損した法隆寺金堂壁画の色彩が、写真ガラス原板に記録された色情報をもとに最新のデジタル技術によってよみがえり、高精細カラー画像として展示室内で初公開されることも大きな見どころだ。
「南都仏画」展もポスター
焼損した法隆寺金堂壁画の色彩が、高精細カラー画像に
奈良時代には後世まで規範とされていく国際色豊かな天平絵画が大寺院を彩り、平安時代になると貴族好みの優美な仏画が盛んに礼拝された。南都仏教の復興期にあたる鎌倉時代以降、天平の図像にもとづく復古的な仏画が描かれるようになるとともに、「南都絵所」と呼ばれる奈良の仏画工房に所属した絵仏師たちが仏画や絵巻の制作、さらには仏像の彩色にも携わるようになる。そして近代以降、奈良天平の仏画は日本美術の古典として高く評価されるに至り、新たな日本画を生み出す着想の源泉となるとともに、文化財保護の対象にもなっていく。古都・奈良に、古代から連綿と受け継がれてきた珠玉の仏教絵画、それが「南都仏画」だ。
展示は8章で構成されている。各章の概要と主な展示品を、プレスリリースをもとに、取り上げる。なお前会期中、一部の作品は展示替え(前期:~8月16、後期:8月18日)がある。
まず、第1章は「法隆寺金堂壁画 ―日本仏画の黎明(れいめい)―」。仏教絵画の歴史は、法隆寺金堂を彩った12面の壁画の誕生に始まるといっても過言ではない。力強い線描と豊麗な彩色によって生み出される雄大なほとけの姿は、遣唐使がもたらした大陸の図像や絵画表現を色濃く反映するものであり、日本で初めての本格的な仏画様式がここに確立したといえる。本章では、昭和24年(1949)の焼損前の姿を伝える金堂壁画の模写や、図像的に密接な関係をもつ国宝・伝橘夫人(でんたちばなぶにん)念持仏厨子などの重要作品を通じて、南都仏画の原点に位置づけられるその魅力を紐解いている。
《伝橘夫人念持仏厨子》(飛鳥時代 7~8世紀、奈良・法隆寺、通期)は、光明皇后の母・橘三千代ゆかりの愛らしい白鳳仏。厨子は貴重な飛鳥時代の絵画を伝える総合芸術といえる。
《伝橘夫人念持仏厨子》(飛鳥時代 7~8世紀、奈良・法隆寺、通期)
《法隆寺金堂壁画第6号壁 模写》(昭和15~26年 1940~1951年、入江波光ほか筆/奈良・法隆寺、後期)は、アジア仏教絵画史上の最高峰。南都仏画の原点に位置づけられる阿弥陀三尊の雄大な姿が描かれている。1949年の火災で惜しく損したが、被災前に撮影された写真や精巧な模写が、南都仏画の原点となる名画の往時の姿を今に伝えている。
《法隆寺金堂壁画第6号壁 模写》(昭和15~26年 1940~1951年、入江波光ほか筆/奈良・法隆寺、後期)
第2章は「天平の彩(いろど)り」。平城京に都が置かれた奈良時代、遣唐使を通じて大陸の先進的な仏教文化が流入し、東大寺や興福寺などの大寺院が造立された。堂内を彩ったのは、力強い線描と「紺丹緑紫」のコントラストが鮮やかな彩色を誇る仏画や仏像。この時期に確立された荘厳な図像や表現形式は、奈良から日本各地の寺院へと広まるとともに、後世の南都の絵師たちが規範と仰ぐ古典となった。南都仏画の様式を決定づけた天平絵画の精華をたどる。
国宝《吉祥天像(きちじょうてんぞう) 》(奈良時代 8世紀,、奈良・薬師寺、~8月2日)は、奈良時代の護国の法会で拝まれた本尊画像で、豊麗な彩色をたたえる天平の美神。
国宝《吉祥天像》(奈良時代 8世紀、奈良・薬師寺、~8月2日)
第3章の「南都の平安仏画」では、京都の絵仏師によって描かれたとみられる、華麗な截金文(きりかねもん)や彩色を凝らした優美な仏画の受容を捉える。その一方で、法隆寺にかつて伝来した奈良国立博物館の国宝《十一面観音像》のように、奈良時代以来の古様な図像を守り伝える、南都特有の絵画形式も受け継がれていた。京都の文化から色濃く影響を受けながらも独自に発展した、南都における平安時代の仏画の諸相を紹介している。
国宝《両界曼荼羅 子島曼荼羅》(平安時代 11世紀、奈良・子嶋寺、胎蔵界:前期/金剛界:後期)は、平安貴族の時代に作られた、金銀で飾られたきらびやかな曼荼羅。
国宝《十一面観音像》(平安時代 12世紀、奈良国立博物館、前期)は、法隆寺に伝わった平安仏画の最高傑作。斜を向く南都系の図像に、華麗な截金文様が施されている。
国宝《十一面観音像》(平安時代 12世紀、奈良国立博物館、前期)
国宝《普賢菩薩像》(平安時代 12世紀、東京国立博物館、後期)は、平安仏画といえば誰もが思い浮かべる名品。
国宝《普賢菩薩像》(平安時代 12世紀、東京国立博物館、後期)
Image: TNM Image Archives
天平仏画の傑作ずらり、南都の仏師・絵仏師が競演
第4章は「追憶の天平仏」。平安時代末期の12世紀、南都では大陸からもたらされた最新の仏教知識に基づく教学復興が図られるとともに、各宗派独自の礼拝画像が生み出されていく過程で奈良時代の天平仏画が再び注目されるようになった。ボストン美術館所蔵《法華堂根本曼荼羅》の図像が、東大寺の国宝「倶舎曼荼羅」に引用されたことは、その象徴的な事例。源平合戦の戦火を乗り越え、鎌倉時代へと続くこの原点回帰の潮流は、天平のほとけの姿を追憶する重要な契機となる。
《釈迦霊鷲山(りょうじゅせん)説法図(法華堂根本曼陀羅)》(奈良時代 8世紀、ボストン美術館、通期)は、東大寺に伝来。南都で写し継がれてゆく理想の釈迦の姿で、した天平仏画の傑作だ。
《釈迦霊鷲山説法図(法華堂根本曼陀羅)》(奈良時代 8世紀、ボストン美術館、通期)
William Sturgis Bigelow Collection Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
国宝《倶舎曼荼羅》(平安時代 12世紀、奈良・東大寺、8月25日~)は、天平復古を象徴する南都仏画の記念碑的大作で、華堂根本曼陀羅の図像を忠実に写す。
第5章は「内山永久寺 ―南都仏師・絵仏師の競演 ―」で、平安時代に創建され、奈良県天理市杣之内町(そまのうちちょう)の地に壮麗な伽藍を誇った奈良を代表する名刹「内山永久寺」に焦点を当てている。明治初年の神仏分離令を経て廃絶し、かつての栄華を象徴する仏像や仏画など寺宝の一部は、現在も国内外の寺社や美術館・博物館に保管されている。ボストン美術館が所蔵する内山永久寺旧蔵の名画が里帰りするこの機会に、南都の仏師や絵仏師たちが内山永久寺を舞台として、技を競いながら生み出した造形の魅力に迫っている。
国宝《両部大経感得図(龍猛南天鉄塔相承図、善無畏金粟王塔感得図(ぜんむいこんぞくおうとうかんとくず》(平安時代 保延2年 1136年、藤原宗弘筆、大阪・藤田美術館、8月25日~)は、京都の宮廷で活躍した絵師が奈良の大寺院のために描いたやまと絵の名品。
国宝《両部大経感得図のうち 善無畏金粟王塔感得図》
(平安時代 保延2年 1136年、藤原宗弘筆、大阪・藤田美術館、8月25日~9月13日)
《四天王像》(鎌倉時代 建長5年 1253年頃、重命筆/ボストン美術館、通期)は、内山永久寺旧蔵。伝統的図像を継承し、南都仏画の特色を示す。
《四天王像のうち 増長天》(鎌倉時代 建長5年 1253年頃、重命筆/ボストン美術館、通期)
Fenollosa-Weld Collection Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
《木造黒漆塗厨子》(鎌倉時代 14世紀、福井・大善寺、通期)は、厨子側面の扉に描かれる四天王像は、南都絵仏師・重命が掛けたボストン美術館本と全く同じ姿だ。
重要文化財《不動明王および八大童子像のうち不動明王、矜羯羅童子(こんがらどうじ)、制吒迦童子(せいたかどうじ) 》(鎌倉時代 文永6年 1269年、康円作、文永9年 1272年、重命彩色、東京・世田谷山観音寺、通期)は、南都で活躍した伝説の絵仏師・重命と運慶の孫、仏師・康円のコラボレーション。
重要文化財《不動明王および八大童子像のうち不動明王[中央]、矜羯羅童子 [左]、制吒迦童子[右] 》
(鎌倉時代 文永6年 1269年、康円作、文永9年 1272年、重命彩色、東京・世田谷山観音寺、通期)
第6章は「南都仏教の復興と絵所」。鎌倉時代、東大寺や興福寺を中心に南都仏教の教学復興が本格化した。華厳宗や法相宗(ほっそうしゅう)、律宗など各宗派で新たな儀式が整えられる中、本尊となる仏像の彩色や仏画の需要が急増するこれらの制作を一手に担ったのが、奈良を拠点とする絵仏師たちだった。特に興福寺に所属する南都絵所」の絵仏師たちは、室町時代末期までその系譜を維持し、南都特有の伝統的な図像や豊かな画風を後世へと守り伝えた。
《法相曼荼羅》(平安~鎌倉時代 12世紀、ボストン美術館、通期)は、法相宗の継承を示す現存最古の曼荼羅。南都仏教の復興を象徴する貴重な初期作例。
《法相曼荼羅》(平安~鎌倉時代 12世紀、ボストン美術館、通期)
Collection Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
重要文化財《仏涅槃図》(鎌倉時代 亨3年 1323年、命尊(みょうそん)筆、九州国立博物館、前期)は、南都絵仏師の命尊が描く、究極のやすらぎに至った美しい釈迦涅槃の姿だ。
重要文化財《仏涅槃図》(鎌倉時代 亨3年 1323年、命尊(みょうそん)筆、九州国立博物館、前期)
《十六羅漢図》(鎌倉時代 13世紀、ボストン美術館、通期)は、奈良・法華寺に伝来した十六羅漢図の名品。南都ゆかりの図像を忠実に継承している。修理後初公開。
《十六羅漢図》(鎌倉時代 13世紀、ボストン美術館、通期)
William Sturgis Bigelow Collection Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
重要文化財《吉祥天倚像および厨子》(暦応3年 1340年、寛慶作・命尊彩色、奈良・興福寺、~前期)は、南都随一の絵仏師・命尊(みょうそん)による超絶技巧。インド由来の女神・吉祥天を極彩色で艶やかに彩る。
重要文化財《吉祥天倚像および厨子》(暦応3年 1340年、寛慶作・命尊彩色、奈良・興福寺、~前期)
重要文化財《四天王立像のうち広目天・多聞天》(鎌倉時代 正応2年 1289年、隆賢・定秀作、永仁4年 1296年、慶允(けいいん)・有儼(ゆうごん)彩色、奈良・薬師寺、通期)は、南都における仏師・絵仏師の競演の実態を伝える重要作だ。
フェノロサと岡倉天心が南都仏画の真価を再発見
第7章は「春日曼荼羅と神々の絵画」。奈良の春日大社に対する信仰に基づく礼拝画は「春日曼荼羅」と呼ばれる。特に社殿や神域の景観を描く「春日宮曼荼羅」や春日神の使いとされた神鹿を描く「春日鹿曼荼羅」は、南都絵所の絵仏師によって奈良を象徴する垂迹画(すいじゃくが)として盛んに描かれた。本章では、ボストン美術館が所蔵する国内未見の希少な優品と、奈良国立博物館のコレクションを中心に、国内外に伝わる春日曼荼羅および奈良の神祇信仰(じんぎしんこう)に関わる絵画の諸相を展示。
《春日宮曼荼羅》(南北朝時代 14世紀、ボストン美術館、通期)は、平安時代末期の春日大社の社殿。現存最古の南都の景観を描く記念碑的大作だ。
重要文化財《春日宮曼荼羅》(鎌倉時代 13世紀、奈良・南市町自治会、前期)は、神域を描く春日宮曼荼羅のなかでも、精緻な描写、破格の大きさを誇る。
重要文化財《春日宮曼荼羅》(鎌倉時代 13世紀、奈良・南市町自治会、前期)
《春日鹿曼荼羅》(南北朝時代 14世紀、ボストン美術館、通期)は、春日大社の神域に飛来する神鹿の精緻な姿。南都絵仏師が描き継いだ伝統の図様。
《春日鹿曼荼羅》(南北朝時代 14世紀、ボストン美術館、通期)
William Sturgis Bigelow Collection Photograph © Museum of Fine Arts, Boston
最後の第8章は「よみがえる奈良・天平の美」。明治期の神仏分離政策により、奈良の仏教美術は存続の危機に陥った。この窮状で南都仏画の真価を再発見したのが、アーネスト・フェノロサと岡倉天心だ。彼らは法隆寺金堂壁画や薬師寺吉祥天像などを「日本美術の古典」として高く評価した。彼らの鑑識眼によって見出されたこれら奈良ゆかりの名品は、現在、質・量ともに世界最高峰を誇るボストン美術館の南都仏画コレクションの核となっている。
《螺鈿槽箜篌 模造(らでんそうのくご もぞう) 》(明治28年 1895年、宮内庁正倉院事務所、通期)は、天平仏画をもとに明治期に復元された正倉院宝物によって、天平の美がよみがえる。
重要文化財《天平の面影》(明治35年 1902年、藤島武二筆、東京・石橋財団アーティゾン美術館、前期)は、天平仏画をもとに復元された正倉院の箜篌(くご)をもつ天平美人を描く。なお箜篌とは、古代東アジアで使われたハープや箏に似た撥弦楽器。
重要文化財《天平の面影》(明治35年 1902年、藤島武二筆、東京・石橋財団アーティゾン美術館、前期)
今回の展覧会に名医品多数を出展したボストン美術館は、アメリカ独立100周年にあたる1876年7月4日に開館した米国を代表する私立美術館。海外における日本美術の最大のコレクションを誇っており、とりわけ東大寺旧蔵の《法華堂根本曼陀羅》に代表される奈良ゆかりの仏教美術コレクションは、19世紀末にアーネスト・フェノロサらが神仏分離政策の余波によって危機に瀕(ひん)した寺宝を保護したことで形成された。そしてフェノロサの教え子だった岡倉天心が、現在まで続くボストン美術館の日本美術部門の礎を築いた。
