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アートへの招待66 スイスとイタリアの画家の、初の大回顧展
文化ジャーナリスト 白鳥正夫日本ではあまり知られてないが、日本に滞在し深いかかわりを持ったスイスとイタリアの画家の、初めての大回顧展が大阪と京都で展開中だ。「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー」が大阪中之島美術館で9月27日まで開催されている。一方、京都国立近代美術館では日本イタリア国交樹立160周年記念・フォンタネージ来日150周年記念「フォンタネージ—イタリアの光・心の風景」が10月4日まで開かれている。いずれも日頃お目にかかれない貴重な作品が集結する企画展で、この機会に鑑賞をお勧めする。
大阪中之島美術館の「スイス絵画の異才 カール・ヴァルザー」
日本の風景や風俗を含む全作品約150点が初公開
20世紀前半のスイスで活躍した異才カール・ヴァルザーの日本で初めての大回顧展だ。東京や京都府宮津などに滞在して、熱心に日本の風景や風俗を描いた。これらの作品は当時の様子を伝える貴重な資料であると同時に、美術的にも非常に優れた見応えのあるものばかり。その多くは水彩で描かれているが、これまでほとんど公開されてこなかったために、驚くほど鮮やかで美しい色彩を残している。本展は、これらの仕事に加え、創作の軌跡や、ヴァルザーの全貌を伝える画期的な試み。絵画や素描など全作品約150点が日本初公開となる。
カール・ヴァルザー《人形の乳母車と少女》(1905年以前、新ビール美術館)
カール・ヴァルザー(1877–1943)は、ベルン近郊のビールに生まれた。20歳代からの約四半世紀をベルリンで過ごし、象徴主義や印象主義など新しい芸術潮流に触れながら、優美な線や色彩に深い意味を潜ませた、独自の画風を築いた。画家として、当時最先端の美術団体であったベルリン分離派の中枢を担う一方で、新進気鋭の演出家マックス・ラインハルトと協働するなど、舞台美術家としても活躍。書籍の挿絵や室内装飾、壁画も手がけた。
1908年(明治41年)にドイツの小説家ベルンハルト・ケラーマンとともに来日し、京都の宮津をはじめ各地に滞在。歌舞伎や祭など、明治期の日本の風俗や風景を生き生きと描いた。生前の人気にもかかわらず長らく歴史の闇に埋もれていたが、祖国スイスでも近年に再評価が始まったばかり。1925年に活動拠点をチューリヒに移してからは、主に壁画や室内装飾で評価を高めた。
カール・ヴァルザー《婦人の肖像》(1902年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])
見どころの第一は、ベルリンで暮らし始めた頃の絵画は、何気ない日常的な画題が、流麗な線や穏やかな色彩で、優美に描かれている。しかし、ただ優美なだけではなく、どこかしら謎めいており、物語を想起させるような、幻想への扉が潜んでいる。そこはかとない昏(くら)さと精妙な色彩をあわせもつその作品群は、神秘性を湛え、見る者を惹きつけてやまない。
カール・ヴァルザー《バルコニーに立つ女性》(1902年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])
第二に. 関西との知られざる縁。明治期の日本1908年(明治41)に日本を旅したヴァルザーが、最も心ひかれた街は、日本三景の一つ「天橋立」で知られる宮津だった。花街が栄え、歌舞伎も上演された、約120年前の宮津を、伸びやかな筆づかいと明るい色彩で描いている。
第三は、兄弟の共作にも注目だ。1歳下の弟ローベルト・ヴァルザー(1878 – 1956)は著名な文筆家だ。その著作にカールが挿絵を描いている。舞台美術、本の挿絵などにみる豊かな才能を発揮し、画制作の他に、舞台装置や衣装のデザイン、本の挿絵や表紙、室内装飾や壁画など、多方面で活躍した。舞台美術のための下絵や、ローベルトの著書の挿絵原画も多数展示されている。
展示は4章構成。各章ごとの概要と主な作品を取り上げる。
カール・ヴァルザー《森》(1902-1903年、新ビール美術館)
第1章は「絵画と素描」。ヴァルザーの画家としての歩みをたどっている。早熟の才がうかがえる故郷での修業時代の作品にはじまり、流麗な線と精妙な色づかいで描かれたベルリン移住当初の象徴主義的な油彩画や水彩画、そして大らかな筆致や色面が顕著となる1910~20年代の油彩画などを展示し、変化に富んだ画業の諸相をご覧いただきますが鑑賞できる。
《人形の乳母車と少女》(1905年以前、新ビール美術館)をはじめ、《婦人の肖像》や、《バルコニーに立つ女性》(ともに1902年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])、《森》(1902-1903年、新ビール美術館)、《隠者》(1907年、チューリヒ美術館[H. E. マイエンフィッシュ博士コレクション、1946年収集])などが出品されている。
カール・ヴァルザー《隠者》(1907年 チューリヒ美術館(H. E. マイエンフィッシュ博士コレクション、1946年収集)
第2章は「日本滞在」で、1908年に日本を旅したヴァルザーは、日本各地の風景や、そこに暮らす人々の生活、祭礼、娯楽などを、色鮮やかな水彩や素描で数多くスケッチし、油彩画の大作も描いた。横浜、東京、京都、宮津、伊勢などを訪れる中で、東京と宮津では歌舞伎役者やその上演場面を、京都では祇園祭や納涼床を描いている。とりわけ宮津には長く滞在し、旅の同行者B. ケラーマンが芸妓や舞妓との交流を中心に著した宮津滞在記『さっさ よ やっさ』(1911年刊)に、27点の挿絵を寄せた。本展ではそのうちの6点の原画(水彩画)を展示。
カール・ヴァルザー《祇園祭、京都・八坂神社》(1908年、新ビール美術館)
ここでは《祇園祭、京都・八坂神社》や、《歌舞伎の一場面(『壇浦兜軍記』より「阿古屋琴責」)》(1908年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])などが展示されている。
カール・ヴァルザー《歌舞伎の一場面(『壇浦兜軍記』より「阿古屋琴責」)》(1908年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])
第3章は「挿絵と装幀」。ヴァルザーは1902年より本の装幀に携わり、1904年に挿絵を描き始めた。本章では弟ローベルト・ヴァルザーをはじめ、トーマス・マンやヘルマン・ヘッセなど、数々の作家による著書のための仕事を紹介。挿絵の原画や版画、またヴァルザーが表紙をデザインした書籍が並んでいる。
カール・ヴァルザー《ローベルト・ヴァルザー著『詩集』挿絵のためのエッチング「少年の愛」》(1909年頃、スイス国立図書館)
《ローベルト・ヴァルザー著『詩集』挿絵のための エッチング「少年の愛」 》や、(1909年頃、スイス国立図書館)、《ゲオルク・ビューヒナー著 『レオンスとレーナ』挿絵のためのリトグラフ :第3幕、第3場、ペーター王、宴会の式場係、 ヴァレーリオ、レオンス王子、女家庭教師》(1910年、スイス国立図書館)など多数出品されている。
カール・ヴァルザー《ゲオルク・ビューヒナー著『レオンスとレーナ』挿絵のためのリトグラフ:第3幕、第3場、ペーター王、宴会の式場係、ヴァレーリオ、レオンス王子、女家庭教師》(1910年、スイス国立図書館)
第4章は「舞台美術」。ヴァルザーは舞台美術家としても人気を集め、マックス・ラインハルトをはじめとする演出家や劇場監督たちとの仕事は生涯で28件を数える。本章では『ロミオとジュリエット』『フィガロの結婚』『カルメン』など様々な戯曲やオペラのための仕事を紹介。衣装デザインや舞台装置の下絵などを展示されている。
カール・ヴァルザー《ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲『フィガロの結婚』衣装デザイン:変装する小姓》(1911年、新ビール美術館)
この章では、《ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト作曲 『フィガロの結婚』衣装デザイン:変装する小姓 》や、《ジャック・オッフェンバック作曲『ホフマン物語』衣装デザイン:ジュリエッタの幕、仮面パーティー》(ともに1911年、新ビール美術館)、ゲルハルト・ハウプトマン作『グリゼルダ』舞台美術のための下絵:第1幕、第2場、ガレリア》(1909年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])などがある。
カール・ヴァルザー《ジャック・オッフェンバック作曲『ホフマン物語』衣装デザイン:ジュリエッタの幕、仮面パーティー》(1911年、新ビール美術館)
カール・ヴァルザー《ゲルハルト・ハウプトマン作『グリゼルダ』舞台美術のための下絵:第1幕、第2場、ガレリア》(1909年、ゴットフリート・ケラー財団[新ビール美術館寄託])
このほか、ヴァルザーらが長きにわたて滞在した宮津では当時、遊興施設が立ち並ぶ茶屋町が栄えていた。宮津に関連した作品では、《歌舞伎の女形[阿古屋](《歌舞伎の一場面》のための習作)》(1908年、ベルン美術館[友の会])や、《入り江、日本》(1908年、新ビール美術館)、《花火》(1908年、個人蔵)ばどが展示されていて、興味を引く。
カール・ヴァルザー《歌舞伎の女形[阿古屋](《歌舞伎の一場面》のための習作)》
1908年、ベルン美術館[友の会]) © Kunstmuseum Bern
カール・ヴァルザー《入り江、日本》(1908年、新ビール美術館)
カール・ヴァルザー《花火》(1908年、個人蔵)
京都国立近代美術館の日本イタリア国交樹立160周年記念・フォンタネージ来日150周年記念「フォンタネージ—イタリアの光・心の風景」
日本の弟子やイタリア人作家の作品など約200点
19世紀イタリアの画家アントニオ・フォンタネージは1876年、58歳で工部美術学校の画学教師として日本に招聘され、その門下から浅井忠や小山正太郎ら初期の洋画家たちを輩出したことで知られている。スイスやフランス、英国などヨーロッパ各地に滞在し、バルビゾン派やターナーらから影響を受けつつ、詩情豊かな独自の風景画を生み出した。生涯にわたり風景に取り組んだフォンタネージは1869年、トリノの美術アカデミーの風景画教授に任命されると、晩年に至るまでこの地で制作した。
アントニオ・フォンタネージ《朝》(1855-58年、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
本展は、トリノ市立近現代美術館(GAM)およびトリノ博物館財団の協力のもと、画業の初期から晩年に至るまでのフォンタネージの作品群を概観。また、日本の弟子たちの作品や、同時代・次世代のイタリア人作家の作品など約200点により、彼の影響と遺産にも光を当て、フォンタネージの芸術の全貌に迫る日本初の大回顧展だ。
アントニオ・フォンタネージ《静寂》(1860年頃,トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
アントニオ・フォンタネージ(1818 - 1882)は、イタリア北部レッジョ・エミリアに生まれ、当地の美術学校に学ぶ。英雄ガリバルディの下で第1次イタリア独立戦争に身を投じる。
アントニオ・フォンタネージ《フィレンツェの旧市場》(1867年頃、トリノ市立近現代美術館)GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
アントニオ・フォンタネージ《四月》(1873年、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
復員後、パリのサロンへの出品やロンドン、フィレンツェへの滞在ののちジュネーヴのアトリエを引き払い、1868年にルッカの美術アカデミーの校長兼教授、翌1869年にトリノのアルベルティーナ美術アカデミーの風景画教授に就任する。
アントニオ・フォンタネージ《日本の寺の入り口》(1878-80年、レッジョ・エミリア市立博物館)Musei Civici Reggio Emilia
日本の工部美術学校の画学教師の募集に応じ、1876年に来日するものの体調の悪化などを理由に2年で帰国。1879年にアルベルティーナ美術アカデミーに復職し、以降後進を指導する傍ら、トリノを拠点に制作を続けた。享年64でトリノにて没する。
フォンタネージは多面的な顔を持つ。ジュネーヴの都市風景を巧みに表した石版画家であり、ミレーやコローを研究し、ロンドンに滞在して版画を制作しつつ、ターナーやコンスタブルを吸収した風景画家である。フィレンツェをはじめ、トリノや東京でも教え子から慕われる教育者としても活躍した。
アントニオ・フォンタネージ《雲》(1880年、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
何度も同じ主題を取り上げつつ、理想の風景を絵画にしようとする姿勢、都市の忙しさや農村の労働に対する真摯な眼差し、そして何よりも、光と自然に対する貪欲な関心を寄せた。
アントニオ・フォンタネージ《水車小屋》(1858年頃、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
アントニオ・フォンタネージ《十一月》(1864年、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
見どころとしては、初期から晩年に至るまでの油彩画や、スイスや英国に滞在して制作した版画などを含む約200点により、「お雇い外国人」に留まらないフォンタネージの魅力を明らかにしている。
アントニオ・フォンタネージ《ロンドン、ラドゲート・ヒルより望むセント・ポール大聖堂》(アルバム『ロンドンのスケッチ』より)(1866年、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
また、フォンタネージ来日から150年を経て、イタリアからの作品群に加え、国内の美術・博物館所蔵のフォンタネージ作品、浅井忠、小山正太郎ら弟子たちの作品も一堂に会する貴重な機会だ。
アントニオ・フォンタネージ《沼に沈む太陽》(1874年頃、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
さらに、カルロ・カッラやフェリーチェ・カゾラーティなど、後世の画家たちへのフォンタネージの遺産を検証する意欲的な企画である。
浅井忠《徳川家の霊廟Ⅰ(寺の入り口Ⅰ)》(1878年頃、トリノ市立近現代美術館)
GAM –Galleria Civica d’Arte Moderna e Contemporanea, Torino. Courtesy Fondazione Torino Musei
浅井忠《御宿海岸》(1897年頃、京都国立近代美術館)
