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国献男子ほんわか日記19 キジル千仏洞とニヤ遺跡の保護は今?
国際協力実践家 小島康誉この拙いWebを検索いただきありがとうございます。キジル千仏洞や天山氷河を主題としたBSフジ「天山を往く~氷河の恵み シルクロード物語~」(アジアドキュメンタリーセンター制作)広報を目的として始めた「シルクロード国献男子30年」から毎回読んでいただいている方もお られます。感謝するばかりです。本業で忙しい中、掲載していただいているADC文化通信さんにも御礼申し上げます。
今回は質問「キジル千仏洞とニヤ遺跡の保護は現在どうやって」にお答えします。キジル千仏洞は新疆の天山山脈南麓の小都市クチャ(庫車)西方約70 ㎞に所在。クチャから国道314号線を西へ向かい旧道に入りバイチャン(拝城)を目指し進むと、ムザルト河に面した断崖に穿たれています。3~8世紀頃に 造営された300以上の石窟群です。クチャから車で約1時間、それほど不便なところではありません。
新疆文物局の下部機関として亀茲研究院がおかれ、キジルはじめ周辺の多くの石窟寺院などを管理しています。キジルでは管理・保護・研究・保安・ガイドなど百人ちかくが勤務しています。中国の全国重点文物保護単位であり世界文化遺産ですので、保護管理もしっかりされています。中国四大石窟(キジル・敦 煌・龍門・雲崗)で最西に位置し、中国へ仏教が最初に伝わった一帯であり、描かれた壁画には特別の意義があります。
キジル千仏洞の保護は主に水との闘いです。天山山脈の雪どけ水がじわじわと滲み出てきます。石窟崩壊がじわじわと進行。防止策として庇を作ったり、断崖を固めたりといった対策が現在も行われています。
谷東区で進行中の保護工事(17.7.3撮影:筆者)
ニヤ遺跡は新疆の崑崙山脈北麓の小都市ミンフゥン(民豊)北方約100㎞に所在。ミンフゥンから国道315号線を東へ向かい沙漠公路に入り枯れたニ ヤ河沿いの小オアシスからタクラマカン沙漠を北上した一帯に残存しています。約2000年前の遺跡です。ミンフゥンから一般車と沙漠車で約4時間、今では それほど不便なところではありませんが、無人の大沙漠ですので、気軽に観光とはいきません。特別許可が必要です。
新疆文物局の下部機関としてミンフゥン文物管理所がおかれ、ニヤ遺跡などを管理。遺跡では監視員4人が交互に巡視しています。中国の全国重点文物保 護単位であり世界最大の木造都市遺跡ですので、保護管理にも力が入っています。ニヤ遺跡は世界文化遺産「シルクロード:長安‐天山回廊の交易路網」の当初 計画に入っていましたが、55ヵ所と計画が大きすぎ天山山脈周辺33ヵ所に絞って申請され、楼蘭などと次段階へ繰り越されました。
天津TVクルー4人の「マスクとゴーグル」から砂嵐の凄さをご想像あれ(17.6.27撮影:筆者)
ニヤ遺跡の保護は主に風との闘いです。春は猛烈な砂嵐が吹きまくります。今年6月末、天津TV一行と遺跡からホータンへ向かう途中はNo.16で紹 介したように20m30m先も見えない激しさでした。身体もテントの中も砂だらけになり、カメラも故障します。砂丘さえ移動します。寺院や住居址などの遺 構は木材ですので、砂嵐がヤスリのように部材を削ります。仏塔は日干しレンガで、少しずつ崩壊。さらに保護のために設置された柵は砂丘が動くことにより土 台ごと倒れたりします。
西安の秦始皇帝陵兵馬俑のように遺跡全体を覆う博物館を建てれば良いと思われるかもしれませんが、南北約25㎞・東西約7㎞(周辺を含む)という広さ、とても無理ですね。
両遺跡とも水や風のほかに強烈な日光や参観者の落書きなども劣化の一因です。新疆の面積は日本の約4.4倍。保護も何かと困難。私はこれからも保護に微力ながら協力するつもりです。『新疆世界文化遺産図鑑』・『新疆での世界的文化遺産保護研究事業と国際協力の意義』などを出版したり、こうしてWebで発信しているのも日中両国の大学などで講演しているのも、その一環でもあります。ご指導ご支援お願い致します。
人の目・概念・前例・常識なんかトンデケ~
「光陰矢の如し」とはよく言ったものです。今年もあと3ヵ月余。喪中ハガキの季節がやってきます。すでに準備を始めている方もおられましょう。ご苦労さまです。
喪中ハガキはそれほど古い風習ではないようです。それまでは一部に限られていた喪中ハガキ、お年玉年賀ハガキが人気となった昭和30年代に広く普及 したようですね。その対象はドンドン広がり「夫の姪○○が亡くなり」のような便りも頂きます。「喪中につき年末年始のご挨拶を遠慮申し上げます」と続き、 昨今は年賀状を出さないための挨拶状のような位置づけですね。
「喪中」とは、喪に服する期間。近親者が亡くなった際に一定期間喪服を着て故人の冥福を祈り、慎ましく過ごす期間ですね。なんとなく喪中ハガキを出すのでなく「喪中」の意味を踏まえて考えてみたいものです。
小僧落書き、背景は村井正誠※の作品(撮影:筆者)
先日テレビが「ドレスコード」を放送、「高級レストランなどでは男性はジャケット着用、ジーンズはNG、女性は特になし。但し浴衣は寝間着の変化したものなのでNG」と。
それって絶対的なのでしょうか。じゃあ作務衣(僧侶の普段着)の私はどうなるの? 過日行ったパリの著名ホテルの星つきレストラン。やはり「ジャ ケット着用」と言われましたが、僧侶で持っていないと言ったらOKでした。東京の有名レストランも同様です。「浴衣はダメ」も概念そのものですね。浴衣 だって寝間着的から和服以上の品格ある着こなしまであります。また「ドレスコード」が男性にあって女性にないのもおかしいのでは?
大切なことはお店の雰囲気をこわさないこと、その店が求めるイメージにそうこと。そんな客なら良いのでは。ドレスコードOKでも、大声で話したり、写真をパチパチ撮ったり、度々席を立ったり…ではその方自体がNGですね。要はその人の「全体」でしょうね。
結婚式、華やかな女性陣に対して黒一色の男性陣。葬儀の黒ネクタイを白に替えるだけで簡単でいいですが、お祝いらしくないですね。カジュアル化している昨今、男性も楽しい色物で出席されたら?
これらは一例ですが、私たちの周りには人の目・概念・前例・常識といったものがいっぱいあります。それはそれで大切でしょうが、それに固執していてはダメなのでは。自分の考えをしっかり持つことが幸せになるコツではないでしょうか。ほんわかほんわか。
ちなみに今年、継母が亡くなりましたが、喪中ハガキは出しません。有名レストランへ招待いただくことがあれば今後も作務衣で行きます。結婚式には萌黄色の法衣で。
※村井正誠(1905-99):岐阜大垣市生まれ。自由美術家協会やモダンアート協会の創立に加わる。日本における抽象絵画のパイオニア的存在と位置づけられている。武蔵野美術大学教授も務めた。