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国献男子ほんわか日記2 シャワーもトイレもない3週間
国際協力実践家 小島康誉沙漠での調査ってどんなもの? と質問されます。調査隊のほかは誰もいない沙漠ですから文明的生活は望めません。
ニヤ遺跡もダンダンウイリク遺跡も国道315号線(昔の西域南道)から約100kmもタクラマカン沙漠へ入った所に残存しています。沙漠車や駱駝で水や食料・調査機材などを運び込むわけですが、持ち込むものは最小限に絞らざるをえません。
豊かな日本の生活に慣れた私たちにとって、シャワーもトイレもない生活は中々大変ですが、「世界的文化遺産を保護研究するぞ!」と使命感に燃えた隊員諸氏には頑張っていただきました。
ありがたいことに沙漠は乾燥していますので、シャワー無しでもそれほど不快感はありません。1988年調査を始めたころはなかったウエットテッシュが何時しか普及し、団体装備として隊員に支給、身体が拭けるようになりました。下着は三日ぐらい着て、裏返して使います。テントに括りつけておけば一時間で乾燥消毒完了。
日陰をつくり疲れた身体を癒す(撮影:孫躍新氏)
トイレは難題です。ビニールシートで囲った仮設トイレを相談したこともありますが、ほかの遺跡調査隊では中々利用してもらえなかったと聞き作りませんでした。
男性はこちら、女性はこちらと決め、思い思いに出かけて・・・。問題は紙です。排泄物は自然にもどりますが、紙は何時までも残ります。「BCへ持ち帰って燃やす」と決めても、実行は中々。随時、ゴミ拾いに回りました。
テントも4人6人とギュウギュウ詰めで身動きもできません。それでも炎天下での分布調査や発掘・測量で疲れていますので熟睡できます。
朝食は前日の残り羊肉をかけたおかゆ、昼は調査現場で硬いナンとソーセージとリンゴをペットボトルのわずかな水で流し込み、夜はまたまた羊ドン、といった具合です。食器と割り箸は各自専用、各自が砂で洗います。水は貴重だからです。熱心に洗う隊員もいますが面倒くさがりの私はザーツとしか洗いません。ジャリジャリと砂と一緒に食べます。
そんなこんなの沙漠生活。街へ帰り着き、最初の贅沢はシャワー。正に「極楽極楽」です。その後のビールの美味いこと!美味いこと!
はたらく傍楽
はたらくは「働く」と書くのが普通です。働くには金銭を得る意味あいがあります。はたらくを「傍楽」と書いたらおかしいですか。傍(ハタ)の人を楽しくする、といった意味でアテてみました。自分以外の人に幸せになってもらいたくて汗水ながす。周りの人に喜んでもらいたくて知恵を絞る。お金ばかりでなく喜びも得られます。
妻が外で働き給料をえてくる夫のためにはたらく。夫が働いた稼ぎの半分は妻の家庭内労働の稼ぎです。逆の場合も同様ですね。「傍楽」にも苦労はついてまわりますが、ほんわかほんわか楽しい気持ちで働いたらどうでしょう。
小僧落書き、背景は村上肥出夫※の作品(撮影:筆者)
私も企業経営や国際貢献でそれなりの苦労をしてきました。創業当初、ようやく買って頂いたダイヤモンド、お客様が「百貨店でキズがあると言われた」と返品。お渡しした鑑定協会鑑別書にもインクルージョン(内包物)が明記されているのに。宝石に内包物があるのは常識、その百貨店員は自社商品を売るために冷たい言葉を発したようです。売上金はすでに他へ支払済み。返金集めに駆けずり回りました。
あるときは質屋へも。大きくなれば同業者の妬み、労働組合の問題、上場すれば注目され・・・と、悩みは尽きません。イライラしたり怒ったり。
そんな時に、自分が手を抜いたら、社員やその家族、さらには取引先・・・が困る。そのためにも自分がしっかりと「傍楽」ことだ、と頑張りました。
人の喜びが自分の喜び。「傍楽」ことにより、周りに楽しい人生が、笑いの渦が!自分が「働く」ことを「傍楽」と捉えたら、それこそ幸せでは?「楽しくゆったり有意義に」生きるコツでは? はたらく傍楽。ほんわかほんわか。
※村上肥出夫:1933年岐阜土岐市生まれ。ホームレス的生活のなか描きつづけ、兜屋画廊西川武郎の知遇をえてパリへ。川端康成に絶賛された天才画家。自宅アトリエ全焼後、変調をきたし現在は療養中。