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国献男子ほんわか日記211 嗚呼2.26事件 和やかな世界を!
国際協力実践家 小島康誉昭和11年(1936)2月26日午前5時、雪降りしきる東京で事件は起きた。政治腐敗・農村困窮の元凶・重臣らを殺害すれば天皇親政で政治改革が実現すると、「皇道派」青年将校22名が下士官兵1483名を率いて決起した。「昭和維新」「尊皇討奸」掲げたクーデター。首相官邸・警視庁などを占拠し、高橋是清大蔵大臣・斎藤実内大臣などを殺害するも、奉勅命令が発せられ29日午後5時終結。青年将校ら19人は非公開軍事裁判をへて銃殺された。この事件を弾圧した軍部は軍ファッショ体制を固め、日中戦争へ太平洋戦争へ突入していった。

2.26事件慰霊像(25/02/26撮影:筆者)
2.26事件は青年将校の「国を思う純な心」から起きた。背景は複雑で、活動資金の一部は財閥からも出ていた。事件の6年前に作られ流行った「昭和維新の歌」(作詞:三上卓海軍中尉)に「・・・混濁の世に我立てば 義憤に燃えて血潮湧く 権門上に傲れども 国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども 社稷を思う心なし 昭和維新の春の空 正義に結ぶ丈夫が・・・迷いの道を人はゆく・・・」とあり、時代を映し出している。事件を支持したとされる真崎甚三郎陸軍大将は裁判で無罪となった。
2.26事件は筆者が生まれる僅か6年前の出来事。2月26日、銃殺が執行された東京陸軍刑務所跡に立つ慰霊像で香を手向け誦経させていただいた。午前中には遺族らが90回忌追悼式を行った。青年将校らの遺族会が建立した慰霊像は、銃殺された将校たちだけでなく、事件で命を落とした被害者も含めて諸霊の冥福を祈っている。慰霊像から数分歩けば若者たちで賑わう渋谷繁華街。東京陸軍刑務所跡は現在、NHK・渋谷区役所などとなっている。クーデター・戦争・紛争は今なお世界で頻発している。世界は和やかであってほしい。
世界が和やかでない要因の一つは相互理解不足。筆者は日中間も相互理解促進が必要と、微力活動中。〇〇協会・〇〇会社といった組織の力と金でなく、個人レベルでの活動で細やかなものだが、少しは寄与しているようで、昨日は中国中央TVより取材要請あり内容打合せ。また中国や世界の有名人60数人が登場する徐迅雷『天地立人』(広西師範大学出版社)で20頁にわたり新疆での活動が紹介された。ありがたい限り。レコードチャイナが「中国の著名作家に大きな影響を与えた4人の日本人」と報じた。日本人で登場する池田大作氏・稲盛和夫氏・坂本龍一氏はすでに旅立たれた。小僧も間もなく。燃え尽きるのみ。(03/09記)
時代の証言者・保阪正康様 益々のご活躍を! 学び続けます
各界の著名人を取り上げてきた読売新聞「時代の証言者」で「国民の年表を書く 保阪正康」が3月7日まで36回連載された。「編集者など経て30代前半から著作を重ね、個人誌『昭和史講座』の刊行を中心とする一連の昭和史研究で2004年に菊池寛賞、著書『ナショナリズムの昭和』で18年に和辻哲郎文化賞を受賞」と紹介されるほど、昭和史研究の第一人者。記事文中に「昭和に育まれた同時代の仲間よ」とある。小僧もその一人。保阪氏より3年後の昭和17年生まれ、昭和の終わった64年に47歳。正に昭和に育まれた一人。

『実学と虚学・・・』PHP文庫版とプレジデント社版
連載は氏の生い立ちからはじまり、2.26事件当時陸軍少佐だった秩父宮(昭和天皇弟宮)はじめ、西部邁・ビートルズ・死のう団事件・5.15事件・東条英機・田中角栄・瀬島龍三・ソ連・中国国民党・後藤田正晴・昭和天皇・渡辺恒雄・上皇ご夫妻らに関する取材状況などが記されている。「2.26事件当時、秩父宮は青森の大隊長でしたが、首謀者と面識があり、『事件の黒幕』と疑われたのです。私はあり得ないと断じました」などとも記され、「もし迷ったら歴史の教訓をたどり、羅針盤としてください。きっと頼りになりますから。」で終わっている。
保阪氏から取材を受けたことがある。居候していた多度山麓の妻の実家にもお訪ね頂いた。『実学と虚学 〈学び〉は人をどう変えるか』と題し出版された(プレジデント社2001)。佛教大学通信課程へ社会人入学し学ぶ4人を取材された労作。外国業務部長などを務めた銀行マンが病魔に襲われたのを機に学び直す、患者の死をみつめてきた医師が仏教学部で学び直す、住職夫人で看護師が社会福祉学科で学び直す、そんな実録である。小僧はインド仏跡巡拝で釈尊の説法を直に聴いた「宗教的体験」から仏教を学ぼうと入学していた。
この本を企画したのは「日本の大学を改革しよう」と活動されてきた原孝氏。昨今の諸大学の不祥事をどう捉えられておられるだろう。文科省も大学の不祥事多発対応に乗り出し、評議員機能強化などを4月から実施とか。小僧も佛教大学や京都華頂大学など10校を経営する佛教教育学園の評議員を10年ほど務めたが、学校経営は人口減などもあり厳しいと感じた。『実学と虚学・・・』好評だったようでPHP文庫として2005年に再出版された。名古屋駅新幹線ホームの売店で見かけたときは驚いた。取材受けから20数年、今年も保阪様から年賀状を頂いた。ありがたい限り。人生は学びの旅、学び続けます。ほん若ほん若。