VOICE

国献男子ほんわか日記215 和平友好 共創繁栄 ともに築こう 平和と繁栄

国際協力実践家 小島康誉

書棚を整理していたら『和平友好 共創繁栄』(中国国務院新聞弁公室編・中国画報出版社・2005)が出てきた。副題は「ともに築こう 平和と繁栄 中日両国人民友好画巻」。顧問として王毅中国大使(現外相)らが記され、大量の歴史的写真とその説明が大型本349頁に。国務院新聞弁公室の趙啓正主任、日本の町村信孝外務大臣、中国の王毅大使の祝辞。

1945年9月2日東京湾ミズリー号甲板での日本降伏文書調印式と9月9日南京での日本降伏文書調印式、田中角栄総理と周恩来総理1972年9月の「日中国交正常化」交渉、毛沢東主席から田中総理への書物、昭和天皇・皇后両陛下と鄧小平副総理夫妻との会見、福田赳夫総理と鄧小平副総理による「日中平和友好条約批准書」締結式、平成天皇・皇后両陛下の万里の長城参観、残留孤児の帰国、友好都市、仏教・碁・植樹・茶道など多方面交流の写真。

01

『和平友好 共創繁栄』部分スキャン

つづいて「ニヤ古国探索ロマン」と題して、筆者が4頁にわたり登場。「中国新疆で一人の日本人が広く知られている」で始まり「1995年10月、日中共同調査隊は神秘的文字 “五星出東方利中国”の錦を発見・・・小島康誉は1988~97年に1.9億円を拠出し9回の空前規模調査を実施・・・一人の企業家が古代文明保護者となり、彼の名はニヤ探索ロマンとともにある」(拙訳)と締めくくられている。

そして「日本対中国ODA」、小澤征爾・谷村新司・福原愛各氏らの中国活動が記載され、杭州で浴衣姿の日本少女らが楽しく踊る写真などへ続いている。時代は変わった。和服着用の中国人が非難されたとの報道も時々見かける。今ならODA(対外援助)が中国本に大きく掲載されることはないだろう。時代は変わった。しかし「和平友好 共創繁栄 ともに築こう 平和と繁栄」の根本精神は変わらない。世界中が「ともに築こう 平和と繁栄」であってほしい。来週には佛教大学で「五星出東方利中国」発見をPPT講演、これもご縁。(05/04記)

鯉のぼり俺はいずこの空で舞う

妻に連れられ岐阜県垂井町「相川鯉のぼり一斉遊泳」を見た。曇り空ながら両岸の満開桜と映えて楽しい休日だった。遠景には残雪の伊吹山。素晴らしい日本だ。駅前スーパーで買った助六とたこ焼きも美味だった。駅からの両側はシャッター商店街、地方都市の現実が胸をうった。

02

鯉は川や池で泳ぎ、今は空を舞っている。川面に写っている。小僧はかつて企業経営で「商業を通じて社会に奉仕しよう」を掲げて舞い、今は国際協力で「相互理解促進」を掲げて舞っている。大したことは出来ないが。ここ垂井は旧中山道の宿場町、30年ほど昔、念仏行脚で通ったことはすっかり忘れていた。駅前には豊臣秀吉を天下人とした軍師とされる竹中半兵衛の銅像があった。ホンワカほんわか。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授などを歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。