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国献男子ほんわか日記68 なぜ? マッターホルンは世界遺産でない!

国際協力実践家 小島康誉

紺碧の空を鋭くきりさく美しい山容で知られるマッターホルン(4,478m)。私は世界遺産と思い込んでいました。そう思われている方も多いのでは。実は世界遺産ではありません。

世界で累計5,000万部も発行されたというヨハンナ・シュピリの名作「アルプスの少女ハイジ」のハイジを自任する妻の「里帰り」でスイスへ来てい ます。なぜ「ハイジ」なのかは知りませんが、私は「ヨーゼフ」だそうです。老犬ヨーゼフは荷物持ちとしてお供です。国際協力に注ぎ込みすぎて、何かと援助 してもらっている身では、ワンと従うのみです。この「ほんわか」の取材もでき嬉しい夏休みです。

世界的に有名なマッターホルンを「なぜ世界遺産に申請しないのですか」と山麓ハイキングガイドなど何人かに訊ねましたが、「イタリアとまたがってい るからでは?」「スイスは山だらけだからでは?」「世界中から観光客が来るから世界遺産にする必要もないからでは?」…などとの答えでした。

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虹とマッターホルン

6年ぶりにマッターホルン山麓ハイキング。登山列車おりる頃は濃霧で視界10m、雹もふり、今日はダメかと。20分もすると霧が消えはじめ、雹もや み、晴れ間も。当地では珍しいという虹が出現。思わず合掌念仏。約2時間のハイキングを楽しみました。前回見た見事な逆さマッターホルンは残念ながら風で 水面が波打ち見られませんでした。

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上の写真地点から約2時間くだったマッターホルンと羊

なおスイスの世界遺産は下記をふくめて12件あり、その内の「ル・コルビュジエの建築作品-近代建築運動への顕著な貢献-」(2016年登録)は、スイスのほか日・仏・独・印・亜・白の7ヵ国にまたがり、上野の国立西洋美術館本館もふくまれています。

世界文化遺産レーティッシュ鉄道アルブラ線・ベルニナ線と周辺の景観」 は、スイスとイタリア両国をまたぎ、「国境を越える世界遺産」としての管理も評価されています。構成資産はアルブラ線のトゥジス駅~サンモリッツ駅間とベ ルニナ線のサンモリッツ駅~ティラーノ駅間の計122.3㎞、およびそれらの周辺の景観地域です。スイスアルプスを横切るスイス最大級の私鉄であると同時 に、約100年の歴史と伝統を持つ鉄道路線で、車窓からのアルプスは絶景です。2008年登録。

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皆が身を乗りだし撮影するベルニナ線ループ区間

世界自然遺産スイス・アルプスのユングフラウとアレッチ」は 世界で最も美しい山岳風景のひとつと言われています。2001年登録され07年拡大、08年名称変更されました。4,000m級の巨峰ユングフラウ・メン ヒ・アイガー・アレッチホルン・ビーチホルンなど含む82,400 ヘクタール。スイスが誇る名峰群とアルプス最長のアレッチ氷河を抱く雄大な地域で、高山植物や動物など多彩な生態系とともに、アルピニズムの歴史・文学・ 山岳観光など多分野で重要な役割を果たしたことも評価されています。

ドイツ語でユングフラウは「乙女」、メンヒは「修道士」を意味するそうです。アイガーは「男性」に例えられることもあり、乙女と男性のデートを間の 修道士が見守っているのだとか。ロッククライミングに熱中していた青春時代、アイガー北壁などへ出かけてゆく先輩たちを羨ましく見送ったことを思い出しました。

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スフィンクス展望台からのメンヒ(4,107m)

麓からアイガーやメンヒの山中にトンネルを掘りユングフラウ近くの3,454m 地点まで、9.3㎞のユングフラウ鉄道。その発想力に脱帽。1860年代に構想が持ち上がり、1896年建設が始まり、1912年に全線完成。以来、観光 客は増えつづけ、2017年107万人という記録的乗客数を達成。その半分以上が中国人と。ユングフラウ鉄道の経営は順調のようですが、地球温暖化で氷河 が後退し、降雪も減り、スイス全体の観光業は転換期を迎えつつあるとか。咲き乱れる高山植物と雄大な山々に心癒される山麓ハイキングも楽しみました。

オマケの話①:日本アニメの無邪気な幼女ハイジに 魅了されていた妻は、現地マイエンフェルト村で原作ハイジの理知的な少女像を見て、イメージ違いに少々がっかり。一方で、日本アニメに対して、スイスでは キリスト教信仰にもとづく世界を巧みに物語にした原作を台無しにした、原作にないセントバーナードを登場させたなどと、一部に反発もあるとか。

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スイスと日本のハイジは大違い(現地の看板より)

オマケの話②:そのセントバーナードとの記念写真 スポットとしても知られるマッターホルンを望むゴルナーグラート展望台(3,089 m)からセントバーナードがいなくなっていました。聞けば「動物虐待」との声で、数年前に中止されたと。6月末、ロンドンで「日本は恥を知れ」とプラカー ドを掲げて、捕鯨反対デモがあったのに通じますね。

オマケの話③:モンブランを眺めるエギーユ・デュ・ミディ展望台(3,842m)やユングフラウを眺めるスフィンクス展望台(3,571m)は零下、素足・草履で行ったのは小僧ぐらい? アイガー・メンヒ・ユングフラウを眺めつつ約2時間ハイキング、草履で歩いたのも小僧ぐらい?

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槇有恒氏が1921年アイガー東山稜初登攀に感謝して寄贈した山小屋(移築後)

オマケの話④:マッターホルン麓の町ツェルマット をうろついていたら、見知らぬ外国人が「ハロー」と手を差し出す。坊主頭と作務衣が気に入ったようで、握手・ハイタッチ・ハグを求められ会話。ポーランド からの一人旅巨漢青年。日本の僧侶と名乗ると抱きあげられ、通りすがりの人もビックリ。その夜、赤提灯にさそわれ入った寿司屋。なんとそのポーランド人 が。「オーマイマスター!」と駆け寄ってきて再び握手・ハイタッチ・ハグ、抱きかかえられ、激しくゆすられる。居合わせた客もビックリ。片言英語で楽しい 交流。健闘を祈り別れる。

オマケの話⑤:スイス往復はアラブ首長国連邦 (UAE)のエミレーツ航空。座席前モニター画面に「ファウンデーション:管理に費やすのは3%未満、ご寄付の97%は直接プロジェクトに使います。詳し くは備え付けのパンフレットをご覧ください」(拙訳)。パンフを開いてみると中東・東南アジア・アフリカ・南米・欧州で、子供関係の27プロジェクトが写 真入りで。パンフに小袋がついていて、「どんな通貨でも可」と。

募金活動は方々にありますが、殆どの場合は「収益の一部を〇〇へ」と曖昧表現。97%と明記されているのに感じ入り、行きは日本円を帰りはスイスフランとユーロを寄付。

私が新疆のキジル千仏洞修復募金・希望小学校建設募金や東日本大震災後に気仙沼仮設商店街「南町紫市場」支援の「瀬川瑛子ショー」募金を呼び掛けた時は、詳しい企画書で案内し、礼状にはご寄付金額を明記し、終了後には写真入り報告書をお届けしました。

喜ぶ

昭和天皇の侍従長であった入江相政氏(故人)の「喜色是人生」が国立演芸場に掲げられています。古今亭志ん輔師匠らの名人芸を楽しむ背景としてナイスコラボ。師匠らが登場し拍手をあびるのを喜んでいるようです。ほんわかほんわか。

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小僧楽書:背景は午前4時半のUAE・ドバイ空港(以上7点撮影:筆者)

喜びあふれる人生、最高ですね。悲しい時も苦しい時もあるのが人生。でもでも、喜びを見つけて、無理やり見つけて生きてゆく。起業し上場会社に育て 上げた社長業、中年になってからの僧侶の修行、新疆ウイグル自治区での各種の国際協力……困難の中に喜びを見つけて前進してきました。今回の旅はドバイ経由、乗り継ぎ5時間40分待ち。でも多くの方の世話になっての旅、感謝×感謝の今この時です。喜びを無理にでも見つけて生きてゆく。そう心掛けている小僧 です。嗚呼ほんわかほんわか。

 

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。