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アートへの招待 番外編 メセナ性を失ったメディアの文化事業

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

値上げラッシュは美術館など公共の文化施設でも顕著だ。大きな要因は、コロナ禍による運営・管理費の負担増があげられるが、それだけではない。すでに10数年前から値上げ傾向が続いている。一にも二にも、慢性的な経営悪化による。かつて公共の文化施設は住民への行政サービスとして、企業は文化芸術への支援いわゆるメセナとして、収益は二の次だった。ところが自治体では議会が問題視し、企業もバブル期のようなゆとりを失い、運営管理の見直しを迫られているのだ。ここでは筆者が所属した新聞社の文化事業の変化を中心に昨今の展覧会事情をリポートする。

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コロナ禍、検温など厳戒態勢続く兵庫県立美術館の入口

【次々と2000円以上に】日本の美術・博物館は、常設展であれば高くても1000円前後、特別展の鑑賞料も1500円前後が相場だった。参考に「入場料ランキング5」では、第1位 ポルセレインミュージアム 7000円(ハウステンボス入場料含む)、第2位 大塚国際美術館・小田原文化財団 江之浦測候所 3240円、第4位 岡田美術館 2800円、第5位 足立美術館 2300円と、まさに高値だ。
 ちなみに東京国立近代美術館の「ゲルハルト・リヒター展」(~10月2日)の当日券は一般2200円だった。「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」は、東京都美術館で2100円(巡回先の大阪市立美術館では1900円)、東京国立博物館創立150年記念の特別展「国宝 東京国立博物館のすべて」(10月18日~12月11日)は2000円となっている。

近年、特別展の主催者は経費面から展覧会の成否を入場者数で判断する傾向がある。まず約3年近くになった新型コロナ禍は、美術館運営の在り方にも影響をもたらせている。感染防止上、一時は一斉に休館に追い込まれ、会期延長や中止の事態にもなったた。そうした損失は美術館だけでなく、新聞社や運送会社、図録制作の会社にも及ンでいる。現在も来館者の検温や消毒液の備え、予約制で入場制限の館もある。
 東京などの美術・博物館でフェルメールやルノワール、モネ展といった人気の海外名品展で行列をつくり、「立ち止まらないでください」といった押すな押すなの収益増は、しばらく望めない。これまでのように動員数追求が出来なくなっているのが現状だ。

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ポルセレインミュージアムの「磁器の間」(長崎県佐世保市のハウステンボス内、ネット画像から)

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押すな押すなの「新・北斎展 HOKUSAI UPDATED」入口(2019年2月、東京・森アーツセンターギャラリー)

【文化事業の現状は】メディア各社は戦後、イメージアップを図る経営戦略として競って文化事業に取り組んできた。美術をはじめ音楽、スポーツ、囲碁・将棋などありとあらゆる文化事業を組織的に継続的に実施。中でも展覧会のチケットは新聞社の読者サービスに、プロ野球の実況は視聴率の向上に寄与したのだ。高度経済成長期、メディアは「文化の担い手」として、メセナ性を発揮した。ところが本業の経営悪化が深刻化。当然ながら文化事業の見直しに迫られ、収益をめざすビジネス性への転換へ舵を切らざるをえなくなってきた。代表的な文化事業である展覧会を軸に、その変化と現況を詳しく説明する。

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「ハプスブルク展」では長い行列(2019年12月、東京・国立西洋美術館)

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「ウィーン・モダン展 クリムト、シーレ 世紀末への道」の内覧会(2019年8月、大阪・国立国際美術館)。 特別展では開会の前日に盛大に開かれていた

【新聞社の文化活動】そもそも文化活動は、先進諸国では社会的意義からも国や自治体が後押しして発展してきた。日本は明治・大正期を通じ富国強兵に追われ、文化支援はなおざりにされてきた経緯がある。その役割を肩代わりしてきたのが新聞社はじめメディアだった。
 私の所属していた朝日新聞社では、1906年から文化事業に取り組み始め、1910年には白瀬中尉の南極探検の義金募集を呼びかけた。1922年には計画部を創設し、フランス絵画彫塑展やチェロの名手・ホルマンら外国人演奏家を招聘し、コンサートを開催した。一方、1915年に大阪の豊中球場で、今や国民的行事となった全国高校野球大会の前身である全国中等学校優勝野球大会をスタートさせた。1937年には神風号による東京-ロンドンを94時間17分56秒の記録飛行を打ち立てるなど国家的事業までやってのけたのだ。
 戦後、豊かさとともに国民の文化的な行事への関心が高まるのに伴い美術展はじめ、野球やマラソン、合唱や吹奏楽、囲碁・将棋、各種表彰など多様な文化事業に乗り出します。中でも美術展開催に大きな力を注いだ。新聞社が展覧会を運営するのは、諸外国では珍しい上、会場がデパートというのも日本独特のスタイルだった。

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大作も運び込まれて開かれた「平山郁夫展 故郷の風景」(2005年10月、大阪・京阪百貨店)

【デパートとの連携】デパートが美術展に乗り出したのは1904年に東京・日本橋の三越が開店前景気をあおるため、尾形光琳の花鳥画などで「光琳遺作展覧会」を開いたのが始まりとされる。この時代、デパートは舶来文化に触れられる庶民のあこがれの場だった。三越をはじめ高島屋、松坂屋、大丸などいずれも呉服商の創業で、着物の図案が絵柄であり、美術と関連があったのだからうなずける。
 デパートでは展覧会場を上階に設け、観客の買い物を誘う「シャワー効果」を期待し、宣伝力のある新聞社と提携し実績を上げた。デパートにとって文化催事は、格好の客寄せ策になり、新聞社の読者開拓の思惑と重なった。両者連携による展覧会は、美術の大衆化に寄与してきた。
 ところが2000年代に入り、デパートが売り上げ減に伴い、経費負担のかさむ展覧会事業から撤退する所が増えたのです。新聞社にとっては、確実に収入を見込めた企画料が大幅に縮小することに。デパートからの収入で、メセナ性の高い公立美術館との共催も出来、収支のバランスを図っていたのも事実だ。

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「京都市京セラ美術館」(2021年5月)としてリニューアルオープン

【美術館乱立の歴史】現在はどの府県にも公立ミュージアムが設置されているが、その歴史は浅い。さすがに東京国立博物館はいち早く1872年に開館している。その後1894年に奈良、1897年には京都に国立博物館が出来た。公立館第1号は1951年の神奈川県立近代美術館で、1970年に兵庫県立近代美術館が続く。
 その後、日本の高度経済成長に伴って、各地に美術館や博物館が誕生した。不思議なことにバブルが崩壊した1991年以後も自治体の「ハコモノ」行政はとどまることがなかった。日本博物館協会がまとめた2019年度末の調査によると、活動している日本のミュージアムは4178館を数え、3分の2が公立館と言われる。その他私設の館や無人館などを加えると8000~9000館にのぼると推定されている。
 乱立に加え自治体の財政難で、「美術館冬の時代」と言われて久しい。美術品購入資金どころか運営資金も行き詰まり、滋賀県立琵琶湖文化館が休館に追い込まれたのをはじめ芦屋市立美術博物館はNPO法人に運営をゆだねるなど、自治体にとってお荷物になってきたのだ。行き当たりばったりの文化行政の貧困さを露呈した感がする。
 最近でも、京都市美術館では大規模改修に際し、美術館の命名権を京セラに50億円で売り、一昨年の再開から京都市京セラ美術館になっている。また構想から40年経て開館した大阪中之島美術館では、施設の所有権を公共主体が有したまま、施設の運営権を民間事業者に設定するコンセッション方式を取り入れている。

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「ミロのビーナス特別公開」開幕日の盛況を伝える朝日新聞東京の紙面(1964年4月8日付け夕刊社会面)

【語り草の入場者数】美術展史上特筆すべき展覧会は、朝日の「ミロのビーナス特別公開」(1964年)だ。東京オリンピック開催中の日本に時のフランス文化大臣が「出開帳」を許可したのだ。国立西洋美術館に83万人余を集めた。ショー的な演出の成功が翌年の「ツタンカーメン展」につながった。東京国立博物館に約130万人も押しかけた。京都、福岡を合わせた入場者数は293万人で、この純益3億余円はそっくりアブシンベル神殿水没の救済資金に寄贈されたのだ。
 この流れが1974年に同じく東博で開催された「モナリザ展」でピークに達した。フランスの秘宝で門外不出とされた名画「モナリザ」に何と150万人が駆けつけました。1970年の万国博会場の「万国博美術展」の177万人には及ばないものの、歴代入場者ランキング(1会場)の記録を誇る。この二つの展覧会は、いずれも国のレベルで実現したのだ。
 ベスト10には読売の「バーンズコレクション展」や「ルーヴル美術館展」などもあり、毎日の「フェルメール展」や「ゴヤ展」、日経も「オルセー美術館展」など優れた絵画展を展開してきた。
 海外旅行が日常化した昨今、泰西名画では大量動員が難しいとされる中、2008年は「日光・月光 初のふたり旅」と謳った読売・NHK共催の「国宝薬師寺展」に79万人余、翌2009年は「仏像中の仏像」の興福寺の「国宝阿修羅展」(朝日など主催)に、東博で94万人余、九博で71万人余も入場し、ルノアールやピカソなど著名な西洋絵画も顔負けの集客を記録した。仏像に限らず長谷川等伯や伊藤若冲、狩野永徳などの展覧会も人気を博しており、東洋の美を再認識する風潮も顕著だ。
 毎年恒例の「正倉院展」は奈良博の独自事業だったが、独立行政法人になった2001年から集客増を図るため朝日が特別協力に入った。しかし効果が不十分だったため、2005年からは読売に移った。手厚い紙面展開と読売旅行の動員などもあって2009年には約30万人と倍増以上の成果を上げた。

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左)ルーヴル美術館の「ミロのヴィーナス」 中)ツタンカーメン王の黄金のマスク 右)レオナルド・ダ・ヴィンチの名画「モナリザ」

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ルーヴル美術館の「モナリザ」

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開幕の1年も前に催された「フェルメール展」の記者発表会(2017年11月、東京)

【収益性重視へ転換】新聞社の展覧会は、読者サービスや社会貢献などメセナ的な性格を有してきたが、各社とも採算面重視の事業的な性格を強めている。そのため集客力の見込める海外大型展や寺社の国宝の持ち出しなど「目玉」主義にシフトし、日本の洋画展や現代美術展が激減している。一方、ルーヴルやオルセーなど海外美術館展では各企画会社やテレビ各社との連携によるリスク回避を図る傾向が強まっている。
 とりわけ発掘品など文化財展では、映画会社の東映の参入が際立っている。「ベルリンの至宝展」(朝日・TBS)「ペルシャ文明展」(朝日・テレビ朝日系)「チンギスハーンとモンゴルの至宝展」(産経・テレビ朝日)「トリノ・エジプト展」(朝日・フジテレビ)など次々と企画された。同時にメディアの共催の組み合わせも従来、新聞と系列局とのメディアミックスが重視されたが、現在は開催地域によって、ねじれ現象が目立ってきた。
 新聞各社の展覧会開催をはじめ文化事業は、デパートの展覧会事業の相次ぐ撤退と、広告の落ち込みによる急激な経営環境の悪化で大きな転換期を迎えている。指定管理者制度で効率運営を図る文化行政同様、新聞社が文化の軽視や切り捨てにつながる危惧もぬぐえない。
 スポーツ事業も多額の経費がかさみ撤退が現実に。すでに、びわ湖毎日マラソンは昨年単独の国際大会の役割を終え、市民マラソンとして統合された。朝日が主導してきた福岡国際マラソンも昨年に廃止が決まり、日本陸連など新たな運営主体が引き継ぎいだ。

こうした中、2018年には、産経新聞創刊85周年記念、フジテレビ開局60周年記念事業として展開した「フェルメール展」が、現存する作品が35点とも言われている寡作の作品を日本美術展史上最多の9点を集め、入場者数も68万人に達した。巡回した大阪市立美術館では6点の展示だったが、54万人を超え、収益増に寄与した。
 産経新聞では今年も「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を東京都美術館と大阪市立美術館で開催した。おおさかでは、音声ガイドのナレーションを務めた女優の小芝風花さんも招き報道陣にPRする熱の入れようだった。

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「ドレスデン国立古典絵画館所蔵 フェルメールと17世紀オランダ絵画展」(2022年7月)では、音声ガイドのナレーションを務めた女優の小芝風花さんも登場しPR

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「戦後文化の軌跡展 1945-1995」では、開催館の学芸員と新聞社スタッフが20数回にわたる勉強会を重ねたが、合宿までした時の様子

【なおも文化の担い手】かつては新聞社のスタッフが学芸的な企画内容も含め主導していた展覧会もあった。私もスタッフの一員となった「戦後文化の軌跡展 1945-1995」では、戦後50年を総括する絵画や彫刻をはじめ美術のみならず写真、建築、デザイン、ファッション、いけばな、映像、マンガにいたる様々な視覚文化を検証しようという壮大なテーマ展で、4会場の美術館の学芸員と新聞社のスタッフが3年がかりで、20数回におよぶ勉強会を開き合宿までして取り組んだのだ。借用先は200ヵ所以上にもなった。
 1999年に私が企画した朝日新聞創刊120周年記念の「シルクロード 三蔵法師の道展」は、玄奘三蔵をテーマに21世紀の指針を探ろうという趣旨で、展覧会を軸にシンポジウム、学術調査の多面的展開で、新聞社ならではの企画といえた。白紙から展示品を探し出す4年がかりの難事業だった。監修者の力添えで内外6カ国から220点余を集め、⒊美術館を巡回した。

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平山郁夫さんと並び文楽の孫悟空もひと役の「三蔵法師の道展」の開幕テープカット(1999年、奈良県立美術館)

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ほとんど海外に貸し出さないインドから15年ぶりに石彫など46点も出品された「三蔵法師の道展」(1999年、奈良県立美術館)

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3年ごとに開催の「あいちトリエンナーレ」(今年から「あいち2022」)のプレス内覧会(2019年7月、愛知芸術文化センター)

こうした金と手間のかかる文化事業は敬遠されてしまった感がある。本来、展覧会仕立てのプロセスで、人材が育成され、メディアと美術館の交流も促進されるのですが…。主催事業とは名ばかりで、企画会社の持ち込み展の広報を任される展覧会が増える傾向にある。
 一方、地方に海外展を提供してきた読売の美術館連絡協議会や、幅広い文化活動をサポートしてきた朝日が関わる企業メセナ協議会も、経済停滞の余波ですっかり影が薄くなり、美術館連絡協議会は今年から事務局業務を停止した。こうした反面、越後妻有トリエンナーレ(大地の藝術祭 人口7万3千人の町に37万人)や横浜、あいちトリエンナーレなど地域ぐるみの文化活動も定着している。地域再生への支援など、文化事業のあり方に今こそ知恵を絞ってほしいと願わずにいられない。
 美術展には、オンラインにはない身体全体への刺激があり、それが人間性を育み、心を豊かにしてくれる。美術館は本来、学芸員に加え、教育や普及、保存・修復、資金調達、プロジェクトマネジメントの専門家を集めた非営利の総合組織として、市民に還元してゆく道を探るべきだと思う。コロナ禍は、美術館の在り様にも一石を投じているのだ。
 新聞社は多様な文化事業に参画することによって、読者を拡大し発展してきた歴史がある。また広く国民も新聞社への期待を持ち続けている。本業の経営悪化の影響は避けられないにしても、「文化の担い手」としての役割は失ってはならないと確信する。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。