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アートへの招待 番外編パート3 ベトナム絵画保存修復の物語「愛を語る人」展を伝える
文化ジャーナリスト 白鳥正夫日本とベトナムの外交関係が樹立されて今秋50周年を迎える記念すべき年、その趣旨に即した展覧会が金沢21世紀美術館の市民ギャラリーBで5月19日まで開催されている。そのタイトルは、ベトナム絹絵画家グエン・ファン・チャン 絵画保存修復プロジェクト展「愛を語る人―画家のまなざしをつなぐ人々の物語―」。ベトナムが誇る近代絹絵のパイオニアであったグエン・ファン・チャンが描き遺したものの劣化する作品を、日本で保存修復した成果を展示している。戦争など苦難の歴史にひるまず美しい情景を追い求めた画家の16作品が並んだ。このプロジェクトには15年もの歳月を献身的に取り組んだ一市民や、絵画保存修復家、民間企業の支援など、心温まる物語がある。メジャーな展覧会が動員を競い、ビジネス化が進む美術界にあって、国際貢献の一環として、無料のメセナ的な企画展でもある。
「愛を語る人―画家のまなざしをつなぐ人々の物語―」展のチラシ
農村に暮らす女性や子どもを絹絵に
きめ細かく華奢な絹が、
その美しさを永久に保てるものなのか!
そこに描かれた、最も正確な筆致が、
色褪せていくのか!
あるいは、霊妙かつ妖気な色彩は、
芸術家として、私が耐えたように、持ち堪えうるのか、
それを、誰が確信を持って言えようか!
…生きつづけるものは
(絵画のヒューマニズム)である。
人生の嵐を助けてくれたのは、
この(絵画のヒューマニズム)である。
私と、この国及び海外の友たちとの間に、
共感を創造してきたのも、
また、この(絵画のヒューマニズム)である。
(『グエン・ファン・チャンの独白』 藤田繁 訳)
日本人にほとんど知られていないグエン・ファン・チャン(1892-1984)は、ベトナム近代美術史に大きな足跡を遺した画家だ。絹地に染色技法で描いた「絹絵」のパイオニアである。ベトナム北中部ハティン省タックハ県の貧しい儒家の家に生まれた。幼い頃から画才があり、書画を売ってフランス語を独学し、小学校の先生の職に就く。しかし画家になるため、1925年に創立されたインドシナ美術学校の1期生として入学し、西洋絵画の技法も学んだ。さらに中国伝統絵画の技法も習得し、在学中にベトナムにおける最初の絹絵を発表する。
グエン・ファン・チャンが創始した絹絵は東洋の伝統と西洋の技法を融合した独特の国民絵画として発展。画家は戦況の悪化で1939年に故郷に帰るが、インドシナ戦争に勝利した1955年にハノイに戻り、高等美術学校で後進の指導に当たる。その間、一貫して農村と、そこに暮らす女性や子どもたちを絹絵に描き続ける。初期の傑作は、1931年に開催されたパリ国際植民地博覧会に展示されている。
修復プロジェクト一市民の活動から
今回の展覧会は、日越外交関係樹立50周年記念事業として、一般財団法人三谷文化芸術保護情報発信事業財団(所在地:石川県金沢市、代表理事:三谷 充)によって開催。10余年にわたる絵画保存修復プロジェクトによって蘇らせることができた、グエン・ファン・チャンの作品と、絵画保存修復のドキュメンタリー映像や修復道具、資料なども展示された。
グエン・ファン・チャン(1892-1984、中村勤さん提供)
この絵画保存修復プロジェクトは一市民の中村勤さん(72歳)が15年前の2008年から取り組み始めた。中村さんはテレビのCMや番組、ビデオ制作などの映像関係の会社を経営している。
ベトナム絹絵との出逢いは、映像の素材を探していたこともあるが、まさに偶然だった。金沢に本社のある三谷産業株式会社から委託されたプロモーション・ビデオの制作でホーチミンの同社事務所を訪ね、テーブルに置かれた小さなカレンダーの絵を見たことが発端となった。
中村さんは「風に吹き流される籾の動きが独特の手法で表現され、描かれた農村の女性の表情に気品があふれていました」と振り返る。グエン・ファン・チャンの描いた素朴な作品は中村さんを魅了したのだ。現地書店の美術書コーナーで画家の名前や絹絵のことを知り、帰国後に調査を始めた。
その結果、画家の作品が福岡アジア美術館で所蔵されていることや、2005年から06年にかけて東京と高知、和歌山、福岡の美術館で開催された「ベトナム近代絵画展」に4点が出品されていたことが判明した。
「本物の絵を見たい」と思い立ち、2008年5月に渡越した中村さんは、ハノイのベトナム国立美術博物館やホーチミンで、オリジナル作品を鑑賞する。さらにその時のベトナム外務省職員の好意で、遺族のグエット・トゥさんの自宅を訪ね、遺品として所有する作品を拝見し、劣化の現状を目の当たりにする。
グエン・ファン・チャンの自画像(1962年、グエン家蔵) 以下、作品写真はすべて©Nguyen Nguyet Tu
「大切な父の作品が傷んでいます。日本の高い技術で直してください」とのグエット・トゥさんの申し出に、中村さんは心が動かされたのだった。それから中村さんは、保存修復プロジェクトに邁進することになる。大阪から、東京へ、福岡へと、方途を探っての旅が始まる。
アジアの近代美術に造詣の深い後小路雅弘・九州大学教授(現在、同大学名誉教授、北九州市立美術館館長)から多くの情報を得た。もっともおおきな成果は、絵画保存修復家の岩井希久子さんを紹介していただいたことだ。岩井さんは、後述の福岡アジア美術館が所蔵するグエン・ファン・チャンの《オーアンクァン遊び》(1931年)の修復を手がけていた。
2009年3月には、岩井さんを伴ってハノイに赴く。グエット・トゥさんの自宅にある作品以外にも、ベトナム国立美術博物館の展示室や収蔵庫の作品も調査した。もともと映像制作を生業とする中村さんは、この時から記録映像の撮影を始める。その後のプレゼンテーションに役立つと考えたからだ。
この間、国際交流基金などにも足を運ぶが、保存修復への理解はえられたものの、費用のメドが立たない。やむなくベトナムでの仕事を依頼した三谷産業に懇願した。事情を聞いた三谷充会長(現在、財団代表理事)から「修復費用の協力をしましょう。条件は修復した作品を金沢で展示し、多くの方に見ていただくことです」との言葉を引き出したのだ。
こうした趣旨に金沢21世紀美術館が理解を示し、2011年10月に最初の展覧会「ベトナム絹絵画家 グエン・ファン・チャン 絵画保存修復プロジェクト」の開催にこぎつけた。わずか修復された3点のみ展示だったが、反響を呼んだ。
かびや虫食い、欠損の作品も再び蘇る
今回の展覧会では、《香炉の火煙(ひけむり)》(1938年、グエン家蔵)が修復後、初公開されたのをはじめ、これまでに修復し保存額装を終えている《牛に乗って川を渡る》(1972年、三谷産業株式会社蔵)と《薪を取りに行く》(1938年、グエン家蔵)、《船を燻す》(1938年、グエン家蔵)など合わせて16点が展示された。
初公開のグエン・ファン・チャン《香炉の火煙》(1938年、グエン家蔵)修復後
グエン・ファン・チャン《かくれんぼ》(1939年、グエン家蔵) 修復後
《かくれんぼ》修復前
グエン・ファン・チャン《薪を取りに行く》(1938年、 グエン家蔵 》修復後
グエン・ファン・チャン《船を燻す》(1938年、グエン家蔵)修復後
いずれもベトナムの農村の素朴な日常風景と、けなげに生きる女性の姿を捉えている。中でも《牛に乗って川を渡る》は、農作業を終えた女性が牛の背にまたがり、夕陽に染まる川を渡って家路に向かう様子を詩情豊かに描いている。まるでキャンパスの情景にタイムスリップするようで、画家の温かいまなざしが伝わってくる。
修復前には、繊細な絹の画布に水彩絵の具で描かれていたが、かびや虫食いなどで色褪せ、欠損も目立つ。高温多湿の環境が劣化の進行を早めていた。修復後の作品は欠損部分が見事に埋められ、元の作品の再現が図られた。
グエン・ファン・チャン《牛に乗って川を渡る》(1972年、三谷産業株式会社蔵)修復後
《牛に乗って川を渡る》修復前
この作品を蘇らせたのが、絵画保存修復家の岩井希久子さんで、ゴッホの《ひまわり》(SOMPO美術館蔵)やモネの《睡蓮の池》(香川県直島の地中美術館蔵)なども手がけた、この道の第一人者だ。
岩井さんは、後継者で娘の貴愛さんを伴って現地を訪れて、ベトナム絹絵という未知の分野に取り組んだ。「当初はとても傷んだ作品で、修復は困難を極めると思いました。中村さんの熱い思いと、遺族の願いに『なんとかします』と言ったこともあり、約束を果たせてほっとしています」と述懐している。
修復された絹絵作品の前で歓談する左からグエン・グエット・トゥさん、岩井希久子さん、中村勤さん(2011年、金沢21世紀美術館、筆者撮影)
ベトナム国立美術館に展示されているグエン・ファン・チャンの作品(中村勤さん撮影)
ベトナム国立美術館で調査する岩井希久子さん(2009年、中村勤さん撮影)
調査は国立美術館の収蔵庫でも行われた(2009年、中村勤さん撮影)
グエン・ファン・チャンンの墓(中村勤さん撮影)
2011年の展覧会に、当時86歳の画家の長女で修復を依頼したグエット・トゥさんが来日した。「修復の完成度が高く、驚き感激しました。父が生まれて120年目の大きなプレゼントになりました。この絵を見つけ修復への努力を重ねていただいた中村さんはじめ、修復していただいた岩井さんほか、支援していただいた皆さんに感謝します」と、しっかりした口調で語っていた。
佐倉のIWAI ART保存修復研究所に持ち込まれたベトナム絹絵(2011年、筆者撮影)
佐倉のアトリエで修復前調査をする岩井希久子さん(右)と、娘の貴愛さん( 2023年、八重樫肇春さん〈THREE CHORDS〉撮影)
『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』を出版
『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』の表紙
筆者は、このプロジェクトの端緒に関わった。2008年10月末に遡る。中村さんが筆者の知人を伴って大阪へ訪ねてきた。ネットのサイトに、アート・エッセイを寄稿しており、2005年開催の「ベトナム近代絵画展」を紹介していたからだ。その中で、 グエン・ファン・チャンの、子どもの遊ぶ姿をほのぼのと描いた《オーアンクァン遊び》や、働く女性の素朴な姿を捉えた《籐を編む》(1960年、福岡アジア美術館蔵)を取り上げていた。
《籐を編む》(1960年、福岡アジア美術館蔵)
グエン・ファン・チャン《オーアンクァン遊び》(1931年、福岡アジア美術館蔵)
中村さんは初対面ながら、「危機に瀕したベトナム絹絵修復への取り組みが急務です」と、熱っぽく語った。その素朴で誠実な人柄に好感を抱き、私としてもできる限りの支援を約束した。
とはいえ方策の手立てがあるわけではなかったが、「ベトナム近代絵画展」の開催館の学芸員や、修復について院展の審査員、修復経費の助成について関係各所などを、中村さんともども訪ねた。そうして先述のアジアの近代美術に造詣の深い後小路教授や、絵画保存修復家の岩井希久子さんにたどり着いたのだった。
その後、保存修復プロジェクトを多くの人に知っていただくため、NHKへ番組化の話を持ち込み、紆余曲折を経て、BSプレミアムの新番組「旅のチカラ」で取り上げられることになり、岩井さんを旅人にして、修復のために関係先をめぐるロケハンが行われた。2011年7月、「幻の絹絵よ!よみがえれ~絵画修復家 岩井希久子ベトナム・ハノイ~」が放映された。
こうして金沢での最初の展覧会が実現するまでの3年半の経過を一冊の本『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』(2012年、三五館、ネットで販売中)にまとめた。この物語は、出版の前年に起こった東日本大震災「3・11」以降の国のあり方や個々人の生き方を問う本を著したい―との思いに添った素材だった。混迷の世、次世代へ継承すべきものを実践活動として取り組んだ、中村さんの私心ない夢のある行為に、いつしかこころ動かされていく人々の「絆」をテーマとして綴った。
その最後に、グエット・トゥさんが認めていた「ラブレター」と題する一篇の詩を紹介した。
日本の あるひとりのオトコ、とつぜん わたしのココロを、揺さぶる、
優しく真摯に ベトナムの ここにしかない、この一枚の美しい絹絵に
タマシイを奪われて 時間の 空間とのたたかい 修復という、融和が始まった
農村の 慈しむべきタマシイ 夢幻の輝きをもって、いまここに蘇える
彼の 定められた、前世からの運命?
絵を愛する気持ち、ただそれだけのこと?
(ミー・ハン 中田徹 訳)
人びとの絆が紡がれてゆく共生社会を
ベトナムはいま、経済発展し、日本からの企業進出も顕著だ。しかし安保世代の筆者にとって、ベトナム戦争が真っ先に頭をかすめる。ベトナムの地が南北に分断されて、東西陣営の軍事衝突が1960年代初頭から1975年まで約15年間も続いたのだ。多くの犠牲者を出した戦争を乗り越えて、グエン・ファン・チャンのような民衆の芸術活動が地道に続けられていたことは注目される。
グエン・ファン・チャンの描いた世界は、素朴で静かな色調が貫かれている。しかし長い植民地と戦争下の苦難を生き抜いてきた強さと、調和のとれた豊かな美意識を感じさせるに十分だ。グエン・ファン・チャンの作品はグエット・トゥさんのほかにベトナム国立美術館にも多数所蔵されている。修復された作品を保存していくには美術館のインフラ整備も課題だ。
中村さんの思いが三谷産業をはじめ複数の企業や個人を巻き込み、劣化の一途をたどるグエット・トゥさんが所持している作品の修復を継続し支援してきた。そして2021年に三谷文化芸術保護情報発信事業財団を設立し、今後とも事業活動に取り組む意向だ。国立美術館所蔵の作品まで修復となると、日本の国レベルの取り組みが必要となろう
中村さんは、「修復を思い立ってから、自分でも驚くほど、まるでライフワークのように取り組んできました。しかし私も高齢になりましたので、プロジェクトを次代に引き継ぐために、三谷財団に引き受けていただくことになりました。今回は単にグエン・ファン・チャンの傷んだ絵画保存修復だけではなく、ベトナムからの技能実習生という名の労働者の方々にも多数呼びかけて交流の場になればと企画したものです」と、話している。
筆者は金沢21世紀美術館の開幕に駆け付けた。会場には修復された作品や作品解説をはじめ、グエン・ファン・チャンの写真や略歴、プロジェクトの記録などのパネル、修復を手がけた岩井さんの活動の映像、その繊細な作業の様子、修復の道具なども展示され、鑑賞者への理解を深める工夫を凝らしていた。
愛を語る人―画家のまなざしをつなぐ人々の物語―」展の展示風景 以下、いずれも筆者撮影(2023年4月)
絵画修復プロジェクトの記録のパネル
修復に使った岩井さんの道具類の展示
開幕日にはオープニングセレモニーも催され、このプロジェクトに関わった関係者とも再会した。翌日には岩井さんとインディぺンデント・キューレター林寿美さんのトークもあった。この活動の広がりに感動した。コロナ禍やウクライナ戦争の続く暗いニュースが続く日々、人びとの絆が紡がれてゆく平和な共生社会がいかに大切であり、生きるこの意味を問いかけたこの「愛を語る人」の物語をかみしめた。
オープニングセレモニーの会場
セレモニーで挨拶する中村勤さん
セレモニーで挨拶する修復家の岩井希久子さん
岩井さんとインディぺンデント・キューレター林寿美さんのトーク