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アートへの招待1 日本と中国“怪”の美競う
文化ジャーナリスト 白鳥正夫展覧会は新型コロナ禍から、全国的に解禁された。2度目の緊急事態宣言が再延長されたこともあり、東京や大阪では規制が続いていた。全国美術館会議は「美術の楽しみを提供するという美術館の社会的役割は、人々の生活を守るうえで大切なものと心得なければなりません」との異例の文書を作成し、大阪府知事に送付していた。まん延防止等重点措置に移行後、大阪でもやっと開館にこぎつけた次第だ。
こうした時期、大阪歴史博物館では「美しい」だけではない絵画表現の魅力に光を当てた特別展「あやしい絵」が、大阪市立美術館でも中国・清代中期の揚州で活躍した8人の書画家の特別展「揚州八怪」が、いずれも8月15日まで開催されている。いわば日本と中国 “怪”の美の競演として注目の企画展を取り上げる。
「あやしい絵展」会場での担当学芸員のギャラリートーク
大阪歴史博物館の特別展「あやしい絵」
「美しい」だけでは表わせない絵画表現
タイトルの「あやしい」を漢字にすると、「妖しい、怪しい、奇しい…」となり、神秘的、妖艶、グロテスク、エロティック…などに想像が及ぶ。4年ほど前に「怖い絵」展が開かれている。中野京子著『怖い絵』で掲載の西洋美術史に登場する怖い場面や隠されたストーリーを伝える展覧会で高評だった。今回は「あやしい」をキーワードに、「美しい」という言葉だけでは表わせない絵画表現や、見てみないと分からない―そんな絵画を集めた企画展だ。
明治期に政治、経済、文化、思想といったあらゆる方面において、西洋から制度や知識、技術がもたらされる。美術界においても、西洋絵画の技法が本格的に導入され発展する。今回の展覧会では、幕末から昭和初期に制作された絵画や版画、雑誌や書籍を中心に、歌舞伎などの大衆娯楽の普及をはじめ、社会の底辺層への眼差しなど時代の変化に伴い、「あやしい」表現が生まれた背景に迫る。東京国立近代美術館に続いての巡回で、前期(〜7月26日)と後期(7月28日〜8月15日)合わせ、150点以上が展示される。(文中、展示期間を記載しない作品は通期展示)
展示構成は、1章が「プロローグ 激動の時代を生き抜くためのパワーをもとめて(幕末~明治)」。激動の幕末、人々の関心は縁日の化け物細工やグロテスクな人形、説話などに基づいた凄惨な場面の絵など奇怪、エロティックといったものに向かった。人々はこうした表現を見ることで不安を忘れた。そして作品の持つエネルギーから生きる力を得ていたのかもしれない。
会場の冒頭に目にするのが、安本亀八の《白瀧姫》(1895・明治28年頃、桐生歴史文化資料館蔵)だ。精巧な生(いき)人形は、縁日や社寺での開帳などで人気を博したが、この作品は博覧会に出品されたという。
安本亀八《白瀧姫》(1895・明治28年頃、桐生歴史文化資料館蔵)
月岡芳年の《『魁題百撰相』辻弥兵衛盛昌》(1868・明治元年、町田市立国際版画美術館蔵、7月21日~8月2日展示)など、芳年や歌川国芳の作品が並ぶ。
月岡芳年《『魁題百撰相』辻弥兵衛盛昌》(1868・明治元年、町田市立国際版画美術館蔵)
2章は「花開く個性とうずまく欲望のあらわれ(明治~大正)」で、西洋からの影響を受けた文芸や、個性・自我の尊重、「新しい女性」の出現など、国家の時代から個の時代へ大きく変遷する。人間の奥底に潜む欲望が、様々な形で表現される。明治中期から大正末期にかけての作品を5つのキーフレーズによって展示している。
その1が「愛そして苦悩―心の内をうたう」で、藤島武二の《婦人と朝顔》(1904・ 明治37年、個人蔵)がある。満開の朝顔が茂る垣を背景に、首元をのぞかせる美しい女性の視線は意味深だ。こちらに向けられた大きな瞳は優しいが、吸い込まれそうな不思議な深さを感じさせる。同じく藤島の《鳳(与謝野)晶子『みだれ髪』装幀》(1901・明治34年、明星大学蔵)も出品されている。
藤島武二《婦人と朝顔》(1904・ 明治37年、個人蔵)
藤島武二《鳳(与謝野)晶子『みだれ髪』装幀》(1901・明治34年、明星大学蔵)
その2の「神話への憧れ」には、青木繁の《わだつみのいろこの宮》(1907・明治40年、栃木県立美術館蔵、~8月2日)は、石橋財団アーティ―ゾン美術館所蔵の油彩画の下絵。『古事記』上巻の綿津見の宮物語を題材にしている。青木の《日本武尊》(1906・明治39年、栃木県立美術館蔵、~8月2日)なども、時期を変えて出品される。
青木繁《わだつみのいろこの宮》(1907・明治40年、栃木県立美術館蔵)
その3が「異界との境で」。橘小夢の《安珍と清姫》(1926・大正末頃、弥生美術館蔵、前期展示)は、安珍・清姫伝説のクライマックスシーンが描かれている。物語では安珍の隠れた鐘に蛇の清姫が巻き付いて焼き殺すが、この絵では鐘の中が透けて見える。
橘小夢《安珍と清姫》(1926・大正末頃、弥生美術館蔵)
水島爾保布の《谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』(春陽堂、大正8年)挿絵》(1919・大正8年、弥生美術館蔵、後期展示) は、人形の美しさに心を奪われた貴公子の話が作品に。
水島爾保布《谷崎潤一郎『人魚の嘆き・魔術師』(春陽堂、大正8年)挿絵》(1919・大正8年、弥生美術館蔵)
人形と言えば、鏑木清方の《妖魚》(1920・大正9年、福富太郎コレクション資料室蔵)の六曲一双の屛風の大作は通期で出品されているが、画像は許可されていない。このほか高畠の雑誌口絵《奇しき歌声》(制作年不詳、弥生美術館蔵、後期展示)なども出る。
その4の「表面的な『美』への抵抗」は興味深い。北野恒富の《淀君》(1920・大正9年、耕三寺博物館蔵)は、薄暗がりの中に立つ豊臣秀吉の側室・淀君。両手で抱きしめるように押さえた着物の、艶やかな装飾とともに、前を見据えたまなざしと固く結ばれた口に強い意志が宿る表情は印象的だ。前を見据えたまなざしと固く結ばれた口に強い意志が宿る。大坂城の落城が迫る中、最後まで我が子・秀頼を守ろうとした淀君の決意の姿を捉えている。
北野恒富《淀君》(1920・大正9年、耕三寺博物館蔵)
一見して「あやしい絵」の代表作と思える甲斐庄楠音の《横櫛》は大阪展のみ2点揃う。《横櫛》(1916・大正5年、京都国立近代美術館蔵)と、《横櫛》(1918・大正7年、広島県立美術館蔵、いずれも後通称切られお富)の一場面を描いたもの。同じ構図ながら着物の柄や背景、顔の表情など細部が異なる。
甲斐庄楠音《横櫛》(1916・大正5年、京都国立近代美術館蔵)
甲斐庄楠音《横櫛》(1918・大正7年、広島県立美術館蔵)
このコーナーでは、島成園の《無題》(1918・大正7年、大阪市立美術館蔵)は、描きかけの草花図を背景に自身を描いたという。目元の痣は本人にはなく、「痣のある女の運命を呪ひ世を呪ふ心持を描いた」とかで、画家としての決心が窺える。
島成園《無題》(1918・大正7年、大阪市立美術館蔵)
2章最後の5の「一途と狂気」には、上村松園の《花がたみ》(1915・大正4年、松伯美術館蔵、前期展示)は、謡曲「花筐(はながたみ)に材を取った作品。花筐を手に、焦点の合わない瞳、着崩れた着衣で狂い舞う姿を描く。
上村松園《花がたみ》(1915・大正4年、松伯美術館蔵)
北野恒富の《道行》(1913・大正2年、福富太郎コレクション資料室蔵) は、近松門左衛門の戯曲「心中天網島」に材を取った作品。悲しげな女の表情、顔を背ける男の仕草から、道ならぬ恋の成就を求めて死を選ぼうとする二人の決心がうかがわせる。画面のカラス2羽の存在が不穏な様子を伝え、悲劇の到来を暗示する。
北野恒富《道行》(1913・大正2年、福富太郎コレクション資料室蔵)
3章は「エピローグ 社会は変われども、人の心は変わらず(大正末~昭和)」で、 1923(大正12)年の関東大震災を境に社会構造は大きく変わる。急激な社会の変化は人々に精神的な疲弊をもたらした。人々は日常に刺激を求めたことで、探偵・怪奇小説が人気を呼び、エロティック、猟奇的でグロテスクなものを扱った出版物がブームとなる。
ここでは、小村雪岱の《邦枝完二『お傳地獄』挿絵原画「お傳と波之助」(『名作挿画全集第1巻』平凡社、昭和10年のための》(1935・昭和10年、埼玉県立近代美術館蔵、後期展示)や、高畠華宵の《『少女画報』14巻8号表紙》(1928・大正14年、弥生美術館、後期展示)などの資料類も数多く並んでいる。
小村雪岱《邦枝完二『お傳地獄』挿絵原画「お傳と波之助」(『名作挿画全集第1巻』平凡社、昭和10年のための》(1935・昭和10年、埼玉県立近代美術館蔵)
高畠華宵《『少女画報』14巻8号表紙》(1928・大正14年、弥生美術館、後期展示)
2章その1には、アルフォンス・ミュシャ、ダンテ・ガブリエル・ロセッティ、オーブリー・ビアズリー、エドワード・バーン・ジョーンズなど日本の画家に影響を与えた西洋美術の作品も展示されている。特にダンテ・ガブリエル・ロセッティの《マドンナ・ピエトラ》(1874年、郡山市立美術館)は、彼女に恋する男は石に閉じ込められてしまう魔性の女性で、目を引く。
ダンテ・ガブリエル・ロセッティの《マドンナ・ピエトラ》(1874年、郡山市立美術館)
大阪市立美術館の特別展「揚州八怪」
洗練された筆墨による創意の約70点
こちらの展覧会には「怪」の字が使われているが、「あやしい」とは異なり、異才をたたえた褒め言葉だ。「揚州八怪(ようしゅうはっかい)」とは、18世紀中国の清時代中期、揚州という都市を舞台に活躍した書画家 “8人”の呼称をさす。揚州八怪の魅力は、洗練された筆墨による創意あふれた制作はもちろんのこと、時に挫折や身の不自由に苦しみながら、それらを芸術に昇華していった各個の人間性にあった。
塩商の活躍によって経済的に繁栄した揚州には、多くの芸術家が集った。書画の分野では、古典に学びつつも先進的で個性的な創作を行なう者も数多く現れるようになる。後世の批評家は、そうした書画家から代表的な8人を選び、八怪と呼んだのであった。しかし人によって選ぶ8人に多少違いがあったため、揚州八怪に数えられた者は総じて15人に及ぶ。
今回の展覧会には、大阪市と姉妹都市を結んでいる上海市にある中国屈指の収蔵を誇る上海博物館の協力を得て日本初公開作品を含む35件の借用を予定していたが、コロナ禍で中国からの作品輸送が出来ず、会場内で精細な画像でのご紹介となった。しかし国内各所の所蔵作品約70点によって揚州八怪12人分が鑑賞出来る。日本において揚州八怪の芸術がまとまった形で紹介された機会は少なく、大阪市立美術館では1969年以来、52年ぶりの開催となる。
展示は5章で構成され、前期(~7月11日)と後期(7月13日~)で、展示替えがある(文中、表示がないものは通期展示)。プレスリリースを参考に、各章の概要と主な作品を画像とともに取り上げる。
序章は「絢爛たる文化都市―揚州」。清朝中期の揚州の繁栄は、江南巡幸の際にこの地を視察した乾隆帝をも驚かせたという。揚州八怪活躍の舞台となった都市の文化的な華やぎが作品で示される。袁耀(えんよう)の《真山水図軸》(清・乾隆37年 1772年、京都・泉屋博古館蔵、各幅半期入替)は、2メートルを超える高さの大画面に描かれている。巨富を築いた人々は大きな邸宅を構え、立派な作品を掛けて鑑賞を楽しんだ。
袁耀《真山水図軸》(清・乾隆37年 1772年、京都・泉屋博古館蔵)【前期展示】
第1章の「先駆者たちの芸術」では、揚州八怪の芸術に大きな影響力を与えた石濤(せきとう)や朱耷(しゅとう)ら、明末から清初にかけて活躍した作家を取り上げている。 石濤の《東坡時序詩意図冊(別歳)》(清・17-18世紀、大阪市立美術館蔵、前期展示)は、蘇軾(蘇東坡)の詩の中から時節の順序に従って12題を選び、その詩意をとって絵画化したもの。この図は本冊を締めくくる別歳(年末)の場面だ。
石濤《東坡時序詩意図冊(別歳)》(清・17-18世紀、大阪市立美術館蔵)【前期展示】
第2章は「揚州の怪傑たち」で、金農(きんのう)、鄭燮(ていしょう)を筆頭に、 「揚州八怪」とされる書画家15人中12人の作品を集め、その全容を伝える。
金農の《隷書六言詩横披》(清・乾隆27年1762年、東京国立博物館蔵)は、刷毛で書いたかのような太い横画に、細く鋭い払いを組み合わせている。亡くなる前年、76歳の書で、熟練された強烈な個性は感じさせる。
金農《隷書六言詩横披》(清・乾隆27年1762年、東京国立博物館蔵)(Image : TNM Image Archives)
鄭燮の《行書揚州竹枝詞冊》(清・18世紀、東京国立博物館蔵)は、隷書・楷書・行書をまじえて、極めて個性的な新しい様式を作りあげる。漢代の隷書の「八分」になぞらえて「六分半書 」と名づけた。変化に富んだ筆運びで力強い。
このほか、李鱓(りぜん)の《萱草石竹図軸》(清・18世紀 個人蔵)はじめ、高鳳翰(こうほうかん)の《山水花卉冊》(清・雍正12年 1734年、大阪市立美術館蔵、前期展示)、羅聘(らへい)の《浄名居士像軸》部分(清・18世紀、澄懐堂美術館蔵)、華嵒(かがん)の《秋声賦意図軸》(清・乾隆20年 1755年、大阪市立美術館蔵、前期展示)汪士慎(おうししん)の《梅花図冊》(清・乾隆6年 1741年、大和文華館蔵、前期展示)など見ごたえのある作品が並ぶ。
李鱓《萱草石竹図軸》(清・18世紀 個人蔵)
高鳳翰《山水花卉冊(蓮)》(清・雍正12年 1734年、大阪市立美術館蔵)【前期展示】
羅聘《浄名居士像軸》部分(清・18世紀、三重・澄懐堂美術館蔵)
華嵒《秋声賦意図軸》(清・乾隆20年 1755年、大阪市立美術館蔵)【前期展示】
汪士慎《梅花図冊》(清・乾隆6年 1741年、奈良・大和文華館蔵)【前期展示】
第3章は「揚州の文化人ネットワーク」で、揚州八怪が当代の芸苑を席巻したのは、彼らの芸術を理解し、高く評価した文化人の存在があったからに他ならない。揚州八怪の広まり、また後世へと橋渡しされていく様相を追う。
阮元(げんげん)の《行書七言聯》(清・18-19世紀、大阪市立美術館蔵)は、阮元が従来の王義之らの法帖を見直し、北朝の碑刻に本来の古法を見出そうと主張し、清朝後期の書に大きな影響を与えた。しかし彼の書自体は、穏やかで悠然としたものだ。使われている絹の美しさにも目を留めたい。
阮元《行書七言聯》(清・18-19世紀、大阪市立美術館蔵)
終章は「揚州八怪の遺伝子」。揚州を舞台に鮮やかに花開いた"八怪"たちの芸術は、後世の書画家に大きな霊感を与え、現代まで継承されている。趙之謙(ちょうしけん)の《富貴図軸》(清・同治11年 1872年、東京国立博物館蔵、後期展示)はに描かれている牡丹は富貴の象徴として好まれた主題。趙之謙は清末に活躍し、書画篆刻を得意とした大家で、力強い筆墨に魅力がある。