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アートへの招待10 構想から約40年、大阪中之島美術館がオープン
文化ジャーナリスト 白鳥正夫待望久しい大阪中之島美術館が語呂合わせの2022年2月2日にオープンした。1983年に大阪市政100周年の記念事業として構想されてから約40年を経て開館にこぎつけた。真っ黒な外壁が印象的な新美術館は、堂島川と土佐堀川に挟まれた中之島4丁目に立地する。道を挟んだ南隣に国立国際美術館と大阪市立科学館、さらに中之島エリア内に大阪市立東洋陶磁美術館、中之島香雪美術館もあり、東京の上野公園に匹敵する文化、芸術ゾーンとなった。オープン記念の「Hello! Super Collection 超コレクション展 ―99のものかたり― 」では、6000点を超える収蔵作品の中から、大阪出身の佐伯祐三やイタリアのモディリアーニなど代表的な約400点が展示されている。その概要とともに、バブル崩壊で市の財政悪化などに伴い紆余曲折の建設までの経緯、2025年の大阪万博を控え、新美術館への期待などをリポートする。
大阪中之島美術館の外観写真
屋外にはヤノベケンジ《シップス・キャット(ミューズ)》も
あの名画など幅広く400点超す展示
まずは開館記念展から。第一の見どころとして、 コレクションの出発点である希代のコレクター・山本發次郎の旧蔵品を一堂に出品されている。1983 年に一括寄贈されたコレクションから、高僧の墨蹟、佐伯祐三、原勝四郎の絵画、インドネシアの染織などが含まれる。大阪の実業家・山本發次郎氏は、自らの眼にかなうもののみを 徹底的に蒐集した、山本氏が高く評価した「強烈な個性」や、墨蹟と佐伯祐三の絵画に見出した「線の旨味」など、独特の審美眼を追体験できる希少な機会だ。
プレス内覧会に詰めかけた多くの報道関係者
第二に、 モディリアーニからバスキアまで、所蔵品を代表する作品が集結している。 国内はもとより、ニューヨーク近代美術館、ポンピドゥー・センターなど海外の重要美術館の企画展に度々出品されるなど、国際的な評価も高い西洋美術の収蔵作品を展示。フォーヴィスム(野獣派)、シュルレアリスム(超現実主義)、未来派、抽象表現主義、ミニマリスムなど、20世紀美術の名作を鑑賞できる。
第三が、クラシック・ポスター、家具コレクションも楽しめる。サントリーから寄託されているポスターコレクションの中から選りすぐりを展示していて、19世紀末のロートレック、ミュシャをはじめとするクラシック・ポスターも注目。さらに大阪市が1992年より収集してきたフィンランドのアアルトによるオリジナル家具や倉俣史朗の《ミス・ブランチ》など希少な家具コレクションを目にすることができる。
この展覧会の特徴は、タイトルに謳っているが、「99のものがたり」に仕立てている。それぞれの作品は、収蔵に至るまでやその後の展示活動の中で、多くの?々との出会いを重ね、さまざまな物語を紡いできた。コレクションに親しみを持っていただけるよう、作品にまつわる99のものがたりも併せて紹介。鑑賞者からも募集し、「100個のものがたり」で展覧会は完成するといった趣旨だ。
会場入り口付近の展示風景
構成構成は3章からなる。第1章は「Hello! Super Collectors」。大阪中之島美術館のコレクション形成史は1983年にスタート。美術館構想の契機となった「山本發次郎コレクション」をはじめ、初期に寄贈を受けた「田中徳松コレクション」「高畠アートコレクション」が並ぶ。
1990年に美術館準備室が設置されると、収集方針に従った本格的な作品収集が始まった。展示の後半では、大阪と関わりのある近代・現代美術から、小出楢重、北野恒富、前田藤四郎、吉原治良らによる作品を展示。絵画、彫刻、写真、版画など多様なジャンルの作品が揃っている。
主な作品では、佐伯祐三の《郵便配達夫》(1928年)をはじめ、マリー・ローランサンの《プリンセス達》(1928年)、アンドレ・ロランの《驚き》(1938年)、赤松麟作の《或る音楽会の客》(1920年)、中村貞以の《夏趣二題》(1939年)、池田遙邨の《雪の大阪》(1928年)、石崎光瑤の《白孔雀》(1922年)ほか、荻須高徳、上村松園、鍋井克之、小磯良平、北野恒富、島成園、竹内栖鳳らの作品が出品されている。
佐伯祐三《郵便配達夫》(1928年)
マリー・ローランサン《プリンセス達》(1928年)
アンドレ・ロラン《驚き》(1938年)
赤松麟作《或る音楽会の客》(1920年)
中村貞以《夏趣二題》(1939年)/p>
池田遙邨《雪の大阪》(1928年)
石崎光瑤の《白孔雀》(1922年)
この章には、現代美術で、福岡道雄の《ピンクバルーン》(1967-68年、1994 年再成型)や、吉原治良の《作品》(1963-65年)、今井俊満の《磔刑》(1954年)も目を引く。
福岡道雄《ピンクバルーン》(1967-68年、1994年再成型)
吉原治良《作品》(1963-65年)の展示風景
今井俊満《磔刑》(1954年)も目を引く
第2章は、「Hello! Super Stars」。美術館が誇る近代・現代美術の代表的な作品のオンパレード。アメデオ・モディリアーニの《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917年)や、ルネ・マグリットの《レディ・メイドの花束》(1957年)、アルベルト・ジャコメッティの《鼻》(1947年)をはじめ、マックス・エルンスト、サルバドール・ダリ、ルネ・マグリットら、シュルレアリスム(超現実主義)の作品がそろい踏み。
アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》(1917年)
ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》(1957年)
アルベルト・ジャコメッティ《鼻》(1947年)
さらにニューヨーク・アートシーンからマーク・ロスコ、フランク・ステラ、ジャン=ミシェル・バスキアなど、目玉作品が並ぶ。いずれも現在では評価額が高騰し、入手が困難な作品で、ようやくホームでのお披露目である。現在第一線で活躍中の草間彌生、森村泰昌、やなぎみわ、杉本博司ら国内作家の 作品も競う。
第3章は「Hello! Super Visions」。約200点のグラフィック作品と家具作品などをまとめて展示。1859 年製造のミヒャエル・トーネットの椅子からアール・ヌーヴォー、ウィーン・ゼセッション、未来派、デ・ステイル、バウハウス、ロシア構成主義、アール・デコ、北欧デザイン、スイス・デザイン、イタリア・デザイン、オリンピック・ポスター、ポストモダンのデザインまで19世紀後半から1980年代までのデザイン史をたどる。家具やポスター、プロダクトのみならず、総合芸術運動であった前衛的なデザイン運動の流れをたどるべく、絵画や写真も併せて展示されていて、質量とも見ごたえ十分だ。
ここでは、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》(1891年)や、サントリーポスターコレクション(大阪中之島美術館寄託)、倉俣史朗の《ミス・ブランチ》(デザイン1988年)など見逃せない。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック《ムーラン・ルージュ、ラ・グーリュ》(1891年)
倉俣史朗《ミス・ブランチ》(デザイン1988年)
さらに製造1989年コロマン・モーザーの《アームチェア》(デザイン1903年、製造1903 - 04年頃)や、北欧デザインのアルヴァ・アアルトの家具、スイス・デザインのヨゼフ・ミュラー=ブロックマンのポスター、イタリア・デザインのジョエ・コロンボの椅子も登場。このほか、ピエール・ボナール、アルフォンス・ミュシャ、ヨーゼフ・ホフマン、亀倉雄策、田中一光、早川良雄、ウンベルト・ボッチョーニ、グスタフ・クリムト、ジョエ・コロンボ、剣持勇、レイモン・サヴィニャック、エル・リシツキー、ラースロー・モホイ=ナジ、A.M.カッサンドルら豊富な内容だ。
コロマン・モーザー《肘掛け椅子》(デザイン1903年、製造1903-04年頃)
二転三転、紆余曲折の建設への経緯
難産だった大阪中之島美術館の誕生までの経緯について触れておこう。先述のように、1983年に大阪市制2100周年事業として基本構想が浮上した。5年後には構想委員会が発足し、その翌年に30億円の美術品等取得基金も設置、1990年には準備室が設置された。その後、建設用地として大阪・中之島にあった大阪大学医学部跡地を1998年と2003年に計約1万6000平方メートル購入している。
美術館4階から5階にかけての吹き抜けに展示された7メートル以上の「ジャイアント・トらやん」
この間、故山本發次郎氏のコレクションをはじめとする寄贈作品3400点に加え、153億円かけて1000点を購入するなど、すでに6000点を超える国内屈指の近・現代美術コレクションを形成している。さらに2012年春、実質閉館したサントリーミュージアム[天保山]からポスターのコレクション約1万8000点の寄託を受けた。
新美術館開館前に各所で開催したコレクション展ポスターを掲示
1998年に策定された基本計画によると、地下1階、地上8階建ての施設を約280億円(土地代除く)かけて2004年度までに建設する予定だった。ところが国から購入した用地に環境基準値を上回る土壌汚染が判明したため、完成予定が大幅に遅れていた上、2002年に礒村隆文市長が財政非常事態宣言を、さらに2004年には関淳一市長が財政難を理由に計画を凍結した。
2007年に就任した平松邦夫市長は「非常に厳しい財政状況だが、将来の大阪の発展のため整備に取り組みたい」と、計画を再開する意向を示した。新たな計画案では、延べ床面積を当初の2万4000平方メートルから1万6000平方メートルに縮小し、建設費も280億円から122億円に圧縮。2014年度に着工し、2年後に完成を目指す考えだった。
2011年に橋下徹市長が就任し、近代美術館の計画を白紙に戻して府市統合本部で検討する方針を表明した。「(仮称)中之島4丁目市有地活用マスタープラン検討会」設置、文化・集客施設の整備方針を諮る。検討会では、世界的な視点から市有地の在り方を協議する有識者で構成し、広域行政の視点から見た新たな美術館に求められるコンセプトやコンサートホールの整備の必要性などを検討することになった。この方針に基づいて、大阪市が2013年度に基本計画を策定する。
その後、大阪維新による市政は、吉村洋文視聴、松井一郎市長に引き継がれた。2014年に「新美術館整備方針」を策定、翌年に施設整備は公共で実施し、運営にPFI手法を導入する方針を決定手法を導入することが決定し、2019年建設工事着手し、やっと実現にこぎつけた。
新美術館構想が二転三転した背景に財政難がある。と同時に行政トップの考え方が原因で揺らいできたのも事実だ。一度建設してしまえば、規模によるが年間数億円の維持管理費等も毎年必要になる。一方で、大阪市立美術館(天王寺)と大阪市立東洋陶磁美術館(中之島)の所蔵美術品とは異なる貴重な近代・現代美術のコレクションが長らく塩漬け状態にされているのも大きな問題だった。
大阪の新たな文化拠点として期待
さて日の目を見た新美術館は、美術館は地上5階建て。延べ約2万平方メートルの建物は4、5階が展示室となっている。無料で入れる1階と2階には、レストランやショップなどが設けられている。建設資材の高騰などで、最終的に市が約300億円を投じて建設して、運営は民間が行う、美術館では日本初となるコンセッション方式を導入した。
ところで日本では、各自治体がハコもの行政を推し進め、全国各地に立派な美術館が開館した。完成したのはいいが、その後の財政難で中身の収蔵作品を充実するための購入予算がまかなえない。それどころか保存修復や人件費など維持管理していく資金にも事欠く窮状で、長い「美術館冬の時代」を脱しきれない公立館も目立つ。 このため運営を指定管理者やNPO法人にゆだねる美術館も目立ってきた、京都市京セラ美術館のように、美術館の命名権を売却した事例もある。
一度は白紙に戻った大阪中の島美術館では、利用料金の徴収を行う公共施設について、施設の所有権を公共主体が有したまま、施設の運営権を民間事業者に設定するコンセッション方式を取り入れた。本来は市民のための公共施設で、美術に親しみ教授し、市民らの文化活動に寄与する美術館を営利を目的とする民間が運営することの課題も残す。一方で、自治体とは異なり、マンネリを排した活力のある運営も期待される。
南隣の孤立国際美術館(右)と結ぶ陸橋
1998年に作られた大阪市立近代美術館(仮称)の基本計画に盛られた一説に「優れた大阪の近代・現代美術を紹介するだけでなく、20世紀美術の体系を名作によって示し、わたしたちの精神文化の基盤を明らかにしようと考えています。そして21世紀の豊かな感性の誕生をうながし、新しい芸術活動の拠点となることをめざします」とある。
いずれにせよ新美術館は、大阪の中心部に立地し、大阪の中核的な文化拠点としての役割を担う。あいにく新型コロナウイルスの感染拡大の中で開幕となったが、2025年の大阪万博に向けどのような発信ができるのか、一層の展示企画の充実が望まれる。