VOICE

アートへの招待27 仏教美術品など、魅力を伝える三企画展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

ヨーロッパにおける美術の中核を担ってきたキリスト教美術と同様に、日本の仏教美術も、曼荼羅や絵巻、仏像、密教工芸、寺院建築など多岐にわたる造形表現によって独自の発展をとげてきた。仏像は信仰の対象とはいえ、その姿は美しく、仏教に関する仏画、経典や典籍なども美術的に優れている。寺社で拝観するのと違って、美術館では適度な照明の下でじっくり鑑賞できる。そうした広く宗教美術品を鑑賞する企画展が京都と滋賀で開催中だ。浄土真宗を開いた親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞―生涯と名宝」が京都国立博物館で5月21日まで、同じく親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」が龍谷大学 龍谷ミュージアムで5月28日までそれぞれ展開中だ。またMIHO ⅯUSEUMでは春季特別展「美の祈り Universal Symphony」が6月11日まで開かれている。

京都国立博物館の親鸞聖人生誕850年特別展「親鸞―生涯と名宝」

真宗10派、約70寺院に伝わる法宝物を一堂に

鎌倉時代前半から中期にかけて浄土往生を説いた浄土真宗の宗祖・親鸞聖人(1173-1262)の生誕の地であり、臨終の地でもある京都において、10年ぶり最大規模の展覧会だ。生誕850年という節目に、京都の東西本願寺や三重の専修寺をはじめ、滋賀、福井など全国約70寺院などの真宗10派が協力。国宝11件、重要文化財75件含む親鸞自筆の名号・著作・手紙や、彫像・影像・絵巻など約180件が出陳(前期~4/23・後期4/25~)される。

親鸞聖人は、承安3年に京都で生まれた。9歳の時に出家して比叡山で修行に励む。29歳で山を下り、法然上人に弟子入りし、すべての人が平等に救われるという阿弥陀仏の本願念仏の教えに出遇う。

専修念仏の法然らは、後鳥羽上皇の怒りに触れ罪人として還俗させられ、親鸞は越後に流される。その後、罪が赦されると、関東へ赴き長く布教に励み、やがて京都へと戻り、晩年まで主著『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)や「和讃」など多くの著作を執筆した。90年に及ぶ生涯を研鑽と伝道にあてた真摯な姿とその教えは、今も多くの人の信仰を集めている。

展覧会は7章で構成されており、プレスリリースなどを参考に章ごとの内容と主な展示作品を画像とともに掲載する。まずは国宝の《親鸞聖人影像(安城御影副本)》(賛・裏書)蓮如筆(室町時代 15世紀、西本願寺)は、正本を忠実に写した作とされ、第7章に短期間展示(~4/2)されていた。

““"

国宝《親鸞聖人影像(安城御影副本)》部分(賛・裏書)蓮如筆(室町時代 15世紀、西本願寺、~4/2)

第1章は「親鸞を導くもの―七人の高僧―」。親鸞が拠り所とした阿弥陀仏とその救いを説く浄土三部経(無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経)、その教えを自身に伝えた先達として、親鸞が「ただこの高僧の説を信ずべし(唯可信斯高僧説)」と讃える、インド・中国・日本にわたる7人の高僧、龍樹・天親/曇鸞・道綽・善導/源信・源空(法然)を紹介し、親鸞の信仰した仏教の位置づけが明示されている。

国宝の親鸞筆《観無量寿経註》(鎌倉時代 13世紀、西本願寺、~4/30 巻替あり)や、《刺繡阿弥陀如来像》(室町時代 15世紀、福井・誠照寺、前期)など、貴重な文化財が出品されている。

““"

国宝 親鸞筆《観無量寿経註》部分(鎌倉時代 13世紀、西本願寺、~4/30 巻替あり)

““"

《刺繡阿弥陀如来像》(室町時代 15世紀、福井・誠照寺、前期)

第2章は「親鸞の生涯」で、没後33年にあたる永仁3年(1295年)に、曾孫の覚如によって編纂された最初の親鸞伝である伝記絵巻《親鸞伝絵》と関連する法宝物により、誕生から出家得度、法然との邂逅、念仏弾圧と越後への流罪、京都における90歳での往生、墓所を改め仏閣とした大谷廟堂の成立までを辿っている。

ここでは、重要文化財の《本願寺聖人伝絵(康永本)》巻上本(詞書)覚如筆、(絵)康楽寺円寂筆(南北朝時代・康永2年 1343年、東本願寺、5/2~21)や、重要文化財の蓮如筆《歎異抄》巻下(室町時代 15世紀、西本願寺、 〜4/9 )、《覚信尼像》(室町~桃山時代 16世紀、新潟・福因寺、通期)などが展示されている。

““"

重要文化財《本願寺聖人伝絵(康永本)》巻上本、部分(詞書)覚如筆、(絵)康楽寺円寂筆(南北朝時代・康永2年 1343年、東本願寺、5/2~21)

““"

重要文化財 蓮如筆《歎異抄》巻下、部分(室町時代 15世紀 西本願寺 ~4/9)

““"

《覚信尼像》(室町~桃山時代 16世紀、新潟・福因寺、通期)

続く第3章は「親鸞と門弟」。性信、顕智、了海といった有力な門弟の現存する坐像、法脈の相承を絵像を連ねて示す高僧連坐像や一流相承系図、門弟の名前や拠点を列記した交名により、親鸞の教えの広がりを紹介している。重要文化財の《顕智坐像》(鎌倉時代・延慶3年 1310年、栃木・専修寺、通期)などが並ぶ。

““"

重要文化財《顕智坐像》(鎌倉時代・延慶3年 1310年、栃木・専修寺、通期)

第4章の「親鸞と聖徳太子」では、浄土真宗の寺院に伝わる聖徳太子の木像や絵像とともに、六角堂での夢告に関する法宝や、親鸞の撰述した聖徳太子を和語で讃える和讃を紹介し、親鸞の聖徳太子に対する信仰を検証。重要文化財の恵信尼筆《恵信尼書状「恵信尼書状類」のうち》(鎌倉時代・弘長3年 1263年、西本願寺、 5/2~21)なども出品される。

““"

重要文化財 恵信尼筆《恵信尼書状(部分)「恵信尼書状類」のうち》(鎌倉時代・弘長3年 1263年、西本願寺、 5/2~21)

第5章は「親鸞のことば」。親鸞は教えを人々に伝えるため執筆に励み、その活動は88歳にまで及ぶ。主著とされる『顕浄土真実教行証文類』(『教行信証』)の現存唯一の自筆本である「坂東本」には多数の加筆・修正がみられ、そこには晩年までの弛まぬ思索の跡がうかがえる。国宝の親鸞筆《教行信証(坂東本)》(鎌倉時代 13世紀、東本願寺、通期、冊替あり)が注目される。

““"

国宝 親鸞筆《教行信証(坂東本)》(鎌倉時代 13世紀、東本願寺、通期、 冊替あり)

第6章の「浄土真宗の名宝―障壁画・古筆―」では、親鸞の教えに直接関わる法物(宗教的文化財)の他に、伝来した数多くの名宝(非宗教的文化財)の中でも、とりわけ堂宇を荘厳する障壁画、並びに宮廷文化の粋を極めた古筆に焦点を当てている。

国宝の《三十六人家集 (忠見集)》(平安時代 12世紀、西本願寺、通期、帖替あり、忠見集は5/2~21)や、望月玉泉筆《桜花図 桜花図/松・藤花図のうち》(明治時代・明治28年 1895年、東本願寺、通期)も見応えがある。

““"

国宝《三十六人家集 (忠見集)》(平安時代 12世紀、西本願寺、通期 帖替あり、忠見集は5/2~21)

““"

望月玉泉筆《桜花図 桜花図/松・藤花図のうち》(明治時代・明治28年 1895年、東本願寺、通期)

最後の第7章は「親鸞の伝えるもの―名号―」。浄土真宗の本尊には、阿弥陀仏の姿を表した木像・絵像の他に、その名前を漢字で記した「名号」があり、十字名号「帰命尽十方無碍光如来」、九字名号「南無不可思議光如来」、八字名号「南無不可思議光仏」、六字名号「南無阿弥陀仏」が伝わる。親鸞はこれらを単なる名前ではなく、阿弥陀仏が人々を救済するためのはたらきそのものであるとして、それを称える口称念仏を説く。各種の名号本尊のほか、国宝の《親鸞聖人影像(鏡御影)》覚如賛 専阿弥陀仏筆(鎌倉時代 13世紀、西本願寺、5/2~14)も出品される。

““"

国宝《親鸞聖人影像(鏡御影)》部分覚如賛 専阿弥陀仏筆(鎌倉時代 13世紀、西本願寺、5/2~14)

龍谷大学 龍谷ミュージアムの親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年記念 春季特別展「真宗と聖徳太子」

絵伝や尊像、太子信仰を伝える多彩な法宝物

こちら聖徳太子(574-622)は2021年に1400年遠忌を迎えたが、親鸞上人とゆかりが深かった。前記の「親鸞―生涯と名宝」展で、親鸞は聖徳太子に深く帰依し、「和国の教主」と崇め、親鸞の太子への篤い想いに触れることができたが、「真宗と聖徳太子」展では、太子信仰の高揚に親鸞聖人と弟子たちが果たした役割を再確認することになる。そしてその後の門徒たちが生み出してきた太子信仰に関わる多彩な法宝物によって、二人の関係を読み解いていて興味深い。会期中(前期~4/30、後期5/2~)に重要文化財3件を含む約90点が展示される。

鎌倉時代に盛り上がりをみせた聖徳太子信仰は、日本人の精神文化に影響を及ぼしたばかりではなく、絵画や彫刻など数々の優れた美術品を生み出し、日本の美術史に大きな足跡を残してきた。一方、親鸞聖人は聖徳太子に帰依し、晩年に至るまで太子を讃嘆する和讃「太子奉讃」を多数制作した。そして聖徳太子像を傍らに安置し、太子に関わる法宝物の制作にも関与しており、今回の展覧会には多彩な法宝物が展示されている。 

展示は第1章「親鸞聖人と聖徳太子」から始まる。重要文化財の《本願寺聖人親鸞伝絵 巻上》(南北朝時代 14世紀、大阪・天満定専坊、後期)などによると、9歳で仏門に入った親鸞は、京都の聖徳太子建立と伝わる六角堂に参籠(さんろう)。そこで僧侶の姿をした太子から夢のお告げを受けたことが、親鸞の人生を大きく変える。20年修行した比叡山を下り、法然のもとへ。これが生涯の師となる法然との出会いであった。

““"

重要文化座《本願寺聖人親鸞伝絵 巻上》部分(南北朝時代 14世紀、大阪・天満定専坊、後期)

親鸞は多くの仏教和讃(七語調の和語でうたわれる讃歌)を作ったが、晩年には太子和讃を200首も書き記した。親鸞筆《皇太子聖徳奉讃断簡(第十六首) 一幅》 (鎌倉時代 13世紀、龍谷大学図書館、後期)もその一首で、太子が創建した四天王寺について詠んでいる。

““"

親鸞筆《皇太子聖徳奉讃断簡(第十六首) 一幅》 (鎌倉時代 13世紀、龍谷大学図書館、後期)

この章では、法眼良円筆《和朝太子先徳連坐像》(南北朝・至徳元年 1384年、奈良・順照寺、後期)や、《阿弥陀如来像・震旦和朝太子高僧先徳連坐像》(室町時代 14ー15世紀、岐阜・浄源寺、後期)なども出品される。

““"

法眼良円筆《和朝太子先徳連坐像》(南北朝・至徳元年 1384年、奈良・順照寺、後期)

““"

《阿弥陀如来像・震旦和朝太子高僧先徳連坐像》(室町時代 14ー15世紀、岐阜・浄源寺、後期)

 さらに前期展でも出品されていたが、阿弥陀如来の名前を漢字で記した「名号本尊」の中でも、九字名号を中心とした《光明本尊》(室町時代 15世紀、兵庫・高福寺、後期)なども、前・後期に分け、複数展示される。

““"

《光明本尊》(室町時代 15世紀、兵庫・高福寺、後期)

第2章は「真宗が生み出した聖徳太子像」で、親鸞没後も太子の尊像を作り崇めた。主に2歳の太子の姿を造形化した「南無仏太子像」と、16歳の「童形像」がある。《木造 南無仏太子像》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、福井・毫攝寺、通期)や、《木造 南無仏太子像》(南北朝~室町時代 14ー15世紀、福井・称名寺、通期)など、太子はふくよかであどけない表情で合掌をしている。

““"

《木造 南無仏太子像》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、福井・毫攝寺、通期)

““"

《木造 南無仏太子像》(南北朝~室町時代 14ー15世紀、福井・称名寺、通期)

父用明天皇の病の平癒を願う太子16歳の姿を表す「童形像」も数多く出品されている。《木造 聖徳太子童形立像》(南北朝時代・暦応4年 1341年、東京・西光寺、通期)と、《木造 聖徳太子孝養立像》(鎌倉時代 13ー14世紀、石川・松岡寺、通期、重要文化財)は、優れた作例だ。

““"

《木造 聖徳太子童形立像》(南北朝時代・暦応4年 1341年、東京・西光寺、通期)

““"

《木造 聖徳太子孝養立像》(鎌倉時代 13~14世紀、石川・松岡寺、通期)

第3章は「聖徳太子絵伝とその周辺」。真宗では、太子の生涯を分かりやすく伝える「絵伝」も多く作られた。その元となったのは、当時伝わっていた太子の伝記で、絵伝に絶大な影響を与えたと見られる。内容もバラエティに富んでいて、史実だけではなく、太子の前世や、超人性にも触れている。

富山県の瑞泉寺が所蔵する《聖徳太子絵伝》(南北朝時代 14世紀、第1~4幅: 前期、第5~8幅:後期)は、8幅からなり、場面数は90以上にも及ぶ。毎年7月には、絵解き説法を行うことでも知られている。今回の展示では、原物だけでなく、色鮮やかに蘇った8幅の複製品も展示されている。

““"

《聖徳太子絵伝》(南北朝時代 14世紀、富山・瑞泉寺、第1~4幅: 前期、第5~8幅:後期)

また重要文化財の恵厳筆《聖徳太子伝暦(でんりゃく)》巻上(鎌倉・乾元2年 1303年、徳島・本願寺、巻替えあり)は、平安後期の10ー11世紀頃に撰述された太子の伝記で、「日本書紀」や「上宮聖徳太子伝補闕記」など、当時知られる種々の太子の伝承を集成している。

““"

重要文化財の恵厳筆《聖徳太子伝暦(でんりゃく)》巻上、部分(鎌倉・乾元2年 1303年、徳島・本願寺、 巻替えあり)

最後に、聖徳太子像は国内だけでなく海外にも存在していて、ハーバード美術館が所蔵する《南無太子像》の内納入品の複製も特別展示されている。「南無仏太子像」のなかでは、最古だろうと推察され、 長年日米で研究が続けられ、 今春には共同研究の成果をまとめた『ハーバード美術館 南無仏太子像の研究』が出版されている。

MIHO ⅯUSEUMの春季特別展「美の祈り Universal Symphony」

古今東西の祈りのかたちを表した約80点展示

古今東西の美術コレクションを有するMIHO ⅯUSEUMならではの企画で、古代文明の神々をはじめ、大自然への畏敬から生まれた聖獣や聖樹信仰の作品、日本の神仏や東大寺の修二会(お水取り)に関する作品、暮らしにこめられた祈りの対象を描いた作品など「美の祈り」をテーマに約80点が展示されている。このうち8点が初公開。タイトルにもある《ユニバーサル・シンフォニー》は、世界平和への祈りを込めて作られたトトアキヒコ氏の大作で、 東西の橋渡しとして展示されている。

「祈り」の語源は「生宣(いの)り」。生命の宣言であり、また生きていることへ の感謝の意味がある。いにしえより人々は大自然に宿る神性,仏性などの人智を超えた存在に対し畏敬の念を抱き、その対話の手段として祈りを捧げ、大地の恵みである樹や石や金・銀・銅といった鉱物を用いて眼に見える姿に現してきた。

今回の展覧会では、日本と大陸の東西文明に関する館蔵美術品から様々な時代の祈りのかたちを、8つのセクションで展開している。仏像や神像だけが祈りの対象ではなく、古来、生物や植物、自然現象など大自然への畏敬の念を、姿形あるものに表して日々感謝する精神を東西美術でたどる。神殿や祠堂に奉納された品々や、多くの神獣の装が施され器、 聖樹と精霊浮彫、日本では念持仏や仏画、多様な工芸品などを描き、光悦や宗達による華やかな工芸品なども祈りの対象だった。

各セクションごとの代表作を画像とともに取り上げる。いずれもMIHO ⅯUSEUM蔵。第1章「東西の祈り」からは、南西中央アジアの《女神像》(紀元前3000年紀後期-紀元前2000年紀初期)と、日本の重要文化財の《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代 13世紀)も。

““"

《女神像》(南西中央アジア、紀元前3000年紀後期-紀元前2000年紀初期)

““"

重要文化財《地蔵菩薩立像》(鎌倉時代 13世紀)

以下、第2章「聖獣たちの護り」に《亀形香炉》(中国前漢時代前期 紀元前3 世紀-紀元前2世紀)、第3章の「生命をもたらす樹」には小アジア/黒海沿岸地域 の《牡鹿形リュトン》(紀元前4世紀ー紀元前2世紀)、第4章「太陽の復活」では《三足烏文裂》(中国・明時代 14 世紀-15 世紀)などが出品されている。

““"

《亀形香炉》(中国前漢時代前期 紀元前3 世紀-紀元前2世紀)

““"

《牡鹿形リュトン》(紀元前4世紀ー紀元前2世紀)

““"

《三足烏文裂》(中国・明時代 14 世紀-15 世紀)

続く第5章の「火と水の法会」には 《二月堂練行衆盤(日の丸盆)》(平安時代12世紀)、第6章「神仏の慈愛」に重要文化財の《焔摩天像》(平安時代 12世紀)、第7章の「暮らしの祈り」に 曾我蕭白筆《富士三保図屏風(江戸時代 18 世紀) 、第8章「祈りの導(しるべ) には綴織《蓮華弥勒像》(2012年、~6/11)などが並ぶ。

““"

《二月堂練行衆盤(日の丸盆)》(平安時代12世紀)

““"

重要文化財《焔摩天像》(平安時代 12世紀、4/18〜5/14)

““"

曾我蕭白筆《富士三保図屏風(江戸時代 18 世紀)

““"

綴織《蓮華弥勒像》(2012年、~6/11)

 参考作品の《ユニバーサルシンフォニー》(2020年)は、22メートルに及ぶ作品。全体に描いた光の道は、月を銀色、太陽を金色で描き、陰と陽、過去と現在、東洋と西洋の世界を表す。昨年9月に亡くなった秀明文化財団の小山弘子理事長が世界平和への思いを託し依頼した作品で、22690人が制作に参加したという。

““"

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。