VOICE

アートへの招待32 暑い夏、鑑賞に格好の大型展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

猛暑の続く今夏、避暑を兼ね、博物館や美術館でじっくり作品鑑賞をするのも一策。古都の奈良と京都で催されている大型展が見ごたえ。奈良国立博物館では浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「聖地 南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝―」が9月3日まで、京都市京セラ美術館では「ルーヴル美術館展 愛を描く」が9月24日まで、それぞれ開催中だ。いずれも展示内容の豊富な格好企画展だ。

奈良国立博物館の浄瑠璃寺九体阿弥陀修理完成記念 特別展「聖地 南山城―奈良と京都を結ぶ祈りの至宝―」

修理の国宝、十二神将そろって特別公開

京都府の最南部、奈良市に隣接する地域は、旧国名の山城国(やましろのくに)にちなんで、「南山城」(みなみやましろ)と呼ばれている。なだらかな山間を木津川が流れる風光明媚な地であり、仏教の伝来後、7世紀にはこの地域でも寺院の建立が始まった。南山城が歴史の表舞台に登場するのは、聖武天皇の恭仁京(くにきょう)造営によってであり、木津川への架橋や寺院の建立などに行基の活躍があった。

平城京から長岡京・平安京への遷都以降も南山城は新旧両都をつなぐ回廊的な役割を果たす地域として、重要性を増すことになる。東大寺や興福寺といった奈良の大寺との深い関わりのなかで寺院が相次いで建立され、また木津川流域の山々は俗世を離れた聖地として山岳修験の拠点とされた。

鎌倉時代には、はじめ興福寺に学んだ解脱上人貞慶が笠置寺から海住山寺(かいじゅうせんじ)へと拠点を移し、釈迦如来や弥勒菩薩、観音菩薩に対する信仰を深めるとともに、南都の戒律復興に努めたことが特筆される。さらに江戸時代には、各地で念仏を広めた袋中(たいちゅう)上人が晩年に瓶原(みかのはら、木津川市加茂町)を拠点とするなど、南山城は各時代を通じて文字どおり日本仏教の聖地であり続けた。

本展は、5ヵ年に及ぶ保存修理が完成した浄瑠璃寺九体阿弥陀像のうち2軀を修理後初公開するとともに、その優美な姿を寺外で拝することのできるまたとない機会である。さらに南山城とその周辺地域の寺社に伝わる仏像や神像を中心に、絵画や典籍・古文書、考古遺品などを一堂に展観することで、この地に花開いた仏教文化の全貌に迫っている。

見どころは、まず浄瑠璃寺の本尊、国宝の《阿弥陀如来坐像(9軀のうち その1・その8)》(平安時代 12世紀、京都・浄瑠璃)が特別公開されている。明治期(明治42年~43年)以来、約110年ぶりに保存修理がおこなわれ、平成30年(2018年)より、5ヵ年の計画で実施された保存修理が今年3月に完了し、最終年度に修理された九体阿弥陀のうち、二体を寺外で拝することができる。

““"

国宝《阿弥陀如来坐像(9軀のうち その1)》(平安時代 12世紀、京都・浄瑠璃)

““"

国宝《阿弥陀如来坐像(9軀のうち その8)》(平安時代 12世紀、京都・浄瑠璃)

現在、東京の静嘉堂文庫美術館と東京国立博物館が分蔵する《十二神将像》は、江戸時代まで、重要文化財の《薬師如来像》(浄瑠璃寺三重塔の本尊)とともに浄瑠璃寺にまつられていた。すべての十二神将は、明治17年(1884年)頃に寺を離れたが、本展で140年ぶりに12軀そろって、初の里帰りが実現。本尊の薬師如来と再会するので、見逃せない。

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 子神》(鎌倉時代 13世紀、東京・静嘉堂美術館)画像提供:(公財)静嘉堂/ DNPartcom

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 丑神》(鎌倉時代 13世紀、東京・静嘉堂術館)画像提供:(公財)静嘉堂/ DNPartcom

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 寅神》(鎌倉時代 13世紀、東京・静嘉堂文庫美術館)画像提供:(公財)静嘉堂/ DNPartcom

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 辰神》(鎌倉時代 13世紀、東京国立博物館 画像提供:東京国立博物館)

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 巳神》(鎌倉時代 13世紀、東京国立博物館 画像提供:東京国立博物館)

““"

重要文化財《十二神将立像のうち 未神》(鎌倉時代 13世紀、東京国立博物館 画像提供:東京国立博物館)

さらに南山城地域の魅力的な仏像・神像が勢ぞろいしている点も注目だ。柔らかな衣の襞(ひだ)が奈良時代の乾漆造りの像をほうふつとさせる重要文化財の《薬師如来坐像》(平安時代 11世紀、京都・浄瑠璃寺)。大きさこそ異なるものの、同じ南山城の蟹満寺(かにまんじ)に伝わる木津川市指定文化財の《阿弥陀如来坐像》と体型や足先を衣に包む形式がそっくり。二つの如来像もそろって展示されている。

““"

重要文化財《薬師如来坐像》(平安時代 11世紀、京都・浄瑠璃寺、展示終了)画像提供:京都国立博物館

展示は7章構成で概要と主な展示品を取り上げる。第1章は「恭仁京の造営と古代寺院」で、天平12年(740年)に聖武天皇が山城国南端に恭仁京を造営し、同16年までの短い期間ながら、この地に都が置かれた。古代寺院に祀られた仏像や発掘調査に際して出土した考古遺品などから、仏教文化の様相を探っている。重要文化財の《十一面観音立像》(平安時代 10世紀、京都・海住山寺)などが出品されている。

““"

重要文化財の《十一面観音立像》(平安時代 10世紀、京都・海住山寺)

第2章は「密教の広がりと山岳修験」。平安時代の初めに最澄や空海ら入唐僧によって密教がもたらされると、各地の山岳に寺院が建立された。木津川流域の山岳寺院にゆかりの仏とともに、南山城地域にまつられる神々の姿を展示。ここでは、京田辺市指定文化財の《金剛夜叉明王立像》(平安時代 12世紀、京都・寿宝寺)などが並ぶ。

““"

京田辺市指定文化財の《金剛夜叉明王立像》(平安時代 12世紀、京都・寿宝寺)

第3章は「阿弥陀仏の浄土」で、平安時代後期には末法思想の広まりとともに浄土信仰が広く浸透し、9体の阿弥陀如来像を安置する九体阿弥陀堂が多く造られた。

第4章は「解脱上人貞慶と弥勒・観音信仰」。鎌倉時代初期、解脱上人貞慶(1155-1213)は、興福寺から笠置寺、さらに海住山寺へと拠点を移す。釈迦如来や弥勒菩薩、観音菩薩に対する信仰を深めるとともに、南都の戒律復興に努めた。ここでは、貞慶をめぐる2つの聖地に焦点をあて、その信仰世界に迫っている。重要文化財の《梵鐘》(鎌倉時代 1196年、京都・笠置寺)も目に留まる。

““"

重要文化財《梵鐘》(鎌倉時代 1196年、京都・笠置寺)

第5章は「行基と戒律復興」で、文殊菩薩の化身とされる行基への信仰とともに育まれた南山城地域の律宗文化を紹介。重要文化財の《文殊菩薩騎獅像》(鎌倉時代 14世紀、京都・大智寺)が目を引く。

““"

重要文化財《文殊菩薩騎獅像》(鎌倉時代 14世紀、京都・大智寺)

第6章は「禅の教えと一休禅師」。南山城を代表する禅宗寺院である酬恩庵(一休寺)に伝わった肖像や墨蹟などゆかりの寺宝を通じて、この地に花開いた禅宗文化が見てとれる。重要文化財の《一休宗純像 自賛》(室町時代 15世紀、京都・酬恩庵)も出品されている。

““"

重要文化財《一休宗純像 自賛》(室町時代 15世紀、京都・酬恩庵)後期展示

最後の第7章は「近世の南山城と奈良」。江戸時代初期、瓶原(木津川市加茂町)を拠点として念仏を広めた袋中良定のような奈良と京都を往来した僧侶をはじめ、多くの人や物資が行き交った南山城の活況に焦点を当てている。《袋中上人坐像》(江戸時代 17~18世紀、京都・鶯瀧寺)も展示されている。

““"

《袋中上人坐像》(江戸時代 17~18世紀、京都・鶯瀧寺)

京都市京セラ美術館 本館 北回廊1階・新館 東山キューブの「ルーヴル美術館展 愛を描く」

さまざまな愛の形を描いた精選された73点

フランス・パリにある世界最大級の美術館「ルーヴル美術館」が誇る約38万点もの膨大なコレクションの中から、「愛」をテーマに、16世紀から19世紀半ばまで、西洋各国の主要画家が描いた名画73点によって、どのように愛を表現したかを探る。

人間の根源的な感情である「愛」は、古代以来、西洋美術の根幹をなすテーマの一つであった。ギリシア・ローマ神話を題材とする神話画、現実の人間の日常生活を描く風俗画には、特別な誰かに恋焦がれる神々・人々の情熱や欲望、官能的な悦び、あるいは苦悩や悲しみが、様々なかたちで描かれている。一方、宗教画においては、神が人間に注ぐ無償の愛、そして人間が神に寄せる愛が、聖家族、キリストの磔刑、聖人の殉教といった主題を介して、信者たちに示された。

今回の展覧会では、西洋社会における様々な愛の概念が絵画芸術にどのように描出されてきたのか、愛の表現の諸相をひもとく。展示はプロローグと4章立て。各章ごとに壁紙の色を変え、空間全体として共通のテーマを表現している。プレスリリースを参考に、各章ごとの見どころと、主な作品を画像とともに紹介する。

プロローグは「愛の発明」。ヨーロッパ世界には、古代ギリシア・ローマとキリスト教という大きな二つの文化の源流をたどることができる。ルネサンス以降の西洋の画家たちは、一方では古代神話、他方では聖書や聖人伝から題材を得ながら、愛という複雑な感情をさまざまなやり方で絵画に表現した。これら二つの文化における愛の起源の象徴的な表現を捉える。

メインビジュアルで、神々の愛をテーマに描かれたフランソワ・ブーシェの《アモルの標的》(1758年)は、ヴィーナスの息子である愛の神アモル(キューピッド)が放った2本の矢が、ハートで印された標的に刺さることで、恋人たちの愛の誕生が表されている。ピーテル・ファン・デル・ウェルフ の《善悪の知識の木のそばのアダムとエバ》(1712年以降)は、エデンの園で暮らすアダムとエバが禁断の果実を口にしようとする場面だ。

““"

フランソワ・ブーシェ《アモルの標的》(1758年) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom パリ、ルーブル美術館蔵

““"

ピーテル・ファン・デル・ウェルフ 《善悪の知識の木のそばのアダムとエバ》 (1712年以降) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF-DNPartcom パリ、ルーブル美術館蔵

第1章は「愛の神のもとに―古代神話における欲望を描く」。ギリシア・ローマ神話の愛は、相手の全てを自分のものにしたいという強烈な欲望と一体となっている。このような欲望を原動力とする神々や人間の愛の展開が、絵画ではどう表現されたのかをたどる。

アントワーヌ・ヴァトー 《ニンフとサテュロス》(1715-1716年頃)は、欲望に駆られたサテュロスは、無防備で眠るニンフ身体からベールをそっと持ち上げ美しい裸身にみとれている様子が描かれている。

““"

アントワーヌ・ヴァトー 《ニンフとサテュロス》(1715-1716年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Stéphane Marechalle / distributed by AMF-DNPartcom パリ、ルーブル美術館蔵

ここでは、セバスティアーノ・コンカの《オレイテュイアを掠奪するボレアス》(1715-1730年頃)や、ドメニキーノ(本名 ドメニコ・ザンピエーリ)の《リナルドとアルミーダ》(1617-1621年頃)なども展示されている。

““"

セバスティアーノ・コンカ 《オレイテュイアを掠奪するボレアス》(1715-1730年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom パリ、ルーブル美術館蔵

““"

ドメニキーノ(本名 ドメニコ・ザンピエーリ) 《リナルドとアルミーダ》(1617-1621年頃) Photo ©︎ RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Martine Beck-Coppola / distributed by AMF-DNPartcom パリ、ルーブル美術館蔵

第2章の「キリスト教の神のもとに」では、第1章とは対照的に、自己犠牲による愛が描かれる。聖母マリアと幼子イエスをモチーフとする「聖母子」や、彼らを中心として父のヨセフや親戚たちが集う様子を描いた「聖家族」の絵画にも、人間が手本とすべき愛の表現を見てとることができる。

サッソフェラート(本名 ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ)の《眠る幼子イエス》(1640-1685年頃)は、幼子イエスを胸に抱き、清らかな寝顔をそっと見つめる聖母マリアを描いているが、キリスト受難の暗示でもあった。この章では、シャルル・メランの《ローマの慈愛》、または《キモンとペロ》(1628-1630年頃)や、ウスターシュ・ル・シュウールの《十字架降下》(1651年頃)も目を引く。

““"

サッソフェラート(本名 ジョヴァンニ・バッティスタ・サルヴィ) 《眠る幼子イエス》 (1640-1685年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Stéphane Maréchalle / distributed by AMF-DNPartcom

““"

ウスターシュ・ル・シュウール 《十字架降下》(1651年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Gérard Blot / distributed by AMF-DNPartcom

続く第3章は「人間のもとに―誘惑の時代」。神々ではなく現実世界を生きる人間たちの愛が対象となり、オランダの風俗画では、身分や年齢を問わず、さまざまな男女の人間味あふれる愛の諸相が描かれた。

ロココ期(18世紀)に活躍したフランスの画家・ジャン=オノレ・フラゴナール(1732~1806)の名作《かんぬき》(1777-1778年頃)は26年ぶりに来日で、暗い寝室の扉にかんぬきをかけ愛の営みを象徴する風俗画だ。

““"

ジャン=オノレ・フラゴナール 《かんぬき》(1777-1778年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom

ハブリエル・メツーの《ヴァージナルを弾く女性と歌い手による楽曲の練習》、または《音楽のレッスン》(1659-1662年頃)は、ヴァージナルを弾く女性の側に立つ男性は、同じ楽譜を見つめ愛の絆が感じられる。他に、ギヨーム・ボディニエ《イタリアの婚姻契約》(1831年)、フランソワ・ブーシェの《褐色の髪のオダリスク》(1745年)などの傑作が並ぶ。

““"

ハブリエル・メツー 《ヴァージナルを弾く女性と歌い手による楽曲の練習》、または《音楽のレッスン》(1659-1662年頃) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom

““"

ギヨーム・ボディニエ 《イタリアの婚姻契約》 1831年 Photo ©︎RMN-Grand Palais (musee du Louvre) / Mathieu Rabeau / distributed by AMF-DNPartcom

““"

フランソワ・ブーシェ 《褐色の髪のオダリスク》(1745年) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom

最終章の「19世紀フランスの牧歌的恋愛とロマン主義の悲劇」では、身分制が解体された18世紀末から19世紀における素朴でロマンティックな恋愛を描く作品が並ぶ。フランス革命により社会が大きな転換期を迎えた18世紀末から19世紀初めには、自然のなかで純朴な若者たちが愛を育む恋愛物語が流行する。

新古典主義の画家フランソワ・ジェラールの傑作《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》(1798年)では、春の野の花が咲く自然のなかに配された、はかない思春期を思わせる恋人たちの姿に、無垢な愛に対する当時の関心を読みとることができる。

““"

フランソワ・ジェラール 《アモルとプシュケ》、または《アモルの最初のキスを受けるプシュケ》 (1798年) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Tony Querrec / distributed by AMF-DNPartcom

““"

クロード=マリー・デュビュッフ《アポロンとキュパリッソス》(1821年、アヴィニョン、カルヴェ美術館)©Avignon,musée Calvet

さらに、ウジェーヌ・ドラクロワの《アビドスの花嫁》(1852-1853年頃)や、アリ・シェフェールの《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》(1855年)など「愛のストーリー」が興味深い。

““"

ウジェーヌ・ドラクロワ 《アビドスの花嫁》 1852-1853年頃 Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Franck Raux / distributed by AMF-DNPartcom

““"

アリ・シェフェール 《ダンテとウェルギリウスの前に現れたフランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの亡霊》(1855年) Photo ©︎RMN-Grand Palais (musée du Louvre) / Michel Urtado / distributed by AMF-DNPartcom

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。