VOICE

アートへの招待34 京滋で絶好の4仏教美術展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

日本に仏教が伝わったのは飛鳥時代とされ、次第に布教し、時代とともに移り変わり発展してきた。仏教の教えは口伝で行われていたが、仏様の姿を表した像がまつられるようになり、「仏像・仏画」などから「寺院建築」などで表現され、日本古来の文化として定着した。仏教文化の歴史を理解するのに格好の特別拝観や特別展が京都と滋賀で催されている。平安遷都と共に建立された世界遺産の東寺では、真言宗立教開宗1200年記念 特別拝観「東寺のすべて」が10月9日まで催されている。京都国立博物館では、鎌倉時代前期に創建された禅宗美術の特別展「東福寺」が12月3日まで開催。さらに滋賀のMIHO MUSEUMで秋季特別展「金峯山(きんぷせん)の遺宝と神仏」が12月10日、京都の龍谷大学 龍谷ミュージアムでも秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」が11月19日まで、それぞれ開かれている。美術展では見られない寺院も見ながら鑑賞できる東寺展はじめ、他の展覧会も仏像や書画、仏具など長年の歴史とともに花開いた仏教文化の魅力がたっぷりだ。

東寺の真言宗立教開宗1200年記念 特別拝観「東寺のすべて」

 小松美羽の「ネクストマンダラー 大調和」も特別公開

真言宗立教開宗1200年の節目を迎えるのを機に、東寺境内での特別拝観で、まさに「東寺のすべて」となる。国宝や重要文化財などの仏教美術のほか、通常は閉じられているお堂を公開し、現代アーティストの小松美羽が東寺食堂(じきどう)で制作した《ネクストマンダラ―大調和》や、土門拳が撮影した東寺の写真などの展観も行われている。  東寺は794年の平安京遷都後、国家鎮護のため大極殿や西寺とともに創建される。正式名称を教王護国寺と呼ぶ。嵯峨天皇は823年に唐で密教を学んだ弘法大師・空海に東寺を託した。大師は日本で初めての密教寺院として、講堂や五重塔をはじめとする伽藍の造営に精力的に取り組む。講堂には密教の主尊である大日如来を中心に21体の仏像を安置し、立体曼荼羅の世界を表現した。

空海は入定後も「お大師さま」と親しまれ、多くの民衆の信仰を集めてきた。東寺の伽藍も創建以来1200年の間に幾度も台風、落雷、火災等の災害を受け、堂塔の大半を焼失したが、その都度、多くの人々に支えられて復興を遂げ、真言密教の根本道場として法灯を守り続けている。なお高野山は816年に、同じく嵯峨天皇から空海に下賜され、修行の地と位置付けられている。

特別拝観の見どころは、東寺の講堂その場所で立体曼荼羅の世界に身を置くことだ。2019年に東京国立博物館で、特別展「国宝 東寺―空海と仏像曼荼羅」を開催され、立体曼荼羅のうち、史上最多となる国宝11体、重要文化財4体の計15体が出品されたが、今回は丸ごと観ることができる。

また弘法大師空海が最澄に宛てた手紙、国宝《風信帖》や、現存最古の彩色曼荼羅で、 平安仏画の最高傑作として名高い国宝《両界曼荼羅図(伝真言院曼荼羅)》(~10月21日)、国宝の《持国天立像》、《増長天立像》、《兜跋毘沙門天立像》、重要文化財の《千手観音菩薩立像》《薬師三尊像》など第一級の寺宝が公開されている。

““"

国宝《持国天立像》(教王護国寺[東寺]蔵)写真提供:株式会社 便利堂

““"

国宝《兜跋毘沙門天立像》(教王護国寺[東寺]蔵)写真提供:株式会社 便利堂

““"

重要文化財《千手観音菩薩立像》

さらに注目されるのは、真言宗の最高法儀「後七日御修法(みしほ)」が行われる重要文化財の「灌頂院」が2007年以来の拝観可能となった。灌頂院には小松美羽が昨年、食堂に籠もり描いた《ネクストマンダラ 大調和》が奉納されていて、特別公開されている。

《ネクストマンダラ 大調和》は、後七日御修法で用いられる《両界曼荼羅図》とほぼ同じ、縦横4メートルの二幅一対で描かれたもの。小松は2022年、空海が高野山奥の院に入定したとされる日の法要「正御影供」が東寺で行われる4月21日から約1か月、境内の食堂に籠って、曼荼羅の制作に没頭したという。

““"

小松美羽《ネクストマンダラ-大調和》(陰陽・白黒)写真提供:株式会社 風土

““"

小松美羽 ネクストマンダラ-大調和(虹・彩)写真提供:株式会社 風土

また20世紀の日本を代表する写真家の一人である土門拳が独自の撮影手法や美学によって切り撮られた「東寺」の姿を捉えた写真も展示されている。土門は1964年、東京オリンピックの喧騒から逃れるようにして京都を訪れ、東寺での撮影に没頭した。仏像や建築、宝物など密教美術の数々を被写体に約900カットを撮影。翌年に写真集『大師のみてら 東寺』を発表した。

““"

土門拳《五重塔斜陽》写真提供:土門拳記念館

京都国立博物館の特別展「東福寺」

《五百羅漢図》全幅を14年にわたる修復後初公開

新緑や紅葉の名所としても知られる東福寺は、京都を代表する禅寺の一つだ。鎌倉時代前期に摂政・関白を務めた九条道家が大寺院の創建を発願し、開山として円爾(えんに)[聖一国師(しょういちこくし)]を招いて建立した。円爾は中国へ渡り、南宋時代の高僧・無準師範(ぶじゅんしばん)に禅を学び、草創以来の歴史を辿り、大陸との交流を通して花開いた禅宗文化を伝える。今春の東京国立博物館後に巡回の本展は、重要文化財の《五百羅漢図》はじめ、応仁の乱による戦火を免れた貴重な文化財の数々や、巨大伽藍にふさわしい特大サイズの仏像や書画類など、寺宝をまとめて紹介する初の機会で、最後の会場となる。

東福寺の名称は、奈良の東大寺と興福寺になぞらえて、その一字ずつをとったことに由来する。後世伽藍面(がらんづら)と称されるほどの巨大伽藍を誇り、多くの弟子を育成した。南北朝時代には京都五山の第四に列し、本山東福寺とその塔頭には中国伝来の文物をはじめ、禅宗文化を物語る多くの特色ある文化財が所蔵され、国宝7件、重要文化財98件に及ぶ。

今回の展覧会の目玉は、画聖とも崇められた絵仏師・(きっさん みんちょう)による記念碑的大作《五百羅漢図》(南北朝時代 1386年)の全幅が14年にわたる修理事業を終え初公開(会期中展示替え)される。釈迦の弟子500人の羅漢を1幅に10人ずつ描き、さまざまな神通力をつかう様子や、生き物から供養を受ける様子などのほか、僧院での生活などが中国画の影響を受けた水墨と極彩色が融合した形で表現されている。

““"

重要文化財、明兆《五百羅漢図》 第20幅(南北朝時代 1386年、東福寺蔵、10月24日~11月5日展示)

““"

 重要文化財、明兆《五百羅漢図》 第40幅(南北朝時代 1386年、東福寺蔵、11月21日~12月3日展示)

第1~45号および48・49号は明兆筆、第46・47・50号は明兆の描いた原図を元に 後世に制作されたもので、第46・47号は狩野孝信筆とされる。第50号は幕末に東福寺から出て行方不明となっていたがロシアのエルミタージュ美術館に保管されていることが分かった。会場では復元模写を展示する。

東福寺はたびたび火災に見舞われているが、創建当初は、宋風の七堂伽藍に巨大群像が安置され「新大仏寺」と称されていた。そのスケールを感じさせるのが、高さが2メートルを超す《仏手》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、東福寺蔵、通期展示)だ。仏殿本尊は身の丈が立てば5丈(約15メートル)とされる、巨大な釈迦如来座像だった。

““"

《仏手》(鎌倉~南北朝時代 14世紀、東福寺蔵、通期展示)

主な展示品を画像とともに取り上げる。国宝の《無準師範像》(南宋時代・嘉熙2年1238年、東福寺蔵、~11月5日展示)は、無準が自ら賛を書いて円爾へと付与した作。明兆の重要文化財《白衣観音図》(室町時代 15世紀、東福寺蔵、~11月5日展示)は、縦3メートル以上という規格外のスケールを誇る超巨大な観音図だ。同じく明兆の重要文化財《達磨・蝦蟇鉄拐図》(室町時代 15世紀、東福寺蔵、11月7日~展示)に描かれたユーモラスな左右の蝦蟇・鉄拐図は、中国絵画の名品を模写した。

““"

国宝《無準師範像》(南宋時代・嘉熙2年1238年、東福寺蔵、~11月5日展示)

““"

重要文化財、明兆《白衣観音図》(室町時代 15世紀、東福寺蔵、~11月5日展示)

““"

重要文化財、明兆《達磨・蝦蟇鉄拐図》(室町時代 15世紀、東福寺蔵、11月7日~展示)

このほか、京都東山にそびえる巨大伽藍にふさわしい、重要文化財の《迦葉(かしょう)阿難(あなん)立像》(鎌倉時代 13世紀、東福寺蔵、通期展示)は、東福寺仏殿兼法堂本尊の脇侍で、創建当初の像として貴重だ。さらに《四天王立像のうち多聞天立像》(鎌倉時代 13世紀、東福寺蔵、通期展示)も注目される。力強いまなざしなど作調から運慶作?とされ、修復後初公開となる。

““"

重要文化財《阿難立像》(鎌倉時代 13世紀、東福寺蔵、通期展示)

““"

《四天王立像のうち多聞天立像》(鎌倉時代 13世紀、東福寺蔵、通期展示)

MIHO MUSEUMの秋季特別展「金峯山の遺宝と神仏」

山岳信仰に寄せられた知られざる文化財

京の都で発展した真言宗や禅宗と異なり、こちらは庶民らが山のご神徳を拝しながら登山する山岳信仰の知られざる世界だ。奈良県の吉野と和歌山県の熊野を結ぶ修行の道「大峯奥駈道」がユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の登録資産となって来年で20年を迎える。「金峯山」と称され、吉野から大峰山(山上ヶ岳 標高1719メートル)にいたる山系には、吉野金峯山寺(山下蔵王堂)と大峯山寺(山上蔵王堂)があり、山上において役小角(えんのおづぬ、役行者)が厳しい修行のすえ祈り出したという蔵王権現を祀り、今なお篤い信仰が寄せられている。

金峯山山上は、平安時代初めに開かれ、やがて宇多天皇をはじめ、藤原道長、師通ら皇室や有力貴族が登拝してからは「御嶽詣」と呼ばれるようになり、多くの人々の参詣する屈指の霊場となった。折しも仏教の教えが衰える末法の世の到来にそなえ、道長・師通らは、お経を書写し、容器に納めて土中に保持する「経塚」を山上に築いた。それら経塚遺物を含む膨大な出土品は、すでに明治時代には明らかになっていたが、本展ではそれらに加え、昭和時代に行われた山上本堂修理に伴う発掘調査による出土品や近年明らかになった新資料をはじめ、「金峯山」にかかわる彫刻、絵画、工芸品を展示し、広く金峯山信仰の実態を探っている。

今回の展覧会には国宝7件や重要文化財52件など189件が出品されている。主な展示品を画像と合わせ掲載する。

国宝の《金銅 藤原道長経筒》(平安時代、金峯神社蔵)は、道長が寛弘4年(1007年)に参拝してうずめたという紀年銘が確認される日本最古の経筒。道長自筆の重文に「妙法蓮華経」が納められていた。

““"

国宝《金銅 藤原道長経筒》(平安時代、金峯神社蔵、)

同じく国宝の《鋳銅 刻画蔵王権現像》(平安時代・長保3年 1001年、西新井大師総持寺蔵)は、最大の鏡像である。東京都指定文化財の《蔵王権現立像》(平安時代・9世紀、東京・五社神社蔵)は、目を吊り上げ表現に迫力がある。

““"

国宝《鋳銅 刻画蔵王権現像》(平安時代・長保3年 1001年、西新井大師総持寺蔵)

““"

東京都指定文化財《蔵王権現立像》(平安時代・9世紀、東京・五社神社蔵)

このほか、重要文化財の《瑞花鴛鴦八稜鏡》(平安時代・10~12世紀、大峰山寺)は、出土品ではなく本堂内陣の壁の間から見つかった。重要文化財の《熊野本地仏曼荼羅》(鎌倉時代・14世紀、京都・聖護院蔵、~11月5日展示)、《大峯々中秘密絵巻》(江戸時代・天明7年 1787年、奈良・櫻本坊)など貴重な文化財が出品されている。

““"

重要文化財《瑞花鴛鴦八稜鏡》(平安時代・10~12世紀、大峰山寺)

““"

重要文化財《熊野本地仏曼荼羅》(鎌倉時代・14世紀、京都・聖護院蔵、~11月5日展示)

““"

《大峯々中秘密絵巻》上巻(江戸時代・天明7年 1787年、奈良・櫻本坊)

““"

《大峯々中秘密絵巻》下巻(江戸時代・天明7年 1787年、奈良・櫻本坊)

龍谷大学 龍谷ミュージアムの秋季特別展「みちのく いとしい仏たち」

素朴な造形、笑みたたえユーモラスな表情も

江戸時代、仏教の教えが広まり、諸国の寺院では、上方や江戸で造られた金色に輝く立派な仏像が、ご本尊として安置された。一方、村の小さなお堂や祠、民家の仏壇や神棚などには、その土地の大工さんやお坊さんたちの手による、素朴でユニークな仏像・神像がまつられ、人々に大切に護られてきた。この展覧会では、青森・岩手・秋田の北東北3県に伝わった仏像・神像約130点を展示している。みちのくの厳しい風土の中、人々の暮らしに寄り添ってきた、やさしく、いとしい仏たちの、魅力あふれる造形は、ウクライナ戦争やコロナ禍で重苦しい心を癒してくれることだろう。

会場は8章で構成されている。まず第1章の「ホトケとカミ」、第2章の「山と村のカミ」では、古代から中世に造られた仏像や神像が並ぶ。仏教の浸透が遅かった北東北ではホトケとカミは両立していた。その表情は、親近感を感じさせ、ユーモラスでさえある。《如来立像》(平安時代・11世紀、岩手県二戸市・天台寺蔵)や、《山神像》(江戸時代 岩手県八幡平市・兄川山神社蔵)などが展示されている。

““"

《如来立蔵》(平安時代・11世紀、岩手県二戸市・天台寺蔵)

““"

《山神像》(江戸時代 岩手県八幡平市・兄川山神社蔵)

 第3章の「笑みをたたえる」の、ニコニコとしたホトケの表情は、みちのくの民間仏の特徴。《観音菩薩立像》(江戸時代・貞享5年 1688年、岩手県一関市・松川 二十五菩薩像保存会蔵)も一例だ。

““"

《観音菩薩立像》(江戸時代・貞享5年 1688年、岩手県一関市・松川 二十五菩薩像保存会蔵)

 第6章は「やさしくしかって」。この時代、死後の世界や地獄を身近に感じ暮らしていたみちのくの人々は、閻魔王や十王などの造形に、せめて穏やかな表情を求めた。《閻魔王像》(江戸時代、岩手県奥州市・黒石寺蔵)や、《鬼形像》(江戸時代、岩手県葛巻町・正福寺蔵)なども独特な造形がされている。

““"

《閻魔王像》(江戸時代、岩手県奥州市・黒石寺蔵)

““"

《鬼形像》(江戸時代、岩手県葛巻町・正福寺蔵)

第7章は「大工 右衛門四良」で、青森県十和田市の洞内に代々長坂屋右衛門四良を名乗る大工の家があり、安永8年(1779年)に亡くなった右衛門四良の民間仏が数多く残っている。《三十三観音坐像》(江戸時代・18世紀後半、青森県十和田市・法蓮寺蔵)もその一つだ。

““"

《三十三観音坐像》(江戸時代・18世紀後半、青森県十和田市・法蓮寺蔵)

最後の第8章は「かわいくて かなしくて」。民間仏はどんなに粗末で稚拙でも必要とした人々がいた。貧困や自然の厳しさなどの苦しさを耐える祈りの対象として、手を合わせたのであろう。ここでは《子安観音坐像》(江戸時代、青森県五所川原市・慈眼寺蔵)などが出品されている。

““"

《子安観音坐像》(江戸時代、青森県五所川原市・慈眼寺蔵)

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。