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アートへの招待37 新しい年、心いやされる日本画展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

新しい年、能登半島地震、羽田空港の航空機事故、北九州商店街の火災と、とんでもないお正月3が日と続き、気が滅入るような年明けとなってしまった。この時期、関西の美術館では、心いやされる日本画展が催されている。浪華には春も早くくるらしい、を謳い文句に「決定版! 女性画家たちの大阪」が大阪中之島美術館にて2月25日まで開催中だ。京都の福田美術館では近代の京都画壇を代表する「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」が1月18日から4月7日まで、京都府立堂本印象美術でも企画展「若き日のロマン、大正時代の印象さん」が2月25日まで開かれている。

大阪中之島美術館の「決定版! 女性画家たちの大阪」

商都に咲いた浪華の多彩な作品約150点

約百年前の大正~昭和前期、東京や京都を中心に男性画家が大多数を占めていたが、大阪は女性画家が多く活躍していた。大正元年(1912)に島成園(せいえん)が文展に入選して以降、官展に入選する女性画家を輩出した。男性優位の社会であって、お稽古事や趣味にとどまらず、画家として社会的な成功を夢見た女性画家に焦点を当て、大阪という都市の文化的土壌についても考察しようとの企画趣旨だ。

島成園が20歳で文部省美術展覧会(文展)に入選すると、その成功に触発された木谷千種(ちぐさ)や生田花朝(かちょう)らも官展に入選。また、美人画や歴史風俗画に加えて、江戸時代から大阪に興隆した南画(文人画)の分野においても、河邊青蘭(せいらん)や融紅鸞(とおる こうらん)らが実力を発揮した。

成功を収めた女性画家は、自らの画業を追求するにとどまらず、後進の女性を育成するため画塾を開く。門下生たちも師に続いて公募展や塾展に挑み、大阪の女性画家の裾野はさらに広がった。大阪では昭和の初めまで東京、京都に肩を並べるほど官展に入賞する女性画家を輩出した。

大阪の女性画家をめぐっては、これまでも「美術都市・大阪の発見」展(1997年)、「島成園と浪華の女性画家」展(2006年)、「女性画家の大阪」展(2008年)、「大阪の日本画」展(2023年)と研究が進められてきた。「決定版!」と題する今回の企画展では、「島成園と浪華の女性画家」展以来の調査研究に、近年の新たな成果を加えて、集大成的な意味合いがある。

展覧会には、近代大阪が生んだ50名を超える女性画家の活動を約150点の作品と関連資料を集め紹介している。初めて知る画家も多いが、ただ美しいだけでなく、大阪の風俗を見つめ、画家の内面をのぞかせ、さらには文人画など多彩な作品が並ぶ。

展示構成は5章で、その章ごとの概要と主な作品を取り上げる。前期(~1月21日)と後期(1月23日~)で展示替えがある。

第1章は「先駆者、島成園」で、約40点により手厚く紹介。島成園(1892-1970)は、堺市に生まれ、13歳ごろ大阪に転居する。図案家の兄を手伝いながら絵を独習した。《宗右衛門町の夕》(所在不明)で文展に入選し、一躍有名に。そして京都の上村松園、東京の池田蕉園と並び、「三都の三園」と称される。

広い展示スペースに展開され、《桜花美人》(大正12年頃、木原文庫蔵、通期)や《無題》(大正7年、大阪市立美術館蔵、通期)、《影絵之図》(大正8年、木原文庫蔵、後期)など多様な作品が並び壮観だ。

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島成園《桜花美人》(大正12年頃、木原文庫蔵、通期)

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島成園《無題》(大正7年、大阪市立美術館蔵、通期)

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島成園《影絵之図》(大正8年頃、木原文庫蔵、後期)

第2章は「女四人の会―島成園、岡本更園、木谷千種、松本華羊」。島成園に刺激を受けた女性たちが次々と絵の道へと進む。大正4年までに岡本更園(1895-没年不詳)、木谷千種(1895-1947)、松本華羊(1893-1961)が相次いで文展に入選する。同世代の4人は、井原西鶴の「好色五人女」をテーマに大正5年「女四人の会」展で作品を発表する。

松本華羊は東京出身で池田蕉園らに学んだ後、父の大阪勤務に伴い大阪画壇の一員として活動した。ここでは木谷千種の《をんごく》(大正7年、大阪中之島美術館蔵、前期)や、松本華羊の《静寛院宮絵姿》(大正時代、実践女子大学図書館蔵、通期、画像左端)など4作品も並ぶ。 

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木谷千種《をんごく》(大正7年、大阪中之島美術館蔵、前期))

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松本華羊《静寛院宮絵姿》(大正時代、実践女子大学図書館蔵、通期、左端)と、前期展示の作品

続く第3章は「伝統的な絵画―南画、花鳥画など」で、中国の南宋画に由来する日本の南画が多数出品されている。川本月香の《木蓮図》(大正7年、 関和男氏蔵、前期)は、女性らしい穏やかな情景だ。

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川本月香《木蓮図》(大正7年、 関和男氏蔵、前期)

第4章は「生田花朝と郷土芸術」。生田は大阪の歴史や風俗を描いた女性日本画家の筆頭に挙げられる。《だいがく》(昭和時代、大阪府立中之島図書館、後期)など、花朝作品が数多く出品される。

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生田花朝《だいがく》(昭和時代、大阪府立中之島図書館、後期)

最後の第5章は「新たな時代を拓く女性たち」で、多くの女性画家が美術の動向の一部を担い、社会的な制約がある中で、小さくも確かな足跡を残したといえよう。三露千鈴の《化粧》(大正後期、大阪中之島美術館蔵、後期)や《殉教者の娘》(大正15年、大阪中之島美術館蔵、後期)、橋本花乃の《七夕》(昭和5—6年、大阪中之島美術館蔵、通期)なども展示される。

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三露千鈴《化粧》(大正後期、大阪中之島美術館蔵、後期)

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三露千鈴《殉教者の娘》(大正15年、大阪中之島美術館蔵、後期)

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橋本花乃《七夕》(昭和5-6年頃、大阪中之島美術館蔵、通期)

福田美術館の「進撃の巨匠 竹内栖鳳と弟子たち」

栖鳳を軸に個性の追求した弟子の作品

近代日本画の先駆者で、近代の京都画壇を代表する巨匠・竹内栖鳳の生誕160年を記念しての企画展。栖鳳の作品を軸に、師に導かれそれぞれに優れた個性を発揮した弟子たちの作品が集結する。前期(~3月4日)32点、後期(3月6日~)35点、通期31点で、会期中に98点が出品される。

昨冬、京都市京セラ美術館で「竹内栖鳳 破壊と創生のエネルギー」、京都国立近代美術館でも「京都画壇の青春―栖鳳、松園につづく新世代たち」が開かれたばかりだが、今回はTVアニメの「進撃の巨人」をもじったタイトル。主催者によると、「進撃」とは「競いながら前進を続ける」の意で、栖鳳と弟子たちの明治・大正・昭和を通じて続いた快進撃が生み出した作品の数々が持つ力に焦点を当てている。

竹内栖鳳(1864-1942)は江戸幕府の末期、京都の川魚料理屋「亀政」の一人息子として生まれる。本名恒吉。17歳の頃、四条派の幸野楳嶺に師事し門下の四天王の一人に数えられる。1900年、パリ万博視察に渡欧した。文部省美術展覧会(文展)開設当初から活躍、大正期には帝室技芸員、帝国芸術院会員となり、二度中国にも赴く。

栖鳳の画歴は半世紀に及び、戦前の京都画壇を代表する大家である。西洋画を含め諸派の表現を融合し、京都日本画の近代化を牽引するとともに、写生にもとづく自然への視点など独自の境地を拓いた。京都市立絵画専門学校、画塾竹杖会などで、上村松園や土田麦僊をはじめ多くの画家を育て、近代の京都画壇でもっとも大きな影響を与えた。第1回文化勲章を受章している。

今回の展覧会では、近世と近代を縦断する福田美術館のコレクションより、東洋だけではなく西洋の表現をも取り込み、縦横無尽な機動性を感じさせる栖鳳の作品をはじめ、若き日の栖鳳が跳躍する力を蓄えるべく参考にした師、幸野楳嶺ら先人たちの作品も展示。さらに、栖鳳に導かれそれぞれに優れた個性を発揮した、西山翠嶂や上村松園、土田麦僊、村上華岳や入江波光、福田平八郎や徳岡神泉らの作品も展示する。

展示は3章構成。第1章は「竹内栖鳳の快進撃 ―その力の源泉としての円山四条派―」。円山応挙以来の京都画壇の流れを紹介しつつ、先人たちの技法に工夫を加え自身の芸術を完成させた竹内栖鳳の作品により、卓越した筆の技、構図の妙、色彩の美が、彼の作品26点を通して堪能できる。

主な作品(いずれも福田美術館蔵)に、西洋の技法を取り入れて描かれたリアルな《金獅図》(1906年、通期)はじめ、《猛虎》(1930年、前期)、《春の海》(1924年頃、通期)、《魚菜一荷》(1922年頃、後期)、《水風白鷺》(1925年頃、通期)がある。

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竹内栖鳳《金獅図》(1906年、福田美術館蔵、通期

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竹内栖鳳《猛虎》(1930年、福田美術館蔵、前期)

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竹内栖鳳《春の海》(1924年頃、福田美術館蔵、通期)

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竹内栖鳳《魚菜一荷》(1922年頃、福田美術館蔵、後期)

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竹内栖鳳《水風白鷺》(1925年頃、福田美術館蔵、通期)

第2章の「次世代の挑戦と研鑽―栖鳳の教えを胸に―」では、初出品となる西山翠嶂の《槿花》(1923年、京都市美術館蔵、前期)ほか、西村五雲の《小原女》(1930年頃、福田美術館蔵、後期)、入江波光《散華来迎》(20世紀、福田美術館蔵、前期)、上村松園 の《しぐれ》(1940年頃、福田美術館蔵 、前期)など、栖鳳の背中を追った優れた弟子たちの作品が出品される。

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西山翠嶂《槿花》(1923年、京都市美術館蔵、前期)

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西村五雲《小原女》(1930年頃、福田美術館蔵、後期)

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入江波光《散華来迎》(20世紀、福田美術館蔵、前期)

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上村松園《しぐれ》(1940年頃、福田美術館蔵、前期)

 新しい日本画の描き方を模索した彼らの作品は、官展で優れた評価を受けられないという現実もあった。文展の評価を不服とした小野竹喬、土田麦僊、 村上華岳ら新進気鋭の日本画家により結成された国画創作協会の面々の作品も並ぶ。文展の審査員でも あった栖鳳は、それらの作風を否定することなく、果敢な進撃を後方から支援する。彼らの個性を認め育んだ栖鳳という教育者の、秀でた影響力を顧みる。

終章となる第3章は、「戦後を生きた栖鳳の門人たち ―なお続く進撃―」。小野竹喬、福田平八郎、 池田遙邨ら戦後まで活動した栖鳳の弟子たちの作品を展示。 戦後、日本画は岩絵具の色と質感を最大限に発揮する厚塗りへと転換するが、彼らはその美意識の激変を乗り越えて優れた作品を生み出し、名を馳せる。

それは師風を受け継ぐことこそが尊いという近世までの価値観を脱し、個性の追求が求められた時代に快進撃を続け半世紀に渡って創作活動を続けた巨匠、栖鳳の生き様にも重なる。小野竹喬の《丘》(1972年、福田美術館蔵、後期)なども注目される。

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小野竹喬《丘》(1972年、福田美術館蔵、後期)

京都府立堂本印象美術の企画展「若き日のロマン、大正時代の印象さん」

 青春時代の日本画や図案、人形など約80点

大正から昭和にかけて活躍した京都市出身の画家・堂本印象の青春時代に焦点を当てた展覧会だ。「立志伝中の人」と呼ばれた印象の絵描きになる前の多彩な活動や、苦学しながら画家を志していた青春時代に描いた日本画など初公開多数を含む約80点が展示されている。

堂本印象(1891-1975)は、苦労人の画家だった。江戸時代より続く京都の造り酒屋の三男として生まれたが、京都市立美術工芸学校在学中に家業が傾き、ほどなく父が病で倒れた。卒業後は日本画家を養成する上級学校の京都市立絵画専門学校(絵専、現:京都市立芸術大学)への進学を断念し、親と6人の弟妹たちを養うため、龍村平藏の龍村製織所の図案家となり懸命に働く。夜は木彫人形の内職もした。

しかし画家への夢をあきらめきれない印象は、仕事の傍ら、欠かすことなく写生に出かけ、絵を描き続けた。大正7年(1918年)に絵専に入学し、ようやく画家への道を歩み始める。その後、印象は伝統的な日本画から抽象画に至るまで華麗な変遷を辿った。

今回の展覧会では、画家になる前の若き日の印象が描いた女性像を中心に、大正ロマン漂う世界を紹介している。多感な青年の印象に大きな刺激を与えた大阪、京都の女性たちや街並みなど初期の作品が鑑賞できる。

出品作には、16歳の時の図案で(金唐革の趣を織物で表現した《唐華文金唐革錦》(1907年、株式会社龍村美術織物蔵)や、京舞の名手松本佐多をモデルに制作した《羽衣》(1914年、京都府立堂本印象美術館蔵)、竹久夢二などの絵本ブームにのって創作した絵入り和歌・詩集《いの字絵本》(1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)、内職で手掛けた数多くの木彫人形もあり、印象の多才ぶりに驚かされる。

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堂本印象《唐華文金唐革錦》(1907年、株式会社龍村美術織物蔵)

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堂本印象《羽衣》(1914年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象《いの字絵本》(1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象が手掛けた数多くの人形

このほか《浪速港涯絵巻》、《九軒の女》、《丘上の女達》(いずれも1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)、《クラスメート》(1913年、京都府立堂本印象美術館蔵)、《おばけ(花街の節分会)》(大正初期、個人蔵)、《島原太夫の絵巻》部分(1920年、京都府立堂本印象美術館蔵)などが出品されている。

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堂本印象《浪速港涯絵巻》(1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象《九軒の女》(1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象《丘上の女達》(1912年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象《クラスメート》(1913年、京都府立堂本印象美術館蔵)

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堂本印象《おばけ(花街の節分会)》(大正初期、個人蔵)

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堂本印象《島原太夫の絵巻》部分(1920年、京都府立堂本印象美術館蔵)

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。