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アートへの招待38 知られざる世界、2つの特別展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

展覧会の魅力は、美の表現とともに世界の知られざる文化材を鑑賞できることも大きい。3000年以上にわたって繁栄したメキシコの古代文明を紹介する特別展「古代メキシ コ-マヤ、アステカ、テオティワカン」が大阪の国立国際美術館で5月6日まで開かれている。名古屋市美術館では1882年の着工から142年が経過して今なお建設途中という、特別展「開館35周年記念 ガウディとサグラダ・ファミリア展」が3月10日まで開催中だ。2つの特別展ともに、国内巡回の最終会場であり、お見逃しなく。

国立国際美術館の特別展「古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」

3つの文明に焦点をあて、厳選した約140件集結
 《赤の女王のマスク・冠・首飾り》など目玉来日

メキシコには35もの世界遺産があり、なかでも高い人気を誇るのが、古代都市の遺跡群だ。前15世紀から後16世紀のスペイン侵攻までの3000年以上にわたり、多様な環境に適応しながら、独自の文明が花開いた。

今回の展覧会では、そのうち「マヤ」「アステカ」「テオティワカン」という代表的な3つの文明に焦点をあて、メキシコ国内の主要博物館から厳選した古代メキシコの至宝の数々を、近年の発掘調査の成果を交えて展示。普遍的な神と自然への祈り、そして多様な環境から生み出された独自の世界観と造形美を通して、古代メキシコ文明の奥深さと魅力に迫っている。

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《赤の女王のマスク・冠・首飾り》(マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Foto: Michel Zabé

みどころの第一は、マヤの「赤の女王レイナ・ロハ」の初来日だ。マヤの代表的な都市国家パレンケの黄金時代を築いたパカル王の妃とされるのが、赤い辰砂(しんしゃ)に覆われて見つかった通称「赤の女王」(スペイン語で「レイナ・ロハ」)だ。

その墓の出土品《赤の女王のマスク・冠・首飾り》(マヤ文明、7世紀後半 パレンケ、13号神殿出土 アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵)を、メキシコ国内とアメリカ以外で初めて公開される。パカル王の息子と孫、ひ孫に関連する遺物もあわせ、200年にわたる王朝一族の物語を浮き彫りにする。

第二は、古代メキシコの至宝約140件が集結。考古と民族資料の宝庫であるメキシコ国立人類学博物館をはじめ、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館、テンプロ・マヨール博物館、テオティワカン考古学ゾーンなど、メキシコ国内の主要博物館から厳選し、近年の発掘調査の成果を交えて展示する。

第三は、世界遺産の魅力を体感できる展示空間となっている。パレンケのパカル王と王妃(赤の女王)の墓、アステカの大神殿(テンプロ・マヨール)、テオティワカンの三大ピラミッドなどを、映像や再現展示で伝えている。

展示は4章で構成されている。プレスリリースなどを参考に、その内容と主な展示品を取り上げる。

第一章は「古代メキシコへのいざない」。紀元前1500年頃、メキシコ湾岸部に興ったオルメカ文明は、メソアメリカで展開する多彩な文明のルーツともいわれている。広大な自然環境のなかで人々の暮らしを支えたのは、トウモロコシをはじめとする栽培植物と野生の動植物だった。やがて天体観測に基づく正確な暦が生み出され、豊穣と災害をもたらす神々への祈りや畏れから様々な儀礼が発達し、生贄が捧げられた。《オルメカ様式の石偶》(オルメカ文明、前1000~前400年、セロ・デ・ラス・メサス出土、メキシコ国立人類学博物館蔵)などが出品されている。

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「太陽のピラミッド」
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX

第二章は「テオティワカン 神々の都」で、テオティワカンは海抜2300メートルのメキシコ中央高原にある都市遺跡だ。死者の大通りと呼ばれる巨大空間を中心に、ピラミッドや儀礼の場、官僚の施設、居住域などが整然と建ち並んでいた。「太陽のピラミッド」や「月のピラミッド」は象徴的な存在で、スペイン侵攻以前から話されていたナワトル語で「神々の座所」を意味する。テオティワカンは、当時の民族や言語も未解明な謎の多い文明であるが、美術や建築様式はその後も継承される。

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《死のディスク石彫》(テオティワカン文明、300~550年 テオティワカン 太陽のピラミッド、太陽の広場出土 メキシコ国立人類学博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

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《嵐の神の壁画》(テオティワカン文明、350~550年 テオティワカン、サクアラ出土 メキシコ国立人類学博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

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《鳥形土器》(テオティワカン文明、250~550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土 メキシコ国立人類学博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

ここでは、《死のディスク石彫》(テオティワカン文明、300~550年 テオティワカン・太陽のピラミッド、太陽の広場出土)はじめ、《嵐の神の壁画》(テオティワカン文明、350~550年 テオティワカン、サクアラ出土)、《鳥形土器》(テオティワカン文明、250~550年 テオティワカン、ラ・ベンティージャ出土、いずれもメキシコ国立人類学博物館蔵)などが展示されている。

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「碑文の神殿と13号神殿」
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX

第三章は「マヤ 都市国家の興亡」。マヤは前1200年頃から後16世紀までメソアメリカ一帯で栄えた文明であり、後1世紀頃には王朝が成立した。都市間の交易や交流、時には戦争を通じて大きなネットワーク社会を形成する。王や貴族はピラミッドなどの公共建築や集団祭祀、精緻な暦などに特徴をもつ力強い世界観を有する王朝文化を発展させた。400~800年頃に隆盛した都市国家パレンケでは、パカル王が埋葬された「碑文の神殿」などはかつて鮮やかな赤色で塗られていた。

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《赤の女王のマスク・冠・首飾り》の展示

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《支配者層の土偶》(マヤ文明、600~950年 ハイナ出土 メキシコ国立人類学博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

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《トニナ石彫171》(マヤ文明、727年頃 トニナ、アクロポリス、水の宮殿出土 メキシコ国立人類学博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Archivo Digital de las Colecciones del Museo Nacional de Antropología. INAH-CANON

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《チャクモール像》(マヤ文明、900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX

この章では、目玉の《赤の女王のマスク・冠・首飾り》のほか、《支配者層の土偶》(マヤ文明、600~950年 ハイナ出土)や《トニナ石彫171》(マヤ文明、727年頃 トニナ、アクロポリス、水の宮殿出土、ともにメキシコ国立人類学博物館蔵)、《チャクモール像》(マヤ文明、900~1100年 チチェン・イツァ、ツォンパントリ出土 ユカタン地方人類学博物館 カントン宮殿蔵)、《96文字の石板》(マヤ文明、783年 パレンケ、王宮の塔付近出土、アルベルト・ルス・ルイリエ パレンケ遺跡博物館蔵)などの出土品が並ぶ。

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「テンプロ・マヨール」
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX

第四章は「アステカ  テノチティトランの大神殿」。アステカは14世紀から16世紀にメキシコ中央部に築かれた文明だ。首都テノチティトラン(現メキシコシティ)は湖上の都市であり、中央に建てられた「テンプロ・マヨール」と呼ばれる大神殿にはウィツィロポチトリ神とトラロク神が祀られていた。アステカも他の文明の伝統を継承し、王や貴族などを中心とする支配者層によって他の地域との儀礼や交易、戦争が行なわれた。

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《鷲の戦士像》(アステカ文明、1469~86年 テンプロ・マヨール、鷲の家出土 テンプロ・マヨール博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo Mayor

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《トラロク神の壺》(アステカ文明、1440~69年 テンプロ・マヨール、埋納石室56出土 テンプロ・マヨール博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo Mayor

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《人の心臓形ペンダント》(アステカ文明、1486~1502年 テンプロ・マヨール、埋納石室174出土 テンプロ・マヨール博物館蔵)
(C)Secretaría de Cultura-INAH-MEX. Museo del Templo Mayor

この章では、《鷲の戦士像》(アステカ文明、1469~86年、テンプロ・マヨール、鷲の家出土)をはじめ、《トラロク神の壺》(アステカ文明、1440~69年、テンプロ・マヨール、埋納石室56出土)、《人の心臓形ペンダント》(アステカ文明、1486~1502年、 テンプロ・マヨール、埋納石室174出土、いずれもテンプロ・マヨール博物館蔵)など、アステカの優れた彫刻作品とともに、近年テンプロ・マヨールから発見された金製品の数々が出品されている。

名古屋市美術館の特別展「開館35周年記念 ガウディとサグラダ・ファミリア展」

「歴史」「自然」「幾何学」から創造の源泉
図面や模型、写真、資料など100 点で検証

アントニ・ガウディ(1852-1926)は、カタルーニャ地方のタラゴナ県に、銅板を加工して鍋や釜を作る銅細工師の家に5人目の子として生まれた。幼少時、重度のリウマチで学校に行けず、祖父母の村で静養した。1873年から4年間、バルセロナ建築学校で建築を学ぶ。歴史や経済、美学、哲学などにも関心を示し、ヴィオレ=ル=デュクの著作を熱心に研究していたと伝えられる。学業と並行して建築設計事務所で働き、バルセロナのシウタデーリャ公園の装飾やモンセラーの修道院の装飾にもかかわった。

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《ガウディ肖像写真》 (1878 年頃、レウス市博物館)
(C)MUSEUS DE REUS.INSTITUT MUNICIPAL REUS CULTURA

ガウディはパリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインした。この作品を通じてガウディの才能を見初めたのが、繊維会社を経営する富豪エウゼビオ・グエル(エウゼビ・グエイ)であった。グエルは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援し、グエル邸、コローニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼した。

ガウディはサグラダ・ファミリアの専任建築家に推薦され、1883年から2代目建築家に就任した。1926年に73歳で市電にはねられ亡くなるまでライフワークとしてサグラダ・ファミリアの設計・建築に取り組む。没後の1936年に始まったスペイン内戦により、聖堂の一部は破壊され、図面類は焼失、模型も粉砕されて建設は中断を余儀なくされた。

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サグラダ・ファミリア聖堂 2023年1月撮影
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

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サグラダ・ファミリア聖堂 2022年12月撮影
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

ガウディが残した設計図や模型、ガウディの構想に基づき弟子たちが作成した資料のほとんどが散逸してしまう。しかしその時代ごとの建築家が、ガウディの設計構想を推測するといった形で現在も建設が行われている。

完成までには300年以上を要すると言われていたが、一時は2026年にもと発表された。とはいえ大幅に短縮し、完成が見込めるようになったのは、3Dプリンターやコンピュータによる設計技術が進んだのと、観光客増加によって予算が賄えるから、というのも理由だ。

2021年末、全体で2番目に高い「マリアの塔」が完成し、頂上の星が点灯した。そして最も高いメインタワーの「イエスの塔」が2026年に完成の見込みとされる。ところが、新型コロナウイルスは「未完の聖堂」の完成を遅らせた。現在は急ピッチで工事が再開されている。

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サグラダ・ファミリア聖堂 2022年12月撮影
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

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サグラダ・ファミリア聖堂内観
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

今回の展覧会では、100点を超える図面や模型、写真、資料によってガウディ独自の制作プロセスを探っている。また建築に付随する装飾や家具までデザインし、聖書の内容を伝える教会の彫刻にも情熱を傾けていたことも注目だ。さらには最新の映像をまじえながら、サグラダ・ファミリア聖堂の造形の秘密に迫っている。

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《サグラダ・ファミリア聖堂、全体模型》(2012-23 年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂)
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

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《サグラダ・ファミリア聖堂、受難の正面、鐘塔頂華》
(C)Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

展覧会のみどころは、第一にガウディの創造の源泉を読み解く。ゼロからあのようなユニークな建築を創造したわけではない。ガウディの才能は、西欧建築の歴史、異文化の造形、自然が生み出す形の神秘をどん欲に吸収し、そこから独自の形と法則を生み出したことにある。「歴史」「自然」「幾何学」の 3つのポイントから、ガウディのイメージの源泉を探るっている。

第二はサグラダ・ファミリアの建築のプロセスだ。この一大プロジェクトは、誰の発案で、どのような社会的な目的をもち、そして、計画案がいかに作られ変遷していったのか。図面のみならず模型によって聖堂の形を探っていったガウディ独自の制作プロセスに注目するとともに、140 年を超える長い建設の過程で、ガウディ没後にプロジェクトを引き継いだ人々の創意工夫にも光を当てている。

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《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》(2001-02 年、制作: サグラダ・ファミリア聖堂模型室、西武文理大学)
(C)西武文理大学/photo:後藤真樹


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右《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:鐘塔頂華の模型》(2005-10年)
左《サグラダ・ファミリア聖堂、受難の正面:鐘塔頂華の模型》(2003年)いずれも制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂

第三は総合芸術としてのサグラダ・ファミリア聖堂の豊かな世界をひもとく。ガウディは建築に付随する装飾や家具までデザインし、聖書の内容を伝える教会の彫刻にも並々ならぬ情熱を傾けるなど、マルチな才能を発揮した。建物の表面を覆う、砕いたタイル、ステンドグラスによる色と光の効果のみならず、室内の採光・照明や音響などに関しても最適な環境を追求し、サグラダ・ファミリア全体が諸芸術を総合する場として構想した。ガウディの装飾や彫刻手法、また日本人彫刻家・外尾悦郎氏の仕事を紹介することで、彫刻術という視点からも聖堂の豊かな世界を探っている。

第四にサグラダ・ファミリアの壮麗な空間について、建設の最終段階に向かいつつあるサグラダ・ファミリアの現在の姿を、最新の映像を駆使して伝えている。

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《聖遺物箱・聖体顕示台のデザイン》(1878 年、レウス市博物館)
(C) MUSEUS DE REUS. INSTITUT MUNICIPAL REUS CULTURA

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アントニ・ガウディ《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》(1898-1900 年、サグラダ・ファミリア聖堂)
(C) Fundació Junta Constructora del Temple Expiatori de la Sagrada Família

展示は、「ガウディとその時代」、「ガウディの創造の源泉」、「サグラダ・ファミリアの軌跡」、「ガウディの遺伝子」で構成されている。主な展示品を取り上げる。まず《ガウディ肖像写真》 (1878年頃、レウス市博物館)。当時最先端の技術であった写真を駆使した建築家だが、自らが撮影されることを忌み嫌ったといい、無帽の写真は5枚しか残っていない。

サグラダ・ファミリア聖堂の写真は、「2023年1月撮影」の近景と、サグラダ・ファミリア聖堂内観の写真などが展示されている。なお未展示ながら「2022年12月撮影」の夜景、工事中の先端部分を撮った「2022年12月撮影」の写真も参考に掲載する。

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アントニ・ガウディ《カサ・バッリョ、ベンチ(複製)》(1984‐85年、西武文理大学)

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外尾悦郎《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち》(サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面に1990-2000 年に設置、作家蔵)

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サグラダ・ファミリアの完成予定図

模型も、《サグラダ・ファミリア聖堂全体模型》(2012-23年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂)や、《サグラダ・ファミリア聖堂、受難の正面、鐘塔頂華》(2003年、制作:サグラダ・ファミリア聖堂模型室、サグラダ・ファミリア聖堂)、《サグラダ・ファミリア聖堂、身廊部模型》(2001-02年、制作: サグラダ・ファミリア聖堂模型室、西武文理大学)などで、細部が鑑賞できる。

さらに、ガウディの《聖遺物箱・聖体顕示台のデザイン》(1878年、レウス市博物館)や、ガウディの《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:女性の顔の塑像断片》(1898-1900年、サグラダ・ファミリア聖堂)も注目される。

このほか、サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面に1990-2000年に設置された外尾悦郎氏の《サグラダ・ファミリア聖堂、降誕の正面:歌う天使たち》(作家蔵)も出品されている。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。