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アートへの招待40 空海と雪舟、重厚な企画展を競う2博物館

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

関西の2つの国立博物館が、ともに歴史上の人物をテーマにした企画展を競っている。奈良国立博物館が生誕1250年記念特別展「空海 KUKAI ─ 密教のルーツとマンダラ世界」を6月9日まで、京都国立博物館では特別展「雪舟伝説―『画聖(カリスマ)』の誕生―」を5月26日まで、それぞれ開催している。ともに巡回のない単館開催で、国宝や重要文化財も数多く出品されていて、重厚な展示内容になっている。初夏のさわやかな季節でもあり、混雑状況も把握して出かけることをお勧めする。

奈良国立博物館の生誕1250年記念特別展「空海 KUKAI ─ 密教のルーツとマンダラ世界」

修理後一般初公開の国宝《高雄曼荼羅》が目玉

平安時代の僧・空海(774-835)の生涯と、空海が日本に伝えた密教ならびにそのルーツを辿る、かつてない規模の企画展。多数の仏像や仏画により、空海が「目で見てわかる」ことを強調した密教の「マンダラ空間」を再現するとともに、密教が陸のシルクロードだけでなく海のシルクロードも経由し東アジア諸地域、そして日本に至った伝来の軌跡にも焦点を当て、空海が日本にもたらした密教の全貌を(京都・神護寺)解き明かそうとの趣旨だ。約230年ぶりの修理後一般初公開となる国宝《高雄曼荼羅》など、会期中(前期:~5月12日、後期:5月14日~)に、国宝28件、重要文化財59件を含む115件が出品される。

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ポスタービジュアル

空海は讃岐の国(現在の香川県)で生まれる。幼名は真魚(まお)。788(延暦7)年、15歳の時に、儒学者である叔父の阿刀大足(あとのおおたり)について文章などを学び、18歳で大学に入る。24歳の時に、儒教、道教、仏教の比較思想論で国宝『聾瞽指帰(ろうこしいき)』(和歌山・金剛峯寺、前期)を著す。804(延暦23)年、留学僧として遣唐使船で唐に渡る。

806(大同元)年に帰国後、809(大同4)年、平安京に入ることを許され、高雄山寺(現在の神護寺)を拠点として活動を始める。そして816(弘仁7)年、修禅の道場を高野山に建立したい旨を朝廷に願い出て、832(天長9)年、高野山に金堂が完成する。また四国八十八カ所を開創するなど、悩み苦しむ人々にご利益があるようにと説いた。

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《弘法大師坐像(萬日大師)》(室町~安土桃山時代 16~17世紀、和歌山・金剛峯寺、通期)※第5章で展示

「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、わが願いも尽きなん。」(『性霊集』巻第八) は、この世の全ての物が消滅し、仏法の世界が尽きるまで、私は人々が救われることを願い続ける、との空海の説だ。衆生救済を願った空海が人々を救うためにたどり着いたのは密教だった。唐に渡った空海が、師匠の恵果(けいか)から密教のすべてを受け継いだと言われる。

見どころは、展覧会の目玉ともいえる国宝の《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》(平安時代 9世紀、京都・神護寺)だ。現存最古にして、空海の在世時に自ら制作を指導し、思い描いた密教の世界観を伝える現存唯一の両界曼荼羅である。高雄山神護寺に伝わったことから高雄曼荼羅と呼ばれる。令和4(2022)年に修理が完了し、金銀泥で描かれる諸尊の輝きがよみがえった。

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国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》のうち胎蔵界(平安時代 9世紀、京都・神護寺、前期)※第4章で展示

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国宝《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》のうち金剛界(平安時代 9世紀、京都・神護寺、後期)

両界曼荼羅は「胎蔵界」と「金剛界」の2つからなるが、陸のシルクロードで伝わったのが胎蔵界で、海のシルクロードで伝わったのが金剛界。この2つを空海の師・恵果が融合させ、そのすべてを授かった空海が日本へ伝えという学説を裏付ける展示で、インドネシアの仏坐像や密教法具、経典なども多数出品されている。

展示は5章で構成。その概要と主な展示を取り上げる。第1章の「密教とは―空海の伝えたマンダラの世界」では、空海が密教を広く悟り知らすために広めた、胎蔵界・金剛界の2つのマンダラの世界に迫る。前期に和歌山・金剛峯寺の重要文化財《両界曼荼羅(血曼荼羅)》(平安時代 12世紀)が展示されている。

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国宝《五智如来坐像》のうち大日如来(平安時代 9世紀、京都・安祥寺、通期)

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国宝《五智如来坐像》(平安時代 9世紀、京都・安祥寺)

展示室中央に鎮座する京都・安祥寺の国宝《五智如来坐像》(平安時代 9世紀、通期)は、大日如来とそれを取り囲む4軀の仏像で構成されていて、全5軀の仏像が密教における5つの知恵「五智」を表している。このほか重要文化財の《不動明王坐像》(平安時代 9世紀、 和歌山・正智院、通期)も出品されている。

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重要文化財《不動明王坐像》(平安時代 9世紀、 和歌山・正智院、通期)

第2章は「密教の源流―陸と海のシルクロード」。密教の根本経典とされる『大日経』と『金剛頂経』が、発祥地であるインドから中国、そして日本へと至った道のりを追う。 『大日経』は陸のシルクロードから唐に入ったインド僧・善無畏(ぜんむい)と弟子たちによって漢訳された。『金剛頂経』の方はインド僧・金剛智(こんごうち)によってもたらされたが、そのルートはスリランカやインドネシアの島々など海のシルクロードを経由するものだった。

陸のシルクロードと比べて、海のシルクロードを経由する伝来ルートはこれまで大きく取り上げられることが無かったが、インドネシア国立中央博物館が所蔵する《金剛界曼荼羅彫像群(ガンジュク出土)のうち四面毘盧遮那如来》(東部ジャワ期 10世紀、通期)は、同国のジャワ島東部にあるチャンディ・ロル寺の遺跡から発見された10世紀ごろのもので、海洋ルートによる密教伝来をいまに伝えている。

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《金剛界曼荼羅彫像群(ガンジュク出土)》のうち四面毘盧遮那如来(東部ジャワ期 10世紀、インドネシア国立中央博物館蔵、通期)

第3章の「空海入唐─恵果との出会いと胎蔵界・金剛界の融合」は、空海が山林での修行を経たのち、遣唐使として唐に渡り、密教の師である恵果と出会い、密教を日本へと持ち帰った軌跡を辿る。重要文化財の《弘法大師行状絵詞 巻第三》(南北朝時代・康応元年 1389年、京都・教王護国寺[東寺]、後期)は、困難な船旅であったことが察せられる。

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重要文化財《弘法大師行状絵詞 巻第三》(南北朝時代・康応元年 1389年、京都・教王護国寺[東寺]、後期)

中国の一級文物《文殊菩薩坐像》(唐 8世紀、西安碑林博物館、通期)は唐代の大理石像で、唐に滞在していた空海が目にした可能性が高い。唐の優れた造形表現が見て取れる。恵果の薫陶を受け、空海は唐から多くのものを持ち帰っており、その目録も現存する。国宝の《金銅密教法具》(唐 9世紀、京都・教王護国寺[東寺]、通期)はこの目録に記されたものであるとされる。

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中国・一級文物《文殊菩薩坐像》(唐 8世紀、西安碑林博物館、通期)

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国宝《金銅密教法具》(唐 9世紀、京都・教王護国寺[東寺]、通期国宝の《金銅密教法具》(唐 9世紀、京都・教王護国寺[東寺])、通期)

第4章は「神護寺と東寺─密教流布と護国」。帰国した空海が京都・神護寺を拠点に密教の流布を行い、やがて平安京の東寺を任されて仏教による護国を期待されるようになるまでの流れを追う。この章でもっとも注目すべきなのは、先述の国宝の《両界曼荼羅(高雄曼荼羅)》で、2016年から6年間にわたり修理事業が行われ、修理後初の一般公開の機会となっている。

東寺が所蔵する国宝の《両界曼荼羅(西院曼荼羅<伝真言院曼荼羅>)》のうち胎蔵界と金剛界(平安時代 9世紀、京都・教王護国寺[東寺] 蔵、前期)も注目される。「胎蔵界曼荼羅」は大日如来の慈悲からすべての仏が生まれる様を、母親の胎内で種子が育成する不思議さになぞらえたもの。一方、「金剛界曼荼羅」は、悟りと即身成仏への道を図像化している。

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国宝《両界曼荼羅(西院曼荼羅<伝真言院曼荼羅>)》のうち胎蔵界(平安時代 9世紀、京都・教王護国寺[東寺] 、前期)

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国宝《両界曼荼羅(西院曼荼羅<伝真言院曼荼羅>)》のうち金剛界(平安時代 9世紀、京都・教王護国寺[東寺]、前期)

空海が最澄に宛てた尺牘(せきとく)3通の総称であり、日本の名筆中第一とされる国宝の《風信帖》(平安時代 9世紀、京都・教王護国寺[東寺] 蔵、前期)も期間限定で鑑賞できる。

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国宝《風信帖》(平安時代 9世紀、京都・教王護国寺[東寺] 、前期)

最後の第5章「金剛峯寺と弘法大師信仰」では、静かな土地で落ち着いて修行をしたいと考えていた空海が、高野山に金剛峯寺を建立した。以降、今日に至るまで脈々とその思想が受け継がれている様を辿る。

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重要文化財《孔雀明王坐像》(鎌倉時代・正治2年 1200頃、金剛峯寺、通期)

ここでは《弘法大師坐像(萬日大師)》(室町~安土桃山時代 16~17世紀、和歌山・金剛峯寺、通期)をはじめ、鎌倉時代を代表する仏師・快慶による重要文化財の《孔雀明王坐像》(鎌倉時代・正治2年 1200頃、金剛峯寺蔵、通期)や、唐への渡航の途中に嵐に遭った空海の前に現れて、船を守った観音菩薩を表したと言い伝えられる国宝の《伝船中湧現観音像》(平安時代 12世紀、和歌山・龍光院、前期)などを見ることができる。

京都国立博物館の特別展「雪舟伝説―『画聖(カリスマ)』の誕生―」

《秋冬山水図》など国宝全6件が勢ぞろい

室町時代に活躍した雪舟(1420-1506)は、日本美術史上もっとも重要な画家である。一人の画家としては最多の6件もの作品が国宝に指定されていることが象徴的に示しているように、雪舟に対する現在の評価は突出している。それは単純に作品が優れているという理由だけによるのではなく、歴史的に積み重ねられてきた高い評価による。

さまざまな画家たちが雪舟を慕い、その作品に学びながら、新しい絵画世界を切り開いていきた。「画聖」と仰がれる雪舟への評価がいかにして形成されてきたのかを検証し、「画聖」雪舟誕生の過程を明らかにする企画趣旨だ。今回の展覧会では、雪舟の国宝の全6件や重要作品のほか、等伯、探幽、蕭白、若冲ら後世の巨匠ら作品も多数出展されている。

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雪舟は備中国赤浜(現在の岡山県総社市)に生まれた。幼い頃に上洛して相国寺に入り、禅僧としての修行を積むかたわら、室町幕府御用絵師であった周文に画を学ぶ。やがて周防(現在の山口県)に下り大内氏の庇護を得ると、応仁元(1467)年には遣明使節の一行に加わり入明を果たしている。足掛け3年に及ぶ在明し、帰国した後は豊後(現在の大分県)を主な拠点としながら旅を重ね、宋元画を学んだ幅広い画風と骨太で力強い筆墨に特色ある作品を残した。

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狩野探幽《探幽縮図 雪舟筆自画像模本》(江戸時代・寛文2年 1662年、京都国立博物館蔵、通期)※第5章で展示

少年時代に寺で叱られた雪舟が、「涙でネズミの絵を描いた」という有名なエピソードは、巨匠ゆえの天才伝説であろうが、それだけ偉大な存在と認識されていたことの証と言える。1955年にウィーンで開催された世界平和評議大会において、雪舟が世界十大文化人の一人として、レンブラント、モーツァルト、ドストエフスキーらとともに選ばれている。

見どころは、何といっても会期中(前期:~5月6日、後期:5月8日~)に、国宝6件が勢ぞろいする。その代表作は国宝の《秋冬山水図》(室町時代 15世紀、東京国立博物館蔵、通期)で、教科書にも頻繁に掲載されるなど、雪舟の最もよく知られた作品と言える。荒々しく強い筆致、独特の画面構成など、小画面に雪舟らしさが凝縮されている。昭和11年までは京都の曼殊院に所蔵されていた。

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雪舟 国宝《秋冬山水図》左(室町時代 15世紀、東京国立博物館蔵、通期)

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雪舟 国宝《秋冬山水図》右(室町時代 15世紀、東京国立博物館蔵、通期)

 展示は、7章構成。その内容と主な作品をプレスリリースをもとに、画像とともに掲載する。第1章は「雪舟精髄」。雪舟筆と伝わる作品は数多く残っているが、誰もが間違いないと認める作品は決して多くはない。ことごとく国宝や重要文化財に指定される雪舟の代表作と呼び得る作品を通して、「画聖」の原点を確認する。

《秋冬山水図》と並び国宝の《天橋立図》(室町時代 16世紀、京都国立博物館蔵、通期)は、雪舟が天橋立を克明に描いた大作。現地での写生をもとに晩年に描いたものと見られるが、下絵であり本画は現存しない。複数の地点から眺めた広範な景観を美しくまとめ上げる構成力に、雪舟の非凡な力量が見て取れる。

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雪舟 国宝《天橋立図》(室町時代 16世紀、京都国立博物館蔵、通期)

ほかにいずれも雪舟筆による、重要文化財の《四季花鳥図屏風》(室町時代 15世紀、京都国立博物館蔵、通期)や、国宝の《四季山水図巻(山水長巻)》(室町時代・文明18年 1486年、山口・毛利博物館蔵、会期中巻替あり)、国宝の《破墨山水図》(室町時代・明応4年 1495年、東京国立博物館蔵、通期)などが並ぶ。

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雪舟 重要文化財《四季花鳥図屏風》(室町時代 15世紀、京都国立博物館蔵、通期)

 第2章は「学ばれた雪舟」で、現在では雪舟その人の作ではないと見なされるものも含まれるが、こうした作品を通して、近世の雪舟理解は深まり、その主題や様式が継承されてゆくのである。伝雪舟筆の《富士三保清見寺図》詹仲和賛(室町時代 16世紀,、永青文庫、通期)など伝雪舟作品が展示されている。

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伝雪舟《富士三保清見寺図》詹仲和賛、左(室町時代 16世紀,、永青文庫、通期)

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伝雪舟《富士三保清見寺図》詹仲和賛、右(室町時代 16世紀,、永青文庫、通期)

第3章は「雪舟流の継承―雲谷派と長谷川派―」。雪舟は、秋月や宗淵、等春など多くの弟子を育てたが、その画系は必ずしも長くは続かなかったようだ。そんな雪舟の画風を継承、再生させたのは、桃山時代に活躍した雲谷等顔(1547-1618)や長谷川等伯(1539-1610)だった。長谷川等伯筆の《竹林七賢図屏風》(桃山時代・慶長12年 1607年、京都・両足院、通期)や、雲谷等顔筆の重要文化財《山水図襖》(桃山時代・16~17世紀、京都・黄梅院、通期)などが出品されている。

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長谷川等伯筆の《竹林七賢図屏風》(桃山時代・慶長12年 1607年、京都・両足院、通期)

第4章は「雪舟伝説の始まり―狩野派の果たした役割―」で、近世における雪舟神格化の動きに最も大きな役割を果たしたのは、狩野探幽(1602―1674)だ。探幽をはじめとする江戸時代の狩野派作品を通して、雪舟作品の主題・様式が継承されてゆく様相を見る。探幽の《富士山図》(江戸時代・寛文9年 1669年、通期)、山雪の《富士三保清見寺図屏風》(江戸時代・17世紀、通期)が展示されている。

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狩野探幽《富士山図》(江戸時代・寛文9年 1669年、通期)

第5章は「江戸時代が見た雪舟」。江戸時代には、現在知られているよりもずっと多くの「雪舟画」が流通していた。当時は雪舟画として受容され、画家像の形成に一役買っていた。狩野派画家が残した縮図や模本を通して、江戸時代の人々にとっての雪舟画を探っている。《探幽縮図 雪舟筆自画像模本》(江戸時代・寛文2年 1662年、京都国立博物館蔵、通期)も興味を引く。

第6章は「雪舟を語る言葉」で、雪舟は作品そのものがもつ力だけでなく、さまざまな人々が雪舟について語る言葉、言説によって、その存在感を高めていく。特に出版物の果たした役割はきわめて重要。尾形光琳筆の《上嶋源丞宛書状》(江戸時代・18世紀、大和文華館、通期)など、版本や手紙をはじめとする文字資料を中心に、その一端をご紹介している。

最後の第7章は「雪舟受容の拡大と多様化」。江戸時代の多くの画家がさまざまな観点から雪舟を規範として仰ぎ、新たな絵画世界を切り開いていく。そして「画聖」雪舟という現在の評価へと繋がった。

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曾我蕭白《富士三保図屏風》(江戸時代・18世紀、滋賀・MIHO MUSEUM、通期)

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原在中《富士三保松原図》(江戸時代・文政5年 1822,年、静岡県立美術館蔵、通期)

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伊藤若冲《竹梅双鶴図》(江戸時代・18世紀、東京・出光美術館蔵、4月30日~5月26日展示)

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司馬江漢の《駿州八部富士図》(江戸時代・寛政元年 1789nen)、通期)

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勝川春草の《初宮参図巻》(江戸時代(18世紀、北海道・似鳥美術館蔵、通期)

曾我蕭白の《富士三保図屏風》(江戸時代・18世紀、滋賀・MIHO MUSEUM、通期)をはじめ、原在中の《富士三保松原図》(江戸時代・文政5年 1822,年、静岡県立美術館蔵、通期)、伊藤若冲の《竹梅双鶴図》(江戸時代・18世紀、東京・出光美術館蔵、4月30日~5月26日展示)、司馬江漢の《駿州八部富士図》(江戸時代・寛政元年 1789nen)、通期)、勝川春草の《初宮参図巻》(江戸時代(18世紀、北海道・似鳥美術館蔵、通期)など展示され壮観だ。

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。