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アートへの招待47 木工と陶磁の名品ずらり、2つの美術工芸展

文化ジャーナリスト 白鳥正夫

美術展といえば絵画が圧倒的に多いが、木工と陶磁の名品展が京都と大阪で催されている。京都国立近代美術館で、生誕120年を迎える人間国宝・黒田辰秋の回顧展「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋—木と漆と螺鈿の旅—」が、新年3月2日まで展開中だ。一方、大阪市立東洋陶磁美術館では大阪市・上海市友好都市提携50周年記念 特別展「中国陶磁・至宝の競艶―上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館」が3月30日まで開かれている。いずれも正月を挟んでロングラン開催なので、すばらしい作品の数々をじっくり鑑賞してほしい。

京都国立近代美術館の回顧展「生誕120年 人間国宝 黒田辰秋―木と漆と螺鈿の旅―」

「用と美」の両立を追求し、独自の創作世界

出身地の京都を拠点に活躍した黒田辰秋は、1970年には木工芸の分野において初めてとなる重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された日本を代表する木漆工芸家だ。木と漆を用いた実用性と装飾性、いわゆる「用と美」の両立を追求し、図案・素地づくりから装飾までを一貫して自身で手がけることで独自の創作世界を切り拓いた。黒田の生誕120年を記念し、初期から晩年までの代表作233点を通じて日本工芸史に確かな足跡を残した作家の生涯を回顧している。京都展後、豊田市美術館(3月15日~5月18日)へ巡回する。

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制作に取り組む黒田辰秋

黒田辰秋は1904年、京都・祇園生まれ。1927年に柳宗悦を指導者として染織の青田五良らと上加茂民藝協團設立(1929年解散)。1928年、御大礼記念国産振興東京博覧会に「民藝館」が特設され、富本憲吉、バーナード・リーチ、河井寬次郎、浜田庄司らが陶磁器を制作し、黒田は木工家具の制作を担当する。

1954年には日本工芸会近畿支部の創設に協力。1955年の第2回日本伝統工芸展に出品し、翌年に正会員となり、以後、作品出品を続ける。1958年、日本伝統工芸展の木竹工鑑査委員や同展木竹部会長を務める。1967年に新宮殿正殿用扉飾り4組および「梅の間」用大飾棚が完成、1968年には新宮殿「千鳥の間」「千草の間」用小椅子30脚および卓子10脚が完成する。1970年に木工芸の技術において初めてとなる人間国宝に認定される。1982年 6月4日、77歳で死去した。

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「黒田辰秋展」の会場風景

見どころの第一は、黒田辰秋の生涯をたどる回顧展で、代表作が一堂に並ぶ。1972年に白洲正子が音頭を取って編集した黒田初の作品集『黒田辰秋 人と作品』に掲載されている作品84件のうち49点が展示されている。

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黒田辰秋《朱蒔粉塗鹿花文文庫》(1925年、京都国立近代美術館)

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黒田辰秋《朱漆透彫文円卓》(1930年、日本民藝館)

第二に黒田晩年の代表作で第22回日本伝統工芸展出品の《神代欅彫文飾棚》(1974年、北海道立旭川美術館蔵)が北海道外では初公開される。さらに初期の代表作《螺鈿総貼小棚》(1941年)は京都会場のみの展示だ。

展示は2部構成であるが、第2部は黒田の仕事の特徴を「民藝」「木」「塗」「螺」のいった4つのキーワードから検証している。

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黒田辰秋《螺鈿総貼小棚》(1941年、個人蔵)

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黒田辰秋《彩漆群蝶図手筐》(1948年、豊田市美術館)

第1部は「黒田辰秋の軌跡 『黒田辰秋 人と作品』より」。白洲正子の『黒田辰秋 人と作品』は、黒田自身が創作者としての自己の歩みを振り返ることのできる書物であると語っているほど、作家活動の軌跡を紹介する重要なものとなった。この作品集に掲載されている作品及び類品を通じて黒田の創作活動を概観している。

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黒田辰秋《赤漆捻紋蓋物》(1949年、豊田市美術館)

最初期から晩年までの作品が並ぶ第1部の展示空間を見渡すと、その作風が大きく変わっていない。それは黒田のなかで何をつくるべきかが明確で、生涯貫き通したということもできる。

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黒田辰秋《拭漆楢彫花文椅子》(1964年、豊田市美術館)

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黒田辰秋《拭漆文欟木飾棚》(1966年、京都国立近代美術館)

ここでは、初期の《朱蒔粉塗鹿花文文庫》(1925、京都国立近代美術館蔵)をはじめ、《朱漆透彫文円卓》(1930年、日本民藝館)、《螺鈿総貼小棚》(1941年、個人蔵)、《彩漆群蝶図手筐》(1948年、豊田市美術館)、《赤漆捻紋蓋物》(1949年、豊田市美術館)といった多様な代表作が出品されている。

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黒田辰秋《朱溜栗小椅子》(1968年、飛騨産業株式会社)

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黒田辰秋《乾漆耀貝螺鈿飾筐》(1969年、個人蔵)

さらに《拭漆楢彫花文椅子》(1964年、豊田市美術館)《拭漆文欟木飾棚》(1966年、京都国立近代美術館)、新宮殿に納めたという《朱溜栗小椅子》(1968年、飛騨産業株式会社)の控え品や試作品、《乾漆耀貝螺鈿飾筐》(1969年 個人蔵)など逸品ぞろい。

第2部は「用と美の邂逅」。その1「上加茂民藝協團の時代」では、黒田にとってその後の創作活動の基礎を形成する時期となった時代、最初期の黒田がどのように自身の仕事を模索していたのか、当時の作品からひも解く。《欅拭漆食卓/欅拭漆肘掛椅子/欅拭漆椅子》(1928年、アサヒグループ大山崎山荘美術館)が出品されている。

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黒田辰秋《欅拭漆食卓/欅拭漆肘掛椅子/欅拭漆椅子》(1928年、アサヒグループ大山崎山荘美術館)

その2は「木工芸の匠」で、黒田は素材を生かすことを制作の根幹に置いていたが、主に黒田が重要無形文化財保持者の認定を受けた「木工芸」の技術による《拭漆楢彫花文椅子(拭漆楢家具セット)》(1964年、豊田市美術館蔵)などが並ぶ。

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黒田辰秋《朱漆三面鏡》(1934年、京都国立近代美術館)

その3は「塗りの匠」。黒田の生家は漆の下塗りを行う塗師であり、黒田も身近に漆がある環境の中で塗りの技術を身に付けていった。黒田の塗りの作品は朱漆に代表される華やかなものが多い。初期の朝鮮王朝時代の家具に影響を受けた作品から、彫り、乾漆による動的な形状のものまで、木理を生かした木の仕事とは異なる塗りの仕事の数々に焦点をあてている。

黒田は生涯に5点ほど三面鏡を制作していたとされるが、今回は初めて3点が同時に展示。そのうちの《朱漆三面鏡》(1934年、京都国立近代美術館)は、一時期、女優の浜美枝氏が所有し、愛用していたことを浜自身がエッセイで語っている。《赤漆宝結文飾板》(1932-35年、鍵善良房)にも注目した。

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黒田辰秋《赤漆宝結文飾板》(1932-35年、鍵善良房)

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黒田辰秋《螺鈿朱丸紋盆》(1941年頃、個人蔵)

最後の4は「螺鈿の匠」で、黒田は貝の持つ美しさに幼少期よりあこがれを持っていた。黒田の螺鈿でよく知られているものにメキシコ鮑を用いた燿貝の作品がある。その重厚な輝きから「燿貝」と名付けたのは板画家の棟方志功だった。黒田がどのように貝の異なる質感を引き出し作品化したのかを、様々な螺鈿による作品を通じてたどる。《螺鈿朱丸紋盆》(1941年頃、個人蔵)にも目を引いた。

担当学芸員の大長智広主任研究員は「作品の一点一点から、この展覧会を通して黒田の本質がわかる内容となっている。作ると決めたものに対して、適切な素材や技術を選び、図案からすべて自身で手がける。その一貫した姿勢が作品から読み取ることができる。本展を通じて、ものづくりの原点に立ち返る機会になれば」と話していた。

大阪市立東洋陶磁美術館の大阪市・上海市友好都市提携50周年記念 特別展「中国陶磁・至宝の競艶―上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館」

海外初公開19件含む中国陶磁の名品が一堂に

大阪と上海両市の友好の節目を記念し、中国陶磁の世界的な殿堂である上海博物館と、東洋陶磁では世界第一級の質・量を誇る大阪市立東洋陶磁美術館のコレクションが一堂に会し「競艶(きょうえん)」する企画が実現。悠久の歴史を誇る中国陶磁の真髄に触れるとともに、現在においても斬新さや新たな美の発見をもたらすその魅力に迫る。

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「中国陶磁・至宝の競艶」展開会式風景

今回の展覧会には、上海博物館から日本初公開作品22件(うち海外初公開19件)を含む計50件の中国陶磁の名品が出品。さらに中国において最高級ランクの「国家一級文物」10件が含まれており、唐時代から清時代まで、中国陶磁の至宝の数々を鑑賞できる。

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上海博物館東館外観

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上海博物館東館外観

1952年に開館した上海博物館は、中国を代表する世界的な博物館の一つとして知られ、青銅器、陶磁器、絵画、書、彫刻、玉器、貨幣など中国文物の宝庫だ。なかでも陶磁器コレクションはその白眉。上海博物館と大阪市立東洋陶磁美術館は、これまで展覧会協力や学術交流を通じての交流を積み重ね、友好を深めてきた。

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大阪市立東洋陶磁美術館外観 写真:岡本公二

展示は3部構成。第1部は「至宝精華(しほうせいか)―上海博物館の至宝」で、上海博物館が誇る中国陶磁コレクションのうち、海外初公開品の6件を含む元時代から清時代の珠玉の作品12件を展示。

第2部は「至宝再興(しほうさいこう)―明時代 “空白期”の景徳鎮磁器(正統・景泰・天順)」。上海博物館の所蔵作品14件(海外初公開品の8件含む)と、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の初公開作品1件を通じて、“空白期”と呼ばれる明時代中期の正統(せいとう)・景泰(けいたい)・天順(てんじゅん)の三代(1436-1464)の景徳鎮磁器の様相を鑑賞できる。

第3部は「至宝競艶(しほうきょうえん)―上海博物館×大阪市立東洋陶磁美術館」。上海博物館所蔵品24件に加え、大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品26件の唐時代から明時代の中国陶磁の逸品が一堂に集結し、互いに競艶することで、中国陶磁の美の真髄を探る。

プレスリリースを参考に、主な出品作品の画像と概要を掲載する。 《青花雲龍文壺(せいかうんりゅうもんつぼ)》(明時代・正統 1436-1449年/景徳鎮窯、上海博物館)は海外初公開。これまで“空白期”と呼ばれていた明時代中期のうち、正統(1436-1449)年間の景徳鎮官窯を代表する現存最大の完形作例とされる。

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《青花雲龍文壺》(明時代・正統 1436-1449年/景徳鎮窯、上海博物館)

《蘋果緑釉印盒(ひんかりょくゆういんごう)》(清時代・康熙 1662-1722年/景徳鎮窯、上海博物館[胡惠春・王華雲夫妻御遺族寄贈、暫得楼旧蔵])も海外初公開(一級文物)。豇豆紅釉が窯の中での窯変により、「蘋果緑(青りんごの緑)」と呼ばれる淡い緑色に変じた奇跡の一点。蘋果緑は「値千金」ともいわれている。

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《蘋果緑釉印盒》(清時代・康熙 1662-1722年/景徳鎮窯、上海博物館[胡惠春・王華雲夫妻御遺族寄贈、暫得楼旧蔵])

《琺瑯彩牡丹唐草文碗(ほうろうさいぼたんからくさもんわん)》(清時代・康熙 1662-1722年/景徳鎮窯、上海博物館)は一級文物。「琺瑯彩」は、ヨーロッパの宣教師によりもたらされた琺瑯(七宝)の技術や顔料に注目した康熙帝が主導して生み出した。絵付けは紫禁城内の専用工房で行われ、藍地に鮮やかな牡丹文が美しい。

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《琺瑯彩牡丹唐草文碗》(清時代・康熙 1662-1722年/景徳鎮窯、上海博物館)

《緑地粉彩八吉祥文瓶(りょくじふんさいはちきっしょうもんへい)》(清時代・乾隆 1736-1795年/景徳鎮窯、上海博物館)は、パステルカラーの緑地に、粉彩によるカラフルな色合いで「八吉祥」と呼ばれるチベット仏教の八宝文などが描かれている。この独特な瓶は清朝の宮廷で崇拝されたチベット仏教の儀礼用とされている。

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《緑地粉彩八吉祥文瓶》(清時代・乾隆 1736-1795年/景徳鎮窯、上海博物館)

《青花紅彩波涛瑞獣文碗(せいかこうさいはとうずいじゅうもんわん)》(明時代・正統~天順 1436-1464年/景徳鎮窯、上海博物館)は海外初公開(一級文物)。碗の外面には青花で描かれた波涛文内に、鮮やかな紅彩による九種類の瑞獣文が見られる。2014年に発見された景徳鎮珠山明代官窯遺址の正統〜天順(1436-1464)の地層から類似の陶片が出土している。

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《青花紅彩波涛瑞獣文碗》(明時代・正統~天順 1436-1464年/景徳鎮窯、上海博物館)

《青磁盤(せいじばん)》(北宋時代 960-1127年/汝窯、上海博物館)は一級文物。北宋時代の宮廷用青磁を生産した汝窯の伝世品は世界で90件余り。上海博物館は9件を所蔵しており、うち2件が出品される。この作品は口が大きく開いた浅い盤で、「天青(てんせい)」色の釉には細かな貫入が生じている。

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《青磁盤》(北宋時代 960-1127年/汝窯、上海博物館)

《青磁水仙盆(せいじすいせんぼん)》(北宋時代・11世紀末-12世紀初/汝窯、大阪市立東洋陶磁美術館[住友グループ寄贈/安宅コレクション])は、汝窯を代表する器形であり、その用途は謎であるが、精緻で美しいフォルムと「天青」と呼ばれる青味を帯びた釉色が特徴である。日本にある数少ない汝窯青磁を代表する作品。

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《青磁水仙盆》(北宋時代・11世紀末-12世紀初/汝窯、大阪市立東洋陶磁美術館[住友グループ寄贈/安宅コレクション])写真:六田知弘

《青花雲龍文梅瓶(せいかうんりゅうもんめいぴん、「春壽(しゅんじゅ)」銘》(明時代・洪武 1368-1398年/景徳鎮窯、上海博物館)は、胴には五爪の龍と霊芝雲(れいしうん)が良質のコバルト顔料で描かれ、龍の上方には、篆書(てんしょ)体の「春壽(寿)」銘が見られる。五爪の龍は元時代以降、皇帝の象徴となり、明時代・洪武朝の宮廷用磁器である。

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《青花雲龍文梅瓶「春壽」銘》(明時代・洪武 1368-1398年/景徳鎮窯、上海博物館)

同じく《青花雲龍文梅瓶》(大阪市立東洋陶磁美術館[東畑謙三氏寄贈])は、両館の他、バレルコレクション(英国スコットランド)と個人蔵の4件が世界で知られている。なかでも大阪市立東洋陶磁美術館所蔵品は、宝珠のつまみのある蓋を伴う唯一の作例である。

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《青花雲龍文梅瓶「春壽」銘》(明時代・洪武 1368-1398年/景徳鎮窯、大阪市立東洋陶磁美術館[東畑謙三氏寄贈])写真:六田知弘

このほか、国宝《油滴天目茶碗》(南宋時代・12-13世紀/建窯) や、《青花虎鵲文壺》(朝鮮時代・18世紀後半、いずれも大阪市立東洋陶磁美術館[住友グループ寄贈/安宅コレクション])などが特別展示されている。

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国宝《油滴天目茶碗》(南宋時代・12-13世紀/建窯、大阪市立東洋陶磁美術館[住友グループ寄贈/安宅コレクション])写真:六田知弘

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《青花虎鵲文壺》(朝鮮時代・18世紀後半、大阪市立東洋陶磁美術館[住友グループ寄贈/安宅コレクション])写真:六田知弘

文化ジャーナリスト。ジャーナリズム研究関西の会会員。平山郁夫美術館企画展コーディネーター・民族藝術学会会員。 1944年8月14日生まれ 愛媛県新居浜市出身。中央大学法学部卒業後、1970年に朝日新聞社入社。広島・和歌山両支局で記者、大阪本社整理部員。鳥取・金沢両支局長から本社企画部次長に転じ、1996年から2004年まで企画委員を努める。この間、戦後50年企画、朝日新聞創刊120周年記念プロジェクト「シルクロード 三蔵法師の道」などに携わる。 著書に『シルクロード 現代日本人列伝』『ベトナム絹絵を蘇らせた日本人』『無常のわかる年代の、あなたへ』『夢追いびとのための不安と決断』『「大人の旅」心得帖』『「文化」は生きる「力」だ!』(いずれも三五館)『夢をつむぐ人々』『夢しごと 三蔵法師を伝えて』(いずれも東方出版)『アート鑑賞の玉手箱』『アートの舞台裏へ』『アートへの招待状』(いずれも梧桐書院)など多数。