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アートへの招待9 名画と寺宝、古都の2展覧会
文化ジャーナリスト 白鳥正夫新年も、新型コロナのオミクロン株の不安を抱えているが、目下感染者数が減少し、美術館へも出向き易くなっている。お正月に、とっておきの作品が鑑賞できる関西の2展覧会を紹介する。奈良国立博物館では特別展「名画の殿堂 藤田美術館展―傳三郎のまなざし―」が1月23日まで(新年は2日から)開催中だ。一方、京都の相国寺承天閣美術館では、「禅寺の学問 ─継承される五山文学/相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」が、同じく1月23日まで(新年は6日から)開かれている。いずれも巡回がなく、この機会に古都の散策も併せて楽しんではいかがだろう。
奈良国立博物館の特別展「名画の殿堂 藤田美術館展―傳三郎のまなざし―」
平安時代から近代までの絵画を中心に74点
初公開作品が23件中、館外初公開も19点
新年4月にリニューアルオープンする藤田美術館のコレクション展。2019年春に開催した特別展「国宝の殿堂 藤田美術館展」の続編で、今回は平安時代から近代までの絵画を中心とした企画だ。国宝や重要文化財を含む全74件の展示作品中、初公開作品が23件、藤田美術館外での公開が初めてとなる作品が19件を数える。これらは、近年、藤田美術館と奈良国立博物館が共同で行った所蔵絵画の調査によって重要性が確認された。やまと絵の最高傑作として名高い国宝「玄奘三蔵絵」ほか、隠れた名品を見ることのできる絶好の機会だ。
世界に三碗の1点である国宝の《曜変天目茶碗》をはじめ、世界屈指の日本・東洋美術のコレクションを所蔵する藤田美術館は、まさに国宝の殿堂と称される。藤田美術館は、明治期に大阪で活躍した旧男爵で実業家の藤田傳三郎(1841~1912)と息子平太郎、徳次郎兄弟の親子二代によって収集した美術工芸品を公開するため、昭和29年(1954年)に大阪市都島区 に開館した。
美術愛好家だった傳三郎は、明治維新を機に、旧家や神社仏閣などに伝わった美術品が数多く流出し、それらが粗雑に扱われ、海外へ流出している状況を憂い、その散逸を防ぐため収集に乗り出したという。約2000件におよぶコレクションは、茶道具、墨蹟、水墨画、能装束、絵巻、仏像、仏画、仏教工芸、経典、考古資料など多岐にわたる。
藤田美術館の絵画コレクションには、日本絵画史を通史的に把握するために十分な質と量の作品が所蔵されていて、日本美術の流れをたどることができる。本展の展示は7章で構成されており、各章ごとの概要と主な作品を、プレスリリースなどを参考に取り上げる。
第1章は「藤田傳三郎の視点」。傳三郎が直接関った作品や資料を通じ、どのような意識をもって美術品蒐集を行ったかを探る。まずは初公開の《藤田傳三郎坐像》(明治~大正時代 20 世紀)。現存する唯一の藤田傳三郎の肖像彫刻で、広葉樹の一材から彫り出しており、内刳(うちぐり)はなく、素地仕上げ。顔の皺まで克明に表現され、傳三郎の肖像写真と比べても風格がある。伝来・作者は不詳。
《藤田傳三郎坐像》(明治~大正時代 20 世紀)
京都画壇を先導していた竹内栖鳳(せいほう)の《大獅子図》(明治35 年 1902年頃)は、藤田美術館の近代絵画を代表する傑作。栖鳳は渡欧後、欧州の動物園で写生を繰り返しており、、日本画の技法を用いて金地を背景に堂々としたライオンの姿を描く。
《大獅子図》竹内栖鳳筆(明治35 年 1902年頃)
第2章の「やまと絵の伝統」では、平安時代から近世にいたる日本で醸成された絵巻作品が並ぶ。国宝の《玄奘三蔵絵》(鎌倉時代 14 世紀)は、全12巻の長大な絵巻で、巻第四が出品されている 興福寺の大乗院に伝来した。絵は当代一流の宮廷絵師であった高階隆兼が担当し、玄奘が経典をもとめて天竺(インド)を訪れる旅路を、色鮮やかに美しく描き出している。
国宝《玄奘三蔵絵 巻第四》 高階隆兼筆 (鎌倉時代 14 世紀)
筆者が朝日新聞創刊120周年記念企画として「西遊記のシルクロード 三蔵法師の道」展を開催した際、巻第一、巻第三、巻第五の3巻を借用するため、開催館の学芸員を伴って藤田美術館に伺った思い出がよぎった。《玄奘三蔵絵》と同じ高階隆兼筆の重要文化財《春日明神影向図》(鎌倉時代 正和元年 1312年)も興味を引いた。
重要文化財《春日明神影向図》 高階隆兼筆 (鎌倉時代 正和元年 1312年)
掛軸作品がずらり並ぶ展示風景
第3章は「宋元絵画憧憬」。藤田コレクションに伝わる日本人が愛した中国絵画や、中国の著名な画家の表現を踏襲した作品が展示されている。中でも《鍾呂(しょうりょ)伝道図》(中国・南宋~元 13~14 世紀)は初公開。鍾離権(しょうりけん)が呂洞賓(りょどうひん)に仙術を伝える姿が描かれる。2人はいずれも、八仙に数えられる代表的な中国の仙人である。南宋時代末の宮廷画家の手になるとされ、着色・淡彩と水墨を併用し、細かい描写で2人の性格まで描き分けている。
《鍾呂伝道図》(伝)馬麟筆(中国・南宋~元 13~14 世紀)
第4章は「中世水墨画」で、日本の水墨画として有名な重要文化財の《雪舟自画像(模本)》(室町時代 16世紀)や、室町から桃山時代の狩野派の絵画が出品されている。狩野派の始祖である狩野元信筆による《芦鱸藻鯉図(ろろそうりず》(室町時代 16世紀)は、今回新たに確認された元信様式の藻鯉図。波濤の間から水中を泳ぐ魚たちや、所々に岩石、水面に浮かぶ水草や水中に揺れる藻が、水墨と着色を巧みに併用しながら描かれている。
重要文化財《雪舟自画像(模本)》(室町時代 16世紀)
左)《芦鱸藻鯉図》左幅(伝)狩野元信筆(室町時代 16世紀)
右)《芦鱸藻鯉図》右幅(伝)狩野元信筆(室町時代 16世紀)
第5章は「近世絵画」。江戸時代には、公職の絵師だけでなく町絵師や文人画家、画僧らが描く様々な絵画が普及した。ここでは長澤蘆雪筆と伝えられる《幽霊・髑髏・仔犬白蔵主図(はくぞうすず)》(江戸時代 18~19 世紀)に注目だ。箱に「妖怪絵」とある。1 枚の絹に絵と表具までを描き、1 幅に仕立てている。中央に女性の幽霊、左に謡曲「釣狐」から狐が化けた僧侶である白蔵主、右に髑髏と仔犬 描く。どれも画面から抜け出るような表現が巧みだ。
左)《幽霊-髑髏-仔犬白蔵主図》左幅(伝)長澤蘆雪筆(江戸時代 18~19 世紀)
中)《幽霊-髑髏-仔犬白蔵主図》中幅(伝)長澤蘆雪筆(江戸時代 18~19 世紀)
右)《幽霊-髑髏-仔犬白蔵主図》右幅(伝)長澤蘆雪筆(江戸時代 18~19 世紀)
鳥文斎(ちょうぶんさい)栄之(えいし)の《吉原通図》(江戸時代 18~19 世紀)も見逃せない。鳥文斎は江戸時代後期の旗本出身の浮世絵師。この絵巻は隅田川を渡り、遊郭吉原へと繰り出す男性2人を描いている。はじめは男性たちが隅田川を渡る様子を墨のみで描き、吉原に到着するや、華やかな着物を身にまとった女性が集う鮮やかな色彩の世界へ。水墨表現から彩色表現へと転換の対比が面白い。
《吉原通図》鳥文斎栄之筆(江戸時代 18~19 世紀)
第6章の「近代日本画」には、傳三郎在世中の明治時代に描かれた作品が出品されている。傳三郎と同じ長州出身で、明治時代の京都画壇の重鎮・森寛斎の《絶壁巨瀑図》(明治時代 19世紀)は力作だ。
《絶壁巨瀑図》森寛斎筆 (明治時代 19世紀)
最後の第7章は「奈良の明治維新」。明治維新の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によって衰退する社寺から寺宝が流出した。重要文化財の《阿字義(あじぎ)》(平安時代 12 世紀)は、明治時代に廃寺となった天理市の内山永久寺が所蔵していた。密教で重要な意味を与えられた「阿字」と「阿字観」の意義を説いた平安時代に描かれた絵巻で、染紙に金銀で装飾を施した華麗な表現。幕末に古画を学び復古的な画風を確立した冷泉為恭(れいぜいためちか)の遺愛品と伝わる。
重要文化財《阿字義》(平安時代 12 世紀)
陳列ケースの作品も数多い展示風景
《小野小町坐像(卒塔婆小町)》(安土桃山~江戸時代 16~17世紀)には驚いた。美人の代名詞として名高い小野小町が、乞食老婆となり、倒れた卒塔婆に腰かけた姿で表されいる。さらに《空也承認立像》(室町時代 15~16世紀)もある。
《小野小町坐像(卒塔婆小町)》(安土桃山~江戸時代 16~17世紀)
《空也承認立像》(室町時代 15~16世紀)
以上、すべて藤田美術館蔵
今回の特別展の意義について、奈良国立博物館の北澤菜月・主任学芸員は図録に「本展開催の経緯」と題した図録の文章を次のように締めくくっている。
美術品の価値は不動のようでいて、時代や環境によって変わることもある。素晴らしい作品・重要な作品が長く保たれるためには、多くの人がその作品の価値を実感できるような環境を作り続ける必要がある。学芸員の仕事の基本でもある調査・研究・展示は、そうした環境作りの一助となりえるはずであり、今回の展覧会が、藤田美術館所蔵品の新たな一面とその価値を多くの人にお伝えする機会となれば幸いである。
相国寺承天閣美術館の「禅寺の学問─継承される五山文学/相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」
相国寺の歴史を通観する第二弾の展示
重要文化財や初公開を含む寺宝の数々
相国寺(しょうこくじ)は、京都五山第二位に列せられる名刹で、正式名称は萬年山相國承天禅寺。1392年に室町幕府三代将軍、足利義満によって創建された。足利家の邸宅であった京都御所の東に隣接し、義満以後、13代にわたる足利将軍の位牌を安置する塔頭が、かつて存在していた。現在も足利義満ゆかりの鹿苑寺(金閣)や足利義政ゆかりの慈照寺(銀閣)などが山外塔頭として、京都の観光名所として知られている。
相国寺承天閣(じょうてんかく)美術館は、相国寺創建600年記念事業の一環として1984年に開館。相国寺および臨済宗相国寺派に属する鹿苑寺や慈照寺などが所有する墨蹟・絵画・工芸品等の文化財を収蔵・展示し、相国寺と相国寺派の塔頭の寺宝などを鑑賞できる。今回の展覧会は、2021年1~4月に開催された「相国寺の歴史を室町から近代までたどる」企画展の続編で、相国寺や塔頭寺院に伝来する漢籍を確認し、禅寺に蓄積された知の体系を探る。常設展示を含め約50点の寺宝が出品されている。
古代インドで誕生した仏教の教えは、中国を経て日本に伝えられた。その教えを学びに多くの禅僧が大陸に渡り、禅とともに大陸文化を日本にもたらした。そのため禅僧は漢詩文に優れ、漢籍を教える師としても天皇家や公家と交流した。
京都五山第二位の寺格を有する相国寺は、中世より漢詩文などに優れた禅僧を多く輩出した、五山文学の中心地だった。仏典(内典)のみならず、漢籍(外典)も多く有し、知識をもって権力者たちとも深いつながりを持った。また、藤原惺窩(ふじわらせいか)をはじめ近世儒学者たちとの深い交流も浮かび上がる。禅僧の活躍は文芸面だけではなく、外交文書の作成など、政治的な実務も担っていたことでも示される。
展示は二つの展示室に分かれる。主な展示品を画像とともに掲載する。第一展示室は「禅寺の学問―継承される五山文学」。第1章が「内典(ないてん)―仏書と墨蹟」で、仏教の教えは祖師の墨蹟や語録に記されている。重要文化財の《一山一寧墨蹟 金剛経序》(鎌倉時代 1306年、相国寺蔵)や、《無学祖元頂相》春屋妙葩賛、伝趙子昂筆(元時代 14世紀、慈照院蔵)などが出品されている。
「禅寺の学問/相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」のチラシ
第一展示室「禅寺の学問―継承される五山文学」の入口
重要文化財《一山一寧墨蹟 金剛経序》(鎌倉時代 1306年、相国寺蔵)
《無学祖元頂相》春屋妙葩賛、伝趙子昂筆(元時代 14世紀、慈照院蔵)
第2章が「外典(げてん)―和刻本漢籍と漢画」で、大陸からもたらされた文物は仏教にとどまらず、儒教、道教などの教えも含み、禅寺はその文化の発信地でもあった。重要文化財の《白楽天図》無学祖元賛、伝趙子昂筆(南宋時代 13世紀、鹿苑寺蔵)などを展示。
重要文化財《白楽天図》無学祖元賛、伝趙子昂筆(南宋時代 13世紀、鹿苑寺蔵)
第3章が「国書(こくしょ)―近世の禅と漢文学」で、中世五山禅林で育まれた漢詩文の素養は、出版などを通じて新たな享受層を獲得し、近世に新たな潮流を生み出した。重要美術品の《隔蓂記(かくめいき)》鳳林承章(ほうりんじょうしょう)筆(江戸時代 17世紀、鹿苑寺蔵)や、《藤原惺窩像》富岡鉄斎筆(明治時代 19世紀、林光院蔵)などが出品されている。
重要美術品《隔蓂記》鳳林承章筆(江戸時代 17世紀、鹿苑寺蔵)
第二展示室は「相国寺の歴史と寺宝Ⅱ」。第1章の「禅の歴史と相国寺」には《達磨図》春屋妙葩賛、伝義堂周信筆(南北朝時代 14世紀、鹿苑寺蔵)も。第2章が「中世の相国寺」で、重要文化財の《絶海中津墨蹟 十牛頌》(室町時代 14世紀、相国寺蔵)や、《十牛図》周文筆(室町時代 15世紀、相国寺蔵)、重要文化財の《慈照院諒闇摠薄》(室町時代 15世紀、慈照院蔵)などの名品が並ぶ。
《達磨図》春屋妙葩賛、伝義堂周信筆(南北朝時代 14世紀、鹿苑寺蔵)
重要文化財《絶海中津墨蹟 十牛頌》(室町時代 14世紀、相国寺蔵)
《十牛図》周文筆(室町時代 15世紀、相国寺蔵)
重要文化財《慈照院諒闇摠薄》(室町時代 15世紀、慈照院蔵)
この章では、「十牛頌」と「十牛図」の全場面を一挙公開しているのが注目される。なお「十牛頌」とは本来の自己を牛に喩え、禅の修行過程を10段階で表現したものであり、修行僧の進むべき道をわかりやすく説いている。「十牛頌」と、この10段階を絵画化した「十牛図」のすべての場面を目にすることができる。
第3章の「近世の相国寺」には、《對馬以酊眺望之図》維明周奎(いめいしゅうけい)筆(江戸時代 18世紀、慈雲院蔵)を展示。第4章の「近代の相国寺」へと続く。 第5章が「年中行事」で、狩野元信筆による《縄衣(じょうえ)文殊図》(室町時代 16世紀、相国寺蔵)が目を引く。さらに第6章として「工芸の至宝」の展示もある。
《對馬以酊眺望之図》維明周奎筆(江戸時代 18世紀、慈雲院蔵)
《縄衣文殊図》狩野元信筆(室町時代 16世紀、相国寺蔵)