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シルクロード国献男子30年 第14回 調査は地道な活動の積み重ね

国際協力実践家 小島康誉

検索いただきありがとうございます。「国宝中の国宝」ともいえる文物を発掘したと書きました。調査開始から発掘までがスムースに進んだわけではありません。今回はそんな話をしたいと思います。日本も同様ですが、中国でも文化財の調査は法律で厳しく管理されています。基本となる法律に「中華人民共和国考古渉外工作管理弁法」(通称:国家文物局令第1号、1990年12月31日国務院批准・1991年2月22日施行)があります。

手続きを簡単に紹介します。日中双方で調査計画検討→協議書案検討→同調印→新疆政府承認→国家文物局承認といった手順です。契約は単年あるいは複数年単位で、数年後には再び同様の手続きが必要です。この契約に沿い双方が参加研究者決定や資金など具体的準備をします。これが中々なもので、一言では表せません。

実際の調査はまず分布調査を行いました。スタインなどの先行調査ではあらまししか判明しておらず、南北約25km・東西約7 km(周辺ふくむ)の広大な遺跡一帯に点在する遺構を発見しGPS(汎地球測位システム・今ではカーナビなどにも活用)で位置情報を登録する作業です。連続する砂丘の間に残存する遺構を歩いてまわり発見するのは容易なことではありません。そして観察・測量・撮影など総合調査を実施。発掘はその後です。各種の展覧会でミイラ・壁画・染織品・木簡・陶器・・・などを参観される際は、どの調査でもこのような地道な活動があることをチラットと思っていただければ幸いです。

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大型GPSによる測位・測量・櫓からの撮影(撮影:筆者)

現地調査でおしまいではありません。調査・研究の成果は速やかに公開する必要があります。「日中共同ニヤ遺跡学術調査」は1988年から97年まで九回の現地調査を実施。その成果は国際シンポジウムや報告書で度々発表してきました。日中双方は公開段階でも各種の困難を乗り越えてきました。例えば、原稿集約・翻訳・構成・資金調達など。調査隊がひとつの大学で構成されていれば、比較的容易ですが、多領域の専門家を必要とするため多くの大学や研究所が参加、しかも国をまたいでいますので一苦労です。

ニヤ調査では大型報告書(A4版)3巻出版、合わせて7kgにもなります。第1巻・第2巻は日中両文。第3巻は日本語のみですが、中国語版を新疆文物考古研究所の于志勇所長が鋭意準備中です。また写真を主としたカジュアル版『シルクロードニヤ遺跡の謎』(東方出版)は市販されています。研究・シンポジウムなどはいまなお継続中です。

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学術報告書とカジュアル版

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佛教大学・ウルムチ・北京大学でのシンポジウム(撮影:楊新才氏と筆者)

世界文化遺産へ着々準備

精絶国(ニヤ遺跡)は「西域36国」のなかでは中規模の都市国家でしたが、ほかの都市はそのうえに新しい都市が建設されたりして殆ど消滅し、残存するなかではいまや最大の都市国家遺跡であり、古代西域研究に欠くことのできない重要な位置をしめています。

その重要性は世界文化遺産となったキジルなどとともに、ニヤ遺跡も世界遺産申請計画の当初段階では入っていたことからもお分かりいただけると思います。当初計画の規模はあまりに大きく、縮小申請する段階で次へと繰り越されました。

昨年10月、変化状況撮影にはいった時には追加登録に向けての準備として遺構保護工事が始まっていました。張化傑和田文物局長や甘偉新疆文物局主任助理らの案内で保護工事を視察。保護巡視強化用に小型沙漠車POLARISも贈呈しました。私にとっては11回目のニヤ遺跡、ありがたい1週間でした。

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保護工事すすむニヤ遺跡、仏塔と92B9遺構(撮影:筆者)

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。