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シルクロード国献男子30年 第20回 人をいかし自分もいきる-新疆大学奨学金
国際協力実践家 小島康誉1985年に新疆政府外事弁公室の案内で、中国重点大学のひとつ新疆大学(現在の学生数約3万人)を訪れました。初印象は暗いみすぼらしい感じでした。今から30年ほど前の新疆、いや中国はどこでも照明も少なくそんな雰囲気でした。しかし「明日の新疆を建設するぞ」と教師も学生も目が輝いていました。
新疆大学初訪問(撮影:新疆大) 授与式ではサイン攻め(撮影:楊新才氏)
当時、社長であった「ツルカメコーポレーション」は創業20周年を1986年に迎えることから記念行事の一環として、外国人留学生向け奨学金の設立を計画していました。
そのことも頭にあり、新疆大学で奨学金制度をスタートさせたのは1986年のことです。新疆大学で最初の奨学金です。一人150人民元、彼らにとっては半年分の生活費に相当したようです。以来、今日まで継続してきました。一時期、会社からも拠出いただきました。
毎年の授与式には、新疆大学党書記・学長・受賞者をふくむ教授・学生・院生ら約200人、来賓として新疆政府副主席・新疆政府外事弁公室副主任らが出席。書記・学長の挨拶、受賞者名発表と学生挨拶、新疆政府副主席と私が挨拶・・・。私が「大家好!」(皆さんこんにちは)につづきウイグル語で「ヤクシミスィズ!」(こんにちは)と呼びかけると拍手喝采です。「自分のために、新疆のために、中国のために、そして世界のために、努力、努力、さらに努力を!」と下手な中国語で締めくくります。
受賞者は民族バランスが考慮されています。これは前回の「小島新疆文化文物優秀賞」でも同様です。多民族地区である新疆ウイグル自治区には47民族が居住、すべての局面で民族バランスが。例えばウイグル族などイスラム教徒が参加する宴席では、豚肉は提供されません。新疆大学の書記は漢民族、学長はウイグル族といったように。
今では奨学金も増え、高額のものもありますが、「小島奨学金は額は低いが栄誉は最高」とおだてられています。授与式後にはサイン攻めにあうほど。金額は中国のインフレとともに順次増やしここ数年は一人2,000人民元、学生生活費一ヵ月分程度です。もちろん返済不要の渡しきりです。まとめて拠出する財力がないため毎年やりくりして払っています。30年間で4,450人余りに贈呈。各方面で指導者・幹部となった人も多数です。
私が持ち歩いている頭陀袋はボロボロ。歴代学長が頭陀袋を持ち上げ「学生諸君、これを見よ。小島さんは節約している。彼の大きな愛に学ぼう」と話すと涙する人もいるほどです。塔西甫拉提・特依拝学長(東京理科大学工学博士)はじめ教授陣多数も学生・院生・若手教師時代に受賞しています。
2010年度受賞者とともに(韓子勇書記編『大愛無疆』より転載)
塔西甫拉提・特衣拝学長と再延長協議書調印(撮影:楊新才氏)
後列中央が艾尓肯・吐尼亜孜新疆政府副主席・右端が李中耀書記・左端が孟凡麗副学長
昨年9月には「30周年記念大会」が開催されました。記念DVDやリーフレットが制作されるなど熱情あふれたものでした。契約はこの年まででしたが、新疆ウイグル自治区成立60周年祝賀の一環で、5年延長・増額(本年からは一人3,000人民元)しました。5年と限ったのは、長年の企業経営や外国折衝で身体あちこちガタがきているのと74歳着々老化で、旅立ちも近づいているためです。協議書に「小島康誉が死去したら妻聡子が継続する」を付け加えました。
艾尓肯・吐尼亜孜新疆政府副主席は「教育は国家の根幹、小島精神を生かして、しっかりと勉強を」などと挨拶されました。
記念リーフレットから数名の文章を紹介します。単雪梅さん(同大学外国語学院院長1986~88年受賞)=「私の成長の重要時期に奨学金を得た影響は大きい」、楊洪建さん(同大学国際文化交流学院副院長1992~93・2005年受賞)=「新疆と新疆大学への突出貢献に心から感謝」、夏迪亜・依布拉音さん(同大学人文学院ウイグル語研究室副主任1993年受賞)=「無私の奨学金に激励され人生の方向が明確になった」、馮新龍さん(同大学数学与系統学院教授1995~97・2000年受賞)=「私の研究業績と奨学金は切り離せない」。写真はある年の年賀状です。これらは自慢するための紹介ではありません。具体的な国際貢献実践が相互理解に結びつくことをお分かりいただければ幸いです。率直な感謝が伝わってきますね。人々の喜びは私の喜びです。