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シルクロード国献男子30年 第3回 案内人の冗談 修復保存へ個人的寄付
国際協力実践家 小島康誉年も押し詰まりました。何かとお忙しい中、何億何十億とあるWebでのありがたい出会いに心から感謝します。
キジル千仏洞を初めて参観したのは、1986年5月。登るのさえ危険な梯子を登って拝した壁画の数々。人々の願いが釈尊の前世物語として描かれていました。石窟造営を発願した人、膨大な資金を提供した人、英知を絞り穿ち描いた人、仏教を説いた人、修行した人、生活を支えた人・・・。風雪にたえ、異宗教にたえ、盗掘にたえ、千数百年。今なお色鮮やかに残る1万㎡もの壁画群。「人類共通の文化遺産」と直感しました。
梯子の角度にご注目(撮影:筆者)
自らの生活も十分に賄えない中、国宝級遺跡を保存しようと汗水を流す人たち。貧しかった30年前の中国、その辺境の辺境。掘っ立て小屋に住み、つぎはぎだらけの服、食べるものさえ事欠く中での細々とした保存活動・・・。このふたつの感動が私を動かしました。
帰り道、案内してくれた新疆工芸品公司の王世田さんが言いました。「小島さんが10万元を出してくれたら、専用の修行窟(筆者が得度したのは翌87年)を造ってあげましょう」。当時の10万元は約450万円。彼は、まったくの冗談のつもりでした。しかし、ふたつの感動から私は即座に「分かりました、出しましょう」と答えました。一、二度会っただけの外国人のこの答えに彼は驚きました。私たちが大金のことを「1億円!」と表現するのと同じ感覚で、10万元と言ったのです。当時の中国での10万元はそんな金額でした。
私は重ねて言いました。「修行窟はいりません。修復に役立ててください」。王さんは「冗談です。忘れてください」と、何度も私の真意を疑いました。思いもよらぬ大金を何の見返りも要求せずに出すというのですから。
五弦琵琶も描かれている第8窟(撮影:筆者)
ウルムチへの帰途、2日間2人の会話は「冗談です。忘れてください」、「冗談は分かっている。しかし保護に使って」の繰り返し。確認を重ねた彼はついに私の文化財保護の気持ちを理解し、「よく分かりました。しかし自分は修復資金を受け取れません。盛さんが政府機関を紹介しましょう」と言いました。
その頃、盛春寿処員(2001~2015年新疆文物局局長)は新疆大学を卒業して、新疆文化庁文物処に勤務したばかりで、案内というよりキジルを参観する外国人の見張りといった雰囲気で、会話を聞いているだけでした。遺跡参観はもとより新疆を訪れる外国人は殆ど皆無の時代でした。
紹介されたのは、新疆文化庁文物処の韓翔処長でしたが、彼も考えてもいなかった申し出に、何度も「なぜ?本当?真の目的は?」を繰り返しました。キジルからも大谷探検隊など外国人によって文化財が持ち出された歴史が彼らに「なぜ?」と疑問を抱かせたのは当然のことでしょう。簡単なメモにサインをして帰国、翌月には私と韓処長・新疆工芸品公司責任者の三者が契約書にサインしました。
しかし、振込先の連絡がなかなか来ません。修復保存寄付金を振り込んだのは10月末のことでした。新疆での外国人からの文化経済などあらゆる方面での初の寄付申し出で、半信半疑、別の目的があるのではと、許可がなかなか得られなかったからです。新疆の最高実力者である王恩茂全国政治協商会議副主席(1985年まで中国共産党新疆ウイグル自治区委員会書記)がようやく承認したと後になって聞きました。
ふたつの感動と案内人の冗談。見過ごしてもおかしくないことを「心」で捉えた結果、私、そして多くの方々の人生に花を咲かせることが出来ました。多くの多くの苦労がありましたが。
多くの方々のご協力で世界遺産となったキジル千仏洞などの番組「世界遺産シルクロードを支えた水と氷の物語」(仮題)は来春BSフジで放送予定。一人間として30年にわたり実践し続けてきた世界的文化遺産保護研究事業と国際貢献をこの機会に振り返り、新疆への思い、人々への思い、文化財への思いなどを語ってみようと、今月初めから連載を始めました。正月も掲載します。笑覧くだされば幸いです。