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シルクロード国献男子30年 第5回 ジキルとハイド 募金活動悪戦苦闘
国際協力実践家 小島康誉「ジキルとハイドのハイドじゃないか」と冗談を言われました。荒廃すすむキジル千仏洞を後世に残すため浄財を募るには母体となる団体が必要です。取引先などにお願いして役員を引き受けていただき、ようやく「日中友好キジル千仏洞修復保存協力会」を設立したのは1987年11月のこと。翌12月から募金を開始しました。「ジキルとハイドのハイドじゃないか」と疑われたのはその頃です。
募金パンフレット(部分)・募金PRハガキ・募金テレカ
そんな冗談を言われるほどの当時の状況をお分かりいただくために、一例をお話します。日本と中国が国交を回復したのは1972年、それから15年ほどしか経過していない1987年の協力会設立。塩川正十郎文部大臣の紹介で協力会の会長に就任いただいた中山太郎元大臣の秘書から「都合で会長は務められない」との連絡。複雑な日中関係が影響したようです。すでに中山会長名の募金パンフレットは印刷済みでした。急遽、私が社長をしていた会社の社外取締役として指導いただいていた上村晃史氏(薬の町大阪道修町で江戸時代からつづく工業薬品会社上村工業の社長)に会長をお願いし、パンフレットを印刷し直しました。
「人類共通の文化遺産 キジル千仏洞を後世へ」をスローガンとした募金パンフレットや宣伝ハガキ・テレホンカードなどを作成し募金活動を始めましたが、有名な敦煌と違って殆どの方がキジル千仏洞をご存知ありません。また当時の文化財保護意識は現在ほど高くなく、まして遠くはなれた外国の有名でない石窟、募金集めは並々ならぬ苦労でした。
募金パンフレット・募金活動を報じる新聞など
新聞・テレビ・ラジオに報道を要請し、「遺跡修復へ日中協力-保存協力会発足、全国で募金活動」(中日新聞)・「シルクロードの遺跡を守ろう-修復後押しへ募金」(日本経済新聞)・「中国最古の石窟寺院キジル千仏洞修復に協力を-市内の社長ら寄金募る」(毎日新聞)・「絹の道キジル千仏洞守れ-荒廃進む文化遺産-修復へ募金続々」(中部読売新聞)・「シルクロードの仏教遺跡-修復保存の募金呼びかけ」(朝日新聞)・「キジル千仏洞修復保存の募金運動に奔走する小島康誉さん」(読売新聞)などと報じられました。
当時は社長であったこともあり「期待額」より少ない取引先には「もう少し多いと有難いですが」などと無理なお願いもしました。事務局を置いた当社の役員、丸山朝・市川洋平・小島聡子・松尾利勝・青山巽・関口靖雄・加藤賢二・上岡長作各氏、そして数百人の社員諸氏は積極的に寄付申し出、更に友人知人への働きかけなど各段の努力をしていただきました。感謝するばかりです。
上村会長は表面処理技術講習会を開催され、その収益を寄贈いただきました。
副会長・顧問・理事の皆様にも多大な尽力をいただきました。感謝を表す意味からも紹介します。副会長として五百木茂(三菱商事副社長)・大岡昇(大林組副社長)・奥住正道(奥住マネジメント研究所所長)・川崎元雄(甲南大学元学長)・木村英一(大阪市立大学前学長)・栗原徹(日本信販専務)・小山勇(中日新聞常務)・須賀武(野村證券副社長)・鈴木充(東海テレビ放送会長)・中島茂清(全国中小企業団体中央会前副会長)・西川俊男(ユニー社長)・野崎辰男(安田火災海上保険副社長)・林寛子(扇千景・参議院議員)・松原哲明(臨済宗妙心寺派龍源寺住職)・安田暎胤(薬師寺執事長)・横瀬昌夫(住友金属鉱山専務)・水谷幸正(佛教大学学長)・渡辺信淳(京都大学名誉教授)、顧問として神田延祐(三和銀行副頭取)・奈良久彌(三菱銀行副頭取)・森田武(三井銀行常任監査役)、理事として遠藤さち子(監事・日本火災総務課)・杉浦実郎(総務・プラス社長)・高木康成(会計・新日本法規出版副部長)・堀尾寶(中国渉外・寺尾商会部長)・村上斌(新東通信部長)の方々です(五十音順・社名と役職は当時)。
役職でお分かりのように、錚々たる方々。殆どの方が当時すでにご高齢、30年近い時を経て多くの方が旅立たれました。ご冥福をお祈りいたします。
多くの方々の東奔西走不眠不休ご尽力により、目標額にむけ着々と積みあがりました。ありがたいことです。
「ジキルとハイドのハイドじゃないか」と言われた私。その「ジキルとハイド」がミュージカル化され3月に東京で公演されるとか、これも縁でしょうか。観に行くつもりです。縁はあちこちに散らばっています。それを見逃すのも頂くのも人生でしょう。1986年、荒れたキジルに出会い、「保存するぞ」と決意し、苦闘しながらの募金活動。それにつづく国際貢献格闘人生。楽しませていただいています。ありがたいことです。