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シルクロード国献男子30年 第9回 仏教故地クチャ 世界遺産も外交

国際協力実践家 小島康誉

このWebを検索いただきありがとうございます。キジル千仏洞や天山氷河・カレーズなどを取り上げたBSフジ「天山を往く~氷河の恵み シルクロード物語~」が放映されました。好評だったとプロデューサー永野浩史氏より聞きました。嬉しいことです。当初から関与してきた小生は、かじりつくように観ました。こんなにじっくり観たのは、やはり関与したNHKの「新シルクロード」以来です。ご覧いただいた方々に感謝いたします。

筆者自身は番組の協力者(新疆政府との番組契約交渉など)・出演者(キジル千仏洞と農業用井戸掘削部分)であり、制作者ではありませんが、文化遺産保護の重要性や日本の多くの方々がその保護に尽力されたことを感じ取っていただけたなら幸いです。

キジル千仏洞を訪ねられた方はお分かりと思いますが、田舎の田舎、辺境の辺境といった所に位置しています。そんな辺鄙なところに何故、大規模な石窟寺院が造営されたか、また世界遺産の政治的側面、そんな話をしたいと思います。

仏教が日本に公伝したのは、6世紀の半ばとされています。伝来以来すでに約1,500年、日本人の精神構造に大きな影響を与えてきました。

伝来ルートのひとつはインドから西域を経て、中国中原や朝鮮半島を通ってです。その西域の古代シルクロード「天山南路」の要衝として亀茲国(現在の庫車=クチャ)が栄えていました。天山南路とは天山山脈(2013年世界自然遺産)南の道を指し、タクラマカン沙漠の北と南に西域北道・西域南道と称されるキャラバンルートが通っていました。亀茲国は西域北道のオアシス都市で、「西域36国」のひとつです。

前漢の歴史書『漢書』には「王は延城を治め・・・、家6,970戸、人口81,317人、兵21,076人・・・、南は精絶・北は烏孫・西は姑墨・東は烏塁・・・」とあります。現在のクチャは人口約50万とか、それからしても二千年前の軍民あわせて約10万人は、驚異的です。天山の雪融け水と鉱物資源に恵まれた大都市だったのです。

そんな経済力を背景としてこの地で仏教が栄えました。仏教経典目録である『出三蔵記集』には「時に亀茲の僧衆一万余人」、晋の歴史書『晋書』には「城は三重で、仏塔廟は千ヵ所」、さらに玄奘三蔵の『大唐西域記』にも「伽藍百余ヵ所、僧徒五千余人」などと亀茲仏教の隆盛ぶりが記されています。

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羅什三蔵像前でTV番組撮影(撮影:楊新才氏)

仏教は己を見つめる宗教です。自己を求めるのにふさわしい場所として、人里はなれた山中などが選ばれました。比叡山や高野山などからもお分かりいただけるでしょう。街中にも○○山と「山」が付いた寺院があるのはその名残です。例えば浄土宗大本山のひとつである東京芝の増上寺のフルネームは三縁山広度院増上寺といった具合です。キジル千仏洞が亀茲の中心から遠く離れて造営されたのはそんな理由でもあります。

話は変わりますが、「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」世界遺産登録で「シルクロード」そのものが世界遺産に登録されたとの誤解も生じていますが、道そのものが登録されたわけでなく、キジル千仏洞など33遺跡が構成遺産です。

本年2月、日本は世界遺産登録を申請していた「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」を取り下げ、再申請を目指すことになりました。世界遺産登録は山あり谷ありです。

「シルクロード」でも同様で登録に至るまでの道のりは長いものでした。「シルクロード」世界遺産申請予備会議がトルファンで開催されたのは2006年、今回の申請国である中国・カザフスタン・キルギス以外にもタジキスタン・ウズベキスタンなども参加。当初は2012年登録を目指して各種準備が進められました。それまでの修復保存活動が基礎となったのは当然のことです。キジルで言えば、日本の3,000人余りの方々や企業の浄財での保存事業が大きく役立ったわけです。新疆内の構成遺産にはニヤ遺跡・楼蘭なども含まれました。

国によって準備に遅れもあり申請順延と規模縮小され、ニヤ遺跡や楼蘭などは次段階へ繰り越されました。2011年、前述3ヵ国は「シルクロード世界遺産申請活動議事録」に署名し、正式申請は2013年でした。

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世界遺産決定を宣言する議長(PC生中継を撮影:筆者)

世界遺産が増えすぎ、一国家は一年に文化遺産と自然遺産それぞれ一ヵ所のみ申請が原則です。中国は2014年分文化遺産では「京杭大運河」を申請したため、「シルクロード」はキルギス枠で申請し、中国が中心となって対応したようです。2013年にはイコモス(国際記念物遺跡会議)派遣専門家による現地調査が行われました。新疆内の調査は日本人研究者が担当、新疆文物局が接遇。2014年4月にイコモスより登録勧告が出て、6月の世界遺産委員会で日本などが賛成を表明し、正式決定しました。申請名称は「シルクロードの始点:天山回廊の交易路網」でしたが最終的に「始点」から「長安」に変更されました。

当初の参加国から分離したタジキスタン・ウズベキスタンが申請した「シルクロード:パンジケント・サマルカンド・パイケンドの回廊」は価値の証明が不十分として登録が見送られました。

2013年の「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」世界遺産審議では「三保松原」を除外するよう勧告されましたが、日本政府の粘り強い折衝で最終的に認められました。また昨年の「明治日本の産業革命遺産-製鉄・製鋼、造船、石炭産業-」世界遺産審議では、韓国が大戦中に構成遺産の炭鉱や製鉄所などで朝鮮半島から多くの人が動員され、死者も出たからと異議を唱え決定がずれ込んだのは記憶に新しいところです。

議長国ドイツの裁量で最終審議を行うことなく全会一致が得られたものとして、登録決議がなされた」などと古田陽久氏(世界遺産総合研究所所長)が下記Webで詳しく報告されています。
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このように、準備の遅れている国を外す、構成遺産22ヵ所の中国からでなく構成遺産3ヵ所のキルギスからの申請、名称変更、異議申し立てなど、世界遺産にも外交が絡んでいます。あるいは、中国と中央アジア2ヵ国の「シルクロード:長安-天山回廊の交易路網」は中国提唱の「上海協力機構」・「シルクロード経済帯」・「アジアインフラ投資銀行」(AIIB)などの文化版的側面も有しています。

国際政治は善悪だけでなく国家の損得(国益)が絡んで動いている一例とも言えます。別の言い方をすれば、声の大きいほうの主張が通りやすいのが世界の現実ですね。

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。