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国献男子ほんわか日記107 コロナとも共生を! 5類へ指定変更を!

国際協力実践家 小島康誉

1月20日には厳戒態勢の中、乱暴大統領に代わりバイデン新大統領が就任、「共生・国際協力」路線へ早期復帰されたい。日本では間もなくワクチン接種開始。あわせてコロナをインフル同等の5類に指定変更を! 一部の医師もTVやWebで公言し、全国保健所長会の厚労相への「緊急提言」(20.12.08)でも現在の2類相当を緩めてとしている。

厚労省「人口動態統計」(20.06.05)によると、死亡者は2018年136万2470人、2019年は138万1098人。NHK「特設サイト新型コロナウイルス」(21.01.17)によると、コロナ発生から16日までの死亡者計は4,489人(クルーズ船ふくめ)。大したことないただの風邪、と人々はこの一年で実感したから人出は激減しない。コロナはやがて収束するが、終息はしない。ヒステリック知事らの人気とり小手先対応でなく、根本戦略を!インフル同等の5類に指定変更を!これこそコロナ共生の決め手!唯一無二!

飲食店・ホテルなどが次々と廃業に追い込まれ、JR東海でさえ一日400人一時帰休せざるをえないほど社会崩壊目前。医療崩壊どころでない。「緊急事態宣言」「飲食店時短要請」「GoTo停止」も早期解除を! 経済活動再開なくして生命も生活もなし、と小僧は前回に続き主張。

さすが和歌山! 悲しくも美しい国際協力

コロナで外国人訪日客ゼロ。当てにしてきた観光地などはガックリ! でも!だからこそ!今こそ国際発信!和歌山県はスゴイ!小僧は幅広い情報収集が重要と、米CNN・Newsweek日本版・英BBC・人民網・環球時報網・新疆日報網・レコードチャイナなどを常時検索。そのBBCに和歌山県CM。

“「1200年前、弘法大師空海が修行道場を創建」と(BBCウエブより)

「1200年前、弘法大師空海が修行道場を創建」と(BBCウエブより)

日本地図・橋杭岩・那智の滝(世界遺産)・熊野古道(世界遺産)・八咫烏・金剛峯寺(世界遺産)など1分余。県がYouTube用に制作したCMの圧縮版のようだ。(Youtubeリンクはこちら)日本政府もCNNなどでCMを流している。日本が世界で生き残るためにもドンドンPRを! 知事専用に高級車を所有する都道府県があるとか。一般車に変更し、浮いた金で「国際発信を!」、国献男子はガンガン主張。

橋杭岩つながり国際協力物語:和歌山県CMに登場する橋杭岩は「弘法大師と天の邪鬼が賭けをして、一夜にして立てた」と伝説がのこる国指定天然記念物、串本町に所在する。青春18きっぷで日本縦断(ほんわか70)した際に宿泊した串本は「トルコ友好の町」。何故? 悲しくも美しい国際協力の物語がある。

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小僧楽書:背景は本州JR最南端「串本駅」前広場(撮影:筆者)

以下は串本町HP「(日本とトルコの絆をつないだ物語)」などより要約

1985年イラン・イラク戦争の際、48時間後に迫った攻撃。取り残された日本人215名。そのとき、トルコ共和国から駆けつけた救援機2機により、全員がイランを脱出。それは、1890年に起こったトルコ軍艦エルトゥールル号の悲劇から始まる、絆のものがたり。

トルコ(当時はオスマン・トルコ帝国)イスタンブールを出航したエルトゥールル号は約11ヵ月の航海を経て1890年6月7日、横浜入港。明治天皇に謁見するなど官民あげての歓迎を受けた。9月15日横浜港から帰国の途へ。

翌16日、和歌山県串本町大島樫野崎沖で折からの台風に遭遇。オスマン少将ら587名が殉職。大島の人々は不眠不休で救助・介護、69名が命をとりとめた。遺体捜索・引き上げにあたり、日本全国から義援金・物資が届けられた。69名の生存者は神戸救護病院で治療をうけ、10月5日、日本海軍の比叡と金剛で帰国の途に。翌1891年1月2日イスタンブール到着、盛大な出迎えを受けた。

1985年3月17日、イラクのフセイン大統領が「48時間後にイラン上空を飛ぶ航空機を無差別攻撃する」と声明。イラン在住日本人は慌ててテヘラン空港に向かい出国を試みるも、すべて満席で途方に暮れていた。日本航空の救援機は航行の安全が確保できないと見送られたとか。救いの手を差し伸べたのはトルコ。駆けつけた救援機2機により、邦人215人全員がイランを脱出できた。タイムリミット1時間前だった。

何故トルコが救援機を派遣したのか? ウトカン駐日トルコ大使(当時)は「エルトゥールル号の事故での日本人の献身的な救助活動を今もトルコの人たちは忘れていません。私も小学生の頃、教科書で学びました。トルコでは子どもたちでさえ、エルトゥールル号の事を知っています。今の日本人が知らないだけです。それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、トルコ航空機が飛んだのです」と語っている。

1929年には昭和天皇が慰霊碑に参拝された。2015年には日本・トルコ合作映画「海難1890」が上映された。慰霊祭は今も行われている。串本町HP「日本とトルコの絆をつないだ物語」を是非とも検索ください。小僧前回の串本宿泊は夜着、翌朝早く出発し、慰霊碑に参拝していない。必ず伺いたい。嗚呼95年後の恩返し! 悲しくも美しい国際協力物語。「コロナ不安症」もあと少し!笑って!笑って! ほんわかほんわか。(01/17記)

1942年名古屋生まれ。佛教大学卒。浄土宗僧侶、国際協力実践家。66年「宝石の鶴亀」(後にツルカメコーポレーション・あずみと社名変更、現エステールHD)を起業。93年株式上場。96年創業30周年を機に退任。中国新疆へは82年以来、150回以上訪問しキジル千仏洞修復保存、ニヤ遺跡やダンダンウイリク遺跡を日中共同で学術調査するなど文化財保護研究・人材育成など国際協力を多数実践。佛教大学客員教授を歴任し現在は佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構代表、新疆ウイグル自治区政府顧問。編著『日中共同ニヤ遺跡学術調査報告書』『日中共同ダンダンウイリク遺跡学術調査報告書』『念仏の道ヨチヨチと』『新疆世界文化遺産図鑑』『中国新疆36年国際協力実録』『Kizil, Niya, and Dandanoilik』『21世紀は共生・国際協力の世紀 一帯一路実践談』「スタイン第四次新疆探検とその顛末」など。日本「外務大臣表彰」・中国「文化交流貢献賞」「人民友好使者」ほか受賞。