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国献男子ほんわか日記164 楼蘭でゴミ100㎏回収
国際協力実践家 小島康誉シルクロードで栄華を誇った楼蘭、4世紀頃に湖ロプノールが干上がり、次第に沙漠に吞み込まれ表舞台から消えていった。1900年3月スウェーデンの地理学者ヘディンが「発見」した。後にイギリスに帰化したハンガリーの探検家スタインが1906年に発掘し、日本の第二次大谷探検隊の橘瑞超は1909年に「李柏文書」(重要文化財・龍谷大学蔵)を収集した。楼蘭はNHKの大型番組「シルクロード」(1980~81)にニヤ遺跡などと登場しシルクロードブームを巻き起こし、中華料理店「楼蘭」が各地に・・・等々よく知られている。
その楼蘭で過去の探検隊などが残したゴミ約100㎏を回収したことがある。筆者が新疆ウイグル自治区文化庁と交わした協議書に基づき1996年10月24日、筆者・安田順惠・岸田善三郎・岸田晃子・清田伶子・中造和夫・荻原季之各氏と文化庁の王経奎・記者の楊新才氏ら中国側6人はウルムチを出発した。30年近い昔のことで忘れていたが、過去の資料をデータ化していたら諸氏へ出した「闇深く衛星ゆくロプノール」(96/12/15)が出てきた。「中日探検家が楼蘭遺跡でゴミ掃除」(「新疆日報」96/11/27)が貼り付けられていた。
楼蘭参観隊諸氏への手紙(部分)
日本側諸氏へ出した便りに記事の概訳が記されていた。「中日探検隊が少し前に楼蘭故城より100㎏のゴミを掃除した。これは人間によるこの人里はるか離れた古代文化遺跡より初の大規模な環境掃除である。この楼蘭探検隊は日本人7人、中国人6人・・・若羌(ルオチャン)より2台の沙漠車で、3日半でロプノール楼蘭に着いた。探検隊は楼蘭考察中、4ヵ所でゴミを見つけ・・・3時間かけ、ゴミを全部集め、6ッの大袋に入れた・・・楼蘭はヤルダン地形にあり、進入が非常に困難で大変苦労して、楼蘭仏塔の100m手前まで車で入った。人類初のことであり、ゴミを300㎞離れた若羌のゴミ処理場へ埋めた・・・」と。
仏塔で誦経したことなども思い出した。岸田善三郎・清田伶子・中造和夫各氏はすでに旅立たれた。合掌礼拝するばかり。楼蘭仏塔まで沙漠車を進めることもできたが、遺跡保護のために約100m手前で止めた。強風でテントが飛ばされたことも。ロプノールの干上がった湖底には貝殻が散乱していた。ニヤ遺跡調査やダンダンウイリク遺跡調査でも最終日には日中隊員全員でゴミを回収した。付記:筆者は「タクラマカン沙漠一周鉄路2700㎞の旅」(レコードチャイナ22/02/05)を提案したことがある。参観地などは筆者案と異なるが、「沙漠一周全席寝台11日間ツアー」として3月27日ウルムチを出発した。昼間は各地の観光地を巡り夜間に移動する豪華版、乗客523人が楽しんだ。行きた~い。(04/11記)
導かれ支えられ
仏教の開祖・釈尊(BC463-383異説有)の誕生日は4月8日とされている。小僧が安藤佳香教授と共に代表を務めている「佛教大学内ニヤ遺跡学術研究機構」の研究室は京都・広沢池近くの「佛教大学宗教文化ミュージアム」内にある。先月末もスタイン資料撮影で出かけた。隣接して佛教大学付属幼稚園がある。同幼稚園など仏教系幼稚園では花御堂のお釈迦様に甘茶をかけたり、白象を引いたりして釈尊の誕生日を祝う「花まつり」が行われる。また4月7日は浄土宗の開祖・法然上人(1133-1212)の誕生日。
午年小僧楽書
インド仏跡巡拝に参加し、『観無量寿経』や『法華経』などが説かれた霊鷲山で不思議な体験をした。霊鷲山は2500年ほど昔、何千何万という弟子たちに釈尊が教えを説いたとされる聖地。その釈尊の説法を弟子たちと一緒に「自分も直に聴いた」と実感して涙が止まらなかった。ありえないことだが、聴いたと実感し涙が止まらなかったのは事実。いわゆる「宗教的体験」である。そんな仏縁で浄土宗の佛教大学に社会人入学し、知恩院などで修行した。
日々西方浄土の阿弥陀様に念仏を唱え誦経している。日々迷いだらけの凡夫は、釈尊や法然上人に「導かれ支えられ」生きてきた。家族・友人・知人・・・日本中の皆さん、世界中の皆さん、いやいや全ての動物・植物・鉱物・太陽・水・風・海・空気・山川草木・宇宙・・・全ての生態系に「導かれ支えられ」生きてきた。余命もお任せするばかりだが、「導かれ支えられ」生きてゆく。ありがたい×ありがたい。ホンワカほんわか。