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国献男子ほんわか日記179 戦死・捕虜・抑留・・・よそ事でない戦争 即時終結!
国際協力実践家 小島康誉ロシアによるウクライナ侵略が続く中、イスラエル・パレスチナハマス戦が勃発。子供ふくめ死者続々。ミャンマーなどでの紛争も終わらない。皆が早期終結を願っている。それらは遠く離れた外国の事と思いがち、デモ日本周辺も不安材料いっぱい。イヤツイこの前は当事者だった。祖父祖母父母兄弟姉妹子供が戦火に倒れた。戦陣に散り戦火に倒れた邦人は310万。世界では第一次世界大戦で1,500万、第二次世界大戦で8,000万人が亡くなったと言われている。戦争は悲惨だ。忘却の彼方と忘れさられている悲惨な戦争。世界で今も!
引揚船から小型船(左奥)に乗換え上陸する人々を出迎え(「舞鶴引揚記念館」にて23/11/20)
♪今日も暮れゆく 異国の丘に 友よ辛かろ 切なかろ 我慢だ待ってろ 嵐が過ぎりゃ帰る日も来る 春が来る♪ 抑留兵・増田幸治作詞「異国の丘」の一節である。先の大戦で外地に残った約660万の日本人は浦賀・舞鶴・呉・下関・博多・佐世保・鹿児島・函館・大竹・宇品・田辺・唐津・別府・名古屋・横浜・仙崎・門司・戸畑の港に軍人軍属を含む約624万人が帰還した。舞鶴には66万余が引き揚げた。ちなみに宇野宗佑首相も歌手・三波春夫もシベリアから舞鶴へ帰還した。
引揚桟橋は朽ちて無くなり、近くに復元された桟橋(右端)「招霊」碑で誦経(撮影:小島聡子)
舞鶴では昭和20年(1945)10月に最初の引揚船「雲仙丸」が入港してから昭和33年の最終引揚船「白山丸」まで346隻を迎え入れた。「舞鶴引揚記念館」の収蔵品の一部「白樺日記」などは2015年に「ユネスコ世界記憶遺産」に登録された。舞鶴が迎え入れた引揚者の多くは、シベリアに抑留されていた人々。抑留生活は過酷、極寒での激しい労働と僅かな食料、次々と死んでいった。引揚桟橋を見下ろす丘には「異国の丘」「岸壁の母」の歌碑。小僧は♪今日も暮れゆく 異国の丘に・・・♪を涙ながらに熱唱した。昨年末公開の映画「ラーゲリより愛を込めて」に悲惨な抑留生活や引き揚げが実話により描かれている。
シベリア抑留生活の厳しさ、舞鶴市が運営する引揚記念館の展示(撮影可)より
重ねて言うまでもないが戦争は悲惨、しかし人類は戦争を続けている。理解しあうより憎しみあう事が重要と考えているようだ。先月末、中国揚州テレビの取材クルー7人が来宅。奈良時代に鑑真和上が伝えた味噌や豆腐などを通じた文化交流がテーマで、小僧の新疆での活動を文化交流の視点で取材したいと。質問に応じて強調したのは「異なる体制や文化を拒否すれば争いになり、理解しようとすれば協調・平和が生まれる。相互理解が重要だ」の一点。他人事でない戦争。一日も早く終結を!普段の相互理解努力を皆で!(12/05記)
誦経と剃髪 ありがとうございます
上述の取材時、揚州テレビから新茶「緑楊春」を、鑑真和上が住職だった大明寺の僧侶から染筆「不動心」をいただいた。阿弥陀様に供え感謝の誦経。クルーはさっそく撮影していた。小僧ではあるが誦経と剃髪は欠かしたことはない。秋に訪問した新疆22日間も同様。中国共産党中央政治局委員との会見、新疆政府主席による歓迎宴、タクラマカン沙漠一周鉄路完乗、都市多数視察、40年記念講演、TV出演・・・など活動つづき、疲れるも、朝夕の誦経と四・九日の剃髪で心身整え、楽しく過ごした。ありがたい×ありがたい。
新疆から杭州へ。そして日本へ、CA145機内モニター(撮影:筆者)
見るとはなしに目に入ったサプライズご紹介:成田への機中の臨席は中国女性。小僧が頭陀袋に付けていた名札をスマホ撮影し、友人にメール。その返信「名前検索した。新疆で国際協力を実践し大金を投じている。金持ちが何故エコノミークラス?」と。隣席女性「節約しているのだろう」とメール。もちろん全て中国語。「金持ちじゃない。苦労している」と言いたかったが止めた。
オマケのサプライズ:中国の作家・徐迅雷氏が「小島康誉:五星出東方利中国」を11月末、日本の中国語ネット「中国新華僑報網」で発表し中国のネット多数に転載されたと友人から聞き検索した。秋の新疆視察やキジル千仏洞保存・日中共同ニヤ遺跡調査・奨学金・・・がまとめられた長文。「五星出東方利中国」で始まり「他是日本的小島, 他是中国的康誉, 他是世界的小島康誉!」で終わっている。書籍などから探してきたらしい写真の中に、ナント!小僧の赤ん坊の頃や結婚式の写真。ビックリ!興味ある方は検索ください。本若ほんわか。